日ごと日ごとに



 ようこそ! あなたは カウンター 番目のお客様です  



一日一首を義務づけて
私がんてつの身の周りに起こったこと、ALSとの格闘?の模様、
季節の移ろい、世の中の出来事までをも、三十一文字に纏めて、
日記のつもりで短歌らしきものにしています、どうぞ、ご笑読下さい。

2006年11月、私達ALS患者が集まって、現在迄の各々の体験を
岩波書店より 「生きる力」(840円) として、出版しました。
購って下さい、読んで下さい、印税は全額ALS協会へ寄付されます。
「生きる力」 へのリンクはこちら


・・10年版は「短歌のページ」へ収納しました・・


11年12月31日(土)
 幾万の命儚く消え失せしこの年愛(お)しむ忘れ得ぬとぞ

この一年いろいろいろとありました我が家は今も揺れております

この夜が明けてもきっと息しつつぼやき歌など詠ひて暮らす


(今年もついに大晦日となりました。私にとってのこの一年は、決して生易しいものでは
なかった、と自負?してますが、東日本大震災の犠牲者及びご遺族、被災された皆さん
の事を思うと、ぼやいてばかりは居られないぞ!と心を新たにしたところです。
生きていさえすればきっといい事がありますよ!は、あの震災以来よく耳にする言葉で
すが、来年もまた沢山の方々のお手に支えられて、その日の訪れを待つことにします。
尚、この一年も相も変らぬぼやき短歌をご愛読下さいまして有難うございました。
身体の続く限りですが、来年もぼやき続けますのでどうぞ宜しくお願いします。
皆様もどうぞお揃いで、佳いお年をお迎えになりますよう祈念申しあげます)

11年12月30日(金)
 千年に一度と言はるる大地震(おおなゐ)と巨大津波を目の当たりにし

「原発」の安全神話が見事にも崩壊せし日をしかと見届けて

女子サッカーワールドカップを手中にす「なでしこジャパン」の勝利の瞬間

地上波テレビのアナログが目見張るばかりのデジタルとなる

三年に亘る連続ドラマ「坂の上の雲」の最後まで観られて

回顧なすこの一年をしみじみと答えは一つ生きててよかった

(今年も明日の大晦日を残すのみとなりました。
私の療養生活は、正直云って大変ですが、そちらはまたの機会にまかせるとして。
今日は、世の中の動きを、五首に纏めました。
五首目は3年12回に亘って放送するドラマなんかに、付き合えるかな?と
思いつつ観てましたが、何事もなく最終回を観終えました)

11年12月29日(木)
 佳い年をお迎えなさいの声のこし仕事納めしナース、ヘルパー

帰省また海外へ発つ人々と正月用品売る人買ふ人

チャンネルを送れど回せどオチャラケでNHKのニュースで止める


(昨日28日をもって今年の仕事納めとなりましたので、看護師さんとヘルパーさんの一部の方が
お休みに入られ、遣り繰り騒ぎとなっています。が穴を埋めて下さるヘルパーさんのお蔭で平常
通りの日々が送れています。問題は生活に欠かす事が出来ないテレビですが、こちらもガラリ
一変状態。民放はオチャラケの上にコマーシャルがガンガン入って、とてもじゃないけど付いて
いけません。結局はNHKを点けっぱなしにしてますが、もういまから新年の4日が待たれます)

11年12月28日(水)
 門松に正月ちかしを教えらる街は賑はう買ひ物客で

散策に身体の芯まで冷えきりて急ぎ帰りく車椅子にて


(今年最後の外出日で買い物を兼ねて練馬の中心街をパトロールしてきました。
薄雲を浮かべた空はどこまでも碧く澄み、吹く風はすこぶる付きの冷たさで、
追われるように帰ってきて体温を計ってみたら、5,3℃、寒かったはずです)

11年12月27日(火)
寝る前にホームペーシのチェックなすけふは幾人
(いくたり)来てくれしかと

(この「日ごと日ごとに」への今日の歌のアップは、21時以降と決めて続けていますが、
10時からは就寝準備に入りますので歌は勿論、添え書きも仕上げるのに汲々としています。
やっとアップを終えたところで、これも日課となってるカウンターの数字をチェックして終わり
ますが、訪問下さり読んで戴いた皆さんに感謝を申し上げまして明日の糧とさせて戴きます)

11年12月26日(月)
 クリスマス寒波襲ひし列島は雪とふ贈り 物に埋もれし

ああ師走ジングルベルの音きえて正月待つ間の喧騒の満つ


(日本海側の各地が年末寒波に襲われて、かなりの積雪になってるようです。
その分太平洋側はカラカラに乾いた冷たい大気に包まれて風邪引きさんが
増えてるようです。東京の今日の湿度は16%と異常です。)

11年12月25日(
 疲れると九十五歳のお袋は云ひつつ我れのベッド辺にたつ

(兄貴と一緒とはいえ、95にもなるお袋さんが顔を見に来てくれました。
今でも80代の友達とウォーキングに出掛けると云うんですから脱帽です)

11年12月24日(土)
 カレンダーに尻を叩かれ背を押され賀状仕上げぬ新年にらみ

(やっと出来ました。滑り込みセーフです、今日は遅いので明日中には投函して貰います。
これで、来年も元旦に皆さんのお手許へ届く記録は継続することとなりました)

11年12月23日(
 いい湯にも鼻歌ひとつ出ぬけふの湯船に満つる柚子の香清か

(一日遅れのゆず湯に入れて貰いました。
香りと湯の感触は結構なものでしたが、
残念ながら鼻歌だけは歌いようがありません)

11年12月22日(木)
 今更と思へど主治医に問ひただすALS(やまひ)の正体なぜに突き止めぬと

孤発性、家族性またHGF、三十分の熱弁を聴く

やはりかと得体のしれぬALSの重みを背なに家路をたどる


(3ヶ月ぶりの診察を受けた後、今、注目を集めているHGFの治験、
孤発性と家族性の違い等々を質問しましたが、流石、准教授です、
これでもか!これでもか!とALSの奇怪さを講義してくれました。)

11年12月21日(水)
 切除なす肉芽の叫びか血へど吐く奴を取り出し医師の得意げ



(今年最後のカニューレ交換で「肉芽」を二つ切除してくれましたが、どうしたものか?
出血がなかなか止まらないでこんなことになりました。先生曰く、生きてる証拠です!)
(でもこれ水で薄めてありますので、心配ご無用です)

11年12月20日(火)
 冬天を舞ふ土鳩らのなにおもう師走の喧騒どこ吹く風と

(師走も残すを11日となりましたが、碧く晴れわたった空に覆われた喧騒の街は、
しっかりと冷え込んで正月準備に忙しい人々を震え上がらせています)

11年12月19日(月)
 連休の明けてリズムの戻りこし、清拭、通じ、ナースの笑顔

希少なる男性看護学生の研修授業にALS
(びょう)身さらす

(今日の研修はほんとうに珍しい看護大学生君でした。学生100人中男子は7人だそうです。
お母さんが現役の看護師さんだそうで、影響を少なからず受けたものと思われますが、
ご本人は、「人のお役にたてる仕事」をと健気なことです。頑張って!は云わずもがなですね)

11年12月18日(
 一堂に病友(とも)らと集ひて神経内科医(せんせい)の話聴きしに心の晴れぬ

後輩のいつもながらの苦悶きく吾も辿りこし苦難の道の


(日本ALS協会東京都西北ブロック交流会へ久し振りに参加してきました。
実は、講師先生の「最近のALS事情」に興味があったものですから、頑張ってみましたが、
矢張りといいますか残念ながら、古株の私にとっては既に情報として摂り込み済みのお話でした。
が、ALS患者としての新人さん方々にとっては、貴重な情報でこれから歩いてゆくための
道標になったものと思います。が何故!絶えることなく新患さんが生まれるんでしょうね)

11年12月17日(土)
 人間は動物にして動く物、動けざる吾はそにあらざるや

(リフトをぼんやり見てたら、こんなのが出来ました)

11年12月16日(金)
 旨い物口にす人の押し並べて笑顔に包まる吾にはなき其に

(どうしてこうもテレビ番組では「食」に関する事に時間を費やすんでしょうね?。
これでもか!これでもか!って魅せてくれますので、忘れた!筈の味を
思い出してしまい、こんちくしょう!となってしまいます。
それにしても、美味しい物を食べる時の皆さんの笑顔の素晴らしさったら・・・、
二年前には私にもあったんですがねぇ)

11年12月15日(木)
 年賀状受け付け始むと囃せどもカレンダー見つつ溜息ひとつ

(どうしたものか?今年は気のりがしません、はがきも買ってませんし・・・。)

11年12月14日(水)
 散歩なす師走の街は黄落を踏みつつ排気ガスを浴びつつ

(最高気温10℃、無風ながらどん曇りのなかをコジマまで、加湿器を買いがてら散歩を
してきました。公孫樹並木の黄葉を期待しての、環状7号添いの散歩と洒落込みましたが、
黄葉は残念ながら落ち葉を踏むだけ、代わりに車の排気ガスをたっぷり味わってきました)

11年12月13日(火)
 積年の胸のつかえはとれたるに澱腹底に溜まりて重し

(何が如何して、は封印することにしました)

11年12月12日(月)

 「絆」とは目には見えざるものなれど見えざるがゆえ「絆」と覚ゆ

今更に「絆」の強さを思ひ知る女房と俺とALS奴
(メ)



(今年も世相を現す漢字として「絆」が選ばれたと日本漢字能力検定協会が発表しました。
2位は「災」、3位は「震」と続いたようですが、現在の日本にぴったりなのは「狂」だ
と私は思います。現在の世相は当に狂ってます、故に「絆」が求められる、んでしょうね?)

11年12月11日(
 吾の記事を幾人(いくたり)読んでくれゐしか○○新聞おずおず開く

記者の手になる「病む我れ」は如何かと何度もなんども読み返したり


転載許可が出なかったのは勿論、事実と異なる表現が
三か所もあり、当事者としては読んで戴きたくありませんので
掲載は諦めました。お騒がせし申し訳ありませんでした。


(記事をここへアップしようと思いましたが、著作権に引っ掛かると面倒ですので
今問い合わせています。OKが出次第アップしますのでその折りには読んで下さい)

11年12月10日(土)

 あす掲載(のる)とメール届きて落ち着かぬ○○新聞なにを書きしや

「社会人」などと胸張る者でなしALS
(やまい)に藻掻き臥せゐる身では

(11月22日に取材があって今月半ば頃には掲載、とは聞いてましたが。
若し!興味がおありでしたら明11日の「社会人」をお読みになって下さい。
但し、内容その他に関する一切の苦情は、当該記者へお願いします)
・「社会人」とは・
1 実社会で働いている人。学生・生徒などに対していう。
2 社会の構成員としての個人々々をいう。

11年12月9日(金)
 雪ですよ!雪が降った!とはつ冬の練馬の街に初雪舞ひぬ

(この冬一番の冷え込みとなった今朝の7時頃から、約1時間程だったようですが、雪が降った
降ったとヘルパーさんを含む7人中の6人さんが嬉しげに教えてくれました。残念ながら
私は寝てて目にしてませんが、12月それも初旬の初雪は私の中では記憶にありません)

11年12月8日(木)
 右を向き目眩に襲はれ左向き目眩する吾は無言に耐える

(とうとう目眩が持病になってしまいました。酷い時は地の底へ引きずり込まれる
ような嫌〜なのも体験しますが、云ってもせんないこと、じ〜っと我慢の子です)

11年12月7日(水)
 病みをれば遺言書きて墓を建て懺悔をなしてその刻を待つ

(今日はカニューレの交換がありましたので先生を筆頭に沢山の方々が来られた上に、
朝から電話も驚くほど掛かってきてテンヤワンヤの大騒ぎでした。皆さんがお帰り
になったのが7時頃でしたが、この現状こそが我が家の姿で、二人っきりになった
途端にどよ〜んとした空気に包まれて、こんな嫌〜な歌を詠んでしまいました)

11年12月6日(火)
 欠礼のはがきに知るは吾を鍛え導きくれし恩師逝き賜ふを

恍惚のお人となられ十余年手紙も電話も途切れしままに

先生!と仰ぎしお人は今はなく想ひを馳せる遥か彼
(あ)の世に
合掌
(小学4年生の春から二年間担任して、コラッ!とおる!って調子で導いて下さった先生が、
お亡くなりになったので、との年賀欠礼はがきが届きました。それも三月の震災直後との事、
今日まで知らずにいた私も私ですが、息子さんに電話で様子を訊いても、相変わらずですよ、
の一点張りでしたので真坂まさか!ですが、臥してる私を気遣ってのことでしょう、ご冥福を
心よりお祈り申し上げます。想い起こせば、永いお付き合いでした、「小使室」に住み込んで
らしたので、よく遊びに行っては叱られてましたが、往復ビンタは当たり前、水を満たしたバケツ
を両手に下げて廊下に立たされたり、一番辛かったのは雪のグランドを裸足で走らされた事、
でも私にとっては大好きな先生で転勤された後もご自宅へ押し掛けたりして、家族ぐるみのお付き
合いでしたが、私の発病と時期を同じくして認知症を発症され奥さんを困らせていらしたようです)

11年12月5日(月)
 彼の女(ひと)の声を電話の向こうに聴きてほっと安堵す息災と知り

(その内に行くからね!から、忘れる程の月日が経って心配してましたが、
家族4人揃ってお元気と聞き安堵しました。近い内に、覚悟して人生初の
大腸検査を受けるの、は健康診断の一環だそうですからこちらも安堵してます)

11年12月4日(
 けふひと日休む間のなき吸引に疲れ疲れて愚痴も出でざる

(実は金曜の後半からですが、痰、と云っても白く透明で唾状の物が出るは出るはで、
ほとほと疲れてしまいました。熱も咳も皆無なのに何故?ですが、明日が怖い!)

11年12月3日(土)
 呼吸器に咽て目覚めし薄闇にのそり寄りこし女房もどかし

(昨夜も5回ほど咽て、泊まり番の女房を呼びました。
原因が分からず予防の手立てはありませんが、
7時間に5回、その度毎に30分は要しますので大変です)

11年12月2日(金)
 その度に看護士さんの入れ替わる訪問入浴にぎにぎしくて

(このところ毎回のように看護士さんが替わってますので、不慣れも手伝って大騒ぎです。
士ですから勿論男性で、女性ヘルパーさんと夫婦漫才を地でゆくような
遣り取りをしながらの作業で、沢山の笑いも提供してくれました)

11年12月1日(木)
 氷雨降る師走の入りは冷たくて介護にたよる心の凍ゆ

(氷雨が降り続いた12月1日でしたが、気温は夜に向って下がり続け、
今晩は4℃迄冷え込むと報じています。
まるで、被介護者である今の私の心身のようです)

11年11月30日(水)
 天高き光ヶ丘公園(ひかりがおか)に佇みて終宴ま近き秋に魅せらる



(晴れ男の面目躍如、見事に晴れてくれました)

11年11月29日(火)
 今更に悔いてみたとてままならず女房の涙に唯ただ詫びる

口出しをするなと念を押されたる女房は貝になると黙せし


(意味不明かと思いますが、日記ですのでご容赦を)

11年11月28日(月)
 食べたくはないとは言はぬ悔しいが人工栄養で満腹なだけ

しゃべりたくないとは言はぬ悔しいがスピーチバルブを外されただけ

立ちたくはないとは言はぬ悔しいがリフトに吊られ運ばれ置かる

歩きたくないとは言はぬ悔しいが車椅子めに乗せられ押さるる

呑みたくはないとは言はぬ悔しいが喉こすビールは命縮めぬ


(なぁ〜んちゃって・・・・・?)

11年11月27日(
 仙台を、娘一家を持ち帰り妻は饒舌疲れも見せず

現実に戻りし妻は早速に我れの世話など焼いててござる


(一泊二日と云っても家を空けたのは35時間ほど、5人で濃密な時間を過ごした証拠写真を
持って帰ってきました。早速始まった独演会は、私が呼吸器を着けたところでジ・エンド。
そして今朝になって待っていたのは私の介護!、清拭等々に精を出してくれました)

11年11月26日(土)
 連日の秋晴れを目に予報見る30日は吾の散歩日ぞ

(朝晩の冷え込みは冬を思わせる程のものですが、天高く青空が広がる日中は穏やかさも手伝った、
心地良い秋日が今日でもう7日も続いています。今後の予報は、晴晴雨曇晴、何んで私の
外出日にお天道様はお休みになるんでしょうね、これじゃぁ晴れ男の面目丸潰れです)

11年11月25日(金)
 乗りました、着きました、のあと仙台の孫娘(まご)と遊ぶや音沙汰のなく

女房の居ない我が家は粛々とヘルパーさんのリズムで暮れる

現実を逃れて遊ぶ仙台に女房はお在
(わ)す娘一家と

(10時半頃出掛けた女房から、新幹線に乗ったよ!、仙台に着いたよ!の電話があったきり、
何の音沙汰もありませんので、きっと娘一家と賑やかに過ごしているものと思いますが、
私の方も有り難いことに、今日明日の48時間をヘルパーさんが対応してくれています)

11年11月24日(木)
 十四年ぶりに乗るとふ新幹線の切符を確かむ婆ははしゃぎて

孫娘
(まご)に逢ふ明日を待ちわぶお婆ちゃんはファッションショーやら土産選びや

(14年振りの仙台行きがいよいよ明日となって、女房は流石に嬉しそうです。
娘一家が大船渡から移り住んだ23階建てマンションにも興味津々
ですが、本来の目的は、孫娘の発表会を応援することです)

11年11月23日(
 <卒業(そつ)論文(ろん)>に吾の生き様をと研究す看護学生にALS(やまひ)を語る

看護学生
(がくせい)と云えども若き女性に惨きALS(やまひ)を語るフィクションのごと

(昨日は新聞社、今日は医科歯科大学の学生さんのインタビューを受けました。
2回目で仕上げを前に、どうしても私の経験話が必要と、約2時間でしたが、
問われるままに答え、語りましたがとんでもなく辛く重〜いテーマですからねぇ、
果たしてどこまで咀嚼し卒論に纏められるのか?、心配が先に立ってしまいました)

11年11月22日(火)
 ○○新聞(しんぶん)の取材を受けて思ひゐきALS(やまひ)背負はぬ我れであればと

(ALSを背負って13年、色々な事がありましたし色々な足跡も遺してきました。
が、今日の取材は「社会人」と銘打った連載4年目のコラムだそうで、その道で活動
されてる市井の方々を紹介されてるとか。ALSにもがいてる私をどう書くんでしょうね?)

11年11月21日(月)
 一人辞め二人辞めして三人目ヘルパーさんの尻の軽さよ

(独り立ち初日に、見習い二日目に、そして今日は、独り立ち二回でのリタイア、
いやはや何とも言葉が・・・・・あるんですけど、止めときます)

11年11月20日(
 (あお)たかき秋天にわかに掻き曇り霰まじりの驟雨襲ひく



(4時半頃でした。当に日本晴れの紺碧の底、小学校舎の向こうから湧き出した
黒雲が、アラレ混じりの激しい雨をほんの5分間ほどでしたが叩き着けました。
残念なのは、激しい雨に邪魔されて当の霰の写真が撮れなかったそうです)

11年11月19日(土)

 来年のホームペーシのメンテナンスを<ぱそぼらん>さんに託し見つめる

テキパキと動くマウスと画面に見とれその術盗むひまなく終わる

有り難や負んぶにだっこに肩車我がホームペーシはお蔭で元気


(来年の「日ごと日ごとに」のページ作りその他を、3人さんで遣ってくれました)

11年11月18日(金)
 入浴のあとに覚えし心地よき疲れにいつしか眠りに落ちぬ

(パソコンに向かい、今日の歌を・・・と、気がついたら眠ってたようで・・・・・)

11年11月17日(木)
 リビングに満つ秋の陽にくるまれてうたた寝などする小春霜月

(日差しがリビングの真中辺りまで入り込んで部屋中がぽっかぽかです。
寒い時季の日差しは天然の暖房器具、それも無公害でエコときてます。)

11年11月16日(水)
 遅れ馳せなれどしき降る初雪をテレビに魅入るあの札幌の

(この14日の夜、札幌に平年より16日、昨年より19日も遅い初雪が降ったとのニュースを
テレビ画像で見ました。今日あたりは東北北部も本格的に降ってるようですが、東京もやっと
って感じて昨晩最低気温が10℃を割り、明けての今日は雲一つ無い見事な冬晴れとなりました)

11年11月15日(火)
 我が声を失う前にと、ア、イ、ウ、エ、オ、録音なして備える悲哀

(私の訪問看護師さんのお一人が、「東京都医学総合研究所 難病ケア看護研究部門」
で週一日のペースながら研究に精をだしてらっしゃって、この度の録音となりました。
私の声を予め録音しておいて、イザとなった時に使うんだそうですが、コンピューター
での合成音と違ってリアルなものが期待出来るようです。アイウエオは勿論、濁音
その他にアルファベットも、数字では英語読みも入れるという念のいれようでした。
折角のご厚意ですが、永遠に使う必要が生じないで終わることを祈るばかりです)

11年11月14日(月)

 ご当所の新大関をもってなを閑古鳥なく福岡場所に

(福岡国際センターで昨日から開催されている「大相撲十一月場所」ですが、酷い不入りです。
日曜日の初日でさへ観衆は4412名と定員の三分の二弱でしたが、今日はそれに輪を掛けて
半分をも割る3188名でした。ご当地福岡出身力士の「琴奨菊」が大関となっての凱旋場所
ですからねぇ、これじゃぁお相撲さんも力が入らないことでしょうが、元はと云えば八百長に
代表される不祥事の数々に目を瞑ってた協会の責任でしょう。スター即ち和製横綱が待たれますが)

11年11月13日(
 行く末をにょうぼとふたり話し合ふ稔るはずなき不毛の臥し所(ふしど)

(ノーコメントとさせて頂きます)

11年11月12日(土)
 秋晴れに日本シリーズ、男女のゴルフ、フィギアスケートをテレビ桟敷で

(今日は絶好の行楽日和で、スポーツ日和でもありました。
高山は雪を頂いて錦の衣を纏い、物見遊山の人々を虜にしてることでしょう。
片やプロスポーツでは、野球が日本一決定戦の初戦を中日が勝ち、男女のゴルフは
日本のプロ、アマが上位を占めて明日の最終ラウンドが楽しみです。フィギアスケートは
シーズン2戦目で男子は高橋が、女子は明子、真央が華麗な金銀の舞いを魅せてくれました。)
(あ〜あ!元気だったらなあぁ!は措いといて、テレビ桟敷でしたが充分楽しみました)

11年11月11日(金)
 <ボン>とよぶ廃痰機器の加わりて悩ましきことこれまた増しぬ

(正式名称を「カフマシーン」と云い、肺を風船のように圧縮空気で膨らませた後に、
一気に吐き出すと共に肺中の痰を気道まで押し上げて、吸引機で排除するものです。
吸って吐いて休んで、の節々にボン!って音がしますので「ボン」と名付けて、
日に2回使用してますが、蛇腹ホースの洗浄管理に神経を使う必要があり
ますので、ネブライザーに加え女房殿の仕事がまたまた増えました。
ネブライザーと違って薬品を使はないところはいいんですが)

11年11月10日(木)
 女房が居てくれてこその幸せとALS(やまい)に臥せゐる現在(いま)を愛(かな)しむ

(女房が居なければ、と云う話から詠んだ歌ですが、居てくれるが故に今の幸せがあります)
(愛しむ・いとしいと思う)

11年11月9日(水)
 不慣れなる人の集ひて人手を省くリフト操作を学ぶに嬉し

(いよいよの本格稼働ですが、リフトを操作する側は初めての人ばかりですので、
メーカーの係の方に来て頂き、看護師さんを筆頭に3人のヘルパーさんが学んでくれました。
これで、人手を心配することなく、ヘルパーさん一人プラス女房一人でOKとなりました)


 晩秋のつつじ公園に人待ち顔の狂ひ咲く花二つの寂し

(紅葉をしない今のつつじ公園は、寂しい限りで狂い咲きの二輪がそれに輪をかけていました)

11年11月8日(火)
 律義なる冬将軍の足音を山の端にきくけふは立冬

(今日は暦に云うところの立冬です。
その暦には、この日から立春の前日までが冬で、日は短くなり時雨が降る季節、
北国や高山からは初雪の知らせも届き、関東では空っ風が吹く頃とあります。
当にそのとおりで、昨日辺りから朝晩がそれらしくなってきましたね。)

11年11月7日(月)
 孫ら待つ仙台行きのチケットを取ってきますとババは嬉々とし

(その度に、家を空けられないから、と娘や孫からの誘いを断ってきましたが、この度は
有難いことに、金土の48時間をヘルパーさんの遣り繰りをすることで私の面倒を看て
戴けることになりましたので、一泊ですが11年ぶりに家を空けられることになりました。
前回は、独りで店と私の面倒を看てての過労で倒れ、救急車で運ばれてホテルならぬ病院
で2泊しましたが、それが最後で今に至っています。私さえ居なければ・・・は禁句でした)

11年11月6日(
 それぞれに<歴史>を持ちて友二人訪ひ来語らふ吾も加はりて

(幼馴染が二人遊びに来てくれ、約6時間積もる話に花を咲かせました。
友人って幾つになってもいいもんですね)

11年11月5日(土)
 化粧っけのなきままにょうぼはとぼとぼと薬を貰ひに行ってきますと

(一病息災とはよく言われることですが、我が女房殿は一病どころか数々の慢性病を抱え乍も
頑張ってくれています。従って、掛かり付け医の処方薬を、欠かすことなく服めばいいのに、
生憎、老齢性健忘症も患ってますので、まだ!忘れた!の連発、それも食前薬もですからねぇ)

11年11月4日(金)
 ファイナルのクライマックスのとセ、パ、共に覇権争ふゲームの長ける

(プロ野球の、日本シリーズへの出場権を懸けて争われる試合をクライマックスシリーズと称し、
セパ両リーグのペナントレースの、上位それぞれ3チームが出場します。既にセては巨人が、
パでは日ハムが脱落し、セでは中日とヤクルトが、パではソフトバンクと西武が戦っています。
日本シリーズに進出するのは、果たして?、私の予想は、ソフトバンクとヤクルトですが)

11年11月3日(
 TPP参加不参加と喧し学者も世論も真っ二つにて

(TPPとは「環太平洋戦略的経済連携協定」のことですが、国家の垣根である関税や規制を
取り払い、自由に物やサービスなど物流の流れを行えるようにするもので、加え知的財産の
保護や投資、人的資源に至るまで全ての分野に於いて垣根を取り払うものです、極論すると、
経済面に関しては一つの国になってしまおうという事のようです。現時点での参加国は10カ国
と多くなく、どうやらアメリカが日本を引きこもうと圧力を掛けてるように見て取れますが、
国内の声も真っ二つに割れてるようで、討論会などを聴いても両極端な意見が交錯するのみで
一向に纏まりません。野田総理は来週にも腹を決める、と言ったとか云わないとかで賑やかです。
案外、ある教授先生のご意見のように、取り敢えず加入して事項ごとに個別交渉をすればいい、
辺りが的を射てるかもしれません。でもでも、どうしても理解出来ないのが、医師会が反対
される理由に上げる「国民皆保険制度」が崩壊する、は私にはどうにも分かりません!)

