日ごと日ごとに




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一日一首を義務づけて
私がんてつの身の周りに起こったこと、ALSとの格闘?の模様、
季節の移ろい、世の中の出来事までをも、三十一文字に纏めて、
日記のつもりで短歌らしきものにしています、どうぞ、ご笑読下さい。

2006年11月、私達ALS患者が集まって、現在迄の各々の体験を
岩波書店より 「生きる力」(840円) として、出版しました。
購って下さい、読んで下さい、印税は全額ALS協会へ寄付されます。
「生きる力」 へのリンクはこちら

・・13年版は「短歌のページ」へ移動しました・・


 人工呼吸器(こきゅうき)・歌は()内ルビを読んで下さい  


14年12月31日(水)
一年をぐだぐだぐだと暮らしきて世間の動きをテレビで観てた

尊厳死いや安楽死と沸騰す世界に身を置き一年過ごす


(ついに大晦日です。特別感慨がある訳けではありませんが、
散歩にも行けず外出は病院行きのみでベッドに貼り
付く暮らしを一年過ごしました。この間義父
を亡くすと云う哀しい思いをしました
が、お別れのご挨拶にもいけな
く、小学生からずっとお
付き合い戴いた恩
師も他界さ
れました)

14年12月30日(火)
臥せてれば盆正月も無関係ただただALS(やまい)に虐めらる日々

活きているにはあらずして生きてればALSを嫌と云うほど


(もう晦日です、私はこの一年をいったい何をして暮らしてたんでしょうか?。
治らないALSを身体中に蔓延らせて、飲まず喰わずなのに生きてる。
呼吸器を着けて暮らしてるけど、これは肺が悪いんではなく肺を動かす上半身の
呼吸筋と腹筋が痩せ衰えて役をなさぬだけ。そんな身体をベッドに貼り付けて
世の中の動きをテレビで視たり新聞で読んだりして把握してますが、
言葉をほぼ失って実に腹立たしくて情けない思いをして心を傷めています。)

14年12月29日(月)
冷えるから日暮れの前にカーテンを引くのと妻はひとり呟く

(誰に云うでもなく、自室から出てきた女房が呟きました。
ヘルパーさんが居ましたが、離れた処に居ましたので。)

14年12月28日(
六年間(ろくねん)の夜を頼りし介護士は挨拶一つなきまま去りぬ

介護士は自ら誓う来るなよと追われぬ限り辞めませんよと

それがなぜ挨拶なしで辞められる男一匹憂き世に泣くぞ

勤務中勉強してても目をつむり応援してた積りがこれだ

寝てる間に何も遺さず去りしとう彼にひと言有り難うさん


(断られるまで絶対に自分からは辞めません。
は彼の口から出た約束でしたが、私が寝てる間に何やら勉強を
始めてましたのであれで何かの試験にうかったんでしょう。
それにしても淋しい限りです。何のトラブルも無くいい関係でしただけに・・・)

14年12月27日(
痛み止めは睡眠薬でもあるらしく止めたその夜は一睡もできず

一睡もできぬ辛さに一粒の痛み止め服む睡魔に負けて


(痛み止めの注意書きには必ず、
車の運転に注意、と睡魔の悪戯を
注意してますが、今の技術で別々に出来
ないんでしょうかね。そろそろ止めてみようか、
との先生の最低3日間だよ、を始めて2日目の夜にな
っても睡魔どころか全く眠くならなくて朝8時のヘルパーさ
んをパッチリした目で迎える始末、そして深夜になって約1時間半
冴える頭を持て余してギブアップ、女房を起こして例の痛み止めを服ませ
て貰いましたところ、あっと云う間に眠り込んでしまい吸引するのが大変だった
とヘルパーさん。睡眠薬じゃなく痛み止めて眠るなんてちょっと面白い話ですよね)

14年12月26日(金)
火曜日に来ますと背を向け介護師は九連休にスキップをしつつ

(このようなお方もいらっしゃいます。
明27日から年末年始を過ごし5日の月曜日から仕事の再開です)

14年12月25日(木)
佳い年をお迎えなさいとにこやかに皆さんぽつぽつ仕事を納む

(一昨日からこの挨拶が始まりました。今年は明日で終わりです。
お世話を掛けてるのはこっちですのに、
大変お世話になりました、どうぞ佳いお年をお迎え下さい、さようなら)

14年12月24日(水)
テレビとは五月蠅いものなり節々にけふはどんちゃんクリスマスイヴ

仏教徒が大勢占める我が国になぜどうしてと見ているばかり


(可愛い小学生ぐらいなら分らんでもないんですが、
お姉ちゃんお兄ちゃんどころかおばちゃんおじちゃん
までもが、赤いのを着て被って白い髭を着けて大騒ぎをし
ています。私にはどうにも理解できません。勿論日曜の礼拝に
行く筈もなく不思議な一日が夜になって佳境に入ってると思います)

14年12月23日(

本年も桜台通信(ホームページ)の更新に「ぱそぼらん」さんに頼りて年越す

(今年も残すを一週間となりました。毎年この頃に来年用の「日ごと日ごとに」
を「NPO法人練馬ぱそぼらん」さんに頼んで来年用のページを作って貰い夜中
の24時を過ぎたら15年のに取り換えておめでとうさんとなって眠ります )

14年12月22日(月)
冬至です今日から冬だと言われても今年の寒さはとうに冬です

(冬至冬なか冬はじめ)
冬至です、これは気象庁発表じゃなくて、二十四節気の一つで、
一年中で最も夜の長い日で今日より日が伸び始める、と言われると
頭書の「冬至」は、冬になったと訳せます。だとすると冬至は今日から
日毎に寒さが募ってきます。だとしっくりきますよね、事実寒さはこれから)