11年11月2日(水)
 ちゃくちゃくと療養環境整ひて、ついにおいらはリフトに吊らる



(情けない!、いやいや有難いことに待望のリフトが完成し、写真のとおりに初乗りをしました。
これで、4人さんのお手を煩わせることなく、2人で車椅子へ乗せ、またベッドへ戻して貰う
ことが出来ることになりました。ヨッコラショ!と違い腰にも優しくって今後が楽しみです)

11年11月1日(火)
 病院をさん付けで呼ぶ薬屋はどこを見ゐるや調剤薬局(やっきょく)銀座に

(新規に開店した「調剤薬局」のちらしが新聞に折り込まれて届きました。
え!また?と云いますのは、我が家の背中側を奔っている私鉄駅を、南北に挟んで既に
3軒の調剤薬局が営業しているところへ、どころか近日中に大型のそれが開店の運びです。
これで計5店舗です。何故?どうして?ですが、不思議なのは近隣には病院が一つも無くて、
個人経営の医院、クリニックが6つ在るのみです。今から何所が生き残れるか?は噂話です。
が、ちらしに載ってた案内地図にある医院、クリニック名に「さん」が付けてあり、処方箋
欲しさに胡麻を擂ってるのが見え見え!、おまけに「看護師さん募集中」には泣かされます。
ちらしの何所を見ても、お客さん、患者さんの文字は見当たりません、開店早々から大変そうです)


11年10月31日(月)
 ホームとふ終の棲家に追はれゆくアルツハイマーを患ふ友は

(私は4階、彼女は2階に新築当初から、お父さんとの二人暮らしをしてましたが、お父さんが
亡くなられた後の独り暮らしがこんな結果を招いてしまいました。6人姉妹の長女さんですので
お父さんが存命中は入れ替わり立ち替わりして賑やかにしてたようですが、亡くなられてからは
私の家へ来られることが頻繁になって女房と寂しいんだろね、と心配してました。2年ほど前
から何か 変!と感じて地域の民生委員へ連絡し善処方をお願いしたりしてましたのに・・・。
脚に障害があって行動範囲に限りがありましたので、パソコンを勧めたところ70歳にして私の
メルトモになってもくれましたのに残念です。妹さん達とは遠く離れたホームと聞いて愕然です)

11年10月30日(
 有難う!のみで暮らして十余年吾にも下さい今際(いまわ)の際(きわ)

(今日一日をぼんやりと過ごしてたら、こんな歌になってしまいました)

11年10月29日(土)
 介護用リフト工事の不手際に振り廻されてひと日つぶさる

リビングへベッドに臥すまま放置され現場監督然と見つむる

大幅な遅れも兎に角仕上がりて吾を吊るさんと見下ろしてゐる

試運転は日を改めてと帰りゆく背に投げかくる、ご苦労さん!と


(待望のリフトが出来ました。が歌のとおりで器材が約束の時間に届かない、と9時半から
腕組みしての立ちん棒です。訊けば、運送屋さんの云い分は午前中と書類にあるとのこと。
結局は2時到着の即着工の運びとなりましたが、原則現場合わせとのことで1階と4階を3人で
行ったり来たりの大騒ぎ、7時過ぎになってやっと完成しイザ!試運転の段になってスイッチを
入れても動きません。結局故障と云うことで火曜日にはと平身低頭の態でお帰りになりました)


11年10月28日(金)
 集ひきて熱く語れる方々の<介護力(ぢから)>を頼りに生きる

吾を囲み支え看くるる方々を頼る生活
(たつき)に<絆>を見たり

(私の保護者であり筆頭介護者でもある女房殿の体調(精神的にも)が思わしくないことから、
現在の泊まり番週3回を、せめて2回にしては戴けませんでしょうか、を検討するために
福祉課の係長さんを筆頭に、10人の方々が熱く語り討議して下さいました。女房が、
倒れる前のつっかい棒、をとお願いしましたが、果たしてどのような結果が戴けますやら)

11年10月27日(木)
 ストレスを捨てにゆくとふ女房はちょいと粧(めか)してケータイを手に

(カラオケはもとよりテレビの歌番組さへ拒否してた女房が、カラオケを遣りたいと
云いだしたのには本当に驚きましたが、今になって思えばほんとぅ〜に良かった!と。
私自身は全く駄目になりましたので、告知後に録った歌を聴いて心を鎮めています)

11年10月26日(水)
 真夏日のあしたに木枯らし一号の吹きぬく街は神無月なり

(なんとも目まぐるしい天気です、昨日の練馬は26.7℃で今月9回目の真夏日となって
皆さん大汗を掻いてましたのに、今日の夕方から吹きだした8m強の北西の風を、気象庁が
「木枯らし1号」が吹いたと発表しました。当にどんでん返しですが、去年と同じ日ですって)

11年10月25日(火)
 今まさに引き鉄引かんと身構える夢中にあそぶロシアンルーレット

(昨晩と云うより明け方の5時前でした。毒入りの豆腐と入ってない豆腐のどちらかを
食べるようなゲームをやってて、スプーンを手にしたところで目が覚めました。
なんとも物騒な夢ですが、このところ色々ありましたので、こんな夢になったんだと思いますが)
(実際の夢は上記の通りですが、どうやっても纏まりませんのでロシアンルーレットにしました)

11年10月24日(月)

 取る度に<お世話になっております>と女房殿は電話に向かい

(月曜です、早速の電話攻勢です、それも私の療養生活に関係する方々からのみ、トホホ!)

11年10月23日(

 積年をALS(やまひ)背負ひて老いたれば虚夢を捨てさり治癒の夢見る

11年10月22日(土)

 短歌(うた)を詠む<心>をALS(やまひ)に奪はれて恨みつらみを三十一(みそひと)文字に

11年10月21日(金)
 先輩と呼ばるる人の加はりて訪問入浴笑顔の五つ

(訪問入浴はオペレーター、ヘルパー、看護士の固定した3人で来てくれますが、今日は
休みを取ったと云うオペレーター職のやまちゃんの代理で、かって永く来てくれてた
くろちゃん先輩が来てくれました。固定の3人さんの時もそうですが、今日の3人
さんは、それに輪を掛けた和やかさに包まれた1時間余りを提供してくれました)
(五つの笑顔は、チームの3人さんプラス女房と私です)

11年10月20日(木)

 介護鬱ですよと嗤ふ妻のゐて、それなら我れは被介護鬱ぞ

11年10月19日(水)
 寒風に追はれ後にす光ヶ丘公園(こうえん)に冬支度なすイチョウの一樹



(一ヶ月前から予定され楽しみにしてた外出日を、寒さなんぞに脅えてキャンセルする
のも勿体ないと、お天道様がお休みで冷たい風が吹き抜ける街へと出掛けてきました。
行ったのは何時もの光ヶ丘公園、が地下鉄駅から外へ出たとたんにビュー!とビル風
に吹かれて一瞬たじろぎましたが、寒い!寒い!を連発しながら一回りしてきました。
それにしても情けない!、箱入り爺にとっての寒風は厳しいものがあります。)

11年10月18日(火)
 ながながと電話に愚痴をこぼす妻、そを聴く娘子(むすめご)ありがとさんよ

(話す方も聴く方もエネルギーを消耗します)

11年10月17日(月)
 ひさびさに訪れくれし義妹(いもうと)に義父(ちち)の<元気>を聴きて安堵す

宜しくね!頼みますよ!と義妹
(いもうと)に不義理をよそに厚かましくも

(久し振りに、どうですか?と訪ねてくれた、女房の弟のお嫁さん、と云っても今では
大黒柱として女房のお父さんを筆頭に、4人を纏めて女房の実家を護ってくれています。
私がこんなになってこの方、不義理のしっ放しで正直情けない限りです)

11年10月16日(
 いままさにパット打たんとすプレーヤーのグリーンに鋭き影ながながと引く

(日本オープンゴルフ選手権最終日の今日、最終組が16番グリーン上でパット合戦を
繰り広げてる時の様子を詠んだものですが、西日を受けたプレーヤーの影がくっきりと
ながながと伸びて大変印象深いシーンを見せてくれました。残念ながら優勝は韓国選手。
期待されたあの石川遼君は18位タイに終わり沢山のファンをがっかりさせてくれました)

11年10月15日(土)
 風の音に耳をとられし夜の明けて目覚めぬままに眠り貪る

(明け方4時頃からだったと思いますが、風の呻る音に安眠出来ないでいましたが、
すっかり明けたところで庭のチェックを女房に頼んで、深い眠りに落ちたようです)

11年10月14日(金)
 いま我れはリフトに吊られそらをゆく、臥して十年荷物となりて

(現在私の身体を車椅子に移すには、4人の人手を頼んでヨッコラショ!ですが、
そのヨッコラショ!の為に3人さんに集まって頂きます、それも往復ですから大変です。
そこでリフトの登場です、これならヘルパーさんと女房の2人で出来ますので便利です)

11年10月13日(木)
 まるでもう講習会のごときけふ,ヘルパーさんに看護婦さんに

(昨日のカフマシーンを使ってみようと云うことで、三人の看護婦さんに女房が
加わってと、新規加入のヘルパーさん二人が「同行」しての大騒ぎ、カフマシーン
の効果は未知数ですが、ヘルパーさんはどうやら定着してくれそうな雰囲気です)

11年10月12日(水)
 ベッド辺にカフマシーンなるものデン!と排痰なさんと助っ人顔で



(日頃はネブライザー(吸入)で痰を肺から気道内へ押し上げて、気切部から吸引して
貰ってますが、これがなかなか大変なので、カフマシーンを試用することになりました)

(カフアシストは、排痰の補助を行うことで、気道内吸引による気道への負担を軽減させ、
また、排痰がしっかり行えるので、感染による肺炎などの肺合併症の予防につながるとか。
原理は気道に陽圧をかけて肺に空気をたくさん入れた後に、陰圧で吸引するように息を吐
き出させることで、咳の介助をして、気道内分泌物を除去するのを助けてくれるようです)

11年10月11日( 火)
 吐き出して吐き出しぬきて吐き出して残りしものは虚しさばかり

(二人のヘルパーさんに相次いで辞められました。
責任者と3時間に亘って話し合いましたが、派遣出来ません!で終わり。
介護の世界の難しさ・・・・・人様頼りの暮らしに、!正直疲れました)

11年10月10日(
 体育の日(さいじつ)で看護婦さんはお休みで慣れ親しみし<何時も>よゐずこ

(三連休です、今日10日の体育の日は6年振りだそうですが、暑めのいい天気でした)

11年10月9日(
 天高く金木犀の香りかぐ、紅葉(もみじ)まだかとベッドに臥せつつ



(今年の金木犀はちょっと遅めのようですね)

11年10月8日(土)

 目に見えぬされど溜まりしストレスを大音声にのせて吐き出す

(これが大変!で、大声を出すと咽るんですよ、あ〜あ情けなや)

11年10月7日(金)
 物言へば背中をむける人のゐてスピーチバルブを外し目を閉ず

(口は災いの元、とか言いますが、そんなんじゃないことだけは、ご理解下さい)

11年10月6日(木)
 けふひと日小沢一郎被告とふ衆議院議員(ぎいん)一人にマスコミは沸く

噛んで説き伏せるがごとく持論述ぶ小沢氏あなたは何処を睨む


(資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)で
強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告の初公判が6日、東京地裁で開かれました。
素人の私がとやかく云える訳はないんですが、報道で知り得た事に限って云えば、実に
簡単で、やましい事がないのであれば、小沢被告から出たという4億円の素性を明きらかに
した上で、何故?資金洗浄まがいの銀行へ預金し、それを担保に同額を借り入れたのか、
を明確にされれば、今回のような騒ぎにならずに正々堂々と表舞台で活躍できると思います。
それにしてもです、小沢被告の検察攻撃に終始した意見陳述には違和感を覚えましたが、
私だけだったんでしょうか?。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
曰く、
検察の不当、違法な捜査による供述調書を根拠にした
検察審査会の誤った判断に基づくものだ。
捜査段階の検察の対応は、憲政史上の一大汚点として残る。
検察が個人を標的としたとしか考えようがない。
民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為だ。
本件が特に許せないのは、国民主権を冒涜したことだ

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・・・これなどは、ご自分が所属されてる民主党が政権与党である事をお忘れのようです・・・
東日本大震災の復興はいまだ進まず、福島第一原発の事故の収束のめどが立たない。
これ以上、政治が混迷を深めれば、国民の不安が増大し、偏狭なナショナリズムや、テロリズムに
よって日本の将来が暗たんたるものになる。まず、政党政治と議会制民主主義を確立させることだ。

11年10月5日(水)
 唐突に冬の訪れ氷雨降る、錦秋さえも追ひ越してけふ

(日中の最高気温が15,1℃と12月のそれだと報じた今日は、冷たい雨が一日中降り
続きました。外から来られる皆さんが寒い寒いを連発され、一枚重ね着しました、と。
確かに例年より早い冠雪便りが届いたところを考えると、平地でも今冬は早いんでしょうか)

11年10月4日(火)
 ヘルパーの交代劇の悩ましき当に劇なり個性派ヘルパーの

(ヘルパーさんに頼って暮らす私にとって、ヘルパーさんの交代ほど難儀な事はありません。
それが突然だったりするとそれこそ大騒ぎ、でも、関係者のお骨折りのお蔭で今があります)

11年10月3日(月)
 夕陽(せきよう)がポトンと没ちて秋半ば、寒い!が口つく風につつまる

(秋の日は釣瓶落し、と云いますが、今日が当にそれであっと云う間に暗くなって昨日にも
まして冷え込んできました。明日の朝はもっと冷えるようですが、近隣の高い山では紅葉
さへ未だなのに、例年になく早い初冠雪を記録したようです。インフルエンザも前倒しで
発生し流行の兆しを見せてるとか、早速ワクチンの接種を・・・ても未だ遣ってませんよね)

11年10月2日(
 煩悩の塊ごとき病む我れは快楽(けらく)を求む亡者となりぬ

(齢73歳、病床にあって尚ですからお恥ずかしい限りです。
全てを諦めて、佳きに計らえ、で暮らせれば、とは思いますが)
(快楽=仏語。煩悩から解放されて得られる安楽。また、浄土の安楽)

11年10月1日(土)
 はやばやと庭園灯の点きそめてなにか寂しき秋の夕暮れ

(情緒不安定な爺様が、秋の夕暮れを寂しい、などと詠ってみたところで、
鼻で笑われるのが落ちでしょうが、子供の頃から秋の夕暮れ時、それも晴れの日は
何とも云えない寂寥感を覚えるんですが、私だけでしょうか。そんな夜もすっかり更けました)

11年9月30日(金)
 神無月を明日(あす)に練馬は蒸し蒸しと夏日を愛(お)しむ九月尽日

(東京の今日はもうちょいで真夏日と言われる29,8℃、湿気が多くって久し振りに
汗を掻きましたが、明日からは北から南下してきた冷たい高気圧に覆われて、本格的な
秋が訪れると報じています。それもそのはず、暑かった9月も今日で終わりですね)
(因みに我が練馬は・30,1℃を記録したようです)

11年9月29日(木)
 三ヶ月ぶりの診察受けにきて医師に問ひかく我の行方を

空しかり何とも云えぬ虚しさに囚われしままベッドへ臥せぬ


(血中のガスの量を計って下さいとお願いしたところ、持論を披歴された上で、
じゃあやりましょうか、とちょっとご機嫌斜めのご様子で、痛いけどいいの?
と念を押された上で遣ってくれました。が結果表を、ハイおみやげ!と渡して
くれた上、何の問題もありませんよと素っ気ないものでした。ああ!やんぬるかな)

11年9月28日(水)
 病臥する我が歌を聴くカラオケにはまりし頃に録りおきし其を

(カニューレを交換し終わって直ぐ、看護師さんに歌を歌うよう促されましたので、
おちゃらけで♪君が代を歌おうと声を出してみましたが、残念ながら息が続きません。
こんな筈じゃなかったと、早速皆さんがお帰りになってから10曲入りのテープを取り出して
聴いてみました。発病後5年の03年にマイクスタンドで録った歌ですが、まだまだ声が出てました)

11年9月27日(火)
 外国の人らが怖い!と来ぬ国にあれこれ言いつつ楽しく暮らす

(福島原発事故が撒き散らした放射線が、噂という風に乗って世界中に降り注いだようです。
お蔭で外国人観光客がガタ減りしたと、その筋の関係者が嘆いています。地震、津波、
放射線に加え極端な円高ですからねぇ、態々今行かなくてもが本音でしょうね。
そんなニッポンに生まれ育った私にとっては、福島の皆さんが仰るように、
住み続け面白おかしく暮らしたいが本音です。とは云えこれが難しい)

11年9月26日(月)
 女房に何故どうしてと問いかけるカラオケ仲間が認知症(にんち)と聞いて

みな挙り元気の元はカラオケと謳歌す仲間の悲報に目を閉ず


(4人がバタバタと逝って間も無いのに、今度は認知症です。2年ほど前に、お一人さんが
矢張り認知症で施設での生活を強いられており、もう散々です。NHKのど自慢の出場者
がよく口にされる言葉に、元気の元は歌です!。を否定するような悲しい出来事です。)

11年9月25日(
 秋風の連れこしトンボは我が庭の青空を背に翅を休めぬ

我が庭にひととき休むアカトンボいずこへ往くや秋風にのり




(台風15号騒ぎを境に東京にも秋風が吹くようになり、時折アカトンボが休みに来るようになり
ました。夏を涼しい山地で過ごし平地の繁殖地へ向かう途中でしょうが、本能とは凄いものです)

11年9月24日(土)
 秋晴れに凛とたつ富士山(ふじ)初雪に冬化粧なし人目を集む

(甲府地方気象台は今日、富士山の初冠雪を観測したと発表しました。
平年より6日、昨年より1日早いようですが、皆さんもテレビ等でご覧のことと思います。
一方紅葉前線は、既に北海道の大雪山系の紅葉が見頃を迎え麓へ向かってスタートを
切っていますので、本州の、それも関東地方憧れの錦秋はもうそこまで来ています)

11年9月23日(
 秋彼岸お中日にして想ひ馳す亡父(ちち)の墓参と吾の入(い)る墓と

(三連休の初日はお彼岸の中日で、大規模霊園に続く道や高速道路では車の大渋滞が
見られると報じています。親父さんの墓参りが出来なくなってひと昔強、今後も無し
ですが、自分が入るだろう墓も写真でしか見られないんですから情けない話です)

11年9月22日(木)
 突然の辞任騒ぎは大臣に感化されしかヘルパーさんは

(ヘルパーさんの手を頼りに療養してる者にとって、一番辛い事です。が・・・)

11年9月21日(水)
 非常にとふ強き台風十五号串を刺すごと列島駆け往く

浸水に洪水、強風、山崩れ、我が物顔で台風は往く

台風になぎ倒されし庭木らを雨が叩くをただ見てをりぬ


(静岡県の浜松へ上陸し埼玉の秩父辺りを通過した台風15号が、珍しく東京にも風による
被害を置いてゆきました。生き馬の眼をも抜くと云う大江戸は流石に避けましたが、
我が家の庭木をなぎ倒し、温室のガラスを割ったりと悪さの限りを尽くしてくれました)

11年9月20日(火)
 呼吸器に頼る生活(たつき)の諸々を看護学生(がくせい)さんに語るに重し

(某大学付属看護学科の学生さんが、卒論のテーマに「ALS」を、それも「呼吸器」に
ついて研究したいとの事で、私の体験を聞きたいと担当の教授先生と一緒に来てくれました。
私のことですから、途中で話があらぬ方向へいってしまい、気が付いたら日頃の愚痴などを
逆に聞いて戴いてたりと、約4時間に亘って話し込んでしまいました。何所まで参考に
なったかは不明ですが、いい卒論が出来て一人の看護師さんの誕生はもうすぐそこです)

11年9月19日(
 けふ限りけふを限りと汗をなし残暑楽しむ大相撲秋場所(あきばしょ)観つつ

(迷走台風15号の行き先がやっと決まったようで、今日あたりから進路を北北東にとって
速度をあげてきました。どうやら列島添いに関東へも影響を与えそうな雲行きになってき
ましたが、暑さは相変わらずで、32℃程、この台風が過ぎ去る迄は暑さが続きそうです)

11年9月18日(
 <信じる>と<信じられる>の狭間には<安心>とよぶ切れない<絆>

(お互いが相手を信じ合うことで安心が生まれ、強い絆となります。
その逆だったら?この歌を裏返して読んでみてください。)

11年9月17日(土)
 俺が居てヘルパーが居て妻のいふ私の居場所は他人(ひと)の目の中

(日記ですので、読み流して下さい)

11年9月16日(金)
 不毛なる介護論議に疲れ果つヘルパー頼りに暮らす身なれば

(ノーコメントとさせて頂きます)

11年9月15日(木)

 残暑とふ暑さが俺を虐めるに逃げる術なく汗に塗れし

(クーラーに弱い私は、昼間はまだしも夜間それも就寝時が問題で、自慢じゃありませんが、
29℃〜30℃の部屋でパジャマ一枚ながら汗塗れで寝ています。庭に面した半間のガラス戸を
開け放ち、小さい乍ら換気扇と扇風機を回しっ放しにしてるんですが、一向に下がりません)

11年9月14日(水)
 飲み食いを禁止されゐる吾をつつむ二十世紀梨(にじゅっせいき)の香りを愛でる

(島根の友人が断ってるのに贈ってくれた二十世紀梨を、お客さんにお出ししましたが、
私は残念ながらご相伴に与かれません。せめてと鼻をピクつかせて香りを戴きました)

11年9月13日(火)
 まるでもう誘ひ合はせしかのごとくお袋まじえ九人が一堂に

(事前予告があったのは一組お二人さんだけでしたのに、ひょっこりとお袋と兄貴が来てくれたの
を皮切りに、計7人の訪問者があり私共夫婦を加えると9人が一堂に会して賑やかな二時でした)

11年9月12日(月)
 その月を愛でたきものと無理強いをなせど叶はぬベッド暮らしで



(“名月を取ってくれよと泣く子かな≠カゃあありませんが、お月さんが綺麗よ!と
聞くと、見てみたいと思うのが人の常でしょうが、今の私にはそれこそ無理な話です)

11年9月11日(
 けふひと日3、11(さんいちいち)にどっぷりと浸かりて涙(なだ)す身につまされて

(昨日からNHKテレビを点けっぱなしにしてました。言葉の端々に、無理なさってるなぁ、
強がってるなぁ、が読みとれて身につまされる一日でした。♪のど自慢♪に出場なさった
男性が、背中に「顔晴れ」と書いて「がんばれ」と読み、晴れ晴れとした顔で過ごそう!、
と訴えてましたが当にそうですね。但し、それが皆で出来るのはかなり先になりそうですね)

11年9月10日(土)
 やっと来し息子にあれもこれもをと俺にはなせぬ事を託しぬ

きびぎびと働く息子を目で追ひつ妻声高に私の息子よ


(暫くぶりに来た息子を、待ってました!とばかりに扱き使うものですから、
女房殿がしゃしゃり出てきての助け舟です。曰く、私の息子ですからネ!
お蔭で家の中がすっきりし、パソコンも無理!と云う一件を除いて解決しました)

11年9月9日(金)
 閑散のスタンド見るに中国のサッカーファン(ファン)は若しやつんぽ桟敷か

<なでしこジャパン
(なでしこ)>は世界王者を誇りとしエンブレム胸に日の丸を背に

ロンドンを目指せしなでしこジャパン
(なでしこ)海を越ゆ声援(こえ)に背押され出場決める

(ワールドカップで優勝したことで俄かに国民の注目を集めた<なでしこジャパン>が、
この度のアジア地区予選で、来年のロンドンオリンピックに出場する権利を勝ち獲りました。
ワールドチャンピオンを手にしたばかりのチームが、アジアで負ける筈もなく、当然と云えば
当然の結果でしょうが、5万人程を収容できるスタンドがガランドウで、殆ど観衆の居ない中
での試合は異様とさえ云えますが、穿った見方をすれば、中国当局が、女子五輪予選の情報を
出さずにいる為に、開催を国民は知らなかった!が、肯けるほどてす。それにしても、何故
中国チームの5試合は涼しくなる夜7時からと決められたのか?、ホスト国の特権で組ん
だとすれば実にアンフェアーな事ですね。その対ニッポン戦が日曜の19時からです。
日本は既に出場切符を手にしてますので、勝ち負けよりもスタンドが気になります、
果たしてどの位の観衆が入って、中国を応援するでしょうか?、見届けましょう)

11年9月8日(木)
 入れ替はり立ち替はりせし介、看護師に亭主を預く妻の休日

(月曜と木曜は女房殿の休日で、8時〜22時を4人のヘルパーさんと2人の看護師さんに
私を預け、自由に時間が使える日です、但し、明晩は泊まり番ですので、今晩は早寝が
必要です。この13年、一晩たりとも家を空けたことが無く・・・・・これを云うと怒られ
ますのでここで止めますが、先の、終わりの見えない介護を強いる私は何んでしょうか)

11年9月7日(水)
 夏草のしげる広場を吹きわたる風におぼえる秋の薫りを



(お馴染みの光ヶ丘公園へ行って、ギンギラギンの太陽の元で、
昨日までの重く湿った空気と違って、カラリと乾いた秋の風に吹かれてきました)

11年9月6日(火)
 十二号台風やうやく消え失せて雲間に目映き青空を愛ず

(8月25日に南海上で誕生した台風12号は、東西に居座る高気圧に挟まれて行く手を阻まれ、
予報進路を大きく覆し、西へ向かった後に四国へ上陸、そのままほぼ真っ直ぐに日本海へと抜
け、温帯低気圧に衰えた状態でロシア大陸へ上陸したようです。随分と息の永い台風でしたが、
その分紀伊半島その他各地に記録的な大雨を降らせ、山崩れに伴う大洪水被害をもたらしました。
この間の東京は、雲行き怪しく時折雨が激しく降るという天気でしたが、今日やっと晴れました)

11年9月5日(月)
 負け犬が遠吠えするごと情けなき<己の声>は闇に消えゆく

(ノーコメントとさせて頂きます)

11年9月4日(
 恋人を待つがに心ときめきてチャンネル送る<江>に逢はんと

(歴史音痴の私がNHKの大河ドラマ<江>にはまっています。戦国時代のドラマは
色々な形で見せられていますが、今回のは新しい発見をしたような・・・感じです)

11年9月3日(土)
 北上す遠台風に虐めらる様子をテレビに視つつひと日を

狂ひしか日本列島、地震
(なゐ)、津波、原発、台風、飽きず襲ひく

(台風12号は流石にお利口さんで、生き馬の眼を抜く、と云われる、江戸(東京)を避けて、
は冗談ですが、四国へ上陸して日本海へと向かっています。ゆっくりと進み、各地に豪雨を
降らせ、遠く離れた関東にも多大な被害をもたらしました。自然の悪戯は、もううんざりです)

11年9月2日(金)
 お祝いのメール送るに悔やしけり、友の<川柳>朝日新聞(しんぶん)に読む

(脱帽!です。何とか私も肖ろうと、同じ朝日の<歌壇>に投稿してますが一向に入選しません。
それに引き換え彼の川柳は、ちょくちょく入選すると云う実力の持ち主で、羨ましい限りです。
“内閣が代わり変わらぬ評論家(所沢・荒木 繁) 選評・訳知りコメント。
朝日新聞の「声」欄に掲載されます、気にかけてゝ下さい。時事川柳ですので、鮮度が命です。)

11年9月1日(木)
 排痰に千二百キロカロリー(かろりー)遣ひ切り疲れ果てしか眠りに落ちぬ

(尾籠な歌で恐縮しますが、このところ、先生仰るところの、宿命の痰、が多く往生しています。
吸引のみならず、胸押しなどで大汗を掻く程のエネルギーを遣いますので、一日のカロリー
摂取量の大半を遣ってしまうようで、寝る頃になるとズシンとした疲労感が全身を覆います)

11年8月31日(水)
 南海に台風ひとつが居座りて吾が東京は暑く静もる

(大型で強い、と言われる台風12号が今日現在、小笠原諸島西方の海上を西へゆっくりと
進んでるようです。気象庁によると、今後北上し2日から3日にかけて東西日本にかなり
接近し、上陸する可能性もある、と報じています。過去に4例、この状況から日本列島を
縦断し、多大な被害をもたらしている、などと知ると心穏やかにはいられません。
今日の静けさが、嵐の前の何とやら、でないことを祈るばかりです)

11年8月30日(火)

 訪ひくれし保健士さんにもやもやを吐露せしあとに遺る空しさ

(定期的に訪問して下さる保健所の保健士さん、私の療養生活全般を見たり聴いたりして
相談に乗ってくれてますが、今日も約2時間、熱心に私の胸の内を聴いてくれました。
なのに、なのに、お帰りになった後に遺ってたのは空しさばかり、折角なのにご免なさい)

11年8月29日(月)
茶化されてグーの音も出ぬ日本の首相は回転ドアと世界は

抗争に血道をあげし民主党野田氏担ぎてノーサイドとす

増税を謳う総理は短命と過去が語りぬ野田政権ああ

<出来るだけ理想を胸に>と新代表お願いしますよ現実を見て


(小沢元代表が裏で糸ならぬリモコンを操ってたとかで、随分と揉めたようですが、
野田佳彦現財務大臣が民主党の代表に選ばれました。当然次は、総理大臣です。
ちょっと調べてみましたところ、下記のとおりに短命内閣が5代も続いています。
安倍晋三内閣・366日
福田康夫内閣・365日
麻生太郎内閣・358日
鳩山由紀夫内閣266日
菅直人内閣・・448日
この難局をどう乗り切るお積りかお手並み拝見、などと呑気な事を云ってる場合じゃああり
ませんが、なったからにはじっくりと腰を据えて、世界に冠たる日本にして欲しいものです)

11年8月28日(
 友がきの土産話は同窓会に集ひし友らの笑顔を貰ふ

しげしげと同窓生の面々を観るに納得おれと同じじゃ


(16日に故郷 出雲市佐田町 で開かれた、第4回同窓会へ出席した友人が、
写真と名簿を持ってきてくれ、会の様子や同窓生の動向等々を話してくれました。
H11年の初回が私を入れて49名でしたが、H14年・26名、 H18年・27名
そして今回が24名と初回の半分です。不参加の理由が気になりますが、訃報もあったとか)

11年8月27日(土)
 民主党の代表選びは国民をわきに捨てをき小沢詣でを

どんぐりを五つ並べてどれにしよ!ニッポン丸の船頭選びは

円高を雇用不安を復興を原発背負(しょ)ひて出来るの外交


(菅さんが、やっとと云うかもうと云うか、兎に角総理大臣を辞職される事になりました。
民主党の党首でもあるわけですから、早速の選挙戦です。しかしながら、挙党一致などと
ぶちあげながら五人もの候補者が名乗りを挙げての大乱戦です。先が思い遣られますね)

11年8月26日(金)
 カーテンをシャー!と引く音(ね)に目を覚まし鋭(と)き朝光(かげ)にぎゅっと目を閉ず

(久し振りの朝日でした。8時丁度にヘルパーさんが引いたカーテンの音に目を覚まし
薄眼を開けたとたんに、眩しい朝の光が跳び込んできました。お蔭ですっきりと目が
覚めましたが、お昼を過ぎた頃から雲が広がり、3時になって突然始まった雷鳴を
相図のように、激しい雨が降り出して約1時間、いわゆるゲリラ豪雨と呼ばれる降雨を
目の当たりにしました。後に85ミリと発表されましたが怖さを感じる程の降りでした)

11年8月25日(木)
 金を売れ、保険に入れ、墓を買え、受話器をとれば慇懃無礼

(丁寧な言葉遣いで始まるセールス電話ですが、こちらの都合などお構いなしにずかずかと
入り込んできて、売れ!の買えのと実に無礼な輩です。今日は、この他に、テープでの
「ご案内」とやらもきました。一向に無くならないところをみると、商売になるんでしょうね)


11年8月24日(水)
 この風をあの青空をあの雲を持ちて帰らん吾が臥す部屋へ

おお欅桜大樹のつくりゐし緑陰におどる木洩れ日とあそぶ




(今月2回目の散歩、午後になって文句なしの夏空の下、日陰を辿りながら二つの公園で
外気浴を楽しんできました。青空を速足で往く雲は多種多様で、目にも楽しいものでした)

11年8月23日(火)
 不健全な身体に宿る<心>ゆへふてくされたり、ひねくれたり為(す)

(自虐短歌です、ご容赦を。)

11年8月22日(月)
 節電を乞ひしにけふの涼しさに頭抱える東京電力

節電と熱中症の狭間にて悩むおいらに涼風嬉し


(秋雨前線を挟んでの押しくら饅頭に勝った冷気が、19日以降関東上空に居座ったままです。
今日など東京の最高気温が23℃ですからねぇ、節電効果は何にも勝ってますが、予定
した電力量の60数%しか使われないとなると、営業的には随分な損失でしょうね)

11年8月21日(
 ひょっこりとふる里出雲の香りをまとふ兄貴訪ひきて雄弁なりき

(故郷、出雲佐田 のお盆と云うより、スサノオノミコト を祀ることで有名な
須佐神社の夏祭りを目的に行ったようですが、その他にお墓参りや親戚廻り
をと、二日間に亘った懐かしい故郷訪問の様子を語ってくれました)

11年8月20日(土)
 うつうつと押し来るものを跳ね返す力のなくてけふの憂鬱

(ALS患者やってるのも楽じゃありませんが、
何時ぞやのように鬱の薬を服まされる心配はありません。
もっとも、処方されたって絶対に服みませんが)

11年8月19日(金)
 せめぎ合ふ北と南の高気圧の狭間に暴るる秋雨前線

真夏夜の朝
(あした)は雨に明けそめてゆんべの暑さを忘れてござる

(昨日の練馬は、37,9℃と首都圏では熊谷の38,3℃に次ぐ二番目の暑さとなり、
この夏の最高気温でもありました。その暑さが夜中になっても下がらず、我が家の庭でも
12時過ぎに31℃(真夏夜)もある始末で、遂にクーラーのお世話になって寝につきました。
明けての今日は一転しての雨模様、秋雨前線が南下して冷気を呼び込んでのことでしょうが、
半袖だと寒いくらい!と来訪諸氏が仰るほどの22℃迄下がったんですから極端すぎです)
(真夏夜=こんな夜は滅多に無い事ですので、日を夜と私の勝手に造語です))

11年8月18日(木)
 口パクが通じぬままに三時間いらいらいらと我が身を憂ふ

新入りのヘルパーさんに身を預く今度こそはと祈りをこめて


(このところの交替劇には正直疲れました。これも、宿命?でしょうか。
折角慣れて安心してお任せできる、と安堵したのも束の間ですからカックリ!
現在二名のヘルパーさんが、週一回3時間を汗水たらして頑張ってくれてます、が?)

11年8月17日(水)
 夕餉摂る娘一家と女房のはしゃげる声をベッドにて聞く

食すこと呑むこと叶はぬ吾が鼻をすき焼きの香がくすぐりにくる


(里帰り?してた娘一家が、お別れパーティーと称してすき焼き鍋を囲んで楽しそうです。
中でも女房殿は、普段から独りぽつんと食事をしてますので、余程嬉しかったんでしょう
美味しい!美味しい!を連発して、孫娘との今回最後の夜を満喫したようです。
私ですか?私は蚊帳の外ならぬ自室で、話声と匂いと音を満喫しました)

11年8月16日(火)
 今頃はと同窓生(とも)ら集ひし“ゆかり館”に想ひを馳せる病の床で

(皆さんにお会い出来ない岸ですが、荒木君の土産話を楽しみにしています)

11年8月15日(月)

 敗戦に打ちひしがれしあの頃をこれでもか!と観す終戦記念日

靖国神社
(やすくに)へ武道館へと歩を運ぶ人々の群れ並べて老ひたり

(66年目の敗戦記念日(私的には)です。何も今年に限った事ではないんですが・・・。
この日を前にして、テレビでは特集番組やら映画やらをこれでもか!と放送しました。
今年はどうしたものか?何時も見てる番組を犠牲?にしてまで、何本も見ましたし、今
現在も見ながら書いています。そして、戦争の惨さ、馬鹿馬鹿しさ、空しさを思い知る
と共に、改めて「独裁」「洗脳」の怖さを思い知らされました。私はあの敗戦のお蔭で
今のこの平和と繁栄がもたらされたものと、今日のこの日を感謝の心で迎えています)

11年8月14日(
 猛暑日の鈴虫集くにその余り激しき声に暑さつのりぬ

(今年の鈴虫は、何が如何したのか兎に角元気です。それも一定の間を置いて、
数匹が申し合わせたように同時にいわゆる大合唱をします。♪リーン♪リーンならぬ
ジーン!ジーン!思わず 五月蠅い!って、情緒もへったくれもありません)

11年8月13日(土)
 一日を去痰作業に奪はれて歌のひとつも詠めずに暮るる

(先生は宿命だと仰いますが、酷い一日でした。)

11年8月12日(金)
 鎮魂の花火を見上ぐ被災地に未だ彷徨ふ御魂の叫びよ

(昨11日夜、津波の被害が大きかった岩手、宮城、福島各県の被災地で、一斉に花火が
打ち上げられました。追悼と復興を花火に託したとのことですが、昨日現在、亡くなら
れた方が15690名に4735名の行方不明者がいらっしゃる、と聞くと・・・合掌 )

11年8月11日(木)
 にこにこと水族館へと女房は孫娘(まご)を連れてか、連れられゆくのか

(三人で、行ってきまーす!はいいんですが、肝心のおばぁちゃんはサンシャイン水族館へは
行ったことがありません。それに引き換え孫娘二人は親に連れられ何度となく行ってる
云わばベテランさんです。今回はリニューアルオープンしたばかりですのでほぼ互角
ですが、孫娘は地図や本で、おばぁちゃんは私にネットで調べさせて出掛けました.。)
(8時半になって、三人揃って、疲れた〜!と帰って来ましたが、3時間半待たされたとか)

11年8月10日(水)
 スケジュールどうりに暮らす我れなれば猛暑の街を散歩と洒落る

炎熱に追はれ逃げこみし公園の緑陰に降る蝉しぐれ浴ぶ


(高温注意報なる耳慣れないものが出されるほどの猛暑日に、スケジュールどおりの
外出をしてきました。とは言え、日陰のない街中の散歩は余りにも暑く、早々と欅や
銀杏の大木が囲む公園へ逃げこんで、強めの風に吹かれ乍ら蝉しぐれを浴びてきました)

11年8月9日(火)
 いま発つと孫娘(まご)の親から電話きて婆はそはそは厨にたちぬ

十五分いらいらいらと待たされてやっと声きくコンニチワー!を

初めての冒険旅行を無事終えしにこにこ顔がベッド辺に立つ

大宮でちょっとだけどねまちがえそうにだけどきかずにちゃーんときたよ

始まりしおばぁちゃん業に女房は嬉しい悲鳴を挙げつつ疲れるぅ!


(仙台を新幹線で1時40分に発ってから、待つこと3時間、遅くとも4時半にはと・・・。
それからの15分が永かった!、爺馬鹿ちゃんりん何とやら、二人とも一段と成長してます)

11年8月8日(月)
 負けて泣き勝ちてまた泣く球児らの汗に塗れし青春の美(は)し

右に揺れ左にもまた揺れ湧き上がるアルプススタンド夏雲を背に


(お馴染みの高校野球です。観るでもなく見てましたが、アルプススタンドも
一緒になっての大騒ぎ、あのきびぎびとした動きがいいですねぇ。)

11年8月7日(
 仙台の七夕祭りをテレビに視つつ浴衣姿の孫娘(まご)をさがしぬ

(昨日から始まった東北仙台の七夕祭りを、テレビ各局が報じています。
仙台に住んでる娘一家もきっと見物に出掛けてるでしょうから、若しかして、と
テレビ画面の中に二人の孫娘の姿を探しましたが・・・・・、ただの爺馬鹿です)

11年8月6日(土)
 ひとつ蚊にくるぶし喰はれなす術のなくて夜半(よなか)ににょうぼを起こす

(ベッドに寝てて蚊に喰われたのは今年初めて、足の踝ってめっちゃ痒い処ですね。
しばらくは我慢してたんですが、・・・・・泊まり番の女房殿にSOSです。)

11年8月5日(金)
 入浴に吾は疲れしか気がつけばニュースに終(おわり)のマーク

(入浴が終わってほっ!としたのが6時半、すぐパソコンをセットして貰って、
さて今日の歌をと考えながらNHKの7時のニュースを見てた筈でしたのに、
・・・・・・・・・・居眠りをしてたようでした)

11年8月4日(木)
 初鳴きのたどたどしくて宵闇の暑さをよそに鈴虫を聴く

(自然にいる鈴虫と違って、我が家の養殖鈴虫は、昨晩それもクーラーの点いて無い
夜中に鳴き始めました。去年とほぼ同じ頃かと思いますが、鈴虫が集くにしては
暑過ぎです、人間と同じ環境に生まれ育つと体感温度センサーが狂うんでしょうか。
何れにしろ、たどたどしいながら今年も鳴き始めてくれましたので楽しめそうです)

11年8月3日(水)
 悲鳴あぐこともできずに妻を待つ呼び鈴鳴らぬ恐怖に脅えつ

呼吸器に喘ぎ咳きこみ息を止め呼び鈴ボタンを必死に押すに

助かった!突然外れたエアホースに警報音のけたたましくて

またまたも遣ってくれたよ呼び鈴のセットエラーに苦しみました


(またまたの呼び鈴事故です。どうしたんでしょうねぇ?、昨晩も女房の泊まり番でした。
セットはヘルパー君が遣ってくれてて慣れてる筈てすのに、重要な部分が抜けてました。
苦しくてもがいたりしてる内に、運よくホースが外れての警報音でした。外れてほっと
は変ですが、自発呼吸がありますので、嘘のように楽になりました、がもうご免です。)

11年8月2日(火)
 注視するテレビ画面に跳び込むは地震速報に人身事故に

(迷惑だ!と云ったら、不謹慎だ!と叱られそうですので云いませんが。
3,11以来の地震速報及び警報の多さったら呆れる程ですね。震度2なんてのも
義理堅く流されますので、未だやってるよ!になりますが、慣れっこになる程怖い
ものは無いと云いますので程々に願いたいものです。一方、人身事故は悲痛ですし
悲惨です、考えるだにおぞましい事故ですが、3,11以来急増してると報じています)

11年8月1日(月)
 えかちゃんの就活成就のメールあり、いいことありそな八月一日(はじめ)

(八月になったとたんの今日、友人のお譲さん(メル友)から就職先が決まりました!。
との嬉しいメールが届きました。帯に短し襷に長し、此方好ければ彼方が駄目と、
苦労したようですがやっと念願が叶ったようです。8月早々の朗報、肖りたい!な。)

11年7月31日(
 憤り怒りおののく俺がゐてそを抑え込む俺もまたゐる

(このところ、私生活のみならず地球上のあちこちで、嫌〜な事ばかりです。
日光東照宮の、三猿「見ざる、聞かざる 、言わざる」に倣って、と思いますが、
そうはいかないのが今の私の生活で、心穏やかに過ごすことなど夢のまた夢のようです。)

11年7月30日(土)
 満々と濁水湛えし信濃川S字を描きつ滔々(とうとう)とゆく

濁流は越後平野の万緑を呑みこみてゆく地の果てまでも


(今、新潟と福島は大変な事になっています。いったいどうしちゃったんでしょうね、
ほんとうにお気の毒です。噴火、地震、津波、放射能に今度は豪雨による水害です。
天変地異と云ってしまえばそれまでですが、人智は大自然相手では、無力ですね。)

11年7月29日(金)
 戻りこし梅雨前線どっしりとねまりて降らす名残りの雨を

日本列島
(れっとう)は猛烈豪雨に襲はるる真夏を過ごす奇怪な夏を

記録的早い梅雨明け宣言を取り消すのかな気象庁さんは


(今年の梅雨明けは、何処も彼処も異常と云えるほどの早さで真夏を迎えましたが、
連日の猛暑にへばりそうになったところで一転しての梅雨模様になりました。
それも一極集中豪雨型で、九州南部から始まって東北方面へと北上し、昨日今日は
新潟、福島で記録的な大雨となり、広範囲に避難勧告が出される程の被害がでました。
当に梅雨末期ですが、明日には前線が消滅するそうですから、本物の夏となりそうです)

11年7月28日(木)
 成長を喜ぶべきか孫娘(まご)二人だけで来るとの怖〜い知らせ

仙台を新幹線で出発し人波ぬって二回乗り換え

小六と小二の孫娘
(まご)の冒険を聞くだに恐ろし待つのも辛い

心配もそうと決まれば腹を据えその日待つ間のカウントダウン


(仙台に住む孫娘二人が、この夏休みを利用して初体験をするんだと大張りきりだそうですが、
爺婆としては成長を喜ぶ一方で、大丈夫かいな?と、大宮とか池袋まで迎えに行く案を出し
たんですが、慣れてるから大丈夫!と拒否されました。確かに、両親に連れられては何度
となく行き来して、勝手知ったる何とやら、でしょうが、大宮、池袋駅での人波に揉まれ
ながらの乗り換えは心配です。二人で色々調べたりしてるから大丈夫!とのことでしたが)

11年7月27日(水)
 天をつく欅五本のつくりゐしオアシスに聞く初蝉しぐれ

臥せをれば外出ひとつままならず夏の盛りにやっと蝉きく


(今月2回目の外出日、1時という陽盛りの出発でしたが二つの公園を渡り歩いて、
この夏初の蝉の声を聞いてきました。夏はこうでなくっちゃあいけませんね。
今年はその蝉が少ないように感じましたが、如何したんでしょうね?。
それにしても、真夏陽盛りの車椅子での外出は、暑い!の一言です)

11年7月26日(火)
 振り返ることはやめよう今にして二度ともどれぬ過去は過去とし

(今頃になって何云ってんだって、笑われそうですね。)