14年12月21日(
世の中は休みのはなしばかりにて日ごと近づく年末年始

(今日を除くとあと10日です。
この度の年末年始は27日の土曜日から
4日の日曜までの9連休です。もっとも連続して
休めるのはサラリーマンに限った話かと思いますが、世の中
には色々なパターンがありましょう、平成27年はもうすくそこです)

14年12月20日(
心臓がどくどくどっとつまづいて何にもできずにひと日が終わる

(何時もは朝の内で治まるんですが、今日は夜に入っても治まりません)

14年12月19日(金)
体調を崩し寝込みて空けし穴埋めむと女房は休み返上


(過日から体調を崩した女房が、熱や咳で約一週間寝たり起きたりで、
自分の持ち時間をヘルパーさんにお願いして埋めて貰いました
ので、その埋め合わせを今しています。そんな折に来週の
月曜日に来るようにとお呼びが掛りました。その他に
重大な病を持ってますので生きた心地がしません
が、入院にでもなろうもんなら私も一緒にで
すから大騒ぎです。先生女房を助けて下さい)

14年12月18日(木)
予約して胃ろうボタンを交換に行けばサイズが無いと謝る

今手配してますからと待てと云ふ大学病院殿様商売

三時間を待たされやっと呼び込まれベッドに寝かされエイ!ヤ!で終わり


(3か月前に身体を持っていって、腹の様子と胃ろう(カテーテル)の
メーカー、ボタン型、サイズ、を確認された上でのことですからねぇ。
時々どころか今も皆さんに話題を提供してるあの有名な大学病院です
車椅子に乗ったまま計5時間強、なんとも辛い思いをさせられました)

14年12月17日(水)
言の葉をALS(やまひ)に奪はれ診察に文字盤つかふありがとさんと

(言葉を出し難くなってもう随分たちますが、
いよいよとなりました。只!どうしても口ぱく
を読んで貰えない、たったの一言の為にだってスピ
ーチバルブを着けないと言葉は出せませんが、そのため
には
呼吸器を外して止め、カニューレから内筒を抜き取って
初めて
スピーチバルブをカニューレに嵌めこんでありがとさんと
なります。が抜き取った内筒は綺麗に洗浄したあと
アルコールで消毒
すると云う手間が要ります、たった一言の為に何倍ものお手数をお掛けし
てです。最近ではパソコンの
キーボード(あいう)をひと文字一文字づつを
ウスポインター
で指し示し読んで貰って私のお願いしたい事が伝わると云う事です)

14年12月16日(火)
年賀状今年は出さぬ寂しさに義父の面影浮かんでは消ゆ

父親を殆ど知らずに長ずれば妻の父の背に親父を見ゐし


(実の親父は、戦時中赤紙を握り締めつつ結核で私が5歳の時に
亡くなりましたので、叱られた事しか覚えていません。中学時
代にテテナシゴ!ってからかわれたのは身にしみて忘れません
そして大人になり結婚したら相手にお父さんがいらして歓迎さ
れ趣味談義に花が咲きましたが将棋だけはコテンパンにやられ
悔しい思いを忘れませんが、私が発病してからは指してません
特筆は「へら鮒釣り」のお師匠さん、イロハから教えてくれて
いっぱしの「へら師」にまで育ててくれました。義弟も一緒で
三人で25年に亘って釣り歩いたのはいい想い出となりました)

14年12月15日(月)
プリプリと病院帰りの女房は血液検査の数値に怒りぬ

(風邪(素人診断)を惹いたからと病院へ行ったら血液検査をされ、
ある基準値が10倍にもなってて「A型肝炎」ですが念の為
もう一度検査しましょう。その結果が今日出て、基準値
内に収まってますので先ずはセーフ。それにしても
劇症肝炎になる可能性だってあるのに何もしな
いで野放し、再検査の結果をやきもき待ち
ました。それじゃなくっても私の面倒
他色々あって大変なのに、プラス
肝炎とは立つ瀬がありません)

14年12月14日(
今回も郵便投票投函し開票観てます白け気分で

(衆議院議員選挙2014の投開票日でした。
前与党の政策の背中を押すような結果が出そうで
これでいいのかなー?と思います。憲法改正、原発容認
消費税10%等々にノーの大声が聞こえてましたのに、不思議
です。それとも反対した人々は棄権したんでしょか
48%も行ってな
いんですから問題です。若者、学生を何方か連れて行って下さいよ頼みます)

14年12月13日(
結願(けちがん)を控えし友に誘われて魂あずけ詣(ま)でしつもりに

(夫婦共通の友(女性)が来てくれて、雪の話から秩父の札所巡りの話になって
私17日に結願に行くことになってるの、貴方の病気の事もお願いしてくるよ。
その札所とは、秩父三十四観音霊場札所巡り、の事で彼女が行くのは結願寺と
呼ばれる三十四番水潜寺だそうで、全て終わったらご夫婦のことも頼んできま
すよ、と嬉しい事を云ってくれました。17日まで彼女に魂を預けたので今は腑抜けです)

14年12月12日(金)
今年(こんとし)を表す漢字はといふ国民挙りて好かぬものなり

病み臥
(こ)やる俺(おい)らは無縁と思ひしが消費税とふ税を払ひぬ

(恒例の世相を映すと言われる漢字一文字ですが、
今年は歌のように「税」が沢山の票を集めてトップ
になったようです。消費税の残り2%を先延ばしにする
と衆議院選挙戦を戦ってるおじさん達の本心は何処にあるんでしょ)

14年12月11日(木)
飲水を二百CC減らされて呼吸器の加湿を二から六へと

(突然でした、水を200t減らして下さい!。診察とカニューレ交換が
終わってから隣の部屋で女房と話てらしたようですが、夏に増やしたの
を冬バージョンに戻そうだったようですが、私の部屋は行き止まりで窓
無しですから夏どころか冬も隣の部屋でストーブを焚こうもんなら熱が
溜まって、結構暑かったりして今だって汗掻いてるぐらいです。 一方
呼吸器の加湿は私に任されてますので、痰の硬軟によって加湿量を増減
してますが、メモリは1から9までで数字が大きくなるほど肺に満たす
空気中の湿度も多くなり、痰が比例して柔らかくなると云うことです。
もう少し前に私の部屋の湿度が25%になった時2から6にしました。)

14年12月10日(水)
痛いのはどうにもならぬ喚(わめ)いても口ぱくなんざあ誰もきづかぬ

油断した!神経痛と併発でイタイといたいを甘く見過ぎし


(相も変わらずの愚痴です。今日の診察で「少〜しづつでも良くなってないか?」
への返事は「全く!」「う〜んだとしたら3年は駄目かな」「一生じゃ
ないんですか?」「う〜んそういう話も聞くね」はっきりとした
話は聞けません。常時弱いピリピリ感があって、時折びり
びりびりときてイテー!です。情けない限りですが
もう諦めることにして気楽に生きて行く積り
です。帯状疱疹、善は急げでしょうね。
痛み止めの眠り効果が酷いんてす)

14年12月9日(火)
解熱して動き始めし女房は風呂にも入り口五月蠅(うるさ)くも

(どうやら元気になってくれました。昨晩風呂へ入って「ウンもう大丈夫」
と云うことは、口の方も元気になってその賑やかなことったら、耳を塞ごうにも
手が動かせないんじゃあ仕方ありませんよね、言われ放題、聞き放題です)

14年12月8日(月)
あの時は家族四人が手をつなぎラヂオを見てた訳もわからず

(昭和16年12月8日と云えば私は3歳半。
常識で考えれば絶対に覚えて居る筈ないんですが、
炬燵に入りながら「真珠湾攻撃」の大本営発表を聞いた。
は後に大人から摺り込まれたものでしょうが、炬燵に4人が入
って小ダンスの上に置いたラヂヲを見上げてた図。ははっきりと覚え
てるんですよねぇ、その他に、頭上を飛ぶB29を照らそうとサーチライト
を照射しても届かない、とか、道路を広げようと家の屋根にローブを引っ掛けて沢
山の人で引き倒してましたが、沢山の女性が声を挙げて泣いてるのを未だに覚えてるんで
すよね。何れにしろ大大国アメリカに戦争を仕掛けるという愚策を強行したのはいったい誰だ!。)

14年12月7日(
男ゆえ口には出さねど時折の痛みに泣きぬ帯状疱疹

この痛み一生ものとのお墨付き誰かがどこかで笑う声する


(そぉっと触られるとビリビリビリと痛み、突然くるとびりびりびりと強烈です。
若しこの痛みが死ぬまで続くとなるとかなりのストレスです。何処まで信じて
いいのかですがこの状況は疲れます。ALSだけで充分てすのにお負けですよ)
(痛むのは、左の上腕360度と肩から肩甲骨に脇の下と胸の三か所に集約しました)

14年12月6日(
三週間早く流行りし流感と同時に打ちぬインフルワクチン

(この冬はインフルエンザの流行が、例年より三週間ほど早く
始まったと発表されたのが3,4日前だったと思いますが、
ワクチンを打って下さったのが3日の水曜日でしたので
抗体が出来るまでに三週間を考えると、18日の病院
行きはマスクをするのは勿論ですが、人工呼吸器に
もマスクをして防御しなければと考えてます。
これ全てが帯状疱疹のせいですからね。)

14年12月5日(金)
女房の体調勝れず俺もまた体調どころか気分も優れず

情けなや夫婦で泣きごと云うようじゃ思いやられるこれから先が


(まあ病気ですから仕様の無いことですが、と云うより健康バリバリの女房に
頼り過ぎだったことは否めません。がしかし!それしか方法が無いんですか
ら成り行きに任せてここまで来ました。そしてこの度の大騒ぎです、私は十
五年も女房を筆頭に沢山の他人様の手で生きてこられたんです。女房が突発
的に発病する物を仕込みましたので、100万回に1回でもやられたら一巻
の終わりです。女房の風邪は後2〜3日でしょうとのこと、問題は私めです。
帯状疱疹の痛みは残るでしょう。とほぼ確定的な言い方をされましたので、
死ぬまで持って行くのかと思うと泣きたくなります。人生は辛抱ですね)

14年12月4日(木)
知らなんだこれ程までにご婦人が個性の衣を纏う女(ひと)とは

(何訳の分らんことを言ってんだか、と、お叱りを受けそうですが、
女房以外の女性を知らない私にとっては未知の世界ですからね)

14年12月3日(水)
皆さんのスケジュールなど反故にして手を貸し下さりぬ妻の穴埋めに

(女房と云えども私の介護スケジュールを担ってくれてますが、今回のダウンで
どうしたものかと相談しましたところ、色々と段取ってくれて女房が受
け持ってた49,5時間を全部埋めてくれました。お陰で療養が
でき今日は夜になってお粥が喉をこしたと喜んでいます。)

14年12月2日(火)
点滴と投薬うけて女房は死人のように眠りて小康

(ふらふらになって帰ってきた時は、どうなることかと思いましたが、
私の先生に無理を云って往診してもらいひととおり診て貰ったようですが、
インフルエンザではない風邪でしょうとのこと、今日1日ごろごろしてましたが、
一昨日の晩ご飯以降、点滴1本とポカリスエットを適宜飲んだだけで食事らしい食事は
してませんので、私は独り誰も作ってくれる人居ないんだよね、と不貞腐れています。正直云
って気の毒な立場です、今晩の深夜勤は交代要員が見つかりましたので、落ち着いて眠
れることになりましたので、明日になったら熱も下がってしっかりする事と思います)