11年7月25日(月)
 人手からリフトになさんと悩みをりヨッコラショッ!の我れの移乗を

ずかずかと他人の部屋に入りきて俺の「思い出」を捨てろ!とぬかす

何も彼も捨てれば部屋は広くなろう、が俺の風穴
(かざあな)を如何んとす

(ここでの移乗とは、ベッドから車椅子へと、その逆を云ってますが、気切後
は、バスタオルに乗せて四人がかりでヨッコラショッ!と遣って貰っています。
云うまでもなく、一度に四人の方々に集まってもらってのことで、それも往復です
から大変ですし、申し訳けないことこの上なく、何とかと考えた挙句のリフトでした。
当初は走行式をと考えてましたが、小回りが利かずバツ。となると設置式しかありません、
四隅に柱を立て梁を渡してリフトを縦横に走らせるものに決めましたが何時になりますやら。
それにしても、将来を考えて、私の歴史が詰まってる「書棚」を取っ払え、には怒り心頭です。
確かに空間は広くなりましょうが、それは介護側の都合で私を無視したアドバイスは不要です。)

11年7月24日(
 切り替わるその瞬間を目にせんとアナログ番組視つつそを待つ

デジタルに移行せしとも何ひとつ変化のなくて拍子抜けせし

白黒のテレビに東京五輪観し遠い昔が懐かしきかな


(考えるまでもなく、既にデジタル放送を視てたんですから、当たり前と云えば当たり前
ですが、久し振りに視たアナログとの画質の違いをまざまざと見せつけられました。
私が東京オリンピックを観ようとテレビを買ったのが1964年、この半世紀に
進歩した技術たるや目を見張るものがありますが、私にとっては毎日が博覧会です)

11年7月23日(土)
 朝焼けに何かいいことあるような、な〜んちゃってと女房殿は



(私のケアを終えた女房が、外が赤くなってるけどなんだろう?と、5時頃でした。
見る見るうちに雲が消えて綺麗な青空になっちゃった、んだそうです。)

11年7月22日(金)
 新記録の余韻にひたる余裕なく大関魁皇引退をせし

花道に1047
(イチマルヨンナナ)勝ち星を飾れど暗し魁皇関の

引退と聞いてますますいきり立つ土にまみれし新記録
(きろく)が泣くぞ

新記録つくるがのみに大関の座を汚ししか魁皇さんよ

さもあらん遅きに失した引退をうべなふ記事を週刊誌に見し


(あの魁皇関が、通算勝ち星1047勝を引っ提げて、やっと引退しました。
彼の語録に
九重親方は余力があって引退した。自分は必死こいてやっと並んだ。比べるのも申し訳ない
記録に目標を置いて
しまい、達成後は負けても悔しさがなくなった
矢張りそうだったのか!、と呆れるばかりです。それにしてもマスコミは、何故このような
大関を褒め称えるんでしょうねぇ
(僅かに昨日発売の週刊新潮が、ぼろくそに書いてますが)
これでは八百長ならずとも、出来レース横行を奨励してるようなもので「相撲ショー」と
揶揄されても致し方のないことと私は思います。本来大関は、横綱を目指す力士のみに与え
られる地位で、昔、大ちゃんでお馴染みの二代目朝潮がクンロク大関との汚名を着せられま
したが、それとて勝率は6割です。何れにしろ、大相撲自らが伝統に土を着けたようです。)

11年7月21日(木)
 台風の置き土産とふ清涼な風につつまれ一息つきぬ

(昨晩の日付けが替わる頃から風が変わって、急に涼風が吹きだしました。
太平洋高気圧が弱まったところへ6号台風が割り込んで、北の高気圧を呼び込
んだ為の涼風のようですが、日中も窓を開け放つと寒く(私は)感じるほどでした。)

11年7月20日(水)
 台風の余波にしき降る雨を見る万緑たたく音に脅えつ

放射能汚染を避けしか6号は列島尻目に太平洋へ


(九州、四国方面に、主に記録的大雨による被害をもたらした台風6号は、ほぼ直角に
進路を変更し、四国と紀伊半島の先端をかすめて太平洋を東へ向かって遠去かりつつ
あります。だだっ広い暴風雨圏を持ちゆっくり進む台風でしたので、昨日今日と我が
東京も激しい雨が降ったり止んだりし、気温も下がってほっ!と一息、有難い台風でした)

11年7月19日(火)
 新記録大記録のとかしましき千代の富士関の勝ち星を抜き

魁皇関
(かいおう)を握手で迎え語りかく九重さんの心中如何に

ウルフこと千代の富士関と未だとる魁皇関
(かいおう)の争(すま)ふ土俵は異なもの

申し訳けないと語りし魁皇関
(かいおう)の本音訊きたし居座る訳けを

勝ち越しに汲々とせし大関のつくりし新記録
(きろく)を冷めた眼でみる

(大関魁皇が第58代横綱千代の富士が持ってた通算勝星1044勝を遂に抜き去りました。
マスコミ及び一部のファンが大騒ぎをしています。満身創痍と称される体躯に鞭打ってと、
称賛してますが、そうでしょうか?。この歌は私の独断と偏見に基づいて作った歌ですが、
両力士の記録を比べるまでもなく、大関の座に汲々としてしがみ付いてて出来た記録だか
らと、一大相撲ファンとしての私は、情けなさと共に千代の富士関の心中を慮るものです。
魁皇は、新記録のあとでのインタビューに
「(九重親方と)比べるのは違う。いいのか、申し訳なく思っている」と答えています。
なのに何故マスコミは煽るんでしょうね。和製スターが他に居ないから?・・・でしょうか。
因みに、両関取の成績をピックアップしますので、歴然とした相違をご覧下さい。)

通算成績:1045勝437敗159休(125場所)通算勝率71% 休場込勝率64%  
通算成績:1044勝692敗158休(139場所)通算勝率60% 休場込勝率55%
  

横綱成績:・625勝112敗137休(・58場所)通算勝率85% 休場込勝率72% 
大関成績・・521勝320敗134休(・64場所)通算勝率62% 休場込勝率53%
  
大関成績・・・38勝・・7敗・・0休(・・・・・3場所)通算勝率84% 休場込勝率・・%

(尚、私が魁皇関を、らしくない大関と扱き下ろすのは、64場所中負け越しが13回と、
それに伴う
角番を13回も経験し、勝ち越しとて8勝7敗が14回と綱渡りならぬ俵を
伝って逃げ回ってるとしか思えない体たらくにです。それが始まったのが07年の初場所、
驚くのは
09年度の6場所全部が8勝7敗ときてるんですから、満身創痍を割り引いたとし
ても八百長云々と囁かれても致し方のない成績です。確かに大関は負け越しを二場所続けない
限り陥落しないで相撲を取れますが・・・07年の時点で引退してればと私は悔やみます。
大関に昇進する条件に、
直近3場所で33勝以上というのがあります。
平均すると11勝ですから
一場所平均8,1勝では遠く及ばない成績ですね。
彼は、大関伝達式の使者に対しての
「謹んでお受け致します。
大関の地位を汚さぬよう稽古に精進します」を忘れたんでしょうか。
そして今日を終わった時点で3勝7敗です。残り全部を勝たないとまたまたの角番です。
休場色濃厚ですが、若し!このタイミングで引退でもしたら、記録が泣こうと言うものです。)


11年7月18日(
 まさかとふ坂を昇りてW杯(ワールドはい)「なでしこジャパン」は世界の女王に
\(^o^)/
(サッカー女子W杯、五輪3度、W杯6度目の出場で念願の世界一。
日本のスポーツ史を塗り替える偉業をなし遂げた!。
と大騒ぎをしてますが、確かに過去一度も勝った事が無かったアメリカに、
それも、2−2の延長でも決着がつかずPK戦での勝利ですから、喜びも一入です。
加え、澤選手がМVPと得点王を獲得し、日本チームはフェアプレー賞も受賞して万歳!)

11年7月17日(
 予報士の今日がピークを耳にして暑い!を封印なして汗かく

(台風6号が日本列島を目指して北上中、とかで、酷暑も一先ず収まるでしょう
との事。よ〜し!それならと、クーラーを使わずに汗をかきかき一日を苦しみました)

11年7月16日(土)
 ベッド背負(しょ)う酷暑の夏は辛きもの背中ばかりを虐めて暮らす

(お暑うございます、皆さま如何お過ごしですやら、お見舞い申し上げます。
去年の記録的な暑さに続いての酷暑にございます。どうぞ御身ご自愛下さいませ。
かく言う私は、最新式のエアーマット?を使ってますが、熱がこもって往生しています)

11年7月15日(金)
 若きらが家族もとめて婚活に奔りだしたり大震災(しんさい)を機に

震災のつくりし闇に手をつなぎ寄り添ふ人のなき寂しさよ

独身を謳歌す未婚、非婚者の求めしものは人との絆


(3月11日の東日本大震災以来、伴侶、連れ合いを求める人々で結婚相談所が、盛況を
きたしてるとマスコミが報じています。何でも、震災の夜の独りぼっちが、事のほか
寂しかった、家族が欲しい、等々が理由のようですが、年配者の方々も同じ理由で
足を運んでらっしゃるところをみると、即、少子化解消とまでは無理のようです)

11年7月14日(木)
 帰りこし妻の笑顔に問はずとも検査結果はシロと読めたり

矢張りかと肯ふ、我れを看る妻はストレスを胃に溜めてゐたらし

良性のポリープはあるも胃は健常三十歳
(さんじゅう)代のそれですと医師

お祝いに一杯やるか!を呑みこみてぽとぽと落ちるポカリを見てる


(女房の、胃カメラによる検査結果がストレスによる一時的な機能不全ですと告げられて、
オマケに胃そのものが若い!30代ですよ、とのこと。まさか、まさか!と今日を待って
ただけにほっ!と安堵したところです。が、そのストレスの元は私でしょうから複雑です)

11年7月13日(水)
 「練馬」とは当に此処なりアメダス奴!暑い熱い!とお主狂(ふ)れたか


内緒ですが、所在地は武蔵大学構内です

(お暑うございます。その暑さの中「アメダス練馬観測所」へ行ってきました。
数年前に行った時には看板が無く、植木も無くって芝だけで、これが〜?って
感じでしたが、今はご覧のとおりで、ここで記録された数字を発表してるようです。
南西は大きな古木に囲まれてて東北方面はご覧のとおりで風通しも良く、ここで猛暑
と言われる35度以上を記録したら・・・、コンクリートジャングルでは暑い筈ですね)

11年7月12日(火)
 すは!治験始むと聴けど情けなやHGF(エッチジーエフ)は吾には無縁と

自立なし病歴二年とは殺生な診断貰うに数年かかる

諦めてALSのなすままにきたれど胸の騒ぐ治験に


(今日、ALS協会より下記が発表されましたが・・・・・?です)

(東北大学東京分室にて東北大学の青木正志教授、慶応義塾大学の岡野栄之教授、
クリングルファーマ(株)の岩谷邦夫社長によるALS治療に向けた
HGF第1相臨床試験開始に関する記者会見が行われました。)

(会見では、7月中旬に行われる東北大学治験審査委員会での承認後、
東北大学病院にて安全性と体内動態を確認するための第1相臨床試験を、
ALS患者3名ずつ、4群の合計12名で実施予定とのこと。)

(尚、参加される患者さんの条件として、以下の内容が記載されています。
・発症後2年以内・重症度分類1か2で日常生活が自立・年齢が20歳以上65歳未満


(この条件で専門医(神経内科)を受診される患者さんがどれだけいらっしゃるやら?。
特に・重症度分類1か2で日常生活が自立・してる人は、神経内科へは行かないでしょう)

11年7月11日(月)
 週明けの九時を合図に鳴りやまぬ電話の主は我れのサポーター

(静かだった週末が、明けたとたんの電話攻勢です。
それが私を支えて下さってる方々のみからですので、対応に嬉しい悲鳴?、は無しですが)

11年7月10日(

 (みそぎ)なし締め込みきりりと大相撲、酷暑の名古屋に初日を争(すま)

(いろ)褪せし大相撲とは言ふまいぞ色眼鏡かけしかと観守る

(大相撲名古屋場所が今日初日を迎え、八百長問題で失った信頼を回復するための取組が
始まりました。日本相撲協会は春場所を取り止め、5月は無料公開の技量審査場所としま
したので、本場所の開催は初場所以来の半年ぶりとなります。NHKも通常どおりに
放送しますので、八百長を含めどのような相撲をとりますやらと、楽しみたく思います。
それにしてもです、歴代1位に並ぶ通算1045勝を掛けた魁皇は敗れ、大関昇進に挑む
琴奨菊も黒星発進となりました。まあ島根出身の隠岐の海が勝ったので佳しとしますが)

11年7月9日(土)
 梅雨明けて青くひろごる空を背に向日葵ひとり夏を謳ひぬ



(50年ぶりと言われた5月中(27日)の梅雨入りには少々驚かされましたが、
明けるのもこれまた早く、今日関東甲信地方の梅雨が明けた、と発表されました。
この間44日ですから期間的にはごく平均的な梅雨だったようですね。
問題は、これからの暑さと期間です、臥す身にとっては、お手柔らかに、です)

11年7月8日(金)
 節電とクーラー止めて汗まみれ十五%(パー)とは暑きものなり

(家庭単位でも15%の節電を、と呼びかけています。それも、陽盛りの2時から4時がピーク
になるんだそうですから厄介です。家電品のコンセントを抜くにしてもテレビぐらいで多寡が
知れていますし、私にとっては必需品です。だからといってクーラーを止めると暑い!し・・・。
でも変ですよね、充分余裕があるのに夜間の照明を落し、冷房温度を上げたりするんでしょう?
折角発電したものを無駄に捨てることになります。第一に東電の売上げ減が痛いと思いますが)

11年7月7日(木)
 今まさに孫娘(まご)が来てるよ東京に修学旅行じゃ逢いにゆけぬが

(仙台在住の孫娘(少6)が1泊2日の修学旅行で、現在東京の何処かに
居る筈てすが逢うことができません。残念無念!ですが、8月には
二年生の妹と二人で来るそうですから、それまでの辛抱です。)

11年7月6日(水)
 嬉しくも悔しくもあり臥すわれに同窓会の誘ひ届きて

(中学時代(s29卒)の同窓生(幹事)から、5年ぶりの同窓会開催案内が送られてきました。
既に歩けなかった前回は、已むなく病欠としましたのに、今回も同じく誘いの案内をくれる
心遣いに、目頭を熱くしたものですが、行きたい!、行けたらなぁ〜は無い物ねだりですね)

11年7月5日(火)

 友からの新枝豆を口にしつプシュッ!と開けるビールを妻は

(ヘルパーさん云うところの「上尾のお母さん」からの贈り物が届きました。
古くからの家族ぐるみのお付き合いですが、私がこうなってからは、折りにつけ季節
の野菜等を本当に母のような心遣いで送ってくれます。どっぷりと甘えちゃってますが、
悔しいのは恩返しが出来ないこと・・・。女房殿!はこれ見よがしに食べて飲んでくれました)

11年7月4日(月)
 帰りきて即入院になるやもと健康診断受けしにょうぼは

タケプロン
(りょうやく)を習慣のごと投与され治らぬ病?うぅぅ〜むと医師

そう言へば「食べると痛む」を口癖のやうに聞いてたこの幾年を

精検を受けて診断でるまでの針の筵に夫婦でねまる


(高齢者健康診断を受けに病院へ行ってきた女房が、即精密検査を受けるようにとの指示を
受けて予約をしてきました。タケプロン(胃潰瘍の特効薬)を何年も服んでて治らないん
じゃあ即入院だよ!って脅された!としょげて帰ってきました。私は胃、腸下垂によるもの
と思いますが。何れにせよ、14日の診断までは、針のムシロに座って待つことになります)

11年7月3日(
 シーベルト、ベクレル、ヨウ素、セシウムと原発事故は理解し難し

安全を説かるる用語は呪文なり、節電乞はれ原発想ふ


(福島は別として、点検やら何やらで休止してる原子力発電機を、再稼働する事でこの夏を
乗り切れれば、とのことでしょうが、自然エネルギーでの発電が急の間に用意出来る筈も
なく、15%の節電を強いられることになりました。原発の恩恵を受けて暮らしてる者に
とって、原発廃止なんてとても云えませんが、被害を受けてらっしゃる皆さん及び、原子
力発電所を抱えてる市町村の住民の皆さんには、ご免なさい!としか言いようがありません)

11年7月2日(土)
 いそいそと同窓会へと出掛けゆく妻の背中はこごみてまろし

(女子の有志限定同窓会とかで、何時ものことですが2,3日前からなに着て行こうか?。
あれこれ引っ張り出してやっと出掛けてゆきましたが、後ろ姿の寂しいことったら。
それもその筈、70歳が私の面倒みてて、昨夜は泊まり番でしたから無理もありません)

11年7月1日(金)
 富士山(ふじ)(あ)くに七月一日(いっぴ)は梅雨さ中テレビニュースに姿さへなし

(今年の富士山の山開きは、梅雨空が災いしてご来光を拝めなかったと報じてました。
それでも毎年、沢山の人々がその瞬間を見ようと暗闇の登山道を登っています。)

11年6月30日(木)
 猛暑日の夕立ち憎し蒸し蒸しの夜半の暑さに眠りを盗らる

(昨日の練馬は36.8℃と猛暑日で夜間も24.8℃と熱帯夜ぎりぎりでした。この歌の夕立ちは、
日付けが変わった頃にザーと降ったものですが、湿気を増して寝苦しい夜となりました)

11年6月29日(水)
 夏雲の見下ろし、猛暑日(なつび)の照り返す光ヶ丘公園(ひかりがおか)に汗しつ憩ふ

逃げ込みし雑木林の心地よく時を忘れて涼風に酔ふ




(晴れ男の面目躍如!、梅雨の最中に予定した3回の外出日が全て晴れ、それも快晴でした。
それにしても暑かった!、車椅子を押してくれたヘルパーさんはもっとだったと思いますが、
カンカン照りの中を散策したあとの、雑木林の涼風と清々しい空気は、一際美味でした。)

11年6月28日(火)
 梅雨晴れにしては余りに強烈な陽射しの痛き庭に草ひく

(九州南部が今日、例年より16日、昨年より22日早く梅雨が明けた、と発表されました。
そんなバカな!が実感ですが、未だ6月ですからねぇ。とは言え、今日の東京も朝から
カンカン照りで、庭で草取りをしていた女房が、肌が痛いよっ!て跳び込んできました。
因みに、関東地方の梅雨明けは来月の10日以降になる見込み、との事ですが、果たして?)

11年6月27日(月)
 痰に咽せ夜半に目覚めて呼び鈴を押すに鳴らざる恐怖に脅ゆ

咽せを伏せ息を潜めて女房の起き出す時を今か今かと

カーテンをかき分けぬぅ〜と現れぬ女房と云ふ名の救ひの女神


(またやっちゃいました。4時でした、右手の中指で押すインターホンが全く鳴りません。
咽せをなんとか治め、呼吸を出来るだけ静かにしながら、女房が起きてくれるのをただ
ひたすらに待ちました。その内に痰がゴロゴロ鳴りだして、息も苦しく感じだした5時
を少し回ったところで、待望の女神様の登場です。3分呼吸が止まると警報が鳴ります
ので頑張ってみましたが、2分がやっとでギブアップ、それにしても一時間の永かった
ことったら、もう勘弁してくれ〜!です。原因は!単純なセッティングミスでした。)

11年6月26日(
 突然の訪問受けて戸惑ひぬ民生委員を名乗るお人の

俺のことALS
(やまひ)のこともご存じなくて若しや、はてな?と世間話を

早々と腰を浮かすを押し止めにょうぼの辛苦を聞いて戴く


(民生委員とは、社会奉仕の精神をもって、常に住民の立場に立って相談に応じ、
必要な援助を行い、福祉事務所等関係行政機関の業務に協力する
などして、社会福祉の増進に努める方々だそうです)


(その民生委員を名乗る高年の女性が、何の前触れも無く
突然お出でになりました。奥さんは一緒にお住まいですか?
とか、歩けないんですか?とか、どうにも話が噛み合わないのもその筈、
高齢者の災害、緊急時に使う「救急情報入れ」を、届けに来られただけのようでした)

11年6月25日(土)
 パソコンを打つ手叩かれ目を覚ます吾は呼び鈴を押してゐたらし

(パソコンを操作する右手の中指は、就寝時の呼び鈴も押しますので、昨晩は、パソコンを操作
する夢を見てることに気がつかないでボタンを押し続けていたようです。その度に起こされる
女房殿のご機嫌を損ねてしまいましたが、無理もありません、寝たと思ったら、またぁ!ですから)

11年6月24日(金)

 バカヤロー!と怒鳴ってみたしALSをこんな俺にも夢を見させろ!

悶々と怒りを裡に棲まはせしままに往きますベッドにゆられ


11年6月23日(木)
 主治医(いし)の言ふALSは今にして得体の知れぬ病であると

ラジカット、ES細胞に、HGF、IPS細胞
(アイピーエス)を主治医(いし)は否定す

思い知る、とっくの昔に諦めし、健常な吾を取り返すは夢と


(定期診察を受けてきましたが、・・・・・がっかり!の上塗りをしてきました。)

11年6月22日(水)
 肯へし、夏至の練馬は猛暑日と呼ばるる暑さにうだり暮れゆく

(今日は夏至、夏至といえば一年中で昼間が一番長い日(時期)ですが、決して一番暑い日で
はありません。なのに今日の練馬は35度を超して真夏日ですと、テレビが喧しいことです)

11年6月21日(火)
 梅雨晴れは暑さつのりてむしむしとベッドに臥す吾を虐めてくるる

(節電を、それも一番暑い時間帯に、と言われてますので、クーラーを使い難い感は否めませんが、
お医者様からは熱中症を防ぐ意味でも温度管理はこまめにするように、
とのご指示があって悩ましい事でもあります。
今日は久し振りに晴れて、随分と蒸し暑くなりました。がこの夏は未だに一度も使っていません。
健常な頃からクーラーは苦手にしてましたので、苦にはなりませんが背中の汗には閉口してます)

11年6月20日(月)
 40円料金不足の「封筒」を受け取りにゆく郵便局まで

(先に注文しておいた、呼吸器のビニールホースを継ぐ金属製のジョイントが、80円切手が貼られた
封筒に入れられて郵便受けに届いていました。但し、40円の料金不足なので送り返すか、
封を切らずに郵便局で差額を払ってから受け取れ、との付箋がつけられていました。
勿論、郵便局まで行って受け取ってはきましたが、今度は発送人と間違えられて
上司とやらにお伺いをしたのちにやっと渡してくれた!、と女房殿はご機嫌斜めです。
決まりだから、は充分分かりますが、あのまま開封して使ったら、・・・郵便局はどう出るんでしょうね。
私の意見としては、受付局が直接発送人へつき返せば何の問題も無く収まると思うんですがねぇ)

11年6月19日(
 おのおのに過去と現在(いま)とを語りつつ友と過ごせしいっとき疾(はや)

七十を過ぎた男が三人
(みたり)より墓守り無きを嘆いてござる

(友人ふたりが遊びに来てくれました。三人が三人揃って内孫がおりません。
こればっかりは、爺婆が嘆いてみてもどうなるものでもありませんが。)

11年6月18日(土)
 梅雨なれば降ってこそぞと覚えるにその雨にくしと空をみあげる

(九州地方と違って大降りすることはないんですが、降ったり止んだりの鬱陶しい毎日ですね)

11年6月17日(金)
 病院へ出掛けし妻のもどりきて高齢者検診票(けんしんひょう)を忘れちゃったと

(後期高齢者医療制度では65歳以上75歳未満を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者という。
んだそうですが、我が女房殿は、勿論前者で年一回の健康診断を受けに出掛けたところでした。
でも、検診項目に健忘症は入ってないんですよね。)

11年6月16日(木)
 世の中を斜(しゃ)に見て暮らせし一年半に根性(しょうね)までもが斜めになりぬ

節電をエコをと叫ばる世にありてデジタルテレビの大型を購ふ

横に視るテレビに疲れ正面の壁に設え人心地せし

(人心地=人間としての平常の感覚や意識)


ベッドの私が目にしてる景色です
(気管切開をしカニューレを装着してからは、右向きオンリーでベッドに寝てましたが、身体は
おろか顔を左に向けただけで目眩がするようになって、これではいかん、と思いついたのが
パソコンとテレビの位置でした。パソコンは極端な右下がりで、その右にテレビを水平に置い
て斜視で視るということで平衡感覚がおかしくなってたようです。車椅子での外出に向け、
前方をしっかりと見据えることが出来るようにと、私なりの訓練をした結果が、二度の外出
と、パソコン、テレビを正面から見ることが出来るようになりました。但し、正面を向くと
おしゃべりが巧く出来ませんが、その時は横を向けばいいだけのことです。それにしても、
真正面から視る液晶テレビって綺麗ですねぇ!、一年半もの間にすっかり忘れていました)