14年12月1日(月)
昨日から調子の悪さを訴えし女房がついにダウンなさりし

友人の手助け序でに吾の歌を磨くつもりが疲れを積みたる

夫婦での二人暮らしは然にあらず俺は二十四時間人手に頼る

折に触れこの問題がお互いを哀しい思いにさせる不幸ぞ

食べないで寝ているだけじゃ治らない医師の手を借り楽になろうよ


(あんなに一所懸命に段取りして、歌の練習が疎かになる程頑張って
大会の支度を皆さんと一緒になってしてたのが拙かったのでしょう
昨日突然ガラガラ声になって、戻したりしたのに出掛けて行ってダ
ウン、お仲間に悪い悪いと言いながら途中で帰ってきましたが、日
程を決めたのは女房の完全休日を利用しての事ですから尚更です。
私の先生に往診をお願いしたら投薬と点滴注射をしてくれました)

14年11月30日(
次は何時?問えば来年夏かな?と孫娘(まご)はアッサリ言い残しゐぬ

(中三のお姉ちゃんを差し置いて何でも返事を先にしてしまう可愛い
小五の孫娘ですが、爺が云うとなんですが利発な娘で、今年の正月
にお年玉をあげたら、しばらくして口をとんがらかして来て云う事
が面白いんです。あのね折角お爺ちゃんに貰ったお年玉をねお母さ
んが取っちゃったの、返してくれないからお爺ちゃん云ってちょう
だい。自分で云ったら?、云ったけど駄目なの、じゃあお爺ちゃん
だって同じだよ、あのねお母さんに、口とんがらかしたり、泣いた
りしないで取り上げる理由を訊いてごらん、きっと教えてくれると思うよ)

14年11月29日(
孫娘(まご)が来た、来たけど居ない、居ないはず六時に出発ディズニーシーへ

(学校が終わってから新幹線で東京へ来て、買い物と食事をしてから
おばちゃんちに来たの!、でお風呂へザブン!上がると同時にお休み
なさい!。今朝8時にヘルパーさんに起こされたらもうとっくに出掛け
ましたよディズニーへ。ママと三人ですが明日は早めに仙台へ帰るそうで
すが、21時現在未だに帰ってきません。明日はどうするのか聞いてないので)

14年11月28日(金)
さあたいへん帯状疱疹いのこりてインフルエンザのワクチン打てぬ

(何時もの年はもうとっくに打ってるんですが、今年は帯状疱疹に
居候を決め込まれてるものですから未だに打てずにいます。
何でもA香港型が流行しだして各治療施設に2人未満
の患者さんが来るようになったとか、私の外出と
言えば病院ですから、飛んで火に入る夏の虫
そのものですから余程の覚悟が要ります)

14年11月27日(木)
喀痰をするたび覚ゆ苦しさはあの日の失神さわぎのせいか

(すっかり柔になってしまいました。身体もそうですが、
心も折れてしまったようで辛い毎日です。ほんとうはここへ
実情の全てを書いて、皆さんに知って頂ければ、随分と楽になると
思いますが、寅さん流に云えば、それを云っちゃあお終いよ、となります。
今日の歌は、吸引それも奥まで取りにゆくと、動悸が激しくなって息苦しくなり
あの時はほんの一瞬でしたが何にも覚えがない状況を経験してから吸引が嫌になりました)

14年11月26日(水)
あちこちに蕁麻疹めが追い打ちをかけたか痒さにいらいらいらと


(もう無茶苦茶でござりまする、もう勘弁してよ、俺何か悪いことしたか?。
元気になったらお礼参りにいくんですけとね、それは100%いけませんね)

14年11月25日(火)
この痛みとってください無理でしょかそれなら身体を葬りましょう

ALSに侵蝕されゐて泣いてるにカフアシスト
(カフ)さへ駄目と意地悪なさる

(ほとほと嫌になりました。)
(カフアシストは医療行為だからとヘルパーが作業する事はまかりならぬと
取り上げられてしまいました。私が窒息死したら心安らかにいられますか?。
それまでは胸押しをして貰って吸引してましたが、帯状疱疹が胸に出来
未だに痛くて無理なので、カフアシストを使っての大騒ぎ!人の命の事ですよ)

14年11月24日(
物書きに夢中になってて今日の歌詠み損なりそでこんなの一首

(朝から色々あって新聞読むことも出来ずに、調子の悪いパソコンを
だましだまし使っての一日でした。新規のはもう少し時間が掛るとか)

14年11月23日(
父とまで仰ぎし大鵬の記録に並び涙(なだ)する白鵬日本一ぞ

(大相撲十一月場所(福岡)は横綱白鵬の14勝1敗の好成績で32回目の優勝をして
千秋楽となりました。そればかりか、大鵬の32回の優勝に肩を並べたんですから
偉大なお相撲さんだとは思いますが、相撲った時代が違えば相手も違いますから
一概には 云えませんが、中途とか全休が一回もないんです。身体が柔らかいも
勿論ですが、負けないから土俵下へブッ飛ばされることが殆ど無い力士です。
よって怪我も殆どしてないし、相撲をとるために生れてきたような男です)

14年11月22日(
錦秋をテレビ画面に愛でつつも滝子の桜紅葉(もみじ)を胸裡(むなうち)に描く

(テレビで盛んにあちこちの紅葉を見せてくれてますが、何時も
思い出すのは山梨の大月に在った、滝子山の登山口公園にその所在を
誇示するように実に見事に紅葉して驚かせてくれた桜です。ほんとうに身近
にあって紅葉らしい様子は見てましたが、桜があんなにも美事に紅葉するのは余程
条件が揃ってるんでしょうね。写真が無いのが残念ですが、ストロボを持って行ったにも
拘らずやっと夜が明けたところであの微妙な色合いは出なかったのでボツにしてしまいました。)

14年11月21日(金)
安倍総理(あべ)さんはアベノミクスの失敗を再度やらんと解散なさる

自公には数多の野党が一つになればアメリカのごと選挙になるに


(安倍総理が突拍子もなく衆議院の解散をやってのけました。
自民党と公明党が与党で
民主党、維新の党、次世代の党、みんなの党、日本共産党、生活の党
社会民主党、新党改革、太陽の党、新党大地、沖縄社会大衆党、新党ひとりひとり
以上12が野党ですが、俺が俺がって揉めてないで一つになって
自公党と戦へば面白い選挙になるとおもうんですが、まあ共産党は無理でしょうが。
どんな結果がでるでしょうね、馬鹿げた晩秋の夢でしょうか)

14年11月20日(木)
あいたった!何時までつづくやこの痛み帯状疱疹疲れ果てたり

(未だ痛みます。聞くところによると、中途半端な治療をすると
帯状疱疹後神経痛と呼ばれる痛みに苦しめられるとのこと。始まった
のは10月始めでしたのでもう1か月半ばをゆうに過ぎてます。痛み止めの
せいで眠いったらこんなの初めてです、頭はぼんやりですからもうギブアップです)

14年11月19日(水)
秋ですよ光が丘の公孫樹です青空あればとくやんでますが



(我が家へちょくちょく来て下さる妙齢のご婦人が、兼ねて一緒に歩いた光が丘公園内の
夏の雲公園の公孫樹並木をスマホのカメラで撮って送ってくれました。白い空が惜しい)

14年11月18日(火)
四ノ矢は解散でしたか安倍総理、消費税上げ先送りして

(GDPの数字を余程頼りになさってたとみえて、年率マイナス1,6%の数字は、
安倍総理がアベノミクスと銘打ってこの2年の政策はどうやら失敗に終わった
感があります。この21日に解散して過半数がとれればいいんですが、先送り
するけど消費税は必ず10%にすると公言されました。国民がどう動くかです)
・・GDP(国内総生産)とは・・
(日本の国内で、1年間に新しく生みだされた生産物やサービスの金額の総和のことです)

14年11月17日(月)
人生を精一杯に生きてきて何故どうしてとALS(やまい)を恨む

(この歌は、友人が作って朝日新聞の川柳欄に投稿し入選した句の
一部パクリですが、私の本音でもあります。ぽっくり逝きたいですね)

14年11月16日(
お互いに歳とり病も戴いて女房の口吐く先が見えたね

(この度の帯状疱疹騒ぎで打ちのめされた私共夫婦は、
この先の成り行きが心配で、如何ともし難い現状をどうす
れは、と考えれば考えるほど出口の見えない迷路へと入り込んで
しまいました。えぇっい!こうなったら成り行きに任せて痰詰まりでも
起こして、は少々乱暴ですが、窒息死した患者を診たと先生おっしゃてました。
私は、帯状疱疹後の痛みそれも肋骨付近のさえ治れば胸押しが出来ますのでそれまで
の我慢ですが、我慢で済む問題じゃないので苦労してます。帯状疱疹って怖いですねほんと)

14年11月15日(
呼吸器を着けるにあたり療養にべからず、ならずが山とあるとは

(驚きました!。在宅療養しか方法が無いように仕向けといて、いざとなると、それは駄目、
それはいけません、と非情な仕打ちです。この度は、喀痰作業をするに当たってカフ
アシストをヘルパーさんにお願いしたところ、それは医療行為です!とケアマネ
から有難い駄目!を貰い途方に暮れています。じゃどうしたら?に看護婦を
24時間雇う?。は女房の腹立ち紛れの捨て台詞でした。事の始めは
私の帯状疱疹が痛んで痰を押し出す為の「胸押し」が出来なくて
のカフアシストでした。もう少しで治ると思いますがそれま
で待って貰いたかった、自分勝手と言われるんでしょう。
医療行為と云えば、薬の投与、食事の「胃ろう」投与
痰の吸引、意外なのは爪切りも看護婦さんの仕事
等々と縛りがあって大変、次痰詰まりが起き
たら思い切って胸押しを遣って貰う覚悟
ですが肋骨周りですのでどうなりますか)

14年11月14日(金)
金柑と見紛うばかりの蜜柑らは間引きを惜しみし女房の手に生る



(普通の温州蜜柑で鉢植えで育ててますが、生る数によって大きさが決まるようで
毎年その大きさが違います。味は抜群です。今年は近年にないほどの実がなりま
したので、どうせ自分で間引くだろうとほったらかしにしたらぜーんぶ熟しました)

14年11月13日(木)
錦秋の喪中はがきに襟正す賀状のやりとりだけの友人( 合掌)

(埼玉の川口へ新居を建て女房と二人の生活を始めた頃から、公園を囲むように
家が建ち始め、新婚さんや子持ちの若夫婦が住みだして公園で遊んだり
してる内に、今で云うところのママ友となって楽しくやってまし
たが、ポツリポツリと引っ越してとうとう年賀状のやりと
りだけのお付き合いになってました。旦那さん名義
の喪中はがきですから健常にいらっしゃるん
でしょう。お互い歳を取りましたね。)