11年6月15日(水)
 十人のヘルパーさんに身を預く暮らしは十色に彩られゐて

(十人十色と云いますが、ヘルパーさんとて同じで色々と新しい体験をさせてもらってます)

11年6月14日(火)

 我が家には奥さんが居てママが居て係長とも呼ばれ吾の面倒看くる

(私の女房のことです。皆さんには奥さん!と呼ばれてますが、私は口パクのきはママと呼んで
います。これは蕎麦屋時代にお客さんが親しみを込めて呼んでくれてた名残です。今はヘルパー
さんの事は勿論、私の介護に関する事全てを遣ってくれてますので、私が係長に任命しました)

11年6月13日(月)
 手折りこし紫陽花あまたリビングに梅雨を知らぬに輝きてをる

(紫陽花は雨に濡れてこその花とか、紫陽花は雨がよく似合う花とか言われますが、我が家の
リビングにある紫陽花は、雨に濡れてもいないのにしっかりと自己主張をしています。
確かに、雨に濡れた紫陽花の葉は一段と輝いて、花とのコントラストは見事ですが)

11年6月12日(
 土、日曜日(しゅうまつ)は大雨降るとの予報が外れ梅雨を忘るる行楽日和

騙されたなどとは言ふまひ梅雨晴れをひがな一日楽しみました


(発達した低気圧が、南岸沿いに停滞している梅雨前線上を東へ進むので、東海、関東地方は
土日は雨となり大雨にも注意してください。との予報でしたのに・・・・・大外れ!でした)

11年6月11日(土)
 運命の2時46分(とき)を迎えし被災地に読経の音(ね)ひびけり6月11日(ろくてんいちいち)

日を追ふて被災地情報消えゆきてテレビに溢れるオチャラケ番組


(永遠に忘れることの出来ない3,11ですが、3ヶ月目の今日も被災地のあちらこちらで黙祷
が奉げられ、僧侶によるお経があげられた、とリアルタイムで報じていました。死者、不明者合
わせて23500人、巨大地震による未曾有の巨大津波がもたらしたものは、余りにも甚大です)

11年6月10日(金)
 遣ってる?に遣ってません!と、遣ってよに遣ってますよ!にひと日悩めり

遣ってる?って訊くと 遣ってません!と言う
遣ってよ ってたのむと 遣ってます!と言う
木霊でしょうか?いいえ、誰でも。
誰でもじゃないんで悩んでいます。

「遊ぼう」と言うと、「遊ぼう」と言う。
「馬鹿」と言ったら、「馬鹿」と言う。
「もう遊ばない」と言ったら、「遊ばない」と言う。
そして寂しくなって「ごめんね」と言うと、「ごめんね」と言う。
こだまでしょうか。 いいえ、誰でも。

11年6月9日(木)
 小雨のち晴れとの予報に背を押され光ヶ丘の新緑に酔ふ

緑陰を吹きゆく風の心地よく立ち止まりつつ立ち止まりつつ

(昨8日の散歩時に詠んだ歌です)



(予報を信じて小雨の中を出かけた甲斐あって、地下鉄大江戸線の光ヶ丘駅から地上へ
出てみたら、薄雲を透した薄日が待っていてくれました。流石に晴れ男、は独り言。園内をそぞろ歩く内に
すっかり晴れて、眩しい光を浴びるとともに新緑の森林浴もたっぷりと楽しんできました。)

11年6月8日(水)
 「原発が固く根を張る青森県」友の「川柳」を朝日新聞(しんぶん)に読む

ほくそ笑む幼馴染をまなかひに入選句を読む感心しつつ


(新聞を読む楽しみの二つに、この川柳と短歌欄を楽しむことがあります。
彼はその川柳の常連さんで、その常連さんの中でも上位にランクされるほどの実力者です。
選評には、現職知事三選目、とありました。現知事の三村 申吾氏は 原子力発電を二期
に亘って推進し、今回の選挙でも大差で信任された事を思うと民意は「原発容認」
でしょうが、巧く詠むものですね、それに引き換え私の短歌は、トホホ!です)

11年6月7日(火)
 「福梅」を口に微笑む菅さんの顔に一瞬平和の光

(早期退陣に追い込まれそうな菅直人首相が6日、和歌山県の梅生産者らでつくる「紀州梅の会」
の表敬訪問を受け、蜂蜜漬けの梅干しを贈られた、とテレビが報じていました。カメラの前で
着物姿の「梅娘」から大粒の梅干し2個をもらってほおばり、「おいしい」と、笑顔を振り撒く
菅さんの頭の中にある筈の、昨今のごたごた騒ぎは一瞬消えているような・・・は穿ち過ぎ
でしょうか。今月中にもなんて話が出てましたが、梅漬けの広告塔が最後の仕事?、まさか!)

11年6月6日(月)
 けふもまた看護を学ぶ女子学生(がくせい)に裸身を曝す教材として

(訪問看護ステーションからの依頼で、看護大学生(3年生)さんに研修の場を提供してますが、
清拭であったりお通じであったりと、健常であれば絶対に他人様にお見せするようなものでは
ないんですが、そこは看護婦さんの卵です、いやいや近年は看護士さんの卵も来るようになり
ましたので、心強い(本音は心配)限りです。看護師不足の一助にでもと、一肌脱いでますが)

11年6月5日(
 菅総理(かん)さんの後継ぐ人は居ませんと世論調査の数字は語る

菅総理さんを引き摺り下ろしてみたもののさてと膝打つ誰にしようか


(菅総理が不信任案を否決した後の挨拶で「一定の目処がついたら・・・」と、退陣を匂わした
ものですから上を下への大騒ぎ。言ったの言わなかったのとまるで夫婦、いや子供の喧嘩です。
昨日発表された世論調査では、首相候補に上げられた中に群を抜く人は見当たらず、目を
引いたのは「誰も居ない」の66%余り、世論はどうやら冷え切ってるようですね)

11年6月4日(土)
 ブービーで予選落ちせし遼くんのゐないテレビの味気なきこと

(男子ゴルフ界のプリンスと何方もが認める弱冠19歳の石川遼くんが、先週に続いて予選
落ちをしてしまいました。それも83,77の160と 18オーバーの119位タイのブービーでの
予選落ち、後ろに一人しかいないと云う屈辱的な結果を遺してゴルフ場を後にしました。彼は
シーズンインを前に、この度の東日本大震災の被災地に、今シーズン中に稼いだ賞金全額を、
義援金として寄付すると公言していますので、しっかりと頑張って貰いたいものですが。
このままじゃあ視聴率が下がってスポンサーが減り試合数も減るという事態に陥りかね
ません。フアンとしては淋しい限りですが、遼くん以外のスターの誕生が待たれます)

11年6月3日(金)
 「電力」をネットに探りて目を留めし水芭蕉咲く尾瀬に遊びぬ

(原発事故以来の「電力不足」騒ぎを探ろうと、あちこちを跳び回ってたら東京電力の
ホームページにいきついて、ダム、水力発電、尾瀬となり、その後、四季折々の見事な風景を
公開されてるホームページに辿りついて、計らずも、行かず仕舞いに終わった尾瀬を堪能しました)

11年6月2日(木)
 「不信任」突き付けられし一国の総理と呼ばるるお人の憂鬱

お粗末な政争劇を観せられし国民こぞりて拳ふり上ぐ

造反をそそのかしたる親分は決選の場に姿見せざる

国難の最中にあるを忘れしか国会議員は足し算に耽
(ふけ)

さいごっぺなどとは云ふまい後釜を「若手」に託すと総理の覚悟

夢を見し、見果てぬ夢を自民、公明党、
(じこうとう)二度寝叶はぬ議事堂にゐて

(菅総理を引き摺り下ろそうと自民党と公明党が結託して、不信任案を提出したところへ、
民主党の小沢氏が150の子分を連れて加わる、との話が飛び交って大騒ぎでしたが、結果は
大差の否決。まあ今の日本丸を、何処からも苦情がこないように操る人など見当たりませんね)

11年6月1日(水)
 病みをれば憂き世を嘆き苛立ちて彼(あ)の世に想ひを馳せつつ暮らす

(未だに、こんな歌を詠むようじゃ・・・己が嫌になります)

11年5月31日(火)
 梅雨晴れの皐月の空はひょうびょうと青きを広ぐ水無月あすに

(昨日に続いての梅雨晴れ、きのうは台風くずれの低気圧の所為で大風が吹きましたが、
今日は文句なしの皐月晴れ、とは言えその5月も今日でお仕舞い、明日はもう6月、
水無月です。梅雨でじめじめしてるのに、水無月とはこれ如何に、鬱陶しい季節です)

11年5月30日(月)
 季ならぬ台風騒ぎのあしたには白き雲浮く青空たかし



(季節外れの台風2号でしたが、矢張りと云いますか陸地に近付くのに従ってその力を弱めて、
遂には温帯低気圧に変わってしまいました。が、北上するに従って風も然るものですが、雨も5月
としての記録を更新するほども降らせて、東北方面へと遠ざかりました。そして今朝の青空です)

11年5月29日(
 呼吸器に護られ雨降る街頭にALS友(びょうゆう)立ちて募金に励む

被災地にお在すALS友
(びょうゆう)を援(たす)けんと我が身投げ打つ覚悟を見たり

(東日本大震災の被災地にも、当然ですがALS患者さんが療養生活を送ってらっしゃったようで
した。が、報道その他で私の知る限りでは、被災されたり犠牲になられた方の情報は幸いな事に
全くと云っていいほど入ってきません。但し一時期、医療部品や人工栄養、生活用品が手に入ら
ない、とSOSを出されてた方がいらっしゃいましたが、ALS協会元会長の橋本操さんのご尽力に
よって今は安定した生活に戻ってらっしゃることと思います。その橋本さんが、今もリーダーとなって
積極的に募金活動をなさっています。私も・・・とは思いますが、身体以外の諸般の事情で未だに
参加出来ずにいますが、義援金は、些少ですが3ヶ所へ振り込みを済ませました。
それにしてもです、橋本さんの行動力には脱帽します。湿気に弱いと言われる呼吸器を着けて、
雨風の都心の路頭に、車椅子で何時間も立たれるエネルギーには深い敬意を表するものです)

11年5月28日(土)
 政敵はドービルに在り、と永田町に鬨の声挙ぐ内輪の輩

(我が菅総理は、フランス北部ドービルで開かれた主要国首脳会議(G8サミット)出席の為に
外遊中で、現在はベルギーのブリュッセルに滞在中の筈ですが、留守を預かる国内では震災後
の非常時にも関わらず菅総理を引き摺り下ろそうと気勢を挙げてる輩が居ると報じています。
加えこの時とばかりに上げ足を取り続ける自民党、公明党にも呆れますが、内輪もめどころか
総理を引き摺り下ろして総理の座に座る事を否定しない小沢氏の神経には呆れ返るばかりです。
その昔、「敵は本能寺にあり」と、主君の織田信長を急襲し討ちとった明智光秀が三日天下に
終わった話は余りにも有名ですが、仮に自公党の数を借りて取った総理の座に、すんなりとご自
分が座れる保証など何処にも無いことを自覚なさってはいないんでしょうか、不思議です。そんな
暇があったら、一致団結して未曾有の国難に立ち向かって欲しいのは私だけではないと思います)

11年5月27日(金)
 (とき)ならぬ台風2号に追ひたてられし梅雨前線関東沖に

唐突に梅雨入り宣言なされるも余りの早さに今後を憂ふ

ゆううつな身過ぎに輪をかく憂鬱な季の訪る五月と云ふに


(気象庁は27日午前、関東甲信と東海地方が梅雨入りしたとみられると発表しました。
両地方とも平年より12日、昨年より17日、それぞれ早く入ったようで、1951年の統計
開始以降、関東甲信は2番目の早さだったようですが、調べてみましたら、昭和38年(1963)
の5月 6日頃に入って 7月24日頃に明けた。とありますから50年も昔の出来事だったん
ですね。覚えてなくっても当たり前でしょうが、約3ヶ月間もの梅雨ですからさぞや鬱陶しか
ったことでしょう。そして今年は台風も異常ですね。台風と云えば、9月1日の210日前後
の秋雨前線を刺激したりと秋のものと相場は決まってましたのにもう2号ですからねぇ。但し、
過去を見ますと5月中の台風の上陸は2個で接近さえもほんの数個ですので、この台風が予報
どうりに関東を暴風圏に巻き込むほど接近するのかどうか見届けたいものです。それにしても
です、大地震のみならず気象現象にも想定外の事が・・・・・・・くわばら!くわばら!ですね)

11年5月26日(木)
 虐めらる気管に太りし肉芽採る定例手術に緊張しばし

涼やかな声を期待し切除せし肉芽の不思議に目を奪はるる

♪あああああ〜腹の底より絞り出す声を耳にす医師の得意げ


(宿命の一言で片づけられる肉芽ですが、前回(2週間前)の交換時に、もうちょっと太らせて
から採りましょうとのことでした。このところスピーチバルブを着けると、声の調子が悪い
上に息も苦しかったんですが、その原因が肉芽にあったことがこれではっきりしました。
カニューレを両サイドから挟むように伸びて、気道を狭めていたとのことでしたが、
これでまた暫くは快適?に過ごせるだろうと思います。それにしても不思議です、
カニューレを異物と感知して、包囲または排除をしようとするんですからねぇ)

11年5月25日(水)
 約束事(やくそく)を果たさず手を抜く介護士に注意をすれば「煩い」だとさ

(トホホ!・・・ですが、こと清潔に関する問題ですので)

11年5月24日(火)
 耳もとでボリボリボリと煎餅を食みてにょうぼは香りおきゆく

(悪気があってのことでないことは、充分過ぎるほど分かってはいますが・・・)

11年5月23日(月)
 大相撲技量審査に奮ひ立ちすまふ力士の汗を信ずる

ケータイを預けし力士は支度部屋で親指相撲に興じてござる

勝ち越しを楽日に賭けし九番のガチンコ相撲を観られぬ悲哀

白鵬に琴欧州また日馬富士、把瑠都、栃ノ心ああ魁聖関よ

審査終え組まるる番付そうそうたる外国籍の力士で埋まる


「昨日終わった「大相撲技量審査場所」を観た一フアンの感想です」

(幕内の、千秋楽に勝ち越し(8勝)を賭けた相撲は、18番中・9番ありました。
その中ても7勝7敗の相星対決は2番のみ。残りは8勝が二人に2勝・3勝・6勝・
10勝・11勝と、いわゆる勝負あった!相手で、観る者にとっては大変興を殺がれる
取り組でした。ところが、ところがです、今場所は違いました。9番中目出度く勝ち越しを
決められた力士は、相星対決を除く(必然的にどっちかが勝つので)と2力士のみ。相手は大勝
してるか大敗してて、従来の場所だっら十中八九が勝ちを収めて目出度し目出度しの千秋楽だっ
たんでしょうが、流石に今場所は、人情を含めたいわゆる「八百長」相撲は影を潜めたようです)

11年5月22日(

 ゆううつなひと日を仕舞はん呼吸器に命たくして夢路を独り

(こんな日も、あるんじゃなくって・・・・・お寝みなさい)

11年5月21日(土)
 明けやらぬ南の空に没りのこる寝待ちの月を愛でて寝(い)につく



(この写真は、今朝早く(4時43分)に私のケアを終えた女房が庭へ出て撮ったものですが、
写真と違ってほんとうに綺麗だったと興奮気味でした。その後寝つけずにベッドから
抜け出して、庭の水撒きと私の面倒を看てる内にやっと眠くなって、8時に
来てくれたヘルパーさんにバトンを渡して布団に潜り込んだそうです)

11年5月20日(金)
 パソコンに読む新聞の味気なしインクの香り、めくる音なく

ピッピッとワンキーマウスのクリック音に読むデジタル新聞
(しんぶん)は新聞にあらず

(新聞を読まないと落ち着かない私ですが、気切をしてからは、ヘルパーさんに一面々々を
セットして貰って読んでいます。が、これがどうにも具合が悪く、しっかりと読めなかったり
して、いらついたり投げ出したりと情けない思いをしてたところへ、朝日新聞がデジタル版を
売り出したとの情報を得て、今日早速登録し読んでみました。がこれは、いわゆる新聞と呼べる
ものではなく、ただひたすらに活字を並べただけのもので味も素っ気も無い代物でした。
宅配新聞にプラス1000円でOKですが、7月末まで無料ですので読んではみますが・・・)

11年5月19日(木)
 清拭に捻らる腰のミシミシと痛むに想ふきのふの散歩を

(二時間程の散歩から帰ってきて、車椅子での拘束?を解かれてベッドへ戻った時の酷いミシミシ
痛が、今朝の清拭時に身体を捻られる度に出て歯を食い縛ってました。もっともっと訓練して
しっかと前方を見据えて座れるようにしないと、と思いますが、これが辛いんですよねぇ。)

11年5月18日(水)

 散歩とふそぞろ歩きは欅聳(た)つ白山神社(じんじゃ)に憩ふ薫風ほほに

この風を忘れいました吾をつつむ緑の薫るここちよき風

一年半ぶりの散歩は吸引器と酸素ボンベを連れてゆふるり




源義家が奉納した樹齢800年のケヤキで、2本共に国と練馬区の天然記念物です

(なんと!散歩を目的とした外出は、一昨年の11月以来でした。この間の外出は介護タクシー
利用の病院行きのみ、もうこんな日はこないだろうと半ば諦めてましたが、車椅子に乗ったり
ベッドで上体を起こす訓練?のお蔭で、呼吸苦や目眩を軽減出来、今日晴れて、薫風爽やかな
五月の街中を二時間ほど楽しんできました。若葉、新緑をわたってくる風の心地好さったら、
忘れ去ってたものを思い出させてくれたような喜びを貰って帰ってきました。)

11年5月17日(火)
 NHKの「介護百人一首」(かいごたんか)を読み終えてふー!と息つく身につまされて

(昨年応募するも見事に落選した、NHK「介護百人一首」の冊子が残念賞?として
送られてきました。応募総数8,332首中の100首ですが、内、老年性認知症に
関連した歌と解るものが35首で、次いではディサービス関連と、介護イコール「老い」
であることを物語っています。不治難病に臥せる身に老いもへったくれも無いものですが、
我が身に置き換えて読んでみましたが、遺こったものは・・・少々の疲れでした。)

11年5月16日(月)
 ドン!ドン!と腹にも響く音のして305号室は改装なさる

改装の音に一日付き合わされて疲れましたぞベッドに寝てて


(私が住んでるマンションは既に築後30数年を経過して、当初からの住人は18戸中私を入れて
3世帯のみ、このところ改装して貸し出したり、売りに出したりと慌ただしい動きが続いて
います。駅から歩いて1分という地の利でありながら雑居ビル化することなく、住宅
としての静かな環境を今でも保持出来てることは喜ばしい事ですが、改装時の
騒音だけは如何ともし難く、お互い様と我慢々々のここ数日です。)

11年5月15日(
 のうのうとベッドに暮らす我にして孤独を託つ皐月晴れの日

(薫風香る五月ですね、絶好の行楽日和だった今日一日、珍しく来客も電話もなく暮れました)

11年5月14日(土)
400cc
(よんひゃく)の人工栄養ポトポトとパジャマと布団に呑ませてござる

冷たい!と気付きし時は既(き)に遅しボトルに残るは30cc

情けなやこれがプロのなすことか、お蔭でおいらは昼飯ぬきじゃ


(注入チューブに付いてる、エアー抜き用ホールのキャップをし忘れたばっかりに・・・。
ご本人は「閉めたはず!」と仰いますが・・・筈ではなく、閉めた!と言い切れる
だけの自信を持って「仕事」に取り組んで欲しいものです。でも幸いなことに昨日は
入浴日で、30分我慢したところで綺麗さっぱりと洗い流して貰って終わり。
但し、再注入の時間は無く結果的に昼食は食べず?仕舞いに終わりました)

11年5月13日(金)
 しき降りし五月雨かつぐ若葉らの新緑冴えて目にも優しき

(昨日の雨が木の葉の上で、水晶玉のように朝日を受けてキラキラと輝いています。
朝日を通して見る新緑の美しさは、目にも優しく、薫風を伴って癒してもくれます。
そんな五月ももう半ば、梅雨入りまでのこれからを、外に出て直に肌に感じたいなぁ、と)

11年5月12日(木)
 訪れしお袋、兄貴は女房の留守を知らされがっかりなさる

(今朝は体調が良いからと、急に思い立った95歳のお袋が、
兄貴と一緒にひょっこり来てくれました。が生憎女房は、定休日で外出中、
可愛い?息子は居るのに、居ないの!はないでしょうよ)

11年5月11日(水)
 大地震(おおなゐ)につづきし余震も治まるに騒ぐ何かが心に遺こる

(あれから2ヶ月、さしもの余震も影を潜め、起こったにしてもM3程度で、あの
恐怖感からは解放された筈ですのに、何かが胸の内に澱んでて重っ苦しいままです)

11年5月10日(火)
 売らんとぞオール電化を社是とせし「東京電力(とうでん)」さんの泣きべそ醜し

(オール電化住宅は、調理、給湯、空調(冷暖房)などのシステムを全て電気によってまかなう
住宅のことで、東電てもさかんに売り込んでましたが、この度の福島原発事故による停電
騒ぎで販売を休止する破目に陥ってるようです。尤も当初からメリットとデメリットを
天秤に掛けるとデメリットの方が勝ってる!との評価があったところへ、想定外の
停電ですから当然の成り行きでしょうが、この度の事故を「人災」であると
認められた以上、一日でも早い収束を切にお願いしたいものです。)

11年5月9日(月)
 家族ゆえ看護師さんの代理なす女房のケアーに頼りて八日

黄金週間
(れんきゅう)を無事に過ごしし報告を訪問看護(ほうかん)さんにできる幸せ

(やっとゴールデンウィークが明けて、平時の生活が戻ってきました。
2日と6日を除いたこの8日間は、訪問看護さんはお休みでヘルパーさんの
二人態勢等々で乗り切りましたが、看護婦さんでなければ遣れないちょっとした?
トラブルに見舞われた際には、女房が遣ってくれて事無きを得る事が出来たりもしました)

11年5月8日(
 八百長に汚れし大相撲(すもう)を立て直さんと技量審査す本場所むなし

国技館に集ひし万余の相撲通を呻らすほどの相撲に酔ひたし

NHKはテレビ桟敷を設えずフアンを外へ追ひ遣る愚行を


(今日は、八百長に大揺れし20数名の解雇力士を出した為に番付編成に困った末の、
大相撲「技量審査場所」初日でした。無料での公開でしたが、ほぼ満席になるほどの
盛況だったところを見る限り、フアンは私を含めて大相撲を見放してはいないようです。
それにしてもですNHKは何を考えてるんでしょうね、生はおろかダイジェストさえ放送しな
いんですから怒り心頭です。本来の相撲では見ることが出来ない何かが、と思うんですが)

11年5月7日(土)
 被災地の避難所慰問す天皇皇后両陛下(りょうへいか)の笑顔にかえす笑顔美し

(下々では、老体に鞭打って、なとど形容しますが、およそ普段とはかけ離れたお姿で、
あちらこちらの被災者を、笑顔と共に慰問されていらっしゃいます。タラップを下りる
時には皇后様に手を差し延べたりと、微笑ましい仕草を何気なくみせて下さってますが、
避難所で御苦労なさってる被災者の皆さんも、きっと元気づけられていることと思います)

11年5月6日(金)
 廃棄処分なさんと引き摺りし冷蔵庫のリビングに遺る足跡二本

(己の危機を察したんでしょうか、ヤダー!って必死に抵抗したようです)

11年5月5日(
 陸前に百三十二人 生(あ)れしとふ震災孤児の「子供の日」無常

(東日本大震災で、両親が亡くなったり行方不明になっている高校生までの子供は、岩手、宮城、
福島の被災3県で少なくとも132人に上ることが分かった、とか。判明している大半は、
親戚などに保護されているようですが、今日の子供の日をどのような気持ち、状況で
過ごしただろうか、などと考えると遣り切れないものが込み上げてきます)

11年5月4日(
 萌え出でし若葉の緑は陽に映える「みどりの日」とふ祝日を愛づ



黄金週間
(れんきゅう)も往診しくれし医師に述ぶ「ご家族よそに有難う様」

(先生は祝日の今日もお仕事で、お子さんたちへのサービスは明日だそうです)

11年5月3日(

 桜また新緑映える列島を覆ふ黄砂を雨が鎮めぬ

(昨日から大陸育ちの憎っくき黄砂が飛来して関東以西を覆ってましたが、きっと今日の雨が
叩きのめしてくれたものと思います。明日は晴れてすっきりとした青空が仰げることでしょう。)