14年11月12日(水)
ああ無情カフアシストは医療行為ヘルパー貴方は手出し無用ぞ

痰詰まりして苦しむ吾を目の前に見ているだけのヘルパー居るかな


(ケアマネが来て、カフアシストは医療行為の範疇だから
ヘルパーは手を出してはいけない、と暗に止めなさい!と
有難いお言葉を頂戴しました。この度の帯状疱疹の痛みが残
ってて胸押しが出来ないので替わりにカフアシストで痰を追い
出すだけのことですのに目くじら立てて、ヘルパー擁護のために
すっ飛んできてくれました。患者の私は痰詰まりで失神してると云うに)

14年11月11日(火)
歳末と正月休みが近づいて介護事業所に不穏な動き

(暮れ正月がそこまできましたので、ヘルパーさんのお休み問題が喧しくなりました。
看護婦さんは27日から新年の4日までお休みです。どうしましょ!
昔から垢で死んだ奴はいないそうですから頑張ろう。
は嘘です、なんとか援けて下さい)

14年11月10日(月)
遠藤は十三本もの懸賞を懸けられ負ける必死の相手に

(大相撲福岡場所は昨日が初日で満員御礼が出ましたが、
今日はウィークデーで閑古鳥が啼いてる中でお相撲を取って
ました。そんな中でも 人気力士西前頭8枚目の遠藤が初日に続い
て2連敗です。彼の取組には毎回13本もの懸賞が懸けられますので昨日
に続いて相手力士が張り切って頑張るんでしょう、先場所も7勝8敗の負け越し
に終わってます。白鵬も同じ13本を鷲掴みにして下がりましたがこれが本来の姿です。
幕内でしっかり揉まれて地力と人気が着いたところでスポンサーが着き当たり前の懸賞ゲット)

14年11月9日(
訪問ゆ病院勤務に移りゐしナースが彼氏と笑顔をつれくる

話したき訊きたき事は山ほどにあれども我の不能を託つ


(訪問入浴のスタッフとして来てくれてた看護婦さんが、病院勤めをするからと
辞めてもう3年ほどでしょうか、なんと!結婚は未だだけどその方向で
お付き合いしてると、若い素敵な研修医を連れてきて披露いや紹
介してくれましたが、お似合いは勿論ですが、若いってい
いなあと大いにあてられました。がしかし、今日は
スピーチバルブの調子が悪くって、私の事を
話したりお二人さんの事が訊けなくっ
て残念でした。随分と壊れました)

14年11月8日(
痛いよと眠いよだけに囚われて泣きたくなりしと泣きごとを吐く

(帯状疱疹後遺症に未だに虐められています。
時々ドスンと痛み、皮膚の表面を着衣や乾いた
タオル等が擦れたりするとピリピリ痛んで泣いてま
す。加え兎に角眠い、痛み止めを服んでるせいで油断す
ると何時の間にか眠り込んでヘルパーさんに起こされてます)

14年11月7日(金)
秋色に染まりし街に冬立ちぬ冬の便りの白鳥つれて

今日は立冬、そこそこの北風が吹いて、ニュースでは白鳥が飛来して
早速餌を啄んで長旅の疲れを癒してました。毎度の事ですが自然に
生きる渡り鳥や鮭、鰻もでしょうか、ほんとに不思議です。地球は奇跡だ!

14年11月6日(木)
あの時に買っておけばと円安に歯ぎしりしてるお馬鹿がひとり

(円安ドル高で沸いています。
今回の円安には超が付くんだそう
ですが、始まったのが4年半ほど前で当
時1ドルが75円だったそうですから当に超付
きですね。若しですよ、当時10万ドル買っといたと
して今「円」を買い戻すと1、150万円になるんですよね。
当にマネーゲムですね、瞬時の内に驚異的な数字が取引されてるん
ですから驚きです。庶民はおっちらおっちら身を粉にして働いてますのに)

14年11月5日(水)
完治せぬ帯状疱疹持て余し貰ひ手探すにそっぽ向かるる

(後遺痛が遺ると一生もんなんだそうで、今の内に徹底して叩く必要があるとかで、
続いて薬を処方されました。当分服むことになる、と云うことはこのぼ〜っ
とした毎日を送ることになるのかと思うとうんざりです。前の二回が
軽〜く完治しましたので油断した分けではないんですが、この
痛みは絶対!に帯状疱疹だ!っと主張すれば良かったと
悔やんでみても詮無いことですね。頑張りま〜す。)

14年11月4日(火)
電話する明日との声にベルが鳴る度に来たぞを裏切られたり

(これ彼女からの電話なんかじゃありませんよ。
(だ〜れもそんなこと考えないよ!の声あり)
実は、パソコンの調子が悪く、中でもオペレートナビ(キーボード)
の調子が悪く、ひらがなで打ってる最中に勝手に一部を変換して
しまいます。削除して打ち直し、ずっと同じ事の繰り返しです。
パソコンも7年経ってて何時壊れても可笑しくない状態とか。
そこで、業者さんに頼んで両方を新品にして内部を移設し
て貰うことになってその段取り日程を待ってます。連休
明けの今日は電話が多く、来たか?で暮れました。)

14年11月3日(
胸押しのできぬが故のカフアシスト支度待つ間の苦しさに泣く

(肺の出入り口に溜まった痰、気道に貼り付いた痰を、
上へ移動させ気道壁から剥がす為に、私が空気を胸いっ
ぱいに吸い込んだと同時に、両掌で胸を押して貰ってますが
この度の帯状疱疹の水疱痕が未だにぐずついてて胸を押すなんて
怖くて出来ません。そこでカフアシストのお出ましです。原理は胸押
しと同じです、指定された量の空気を機器(カフアシスト)が吸い込んで
一気に噴き出すと云う作業をしますが、胸押しは即取り掛かれますがカフアシ
ストはセットするまでの時間を苦しい息を我慢することになります。早く完治して
胸押しオンリーでいけるようになればと待ってるんですが、暇さへあれば熟睡してます)