 またまたの「想定外」が黄金週間(れんきゅう)に高速道路の大渋滞を

(自粛、自粛との大合唱と節電に、観光地は何処も閑古鳥が鳴いてる状況では、
高速道路の渋滞予測は難しく、今日の大渋滞は想定出来なかったようでした。
何処もかしこもが予測の倍で最長は、関越道下りの藤岡ジャンクション付近を先頭に、
78kmの大渋滞となった、と報じてましたのでさぞや皆さん大変な思いをなさったことでしょう)

11年5月2日(月)
 ボランティアとふ支援をと被災地に黄金週間(れんきゅう)過ごす若きらの汗

観光とふ支援もあると黄金週間
(れんきゅう)に陸奥巡り義援となしぬ

(3・3・2と中休みが2回入ってのゴールデンウィークですが、国会の先生方はこの土日も返上
して審議をしてらしたように、いよいよ復興に向けて国を挙げての動きが始まったようです。
ボランティア活動も活発で、募集人員の2倍、3倍の人々が応募され各地で活動されたり、
一方では、閑古鳥が鳴いている観光地を訪ね、間接的な支援をされたりしています)

11年5月1日(
 考えて考えぬきて考えて、どうにもならぬ現実を知る

介、看護受けつつ暮らす生活の終はる佳き日のくるを吾は待つ


(ゴールデンウィークの陽気に誘われて、またぞろ「憂鬱虫」が蠢き始めました)

11年4月30日(土)
 福島を思ひ遣りつつ節電とふ自粛に冥(くら)き卯月はゆきぬ

(自粛の遣り過ぎは経済活動の疲弊を招く、とあちらこちらから悲鳴ともとれる声が聞こえるよう
になったのに呼応したのか、徐々に人の動きが戻ってきたようです。が節電の方は相も変わらずで、
何処もかしこも、暗い暗いと、明る過ぎるほどの明るさに慣れてる人々の繰り言が聞こえます)

11年4月29日(
 時はゆく過ぎゆくそれの波にのり被災地にひびく槌音を待つ

(あれから50日、東日本大震災の被災地から聞こえてくるのは、
瓦礫を撤去する重機の音と、仮設住宅を組み建てる音のみ。
本格的な復興の槌音が聞こえてくる日が・・・待たれます)

11年4月28日(木)
 今もなほ行方不明者と括らるる壱万千余の命よ何処

ああ無常四十九日を迎えしに行方きまらぬ魂
(たま)のさまよふ

(今日は3.11から数えて49日、世に云うところの四十九日です。仏教では、死後の49日間
は今生の死と来世の生との中間の期間で、その49日目の今日は、来世の行き先が決まるもっ
とも重要な日で、故人の成仏を願い極楽浄土に行けるように法要を営む習わしのようです。
が、未だに行方不明の1万1千余人もの方々が、瓦礫の下とか大海原の何処かを彷徨って
らっしゃるだろうことを思うと遣り切れないものがあります。合掌)

11年4月27日(水)
 竹藪の香りの満つるリビングに泥つき竹の子露さへ含(ふふ)



(今年も義妹から孟宗竹の立派な竹の子が届きました。ダンボール箱を開けると、露で濡れた
新聞紙に包まれた、どでかいのが3本、竹藪のあの香りで部屋中を満たしてくれました。
私の大好物の一つで、それもぶっとくってでっかいのを煮つけて食べてたんですが・・・・・)

11年4月26日(火)
 余りにも余りにも美(は)しその笑顔、すーちゃんはゐま祭壇におあす

乳癌にその刻悟りしすーちゃんの暇乞
(いとまご)ひする声に打たるる

死期を悟るほどの病に臥せてなほ被災者気遣ふすーちゃんに涙
(なだ)

旅立ちをあしたに俺は「ありがとう」を告げて逝けるだろうかと自問す


(元キャンディーズのすーちゃんこと田中好子(55)さんが癌との闘いに負け死去されました。
此処までなら、お若いのにお気の毒なことで、で終わりだったと思いますが、昨日の告別式で
公開された「すーちゃんの肉声メッセージ」に心打たれて、この歌となり、自問してもいます)

こんにちは。田中好子です。
きょうは3月29日、東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、
ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもそのときは、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の勤めと思っています。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。特に蘭さん、美樹さん、ありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでも伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さったみなさまに、社会に、
少しでも恩返しができるように復活したいと思います。
かずさん、よろしくね。その日まで、さようなら。

11年4月25日(月)
 警報の外れの多く悩ましき喜ぶへきか怒(いか)るべきかと

警報の間遠
(まどお)になりて放心す、大地震(おおなゐ)大津波(つなみ)に脅ゆ寧日

(3月11日以来の大型余震の頻発による「緊急地震速報」の連発には恐怖感さえ覚えた
ものですが、あの音を聞くと、ドキッ!として身構える人が大部分だったろうと思います。
ところが、日を追って空振りに近い状況が多くなって、またぁ?と受けとるようになった
のは私だけではないと思います。日本にしかないと言われる「地震予知装置」ですが、
多発した強震に感度が鈍ってしまったんでしょう。幸いなことに、さしもの余震も
どうやら終息を迎えつつあるようで、ここ何日かは殆ど体感しなくなりました)

11年4月24日(
 食べるとふ仕事忘れし歯を磨く、ゆんべの夢が正夢なればと

(久し振りでした。何を食べてたのかは分かりませんし、勿論味などする筈もないんですが、
何かをもくもくと食べ懸命に噛んでました。自分の中ではもうとっくに「食べる」を
諦めた積もりですのに不思議です。でも歯は、丁寧に手入れをしてもらっています)

11年4月23日(土)
 高齢者!高齢者よと女房ははしゃいでみせるバースデー祝ひに

(この22日は我が女房殿の70回目の誕生日でした。お役所的には、65歳以上74歳以下を
前期高齢者と位置づけていますが、どうやら女房は70歳の大台がと心待ち?にしてたようです。
確かに、私のヘルパーさんの最高齢者が60歳なのを見ても、愚痴の一つも零したくなりま
しょうが、何かにつけて「私もう70なんだから」が出てくるんじゃないかと戦々恐々です)

11年4月22日(金)
 武骨なるコウナゴ漁師の掌に躍る春よぶ命は被曝に棄(す)てらる

(春を呼ぶどころか廃棄処分ですからねぇ、
ほんとうにお気の毒ですし、何時迄続きますやらですね)

11年4月21日(木)
 ゴールデンウィークを間近に首っ引きヘルパーさんの遣り繰り忙し

(来週の29日(金)から始まるゴールデンウィークは、サラリーマンにとっては恨めしい
2日(月)を挿んでの丁度一週間。ご多分に漏れず、私の訪看さんとヘルパーさんのお一人が
お休みとなりますので、フォローしてくれるヘルパーさんの確保に努力してくれています)

11年4月20日(水)

 大地震(なゐ)に揺れ花びら散らす陸奥に愛でる桜の久しからずや

(折角咲いた桜も地震の揺れに早々と散ってしまいます。)

11年4月19日(火)
 揺れに揺れ決め兼ねをりぬ義援金あちらこちらに乞はれて揺れる

(日本中どころか世界各国からも、この度の「東日本大震災」に対して多大な義援金が
寄せられているようですが、私の処へもメールで振り込み依頼が8件届きました。
中には、縁もゆかりも無い(多分)処もあったりしますが、あちこちへ分けて
振り込む程の額を用意出来る筈もなく、困ったなぁ?が正直なところです)

11年4月18日(月)
 終はりなき戦のつづく原発を後に避難す住民(たみ)らの怨声

犬に猫、和牛
(うし)まで彷徨ふ放射能汚染の町に人影のなく

住民の消えたる町を防護服に身柄かためし警察官の巡回
(い)

(福島第一原発の半径30km圏内にお住まいだった方々が、避難と云う名の不自由な疎開生活を
強いられています。当然として町はもぬけの殻状態、不気味に静まりかえってるだろうことは
想像に難くない事ですが、ペットだった犬猫は勿論、牛も放牧状態で瓦礫の原を走り回ったり
してるのをテレビでですが目の当たりにすると、一時も早い原発事故の終息が待たれます。)

11年4月17日(
 我れは我(わ)と我(が)をつらぬくも臥せをればなにかにおもねる我(わ)ともたたかふ

(己を貫く難しさ・・・とでも言うんでしょうか?。心の中に相反する奴が・・・います。)

11年4月16日(土)
真夏日を肯ふ暑さに散り残る桜を愛でる卯月半ばに

(練馬の今日は最高気温が26,7度と、この春、と言うより今年初の真夏日になりました。
付近の桜はそろそろ終わりのようですが、後を追うように八重桜が見ごろとなってきました)

11年4月15日(金)
 情けなや幼稚園児じゃあるまいにキンキンキラキラバースデーカード

ALS
(やまゐ)ゆえ臥せてはゐますが「男」です、童がえりはしてをりませぬ

これが若し可愛い孫娘
(まご)の手づくりなればニコニコ顔の爺になります



(私の今を支えて下さってる介護関係者から戴いたバースデーカードですが・・・・・、
正直驚きました。)

11年4月14日(木)
 おずおずと桜前線陸奥に一歩踏み入り咲きつくしをり

(桜前線に託けて私の胸の裡を・・・。)
激震と大津波に叩きのめされた地へ、一歩踏み入れるとそこは瓦礫の原、
明るい春を連れてきたはずの桜でさへ、茫然と立ち尽くしてしまいます

陸奥とは、磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥(むつ)の5か国の古称で、
今の福島・宮城・岩手・青森の4県にほぼ相当する地域。

11年4月13日(水)
 不具合のカニューレ交換なしおえて放つひと声新鮮なりき

(二週間ごとのカニューレ交換ですが、この間に使ってた物の調子が悪くって、
声はくぐもり息苦しさがあったりして今日の交換を首を長くして待ってました。
交換を終えスピーチバルブを着け終えた先生に促されて、声を出したところ、
くぐもりが薄れて言葉も鮮明、何より息苦しさが無いのが一番です。)

11年4月12日(火)
 吾の裡に潜みしものありひと様に見えない「心」と見えない「思い」

「心」は誰にも見えないけれど……「心づかい」は見える
「思い」は誰にも見えないけれど…「思いやり」はだれにでも見える


は、すっかりお馴染みになった「ACジャパン」のCMですが、確かに「心」や
「思い」は声に出したり態度に表さない限り他人様に読めるはずはありませんね。

ACジャパンは、広告を営利目的のためでなく、公共のために役立てようと、全国の企業が
集まった団体で、広告を通じて住みよい社会作りに貢献することを目的として、マナーや
モラル向上などといった社会啓発的なCMを、年間13本制作しているがその制作費は
約1200社の加盟社から得られる年会費で賄っており、今回大量にCMを放送しても、
テレビ局との間で金銭的なやりとりは一切発生していないんだそうです。

11年4月11日(月)
 3,11(さんいちいち)二時四十六分忘れまじ陸奥襲ひし巨大地震(おおなゐ)大津波を

鎮魂の黙祷捧げん巨大地震
(おおなゐ)に逝きたまひたる三万人に

(東日本大震災から一ヶ月、各地で鎮魂の黙祷を捧げる様子がテレビで報道されました。)

 9,11(きゅういちいち)3,11(さんてんいちいち)いみじくも4,11吾が誕生日なり

おめでとう!73歳輝け!と励ましメールに爺は泣きます


((9.11)=10年前の9月11日にアメリカ合衆国で発生した「アメリカ同時多発テロ事件」
航空機を使った 前代未聞規模のテロ事件で、テレビで生中継され全世界に衝撃を与えましたね。
選りによってなんで11日なんでしょうね?。お蔭で忘れ難い数字となりました。)

11年4月10日(
 震災の陰にひっそり行はれし統一選挙のあしたの待たる

何時もこふあって欲しきと思へどもお祭り騒ぎもこれまた宜し

都知事選終はりてさてとあしたを睨む四年を託す都政は如何に

背を押され持ち上げられし慎太郎の四期目仕切る腕を見つめん


街宣車や駅頭演説等々が「自粛」の名の下に行われなかった都知事選挙でしたが、
どうやら前回より投票率がアップしたようで、結果オーライとなりました。
投票終了の8時と同時に石原慎太郎氏の当選確実を打つほどの楽勝裏に終わりました。


11年4月9日(土)
 大津波に洗はれ仲間を失ふにひとり桜の陸奥に咲く



(ご免なさい!です、何所のかを見落としてしまいました。)
(テレビニュースで視た情景ですが、大津波に何も彼も持っていかれた見渡す限りの瓦礫の原に、
1本の桜が花を咲かせたと報じていました。あの勢いにそれも海水に晒されての開花ですから
見上げた根性ですね。季節は巡ると言いますが、あの広大な被災地にも間違いなく春は訪れた
ようですが、しかし、被災者の皆さんにほんとうの春が来るのは、・・・気が遠くなりそうです)

11年4月8日(金)
 追ひ打ちをかけるがごとき激震の続く陸奥停電に泣く

停電に吸入器止められし病友はいかに逝きしや想ふに辛し


(7日午後11時32分ごろ、東北地方で東日本大震災の余震とみられるM7.4の強い地震があり、
仙台市と栗原市で震度6強を記録し、8日8時現在計392万5千戸が停電中、と報道しています。
私も震度4の揺れを体験しましたが、現地の人達の恐怖は如何ばかりかと・・・・・。
(尚、18時現在停電してる戸数は、70万戸まで回復したとNHKが伝えてました)
二首目の病友とは、酸素吸入器をお使いだったとの情報から勝手に病友としました。
突然の停電に対処しなかったのか?出来なかったのか?不明ですが、肺疾患で、呼吸器じゃなく
吸入器のみで生活出来てた人が声も出さずに逝ってしまう筈はなく、不思議ですが、酸素吸入器
が停電で機能しなくなり30分後に亡くなった、との警察発表を聞くと尚更不思議です。合掌)

11年4月7日(木)
 危険だ!を取り消さるるに善良な市民ははしるボトル水求め

鵜呑みせし数値に踊り安全と水飲む知事を信じぬ風評

売り切れだ品切れですに踊らされ浪速のボトル水
(みず)さへ購ひ漁りをり

湧水をボトルに詰めし商品に安全求める憂き世の世評


(飲料水騒動が未だに続いているようで、都知事が大丈夫安全ですと、テレビカメラの前で
飲んで見せたりしてるのに2Lボトルは未だに品切れ状態と報じています。何でも原因は、
ボトルに使うキャップ工場が被災して需要に追いつけない、とのこと。その需要はと
言うと、被災地へと首都圏での買い溜めのようですが、その首都圏からネットで
大阪のメーカーにまで注文が殺到してると聞くと、空恐ろしくさへなります)

11年4月6日(水)
 愛でられぬ運命(さだめ)と知りしか桜ばな重〜く昏ひ春の饗宴

この春も咲くをさだめと桜花憂き世をよそに粛々と満つ




(都心(靖国神社の標準木)で桜が満開になったと気象庁が発表しました)

11年4月5日(火)
 100億円(ひゃくおく)をポン!と寄付する人の住む今の日本に我も暮らしぬ

(孫氏は、日本国籍を取得している在日3世のようですが、やってくれましたねぇ。
あのソフトバンクの創業者で、同株式を約21%保有する筆頭株主で、日本有数の資産家。
世界長者番付の日本人部門1位で、その額は81億$=約6,800億円と発表されています。
とここまで知っちゃうと、100億に納得ですが、私も同じ空気を吸ってるんですよねぇ)

11年4月4日(月)
 チャリティーと謳ひて集ふタレントに託さる「心」を待つ被災者(ひと)数多

タレントの支援物資に炊き出しに被災地巡るニュースの躍る


(普段は、テレビ、映画、劇場、コンサート等々で活動されている有名芸能人の面々が、
チャリティーと銘打って「義捐金」を募る活動を色々のかたちでしています。
中には杉夫妻のように、私費を投げ打って24名のスタッフと共に大型トラック12台で
各地を回り、支援物資を配り、カレー、豚汁、野菜サラダの炊き出しをしてると報じてもいます。
何方がなさるにしても有難いことですが、スターや有名人には、プラスアルファーがありますね)

11年4月3日(
 (た)が音頭とりしや「自粛」の合言葉、節電に泣き、桜さへ愛(め)

自粛され泣く人のゐて自粛せし市民挙りて義捐金となす


(世は当に「自粛」ムード一色です。確かにあの惨状を視ると、浮かれてる場合じゃないことは
よ〜く分かりますし、何かお役に立つことをなどと考えたりしますが、自粛、自粛で消費が
低迷すると日本の経済活動は土壺にはまってしまいそうです。せめて福島原発の復活が
早期に実現すれば、と思いますが、現況では限りなく廃炉に向っているように感じます)

11年4月2日(土)
 余震とふ地震(なゐ)のつづきて三週間、慣れしと云えどけふも震えし

朝に夜に余震のつづく練馬にて被災地おもふあの激甚の


(今日のも含め殆どが震度3以下の地震ですが、まあぁよく揺れます。
本震がM9,0という記録破りの大激震でしたので当然の成り行きでしょうが)

11年4月1日(金)
 萌えいでし土筆に倣ひ震災に打ちひしがれし日本(ニッポン)よ立て



(今年はあの寒波のせいでしょうか、桜のみならず「つくしん棒」も随分と遅れているようです。
友人のしょうこちゃんが、例の処で撮って送ってくれましたが、これ程の群生は初めて見ました)

11年3月31日(木)
 咲き惜しむ桜に送られ定期診察(しんさつ)を受けに出かける朝の憂鬱

診察を終えて咲き初む桜をもとめ遠回りしつつ家路を辿る

満開の桜を愛でんと定期診察
(しんさつ)日を決めしに背かる不運に泣きぬ

(今日は約3ヶ月ぶりの定期診察日でした。前回の診察を終え今日の予約をしたのが1月7日、
折角の外出なんだからと、介護タクシーの窓越しにでも「お花見」をしようと決めたのにです。
見事に裏切られました、例年ですと満開の桜が街中を彩って当に春爛満の風情を醸す頃です
のに、28日に開花したまま全く咲き進んでいません、まさか「自粛」?じゃないですよね!)

11年3月30日(水)

 臥せをれば大地震大津波(つなみ)の陸奥に助(す)ける術なく涙すばかり

(大地震だけで終わってれば、これ程の被害は出なかった!、を今更言っても詮無いことですが、
三万人もの死者、不明者を数えるに至っています。ご家族を亡くされた方、特にお子さんを
亡くされた親御さんの思いは悲痛です。テレビを視ては涙する日が未だに続いています)

11年3月29日(火)
 「想定外、でした」ですまぬ事もある避難所に逃げ大津波(つなみ)に呑まる

「想定外、でした」で片付く訳もなく瓦礫の山に立ち尽くしをり

「想定外、でした」で崩壊スーパー堤防、大津波めに呑みこまれたり

「想定外、でした」で呑まれしお役所に、被災者、住民路頭に迷ふ

「想定外、でした」で崩れし安全神話、福島原発大地震
(おおなゐ)に逝くや

(テレビにコメンテーターとして出づっぱりの、学者先生他の皆さんの口から、次から次へと
出た「想定外でした」。マグニチュード9.0の大地震は勿論、10mとも30mとも言われる
大津波。日頃の訓練よろしく避難所に逃げ込んだところで大津波に襲われ多数の方が
命を奪われるという悲劇がおきてもいます。宮古市田老町には海外から視察にまで訪れたという
高さ10m、総延長2500mの万里の長城とまで言われた巨大防潮堤が築かれていたにも関わらず、
ほぼ壊滅状態になるほどの大津波が襲ってきました。全てが「想定外でした」で括られるのは
仕方のないことでしょうが、原発だけはいけません!益々ややこしい状況を呈してきました。)

11年3月28日(月)
 ひっそりと桜の開く東京に春の訪ずる自粛ムードの



(例年ですと今頃は、ソメイヨシノの開花宣言があちこちから聞こえてきて、何故かわくわく
するんですが、この春は震災を引き摺っててそれどころじゃありません。
計画停電を考えると夜桜のライトアップも自粛でしょうし、少々淋しい春の訪れですね)
(尚、気象庁は28日、平年並みで、昨年よりは6日遅く東京で桜が開花したと発表しました)

11年3月27日(
 日焼けせし漁師は誓ふ生き様を見てろゼロから復興成すと

(インタビューに答える中年の漁師さん、船も家もな〜んも無くしたけど、これからの
生き様を見ててください、と意気軒昂でした。0からのスタートは大変でしょうが・・・)

 被災地に差し延べらるる篤き手を頼る生活(たつき)の厳しかりしや

(自分の身に置き換えてみると・・・身振るいするほどの恐怖を覚えます)

11年3月26日(土)
 センバツの春迎えしに震災の重み引きずる列島寒し

(自粛ムードが日本中を覆っているようですが、春のセンバツ高校野球は、鳴り物無しの
応援のみで行われています。応援が有ろうが無かろうがに関係なく、球児らは熱く燃えています。
被災者に元気を!を合言葉に日本中が手を差し延べていますが・・・掛ける言葉に窮します)

11年3月25日(金)
 手折りこし一枝の冬芽かけあしでほころび咲きぬあぁ桜花



(これな〜んだ!と手折ってきてくれた桜の一枝ですが、その時はそれと判断できないほどの
固い冬芽でしたのに、水に挿してリビングに置いたら3日目から綻び始めてもう満開です。
東京の桜は例年だとそろそろ「開花宣言」が話題になる頃ですが、今年は遅れていますね。
尤も現状では、桜に浮かれてドンチャン騒ぎってわけにはいきませんが)

11年3月24日(木)
 水道水(みず)飲むな葉物野菜(はもの)食ふなの次にくる空気吸ふなに脅え暮らしぬ

お前もか風評煽る水道局よ問題なければ数値を発表
(だす)

専門家、教授、先生、研究員挙りて否定す数値に踊る

暴動も略奪もなき日本
(ニッポン)に買ひ溜めをなす行列数多

(葉物野菜と牛乳に始まった「放射性物質汚染」騒ぎですが、今度は水です。
それも、どう考えても一過性のものであるにも関わらずです。
案の定東京都は今日、赤ちゃんのミルク用を含め安心して飲めます、と発表しました。
残るは「空気」ですが、そんな事にならないように一刻も早く原発を鎮圧してほしいものです)

11年3月23日(水)
 安全とアピールなせばなすほどにほうれん草の不買は募る

(あつもの)に懲りしか出荷(だ)すな摂取(く)うなよと「安全宣言」自ら廃棄(すて)

(福島県産のブロッコリー、ホウレン草など11品目から規制値を超える放射性物質が検出された
と発表し、茨城県産の原乳、パセリからも同様に放射性ヨウ素が検出されたとも発表しました。
政府はこれらについて、原子力災害対策特別措置法に基づき、両県に対し、当分の間、出荷や
摂取の停止を指示しました。一方、一年単位の長期に亘って食べ続けない限り、何の問題も
ない、との「安全宣言」もしていますが、野菜売り場からほうれん草が消えたようです。)

11年3月22日(火)
 張りつめし心を裡に闘志を眼に避難所仕切る男の髭面

被ばく量計りつ作業す隊員の家族を思ふ男の涙

普段着で卒業証書を生徒らに手渡す式に涙す校長


(毎日が涙涙の連続ですが、テレビに視る皆さんも色々の涙を流してらっしゃいます。
目は口ほどにモノを言い、と言いますが涙もまた然りですね。)

11年3月21日(
 食料が衣服が届き灯油また避難所にゐま笑顔を生みぬ

避難所に再会果たす喜びと打ちひしがれし哀しみのある

被害地を遠く離れて避難せし彼の地に暮らす難儀を想ふ

十日目に生還をせし祖母と孫、たった二人のなが〜い十日よ

怖きものそは風評と覚えたり、食料、ガソリン、放射性物質の


(やっと救援物資が各避難所に届き始めたようですが、皆さん酷い状況にいらっしゃいます。
何も彼も津波に持ってかれてしまったけど、生きてるだけで嬉しい!と泣き崩れる人。
福島原発に追い出された人々は、ただただお気の毒様の一言です。
押し潰され瓦礫となった自宅に、80歳の祖母さんとその男孫が生き延びてました。
スーパーから米が、スタンドからはガソリンが消えたところへ、追い打つように
放射性物質が牛乳とほうれん草から検出されたとの発表です。もうむちゃくちゃですね)

11年3月20日(
 ほっとする短歌(うた)の一つも詠みたくも出(い)でくるそれは震災ばかり

(テレビも新聞も私の頭の中も震災一色で、少々疲れました。
何かいい歌をと思いますが、亡くなられた方々の事、その遺族の事、身元不明者の事、
行方不明者の事、避難所の事、原発の事、復興の事、等々が浮かんできて思うようにいきません)

11年3月19日(土)
 千年に一度と言はるる大地震と大津波(つなみ)に遭遇(あ)ひしを忘れまゐぞよ

目に見えぬ放射線奴
(め)に追はれゆく福島市民に頭を垂れぬ

(この度の「東北地方太平洋沖地震」の被害は当に未曾有の大惨事でした。
神戸と違って、大津波が逃げ足以上のスピードで襲ってき根こそぎ持ってってしまいました。
死者は神戸の三倍にもなりそう、とも報じています。
それにしてもお気の毒なのは、福島原発を囲むようにお住まいの皆さんです。
首都圏の電力を生産する場を提供してただけで「避難」ですからねぇ、ご免なさい!ですね)

11年3月18日(金)
 節電にあそこもここもと消す余裕、無駄を享受す生活(たつき)に想ふ

今更に思ひ知らさる電力に頼る生活
(たつき)の素晴らしきこと

未だ見ぬ大規模停電に脅え日暮れとともに自宅に籠りぬ

停電と言ふ名の闇に不慣れなる東京っ子脅え買ひ溜めをなす


(改めて電力の有難さを再々認識しました。皆さんもきっと同様だと思います)

11年3月17日(木)
 茫然と瓦礫の山に立ち尽くす人に降り掛く淡雪白し

再会を果たし狂喜す親と娘に寄り添ふ童の笑顔のかたし

錯乱す姉の指差す車内に妹
(いも)の変わり果てたる姿の哀れ

特設の電話に話す人々の向こうにお在す笑顔の見ゆる

避難所に暮らす人らの押し並べて不安を抱え毛布に包
(くる)まる

帰り来ぬ息子を捜す老母
(はは)にして励ます声に泣き崩れたり

被災者の絶望感に添ふ術をもたぬ己は神に祈りを


(テレビに視る人間模様を歌にしましたが、・・・酷い事になりました。
今日本は、福島原発を鎮圧出来るか!?に懸かっています。)
・・・頑張れ!日本!・・・

11年3月16日(水)
 何故か吾が住所地は「計画停電(ていでん)」の枠より外るる安堵をもらふ

日を追ふて危険レベルに近づくと原発事故の未だ見ぬ脅威

原発に追はれ避難す人々の背中は怒りの炎をあげぬ

津波禍の瓦礫の原は春雪のベールの下に寂しく眠る

救援の手を待つ被災地、被災者に笑顔のもどる時の待たれる


(「計画停電」が始まり我が練馬は第1、第3グループに入ってますが、私の住む豊玉は除外されて
いました。あんなに大騒ぎをして、さあ来い!と用意万端整えてその時を待ってましたので、
拍子抜けの感は否めませんが、皆さんに頭を下げながらですが、ほっと安堵したものです)
(一方救援の手は、神戸と違い広範囲、それも山間地や、海を前に、山を背中にした
環境で、アクセス道路が限られてるのが災いして未だに大混乱をきたしているようです。)

11年3月15日(火)
 計画停電(ていでん)に備え待ちゐるその時をテレビをにらみ今かいまかと

日本にしてチェルノブイリの二の舞か福島原発煙を立てし

延々と原発事故を解説す専門家氏の疲れし顔、顔

大地震
(おおなゐ)に慄き津波に浚(さら)はれていま原発の放射能に脅ゆ

(計画停電2日目の一回目(第3グループ・6:20〜)に町名までは表示されて
なかったのですが、我が練馬区も入ってましたので、その瞬間に立ち会おうと
テレビを見ながらやきもきしてました。やがてテロップが流れ、実行されるも練馬
は除外されたことを知り、不謹慎ながら、ほっと安堵して再度の眠りに落ちました)

(計画停電の要因は、福島原発の事故にある事は明白ですが、世界に冠たる技術大国日本が、
大地震を想定し事故などは考えられない、と進めてきた原子力発電でしたのに、例えそれが
史上最大の地震によるものであっても、この脆さには一言あって然るべきと思いますが)

11年3月14日(月)
 万を超す死者の魂召されぬままに瓦礫の原に彷徨ひたまふ

原発に頼る現の危うくて大地震
(おおなゐ)一つに首都圏マヒす

停電に脅える首都圏未だ見ぬものの噂に右往左往す


(この寒空にまる三日が経過して、行方不明者(遺体)の捜索が他国の救助隊も加わって
本格化してきました。宮城の南三陸町では1万名もの行方不明者がいるとも報じています。
多数の遺体が海岸に打ち上げられてる処も在るとのこと、と言うことは太平洋の波間に
今でも漂ってる方々がいらっしゃると思うと遣り切れないものがあります。(合掌)
一方首都圏では、火力発電所に続く原発の事故による電力不足が生じました。
現在の生活に欠かせない「電気」ですから大変です。電車は休止か間引き運転、
週明け早々から足を取られて右往左往されているようですが、不思議なのはスーパー
からお米等の食品類、水、乾電池、トイレットペーパーが消えたこと、どうやら買い溜めを
されたようですが、あのオイルショックの再現ならぬ電気ショックによる「私も!」でしょうか)

11年3月13日(
 停電に瓦礫にはばまれし婿殿は「元気です」との電話をよこす

ほっ!としてテレビ見る目を住民のそれにチェンジししげしげと視る

刻々と発表さるる行方不明者
(ふめいしゃ)と死者の数だけ悲劇をつむぐ

呼吸器を遣ふ身なれば原発の異常事態に備え待ちゐる

巨大また甚大、未曾有と称すれどМ9,0
(キュウテンゼロ)を語るにたらず

自然とは愛しきものと覚えしにこの惨状は誰
(た)の為す業か

今日ひと日きのふに続きて鳴り止まぬ電話に嬉しき悲鳴をあげぬ


(心配した婿殿が、停電で電話が、瓦礫で車が使えずにいましたがと、今朝早くに二山越えた
水沢から電話をくれました。正直言って大船渡のあの惨状を視ると心穏やかにはいられませ
んでしたが、学校が避難所になってるからと、妻子にも会わずに引き返してゆきました。
加え心配なのが福島の原発です。先程の政府発表によると、明日からの「輪番停電」
は避けられないようですが、どうやら最悪の事態だけは回避出来たようですね。)

11年3月12日(土)
 一夜明けテレビに俯瞰す被災地の余りの事に息を呑むのみ

陸奥は見るに堪えざる死の町と瓦礫の原野を累々と曝す

連発す余震に脅えつテレビ見るひと日の重さ計り知れざる

巨大地震
(おおなゐ)に原発危うしパンドラの箱を開けしや「炉心溶融」

消息の途絶えし婿殿ゐまいずこ大船渡の地に如何にをりしや


(繰り返し、繰り返し放映される大津波の模様を、身ぶるいしながら見てますが、怖い!の一言、
あれよあれよと言う間に沢山の命諸共に瓦礫と化しました。それに輪をかけて心配なのが
福島原発、まさか「炉心溶融」に至るとは思いませんが、最小限に止めて欲しいものです。
そして最後は、あの大船渡の高校に勤める娘の婿殿です。昨日の大地震後の3時
過ぎに、「こちらは大丈夫」とのメールが来たきりその後全く連絡がとれません。
職場は山の手にありますので津波の危険は無い筈ですが、あの子煩悩が連絡を
くれない、ではなく出来ない状態、環境に居るんだろうと、正直心配です)

11年3月11日(金)
 警報に構える間もなく大揺れと、激しき音の中に身を置く

未だ止まぬ未だか未だかと揺れに身を揉まれる時間の長きに脅ゆ

やっと止みほっとする間もなきままに強き余震のつづく怖さよ

うかららの安否確認出来ぬままテレビ画面に惨状をみる

マグニチュード8,8の引き起こす津波の力に目を奪はるる

船、車、建物、田畑、列車まで呑みこむ津波は牙むき吼える

都心には帰宅難民溢れ出で寒空に立つ帰る術なく


・・・東北地方太平洋沖地震・・・
(真昼間の2時46分に発生した「東北地方太平洋沖地震」は、М8.8と観測史上最大で、
阪神大震災の180倍のエネルギーを持ち、太平洋側のきわめて広い範囲が強い揺れと
大津波に襲われました。その原因として、三陸沖で発生した地震が隣接した領域で断層破壊
などを誘発し、次々と地震を引き起こす「連動破壊」が起きた可能性が指摘されています。
三陸沖から茨城県沖にかけて長さ数百キロ・メートルにわたり、海底や断層が連動してずれ
動いたとみられるようで、3時15分の東京の強震もその一環で誘発されたもののようです。
1000年に一度の激震を体験し、目の当たりにして、唯々驚き恐れ慄いています。合掌)

11年3月10日(木)
 リビングへ射し込む陽足の日をおふて後ずさりゆく冬のあし跡



(日ごとに日中時間が伸びるのに反比例して、陽足は短くなってきました。部屋の奥深くまで
入り込んでいた冬陽が、じりじりと後退して最長日の半分ほどになりました。春の到来です)

11年3月9日(水)
 鷹派とふ外相辞任(おり)し日本丸、船酔ひ激しき民よ何処へ

(今も、民主党政権が大揺れに揺れています。菅総理自らが船酔いなさるほどの大揺れで、
鷹派と外国に言わしめ、中々の遣り手と称される程の前原外務大臣も振り落とされて
しまいました。船頭多くして船山へ登る、と昔から言われていますとおりに、菅船頭
のみならず小沢氏他の隠れ船頭が沢山いらして舵の奪い合いでも遣ってるんでしょうか?。
何時になったらしっかりとした政権が出来、外国と対等に渡り合う事が出来るんでしょう。)

11年3月8日(火)
 三時間「思ひの丈」をぶちまけし己を見遣る冷めし目をもて

重きもの引き摺りにつつ帰らるるお人の背中に頭を垂れぬ


(何時の日か楽しいお話が出来る日が来ることを夢に見て、ぐっすりと寝みたいと思います。
そしてそんな話を嫌な顔ひとつしないで聴いて戴いたお二方には心から感謝申し上げます)
(此処での「思ひの丈」は、色恋には関係の無い、「思うことのありったけ」です)

11年3月7日(月)
 面白くやがて可笑しく両親の介護を語る友の目優(やさ)

(ひょっこりと訪問してくれた友人は、80代のご両親を介護されてて一時は精神的な疲れを
訴えたりしてましたが、今日の彼女は、そんなことは一年がかりで克服した、と、持ち前の
明るさ満開で、「元気の元」を置き土産に歯科医院で待ってるお母さんの許へ走られました)

11年3月6日(
 蓑虫のごとく布団にくるまりて啓蟄なるに蠢きもせず

(冬眠から覚めた虫どもが蠢き始める頃と言われる「啓蟄」ですが・・・)

11年3月5日(土)
 髭を剃る手のいろいろで仕上がりもいろいろありてけふの始まる

(十人十色と言いますが・・・・・当にそのとおりですね)

11年3月4日(金)
 啄ばみて啄ばみつくさる蜜柑らはメジロの冬を支援(ささ)へ美(い)しこと



(二つ割りにしたミカンを釣り竿の穂先に刺して庭に置きますが、
一日で食べ尽くしてしまいます。ご覧のとおりに実に見事な食べっぷりです。
(美し= よい。すばらしい。見事である。 巧みである。じょうずだ。)

11年3月3日(木)
 弥生三日ももの節句は亡き義母(はは)の祥月命日しゅくしゅくとゆく

(今日この頃の陽気では、野に咲く桃の花など目にすることはまずありませんが、
幼稚園などでは「お雛祭り」が年中行事の一つとして、盛んに行われているようです。
3月3日は女の子の健やかな成長を願う日ですが、我が家では女房の母が他界された日でも
あり、仙台に居る二人の孫娘を思いながら、亡くなった義母へ想いを馳せる日でもあります)

11年3月2日(水)
 朝八時呼吸器はずされ一瞬の目覚めののちに眠りに堕ちぬ

風邪熱の疲れを引き摺る夜の明くに呼吸器なきまま眠りつづけし


(もう10時ですよ!でやっと目が覚めました。ヘルパーさんは何時もどおりの
8時に起こしてくれたようですが、覚醒しないままに寝続けたようで正直慌てました。
それよりも何よりも、呼吸器を外されたままに2時間も熟睡してしまったことで、
ガス交換が巧く出来ないのでと注意されてた事に、不覚にも背いてしまいました。
でも大丈夫!すっきりとした朝?を迎えカニューレ交換も無事に終えました)

11年3月1日(火)
 新薬の治験始じむと報ずれど信じ難しと他人ごとに聞く

(全身の筋肉が動かなくなる難病「ALS=筋萎縮性側索硬化症」の新たな治療法として、
神経細胞を増やすたんぱく質を患者の脊髄に投与する方法を東北大学などの研究グループが
開発し、来月にも臨床試験を始めることになった。と朝のNHKニュースが伝えました。
ALSは、運動神経の細胞が破壊されて全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で、国内の患者
は少なくとも8300人とされています。東北大学と慶応大学などの研究グループでは、神経
細胞を増やす働きのある「HGF」というたんぱく質に注目し、ALSになったネズミの脊髄
に投与しました。その結果、生存期間は、HGFを投与しなかったネズミの1.6倍に延び、
脊髄では運動神経の修復が進んで筋力を維持していることが確かめられたということです。
脊髄が傷ついた猿でも同じような効果があったことから、研究集団では、国に届けを出した上で
来月にも患者の脊髄にHGFを投与し安全性や効果を確認する臨床試験を始める事になった。由

東北大学神経内科の青木正志教授は
「ALSは治療が極めて難しい病気で、患者の数も少ないため、薬の開発が進まなかった。
数年以内になんとか新しい薬として届けられるようにしたい」と話しています。)

(と聞くと、明日にも治癒かと早合点しそうですが、私のようなひねた患者は、
以下に書きます理由で全くと言っていい程信じられずに冷めた目で見ています。
1、ALSは孤発性と家族性とがありますが90%以上を占める孤発性の遺伝子は未だに解明
出来ていません。この両者は病気が違う!とまで仰る専門医さえいらっしゃいます。
2、従って、ここにありますALSモデル動物(ネズミ、サル)は家族性のALS患者です。
3、「HGF」は元々肝臓の薬にと研究開発されたもので、あの脳梗塞の特効薬と囃されるも、
一時、死亡事故の多発で物議を醸したラジカットの二の舞になるのではと危惧されます。
4、生存期間が1.6倍に延びた、とは言ってますが、治癒したとは言ってません。
5、これは如何ともし難いことですが、新薬が効くのは発病後3年以内だそうです。)

11年2月28日(月)
 清拭と床屋お通じ洗髪に疲れしままにこの短歌(うた)を詠む

(連休が明けたとたんに、下にもおかぬ大サービスでした。
熱に苦しんで汗に塗れた身体にとっては、大変有難いことですが少々疲れました。
でも今日一日、6度台が一瞬でその後はずーっと5度台に終始しましたのでもう大丈夫です)

 不覚にも風邪などひきし苦しみを引き摺りにつつ如月はゆく

11年2月27日(
 ちゃんづけで呼び合ふ友の見舞ひうけ喋り笑ひて熱の下がりぬ

(風邪(インフルエンザはマイナス)をうつさなければいいがと心配しながらの5時間でした。
ほんとうに友っていいですねぇ。吸引で頻繁に中断しても辛抱強く待っててくれ、話の花を咲
かせてくれました。みんな日焼けしてて健康そうですが、何時までもそうあって欲しいものです)

11年2月26日(土)
 痰に咽せ悪寒にうなされ一睡もできずに迎えし朝の爽やか

劇的に薬が効きしか窓外に聴く雀らの声の愛(は)しこと


(喉の痛みから始まった風邪らしい?症状が、昨夜は時間を追うごとに酷くなって随分と大変な
思いをしました。殆ど眠らずに朝を迎えてしまいましたが、朝と言っても夜の帳を破って明るく
なってきた頃のことで、とたんに目敏いスズメ、メジロ、シジュウカラが餌場へきて先を争う
様子が手にとるように、聞こえてきました。痰さへ採れればケロッとするんてすが、今日一日
熱は7度やっとで推移し、暑い、寒いを繰り返していましたが、今晩が怖い!が本音です)

11年2月25日(金)
 一番も二番もとっくに吹き荒れし我が家にも吹く春一番の 

(気象庁が今日、関東地方に「春一番」が吹いたと発表しました。
関東地方の春一番は・立春(2月4日)から春分(3月21日)の間に、強い
(風速8メートル以上)南よりの風が吹いて、気温が上昇する気象現象、のようですが、
当にその通りで、風もさることながら最高気温が20度を超して4月下旬のそれだったようです)
(秋の木枯らし一号と違って、春一番は春を呼び込んでくれるんですから、我が家
にも何かいい事を連れてきてくれるかな〜?は、お子ちゃま的思考でした)

11年2月24日(木)
 快癒せし老母(はは)の訪ひきてベッド辺に吾の手に添ゆるその手の温し

どうだい?と白髪
(はくはつ)増えし笑顔が問ふに、笑顔を返す精一杯の

(酷い咳で入院し元気になって退院したと思ったら、インフルエンザに罹っての大騒ぎ。
治って元気になりつつあるとは聞いていましたが、昨日、兄貴と一緒に私の様子を見に
ひょっこりと来てくれました。嬉しいのは山々ですが、何しろ95歳ですからねぇ、
無理をしないでくれ!が、親ならぬ子心です。でも、ワゴン車の高い助手席への乗り
降りを、一人でひょい!とやってのけるというんですから未だ未だお元気です。)

11年2月23日(水)
 静岡県(しずおか)2・23(ふじさん)の日と定めしも、我にこそある登りしあの日

富士山を仰ぎ、登りし感動は臥せゐる今も吾の裡にある



山梨県・大蔵高丸1.775m より撮影

(国民の財産であり、日本のシンボルである富士山は、その類まれなる美しい自然景観により、
人の心を打ち、芸術や信仰を生み出してきました。こうした偉大なる富士山を抱く静岡県に
おいて、すべての県民が富士山について学び、考え、想いを寄せ、富士山憲章の理念に基づき、
後世に引き継ぐことを期する日として、2月23日を「富士山の日」とする条例を制定しました)

(と静岡県がホームページ上で発表しました。)
(が、私には私の富士山がありますし、私なりの記念日があります)

11年2月22日(火)
 ALS友(びょうゆう)の悲報を目にし息を呑む、幼馴染(とも)の姉上身罷られしに

(私と同じ病ALSで苦しんでらしたお姉さんが、この17日に亡くなられた、と友人が
メールをくれました。旦那さんを亡くされたのを機に施設へ移られての療養だったようですが、
意思や感情、思考を全く伝えられない状態で、会いに行っても一方的に話をしてくるだけと
言ってました。さぞや辛い毎日だったろうと、気切直後の我が身に置き換えてみたりしてますが、
すればするほどその大変さが身に沁みて、明日が来ないでくれればと祈るようです。合掌)

11年2月21日(月)
 昨夜視し夢が脳裏に棲みつきてけふのひと日を夢中に揺蕩ふ

(昨夜それも4時を廻った頃でしたが、変な夢を見ました。
車で山道を登って周りを見回すと、菖蒲の花(白黒の)が山肌を埋めてるのに、
行き交う人々はスキーを履いて歩いてて、帰ろうとしたら自分の足が無い!血相変えて
ポケットをまさぐってるところで目が醒めました。それも実に鮮明で今でもハッキリ覚えています)

11年2月20日(

 時きざむデジタル時計は暗闇に過去と未来を休むことなく

(就寝中に目を開けると、天井直下に取り付けた、デジタル時計のオレンジ色の数字が
目に鮮やかでした。その数字は1秒ごとに進んでゆきますが、決して立ち止まることは
ありません。が、時刻の捉え方には二通りあって、何時何分前と、過ぎ。という事は未来
と過去を表示してるんだぁ!などと変な事を考えてる内に眠りの底へと落ちてゆきました)

11年2月19日(土)
 世の中の因果は巡りて春きざす、流感衰へ花粉は猛る

(この冬のインフルエンザの流行は終息に向っているとの新聞報道がありました。
替わって登場したのが杉花粉。テレビでは、たわわに稔った杉の実を揺す振っては
花粉を飛ばし、花粉症に苦しむ人々の顰蹙を買うような事を平気で遣っています。
私ですか、私は子供の頃、杉の木を揺すっては花粉を被って遊んでましたので抗体
が出来てるようです?。と言って、皆さんにお奨めするだけの裏付けはありません)

11年2月18日(金)
 如月に桜の頃とふ陽気が誘ふ、梅に蝋梅いまが盛りと

(昨晩は昼間の暖かさをそのままに更けてゆき、今朝もエアコンを邪魔にするほど。
朝の予報によると、桜が咲く頃の陽気ですが、この後急速に気温が下がり真冬の
再来となるでしょう。がそのとおりで、夜に入って一段と冷え込んできたようです。)

11年2月17日(木)
 記念日と覚えし日日(ひにち)のまたひとつ呼吸器利用の在宅暮らし

病院を追ひ出されきて早一年あのごたごたを忘るるものか

べったりとベッドに張り付く生活に慣れはしたれど吾のものならず


(医師チームから何の音沙汰も無いままに、嫌〜な病院生活を続けているところへ、
突然の退院命令でした。後で知った事ですが、私の療養生活を支えて下さっている方々が、
密か?に病院側と相談されて、スムースに在宅生活に移行出来るよう配慮して下さってた
ようでした。が、いざ始まってみると、患者本人を筆頭に女房、ヘルパーさんもが初めて
の事でスタートはガタガタ状態。今こうして一年を振り返ってみると、良くぞ事故も無く、
風邪は勿論、肺炎にもかからずに乗り越えてきたものと皆さんに感謝感謝の毎日です。
でも、こんな筈ではなかった、が本音で、未だに納得はしていません。)

11年2月16日(水)
 俺が先いや私だとこの十年を乗り越え迎えし結婚記念日(きねんび)温し

去年
(こぞ)のけふは明日退院にうろたえて結婚記念日は忘れしがまま

(この10年間の療養生活で、女房とはよく衝突したものです。
その都度、死ぬの別れるのと険悪になったものですが、私が介護、介助を頼むのを機に
一時休戦。の繰り返し。女房曰くあなたは私が看てあげてるからいいでしょうけど、
私は誰が看てくれるの?などと難題を吹っかけてきて、私が先に死ぬ!。とは言え、
まさか放っとく訳にはゆかないようで面倒をみて呉れています。尚、気切してからの
この一年は、看護婦さんやヘルパーさんの訪問時間を格段に増やして戴きましたので、
女房の生活に余裕が出来、それまでのギスギス感が薄れてきたように思います。)

11年2月15日(火)
 (ひよ)のこぬ雪のさ庭は平和りにメジロら遊ぶもなにか淋しき

穏やかに餌をついばむ四十雀、目白、雀、の春まだ遠し




(どうした事か、この冬の我が家の庭にヒヨドリが来ないという異変がおきています。
例年は、金柑が色付き始めると姿を見せ、ピィーピィーと鳴き喚いて小鳥を威嚇しています。
お蔭さんで2kg程稔った金柑を、盗まれることなくマーマレードを作る破目?になった、
と女房殿は嬉しい悲鳴を上げていますが、それにも増して喜んでいる(多分)のが、何時も
追い払われているシジュウカラ、スズメ、メジロたちでしょう、この冬初めて積もった雪を
楽しむようにあちこちを歩き廻ったり飛び回ったりと平和を謳歌してるようでした。)

11年2月14日(月)
 戸惑ひてやがて嬉しきメル友の「こころね」戴くバレンタインデーに

六十歳
(ろくじゅう)と三十六歳(さんじゅうろく)の狭間には二十四年の過去と未来が



(メル友(友人のお嬢さん)から想いもしなかったプレゼントが届きました。
メッセージカードには、60歳のおじさんへ 36歳の○○○より とありました。
チョコを食べる事が出来ない私を気遣っての 
プリザーブドフラワー
本命?なんて野暮で失礼な事は訊くまでもなく、72歳の爺さんは、嬉し涙を流しています)

11年2月13日(

 得度せしALS(びょう)友何を悟りしや語れぬ彼の裡を想ひぬ

(この歌の主、甲谷さんは、京都市内で単身独居で療養中の50代の男性ALS患者さんです。
去る1月21日に療養の模様がNHK教育テレビ『きらっといきる』で放送されました。
どうやら呼吸は自前のようでしたが、言葉は全く駄目で、専ら文字盤をそれも○×
で確認をしながら、という不自由さ。散歩(車椅子で)を日課にされてるよう
ですが、「得度」をされてて手首にはお数珠を巻いてのお寺巡りでした。
得度とは・生死の苦海を渡って(煩悩の火を消して)彼岸に至ること。
または、 出家して僧や尼になること。だそうですが、彼は果たして?私のように煩悩の塊の
ような患者は、得度どころか我慢ひとつがろくに出来ないんですから、この先が思い遣られます)

11年2月12日(土)
 みぞれ降る狭庭に餌漁るメジロらの春のまたれる濡れ羽の哀れ

(やっぱり積もらずに終わって仕舞いましたね。残念でしたが、自然相手のことですからねぇ。
でも、我が家の庭は、メジロ、シジュウカラ、スズメが餌を求めて一日中にぎやかでした)

11年2月11日(
 雪を見る童のごときお爺の裡にシュプール描きし昔がいまも

降る積もる降る降る積もると姦しき予報にはしゃぐ都会っ子われ




(この三連休は、てっきり雪景色の中かと少なからず期待をしていますが、ここ練馬は
どうやら予報に反した結果に終わろうとしています。19時現在の予報では引き続き
降る恐れがあり、都心でも5センチ積もる見込み、との事ですが、止んでしまいました)

11年2月10日(木)
 痰引きにハイと答えて目を閉じぬこれより始まる咽せに備えて

咽せに咽せ腹波打たせ悲鳴あぐ痛む「胃ろう」を気遣ひにつつ


(何時の頃からか痰引きの際に咽せるようになって、医師に相談したら、生きてる証拠、
生体反応ですよ、でチョン!。まあ仕様のないことは分かってはいますが、咽せる
ことで腹(腹筋)が上下に動き、そこに挿し込んである「胃ろう」(プラスチック製)が
腹壁を刺激して痛むようです。酷い時は息の出し入れさえ痛みを誘いますので大変です)

11年2月9日(水)

 予報士の面目つぶしし雪雲の往きしあしたは冬晴れ蒼し

雪のない朝の寂しき雪国の苦労を知らぬ東京暮らしで


(積もる積もるとの前宣伝、それも都心で3センチとありましたので、練馬では?と
密かにですが期待してたんですが、結果はご存じのとおり雨も雪もちらついた
程度で終わってしまいました。でも、この週末には・・・・・止めときましょう!)