14年11月2日(
黄落が邪魔だの声にお役所は公孫樹の枝葉を打ちてしまひぬ

(私の家の南側に小学校が在り、周りを公孫樹の大樹が取り囲むように
聳えてますが、道路を挟んで住宅がびっしりです。数年前に黄葉した
公孫樹の葉が散り敷いた道を歩いた人が滑って転んで怪我をしたとか、
散り終わるまで毎日毎日掃除するのが大変だからと役所へ苦情かくる
ようになって、色づく前に枝葉を下してしまうと云う暴挙に出ました。
勿体な〜い!と黄葉が好きな私はいいますが、それにしても勿体ない
今から枝葉を剪り詰められた公孫樹を見せられるのは寂しい限りです)
(黄落=木の葉や果実が黄色に色づいて落ちること)

14年11月1日(
はやいねぇもう霜月よ晩秋で紅葉のひと葉も愛でずに暮れぬ

(毎日同じような事をしながら日が暮れて寝るとまた朝がきます。
な〜んの希望も持てないままに沢山の方々の手をお借りして生きてます。)

14年10月31日(金)
SOS!助けておくれエアーマットが背中を突き上げ眠りを拒否す

(ベッドで使ってるエアーマットの調子が悪く、これで5回目ぐらいでしょう
か、交換したの。最初はいいんですが使ってるうちに変な動きをするように
なって、今回のは背中に直径10cmの竹を真っ二つに割ってマットと背中
の間に置いたような塩梅でとても眠れず、新品と交換して貰いましたがさて?)

14年10月30日(木)
そう云えば神無月だよどうりでよおいらの身体はぐちゃぐちゃですよ

(何も今月に限った事ではないんですけど、この夏は皮膚障害に
悩まされていたところへ、帯状疱疹に襲われて万事休すです。
考えるまでもなく今月は神無月です。出雲は神在月で日本中の
神様が集まって諸々の相談事をしてるとか、彼奴を懲らしめよう。
だったりして、などと馬鹿なこと云ってるからこんな目に遭うんですよね)

14年10月29日(水)
ステロイドを塗りすぎたゆえこのざまと帯状疱疹指して嗤わる

皮膚科医にこれを塗りなと処方され真面目に塗った結果がこれです


(気切してから4年半、ほぼ寝たきり状態で過ごしてますので、暑さを感じるようになると、
あちこちのややこしい処に皮膚障害を起こしますので、大繁盛してるA皮膚科へ往診
をして貰って薬を貰い痒み痛さを誤魔化して暮らしてましたが、今年は往診を申
し込むのに日時曜日を指定されてややこしいからとB皮膚科へお願いしたと
ころ、直ぐ来てくれて、薬を取りに来なさい。クリニックで直接手渡し
てくれたようですが、身体中に出来た物に塗りなさいとステロイド
入りそれも5段階ある中の上から2番目の軟膏をです。確かに
効いて殆ど治ってたんですが、ステロイドが皮下に遺って
て今回の帯状疱疹に影響を及ぼした。んだそうです。
同じ薬を10本も呉れた時変だと思ったんです)

14年10月28日(火)
東京に木枯らし一号吹いたげな秋を蹴散らし冬への一歩

(西高東低の冬型の気圧配置が一時的に強まり、
東京都心で27日夜
、「木枯らし1号」が吹いた。と
気象庁が28日発表しました。昨年より15日早いとの事。
気象庁によると、千代田区で27日午後7時44分に、最大瞬
間風速17・3メートルの北北西の風を観測したようです。
いよいよ冬の始まり、穏やかな冬であって欲しいです)

14年10月27日(月)
一週間限定投与の薬ゆえあとは快癒を、待つ身は辛い

痛くって眠くだるくて憂鬱で鬱になりそなひと日暮れたり


(いろいろ調べてみたら、帯状疱疹を遣るのは普通は一回で二回遣る人は
たま〜にだそうで、三回遣る人は珍しいんだそうです。その三回目が
一番酷いんですよねぇ、本当に毎日同じ事を云ってますが、疲れました)

14年10月26日(
こんなにも虐めることはなかろうに帯状疱疹ここまでやるか



弱い者と知ってのうえかこの悪さ痛い眠いに疲れ果てたり


(やっと峠を越しましたが、薬に酔っぱらっててぽーとしてます。
前2回は薬を服んだらあっと云う間に治っちゃったんですよね。)

14年10月25日(
今にしてアナログ放送視る人のいて放送する人のまたいて

(ヘルパーさんが私の視るチャンネルを心得てて時間になるとチャンネルを
替えてくれるんですが、痛み止めのせいで眠り込んでた時に替えてくれ
てたようで、何か画面がぼやけてるんですよね民放なんですが上下に
下記のようなテロップが流れてましたのて知りましたが、未だにア
ナログ放送をしてたとは驚きです。もう何年になりますかねえ)

(来年3月までに放送終了・デジアナ変換)
(11月10日15時−17時放送を一時休止し放送終了のご案内をします)

14年10月24日(金)

痰詰まりして苦しむ吾に気付かぬ入浴スタッフ頼るに辛し

(風呂からあがってパジャマを着せるのにごろごろごろごろ
一向に進まぬ内に痰が動きだして痰詰まり、苦しくって
訴えるに知らん顔でパジャマにご執心、やっと女房がきて
取ってくれてほっ!どこもかしこもヘルパーが定着しません)

14年10月23日(木)
痛いよを口にできなくただ我慢すれば溜まりぬストレスの山

(もう完全に帯状疱疹に蹂躙されて泣きの涙に暮れています。
頭がぼーとして思考力はゼロです。ちょっとぼんやりしてると
眠ってしまって短歌どころじゃありません。毎日同じような歌で
恐縮ですが、もう少しの我慢だと己に言い聞かせて消滅するのを待ちます)