11年2月8日(火)
 待望の雨が降るとの予報を耳に雪積む朝(あした)を想ひ寝(い)につく

(吾が練馬にも、今晩から明日の朝までに雨もしくは雪が降るとの嬉しい予報が出されました。
何しろ去年12月22日以来、今年1月24日に地面を濡らす程度の雨が降ったきりですから、
当に慈雨です。若し降ったとしたらですが、雪になる可能性もあるようですから明朝が楽しみです)

11年2月7日(月)
 八百長に春場所興行だんねんし路頭に迷ひし大相撲(すもう)劇団

今更に何を騒ぐや八百長に無気力相撲があっての大相撲
(すもう)じゃ

とは言へどファンを自認す我にしてこのどさくさを何と叱らん


(一貫して「八百長」は無い!と主張してきた協会でしたが、
この度のケイタイ内に遺されていた「証拠」には如何ともし難く、
三月の大阪場所のみならず、年内の巡業興行も中止すると発表しました。
この本場所の不祥事での中止は、大相撲史上初めての事だそうですから忌々しき事です。
ファン無視も甚だしい話ですが、再開は「処分」後との事ですから何時になりますやら、ですね)

11年2月6日(
 近況を問はるるままに臥せ暮らすことなど知らせし愚行を悔やむ

闘病を報告するにご自分の事に終始す返信空し

甘っちょろい言の葉なんざぁ期待はせぬもいくらなんでもこれはないだろ

何をどう読んでくれしか、十二年頑張られた。と過去形なりし

旧友の手紙にあるはジム、エアロ、妻と旅行と、吾には無きもの

母君を老人ホーム
(ホーム)に預けし旧友は海外旅行が趣味とのたまふ

あの頃の君を見るごと「自慢しー」のあだ名そのまま長じられしか

代読をしくれし妻の涙に詫びぬ、十二年もの拘束、辛苦に


(こんな処へ書くべきでない事は承知してますが、女房の涙を見たらどうしても我慢が出来ずに、
およそ短歌などとは言えない代物ですが書いてしまいました。日記ですのでご容赦を)
(尚、ご本人はパソコン音痴で読めない、そうです)
(小中学校で一緒に遊び、学んだ同窓生です。今は年賀状の遣り取りだけの付き合いと
なっていましたが、今年の賀状には珍しく、
その後お身体の方はどうですか?。とあり
ましたので、去年死に損なって気切をし、呼吸器を着け、飲食も禁止でベッドで
の生活を、女房を筆頭に沢山の看護、介護関係者のお蔭げで無事に過ごして
います。と、事細かにA4紙3枚に書き送ったものへの返信でした。
曰く、
先日は心温まるお手紙をありがうございました。から始まって、12年間よく頑張ら
れほんとうに大変だったと思います。奥様も良くして上げられました。
まで3行に書かれて
ありましたが、どう読んでも過去形で、若しかして私が逝っちゃった、とでも?誤解したのか?と
思いました。がしかし、その後に続く便箋一枚半に細々とご自分とご家族の事を書かれ、
丈夫な体に産んでくれた母に感謝しつつ、妻と一緒にスポーツジム、エアロビスク、散歩、
国内旅行、に、年2回は海外旅行(ツーショット写真1枚付き)にも行っています。
(には口あんぐりでした)
折角療養の様子を訊いてくれたんなら、それ相応の言葉があって然るべきと思うのは・・・
私のひがみ?でしょうね。但し、女房に嫌な思いをさせてしまったのは大失敗で、12年もの間
拘束した上に、今後も同じような生活を強いるんですから、ただただ申し訳ないの一言です)

11年2月5日(土)
 真夜中に吸引たのむに泣きはらしし顔で現る女房の無念

(この一年、私に関する事で、私のみならず彼女も随分と嫌な思いをしましたので、何か
あったりすると思い出すんでしょう、昨晩も一旦入ったベッドから抜け出してきて、黙
り込んだままビールを飲んでたようですが、2時過ぎに吸引で起こしたら腫れぼったい
顔でぬ〜と現れましたので、口パクで「ねろよ」と言って目を瞑りました。でも今朝は、
明るいあいつに戻ってましたのでもう大丈夫でしょうが、原因は私の旧友からの手紙でした)

11年2月4日(金)
 天をつく欅の梢は青空に光を抱きて春の立ちたる



(春立ちぬとはよく言ったもので、穏やかで気温は13度、でも乾燥注意報は出ずっぱりです)

11年2月3日(木)
 節分に角界めがけ豆撒けば八百長相撲の証拠に中(あた)

角界に昔からある「星勘定」はその名のとおり売り買いなりや


(大相撲界を激震が襲いました。警視庁が押収したケイタイに八百長取引の証拠が在った、と。
放駒理事長は、無気力相撲 と八百長の違いについて、「ある意味イコールだと思う」
と記者会見で答えていました。私も同じですが、八百長にはお金が介在し、無気力相撲には
星勘定が介在してる、と思います。これで、先の講談社が敗訴した「八百長告発事件」の結末
があやふやになってしまいましたが、私自身は、冷めた言い方ですが、「織り込み済み」です。
とは言え、金が介在する八百長相撲は、絶対あってはならないと思いますが、無気力相撲の方は
幕内34人、十両28人の中で、勝った!負けた!ってやってるんですから、仲間意識が働いて星
を遣り取りするだろうことぐらいは容易に想像できます。その証拠と言えば少々大袈裟ですが、
千秋楽に7勝7敗力士の結果を見て下さい。相手が既に負け越していれば10中8,9が勝って
います。勝ち越していても三賞に関係ない力士であれば、無理してまでは勝たないと観ています。
面白いのは、7勝7敗同士の対戦で、こちらは文句なしのガチンコ相撲です。)

11年2月2日(水)
 ALS友(びょうゆう)のメール開けばボロボロと悩み、怒りのこぼれおちたり

(ALS患者同士だからこそ・・・、悩みや憤りは共有出来てるだけに・・・。)

11年2月1日(火)
 キャンプイン、ああ巨人軍!いま何処ハンカチ王子にファンの目奪(と)られ

(プロ野球の12球団が一斉にキャンプインしました!まではいいんですが、カメラが
追っかけてるのは日ハムの斎藤佑樹君のみ、と言っても過言ではないほどの大騒ぎです。
ご存じハンカチ王子ですが、今は ゆうちゃ〜ん!と可愛い!可愛い!とおばちゃん達が
追っかけてます。問題はプロの世界で通用するかですが?、専門家が大金叩いて獲得
したんですから・・・大丈夫かなあ?。プロ野球の世界も随分変わってきましたね。)

11年1月31日(月)
 エルニーニョかはたまたラニーニャ現象か列島ひとつ寒さに凍ゆ


我が家の植木鉢にもこのような霜柱が・(今朝の都心の最低気温−1℃)

(気象庁は、この度の大寒波は今日を底に終息する、と発表したようです。
果たして?と俄かには信じられませんが、近年にない豪雪に苦しめられている地方の皆さんは、
ほっと安堵なさっていることでしょう。それにしてもです、地球上のあちこちで繰り広げられて
いる異常気象現象を見るにつけ、エルニーニョとかラニーニャの悪戯だけじゃないようですね。)

11年1月30日(

 ♪男なら弱音を吐くな!と演歌が叱る、臥せゐる俺と知ってのことか

(「NHKのど自慢」の中で歌われた歌詞に反応しての歌です。
名物というか、長寿番組といいますか、日曜の昼は「NHKのど自慢」を、臥せてからは
見逃したことがない程楽しみにしています。未だラジオしか放送してなかった大昔?に宮田輝
さんの司会だった「NHK素人のど自慢」に出場してからのファンですから年期が入っています。
その後は、ALSのお蔭でスタンドマイクでしか歌えなくなって封印しました。残念!)

11年1月29日(土)
降り積もる北に大雪西に火山灰
(はい)テレビに数多憂ひし顔の

大雪を融けゆく春まで待てぬとばかり民ら怒りつ除雪に汗す

春を待つ霧島の街火山礫の降り積み鎮む灰色あはれ


(雪国といえども久し振りの大雪に困り果てた人々がいらっしゃるかと思えば、
霧島連山の新燃岳(1.421m)の大噴火で、畑や街が火山礫や灰に覆われて
困り果ててる方々がいらっしゃいます。何れもが大自然による悪戯ですが、
融けて消えちゃう雪と違って、火山灰は大変でしょうねぇ、お気の毒様です)

11年1月28日(金)
 大汗を流すにあらず九十分もいじくりまはさる訪問入浴

折角の入浴なれど浴後の処置にいじくりまはされ大汗かきぬ

不慣れとはプロといへどもお粗末な事しか出来ぬものと教はる

頼みます!いい湯だったよ有難う!と言はせて下さい次回はきっと

ゆったりと風呂につかりて酒を酌むことなどいまは夢のまた夢


(スタッフ不足で大変だろう事は充分承知してますが・・・。
折角の風呂なのに、身体も精神的にも疲れてしまいました)

11年1月27日(木)
 カラカラに乾きし街にカラカラの心を秘めた爺(じじい)がひとり

(東京は去年の大晦日から乾燥注意報が、今日まで28日間続き、過去3番目に長い記録に
並んだと報じました。ここへきて地面を濡らす程度の雨が降ったりパラついたりしましたが
注意報解除までには至っていません。今後も暫くは続くだろうとの予報が出ていますので、
風邪には充分お気を付け下さいますように。と言う私の方は正直いって砂漠状態です。)

11年1月26日(水)

 恩師(せんせい)の賀状途絶えし何故を聴く、友の沈みし声を電話に

恍惚のお人に御成りと聴くにつけ肯ふ我のゐるに寂しき


(小学4年生からお世話をお掛けし、長じてからもずっと懇意にして戴いていた恩師が、
この歌のようになられた!と、東京在住のご子息が電話をくれました。当然私も10年前から
変だなぁ?とは感じてはいましたが、奥様にお訊きする勇気がなくって心配してました。
それにしてもです、教育者として校長にまで上り詰められた先生が・・何故?どうして?
ですが、御見舞いの言葉さへお掛け出来ない状況は如何ともし難く辛いものがあります)

11年1月25日(火)
 介護士のチェンジ騒ぎのかまびすしくのんびり暮らせるあしたの待たる

(この度、6年間に亘って私の面倒を看てくれてた二人のヘルパーさんが、家事都合で介護職を
暫く離れることになり、今、後任の新ヘルパーさんへの引継ぎ中です。毎度の事ですが、
ALS患者は未経験と仰る方ばかりの計4名の新人さんが奮闘してくれています。
実をいいますと、当初は2名の新人さんが入ってくれましたが、お二方共に
手に余ると云う事で中途でのリタイアとなっての大騒ぎです。)

11年1月24日(月)
 人知れず物みなぬらしし夜半の雨冬の朝日に輝きて消ゆ

(待望久しい雨が夜陰に紛れて降りました。先月の22日以来の雨で期待されましたが、
乾き切った大地を潤すには程遠く、朝日に照らされてあっと言う間に乾いてしまいました)

11年1月23日(
 そこはかと漂ふ香りの悩ましき口にすことの叶わぬ珈琲

(来客のお好みに合わせて、自慢?のコーヒーをお出ししたりしてるようですが、
この香りがベッドに居る私の鼻をえらくくすぐってくれます。
私は紅茶オンリーでしたが、珈琲の香りだけはどうしたものか好いものと感じます)

11年1月22日(土)
 お袋の声を電話に聴き胸を撫でて労ふ退院の朝

退院と聞けば嬉しき、お袋の苦しむ顔などご免にござる


(酷い咳で入院していたお袋が、9日間の入院で退院してきたと電話をくれました。
咳が治まる頃には食事が不味いからと退院を所望したとか、未だ未だお元気です)

11年1月21日(金)
 気管切開(きせつ)後のこの一年(ひととせ)を顧みてあしたのあるを嬉しと思ふ
気管切開
(きせつ)後のこの一年(ひととせ)を顧みてあしたのあるを想ひ煩ふ

(気管切開手術を受けたのが丁度一年前の今日でした。
何の説明もされないままに、生きるか死ぬかの決断を迫られ・・・、
気が付いた時には声を失っていました。そして始まった未知の在宅療養生活。
・・・色々ありました!。そして今後もきっと・・・)

11年1月20日(木)
 からっ風の吹きぬく練馬はひとひらの雪さへ舞はぬ大寒迎ふ

(今日は「大寒の入り」で来月3日の立春までは厳しい寒さが続きます。
は暦のうえのことですが、この冬は当にそのとおりで、殆ど中休みが無く
厳しい寒さが続いています。それも練馬では暮れの23日から、雪どころか
一滴の雨も降らない超カラカラ状態です。皆様、風邪など召されませんように。)

11年1月19日(水)
 ALS(やまひ)には負けねど看くるるヘルパーさんの泣きの涙は苦手にござる

(この歌は、ノンフィクション です。念の為)

11年1月18日(火)
 禁止(とめ)られし噛みて、味はひ、飲み込むを破る蛮勇なくて息災

(誤嚥を理由に飲食一切を禁止されてから一年、以来訓えを忠実に守って今日に至っています。
人工栄養「ツインライン」を「胃ろう」から点滴注入で胃に納め、身体を維持し活動の原動力と
しています。確かに生きてゆく為の「糧」は得られ、こうしてベッドでの生活は出来ていますが
当然「味わう」ことは出来ません。まるで車を動かすガソリンですが、お蔭さんで元気です。)

11年1月17日(月)
 相性が合わぬとのたまひヘルパーは声もかけずに吾に背をむけし

(こんにちは、どこそこの○○です、よろしく・・の挨拶を最後に、全く口を利かずに事務所へ
帰られた三十代後半の新女性ヘルパーさんが開口一番、「私との相性が悪い」との理由で
介護に入ることを拒否されたとか。ベッドに寝ている私を遠巻きに見てただけで、一言の言葉も
交わさずに、相性が悪い!、とは凄い人が居るものと驚くばかりですが、それを許す介護世界の
現状を想うと・・・。こんなことが死ぬまで続くことを考えると・・・・・・また言っちゃっいました!)

11年1月16日(
 うたかたの薄氷冬日に消え失せて葉影にメダカの身動ぎもせず

(地上4階に設えたプラスチック製の池ですが、
毎日のように氷が張っては融けるを繰り返しています。)

11年1月15日(土)
 入院と聞けばおののくお袋の九十五歳はお疲れだろう

これだけは勘弁してよお袋の入院加療は我が身に刺さる

見舞ふとて我が身うごかぬ哀しさよベッドに母の快癒を祈る


(咳が続くんで病院へ行ったら即入院だったようですが、いま流行りの
インフルエンザではないとのことで胸を撫でおろしたところです。
様子を見にも行けない親不幸は如何ともし難く、ただただ
治癒が早いことを祈るような気持ちで願うのみです。)

11年1月14日(金)
 カワイイ!とファーを身につけ街をゆくアナタは毛皮と知ってのことか

(テレビからの情報を詠んだ歌ですが、今冬はファーを身につけるお洒落が若い女性を中心に
流行っているんだそうですね。インタビューに答える娘さんらの口からは、カワイイ!カワイイ!
の連発で無邪気なものですが、昔のように毛皮と呼んでたら・・・この流行は無かったかも?。)

11年1月13日(木)
 宿命と承知すれどもヘルパーさんの交代劇に我は疲れし

弱音など吐きたくなけれどALS
(なんびょう)故の介護拒否にはさすがに参る

人の言う、小学生を大学で学ばすごとく難儀な介護と

プロとして働く人らの中にいま小学生が働く不思議

いま我を看くるる人らは押し並べて大学生とは嬉しきことよ


(この度、古参ヘルパーさんが家事都合で退職されての大騒ぎに、正直疲れてしまいました)

11年1月12日(水)

 お荷物はベッドに臥せて、そを曳くは齢七十の吾が女房殿ぞ

(確かにお荷物でしょうが、、、自虐短歌です、読み流して下さい。)

11年1月11日(火)
 夕焼けに影絵のごとくお在(あ)します富士山(ふじ)は今日の日見送りにつつ


大江戸線春日町駅交差点より・撮影・しょうこちゃん

(冬晴れがこのような素晴らしい夕景色を魅せてくれました。)

11年1月10日(
 孫娘(まご)二人のこの半年の成長を見るにジジババ涙腺緩む

お姉ちゃんに五目ならべで完敗し悔し涙を婆に塗りつけ

みぎに姉ひだりに妹
(いも)の手をとりてパパはゆきます幸せ街道

(たった4日間の滞在でしたが、子供の成長の早さには驚くばかりです。
一年生に五年生では敵う筈ないと大人は見てますが、本人さんは真剣です。
それにしてもです、お父さんの子煩悩ぶりには感心しきりです。
私にも娘が一人いますので、その可愛さは充分承知はしていますが・・・。)

11年1月9日(
 松明けてさぁ!と捲りし腕撫すに足を掬はる三連休に
松明けてさぁ!と捲りし腕撫すに街は鎮もる三連休に


(お役所や大会社ではもうとっくの4日から平常通りに動いてるようですが、
下々では七草明けから本格的に始動するところが、今年は8日が土曜日で、
学校も連休明けの11日からとなってのんびりムードのようですね)

11年1月8日(土)
 息を吸うたびに「胃ろう」の痛みいで夜半のベッドに息を殺しぬ

(前回と違って交換時のみならず、予後も痛みに辛い思いをしています。
昨晩も1時過ぎから始まってピークが4時頃、あれやこれやと女房殿が
手当てをしてくれ、落ち着いて眠りについたのが5時を少し回った頃でした。
息を吸ってお腹が膨らむとズキ〜ンと痛み、吐いても痛んでの繰り返し、
今は触りさえしなければ痛みませんが、もう勘弁してよ!が本音です)

11年1月7日(金)
 身代わりのてるてる坊主をつれ孫娘(まご)はディズニーランドに爺と遊ぶと

(1年前の入院中に「おじいちゃんのびょうきよくな〜れ」と作ってくれた
「てるてる坊主(てるじじ)」
を、「おじいちゃんもいっしょにいこう」と連れて?出掛けていきました。
ディズニーランドはこの冬一番の冷え込みに加え、乾燥した強目の風が吹い
ててさぞや寒いでしょうに。子供は風の子ですが、一緒に行った親の方が心配です)
(因みに、20時半現在、未だ帰ってません。お婆ちゃんが風呂をたてて待ってるのに)

11年1月6日(木)
 重い気を引き摺りゆかん冬晴れの目白通りを「胃ろう」交換に

無理矢理に引き抜き無理矢理押し込まれ「胃ろう」交換痛みの激し

胃に溜まる造影剤を透視する吾は施術ベッドに痛み堪えて

帰りきて人工栄養流し込む遅い昼飯挽回なさんと




(「胃ろう」は半年ごとに交換しなければならない、とかで厄介なものです。が有難いものです。
前回は瞬間的な痛みで終わったんですが・・・今回は痛い!痛い!と叫んじゃいました。
写真中央縦のがそれで、腹壁と胃壁を貫通し黄色の部分が膨らんで抜けない仕組みです)

11年1月5日(水)
 正月は芽出度きものよ真夜中の夫婦喧嘩も初ともなれば

(昨晩は女房の泊まり番でしたが、新しく使い始めた羽毛布団の影響で呼吸器のホースが
安定せず、あーだこーだとやってる内に険悪となりひと悶着あった次第です。なんとか安定装着
が出来たところでジ,エンド!。3時をちょっと回ったところでひと先ず お休み!となりました)

11年1月4日(火)
 臥せをれば「仕事始め」の嬉しくて看護婦さんの声にほっとす

(この年末年始の6日間は、訪問医師及び看護婦さんは完全休業でしたので、寂しい思いをしてま
したが、「仕事始め」の今日から文字通りに訪問してくれました。明日はカニューレの交換をして
貰い、明後日は病院で主治医の診察を受けた後「胃ろう」の交換と、年始早々から大騒ぎです)

11年1月3日(
 早大の優勝見えて気はそぞろ箱根駅伝しゅくしゅくと復(ゆ)

シード権争いのみに絞られてチャンネル回す箱根駅伝


(美しい雪景色の箱根芦ノ湖畔を、東洋大に遅れること27秒後に2位でスタートした早大が、
山下りで転倒したのにもめげることなく順調に足を伸ばし、7区では2位との差を1分24秒の
トップでタスキを継ぎ、そのまま逃げ切って21秒の僅差ながら総合優勝を果たしました。
とは言え早大は、出雲駅伝、全日本大学駅伝を連覇したほどの強豪校で今回も優勝候補の
筆頭でしたので、勝負の行方は見え見え、チャンネルをNHKのお笑いへと替えてしまいました)

 重き気を晴らさんとしてテレビ寄席視るに解(ほど)けず凍てつきしもの

(正月早々からご免なさい、先が思い遣られますね。)

11年1月2日(

 出雲(ふるさと)の大雪ニュースを耳にして見上げる練馬の空は紺碧

おきしなに箱根路走る若きらの姿を目にし熱く目覚めし

正月や一般参賀の目出度くて行列つづく福袋もまた


(正月二日の練馬は穏やかに紺碧の空が広がり、ベッドにいるのが勿体ない程。
ヘルパーさんの8時ですよの声に、4チャン点けて!、恒例の箱根駅伝です。
スタートとともに跳び出した早稲田が、箱根の山上りで東洋大に首位を奪われてゴール。
特に応援してる大学はありませんが、箱根山の上り下りのブレーキに代表されるアクシデントが
面白い?と云ったら怒られそうですが、他の駅伝とは違う味わい方があって明日の復路が楽しみ
です。そして今年の正月は、皇居の一般参賀に代表される行列が、あちこちで見られたとテレビ
ニュースが報じていましたが、何が入ってるかが分からない福袋には、例年以上の善男善女が押
しかけたというんですから、皆さんは宝籤でも買われる感覚て楽しんでらっしゃるんでしょうね。)

11年1月1日(
 旭光の射し込むベッドに目を覚まし呼吸器外さん正月元旦

咳ばらいひとつをなしてお目出度う!スピーチバルブにのせしひと声

元旦に屠蘇もお節もお雑煮も口にできぬも先ずは芽出度し

元旦に届きし賀状の添え書きに我を気遣ふ言の葉あまた

孫娘(まご)なくてひっそりかんの元日はテレビの音のみ賑やかなりし



(兎にも角にも、新年、2011年、平成二十三年、が奔り始めました。
皆様におかれましては、幸せ多い一年であられればと祈念申し上げます)



戻る



inserted by FC2 system