14年10月22日(水)
痛め止め倍量のみて寝(い)につくも痛みと戦ひつづけ朝(あした)

三度目の正直なのかこの痛み左半身を切り捨てようか


(痛み止めを倍呑むようになって、それに正比例して眠気も倍増、
なのに昨晩は、うとうとしたかと思ったら痛み出してひぃー!
その連続の合間に痰の吸引を、ところが採りきれなくてカフマ
シーンを使って採ったりと、生憎と女房の泊まり番でしたので
殆ど眠ってないと大ボヤキ。今日も1時ー7時を看てもう駄目。
ALSだけで充分ですのに、色色なのが出てきては虐めてくれます)

14年10月21日(火)
またもまた痰を詰まらせ頼りしは細腕女房の胸押し一発

(帯状疱疹のお陰で、胸押しが怖くってこのところカフマシーンに
頼ってましたが、それでも駄目で意を決して胸押しを女房にやって貰っ
たところ、スポン!?と音がしてカニューレから風船が出たのには驚きました。
早く帯状疱疹が治って、思い切った胸押しをして貰えるよう頑張ってますが、今最盛期です)

14年10月20日(月)
診断は帯状疱疹やはりかと処方薬を服む助けてくれと

(休み明けを待って訪問医に助けを求めたところ、往診途中で態々来てくれ、
帯状疱疹ですね、水疱瘡ウィルスがまた暴れだしたんです、治療薬と
痛み止めを出しますので服んでください。その痛み止めが効かな
いんですよねぇ。昨夜も肩甲骨付近が痛んで塗薬、温シップ
クッションと色色やっても駄目、浅い眠りに終始しました。
今も痛んでて、怠くって眠いんですが今晩が心配です。
帯状疱疹って身体に潜んでる水痘ウィルスが免疫
力が弱まったり、ストレスが溜まったら暴れ
るんですってね、これで三度目嫌になります。)

14年10月19日(
ピリピリと痛くて辛くて眠たくて帯状疱疹かんべんしてよ

(勝手に帯状疱疹と決めつけてますが、これで三度目、前2回のような
痛みが続いてますので帯状疱疹だろうとひたすら耐えてるんですが
一向に治まってくれません。帯状疱疹って皮膚科で診てくれるん
だとか、この身体を車椅子に積んで行ける処が無いんですよ。)

14年10月18日(
今シーズン最後の試合となるやもと初めて観てます巨人×阪神

(プロ野球をテレビで観なくなって随分になりますが、巨人が崖っぷちに追い詰められた
と云うんでプレーボールから観ましたら、アッと云う間に6点を献上してしまいました。
興醒めもいいとこです。9時から予定した番組がありますので、それまでにゲームセット
にして下さい。両チームとも随分とメンバーが替わりましたね。また阪神が2点取りました)

14年10月17日(金)
ひーふーみー声を合わせて持ち上げる刹那さえなきゃ天国なのに

若者の両の腕
(かいな)に抱えられ湯船までゆくスッポンポンで

てきぱきと洗い終わりて運ばれてベッドに置かれほっと安堵す


(訪問入浴の業者を変えてもうどのくらいになりますか、つい先日に
折角慣れたスタッフが二人、転勤を理由に交代されました。
約束は3人で回しますので、何時も慣れたスタッフ
が来ますので、だったんですが、約束は破る
為にあるようで、私を運ぶ男性スタッフ
の持ち上げ方が後ろへ反り返って
て怖いんです。倒れでもし
たらとひやひやです。)

14年10月16日(木)
富士山の初冠雪を愛でし目で御嶽山の惨事を見やる



(同じ雪でも、富士山は初冠雪で感嘆の目や声で歓迎されました。
一方噴火惨事の御嶽山は、降り積もった火山灰の上に昨日からの初雪
が5cm程積もって捜索隊員の足をとり、捜索どころか隊員が遭難し兼ねな
い状況となったとかで、7名の不明者を残したまま1900名の捜索隊員が一斉に
撤退する事になったとか。再開は来春の雪解けを待ってからになるんでしょうが、3千
67m程の高地ですから随分と待たされるんでしょうね、本当にお気の毒な出来事でした。
今年の富士山の初冠雪は、例年になくしっかりと厚化粧をしていきなり寝雪になりそうですね。)

14年10月15日(水)
若しかして帯状疱疹かもしれぬ痛みは続く薬服(の)めども

(典型的な帯状疱疹の症状は出てないんで、腑に落ちないんですが、
しつっこく痛んで苦しめてくれます。痛み止めを今3種類目を
処方して貰って服んでますが、忘れるほど効き目が無いんで
すよねぇ、何とか効いてくれて今晩は爆睡したいものです)

14年10月14日(火)
気が遠くなるほど痰を詰まらせてヘルパーに託す深夜の喀痰

苦しくて早くと急かすも的を射ずタッピング、カフ、胸押ししてほっ


(寝る前の痰取りは、吸うときに出る種々雑多な雑音が出ないように、
徹底して吸引して貰って眠りにつくんですが、残ってたりすると
直ぐ始まってやり直しです。昨晩はどしたものか取れません、先ずは
タッピングをして駄目で、カフアシストで追い出すんですが、一向に
出てくれません、となれば胸押ししかありません。帯状疱疹?の痛みを
心配しつつ思い切って押して貰いましたところ、ガバガバと出てきて
呼吸が一気に楽になりましたが、この間血中酸素が80まで下がって
随分と苦しい思いをしました。昨晩はベテランで私の面倒を7年看て
くれてますので安心して早く早くと尻を叩き続けました。)
(カフアシスト・圧力をかけた空気を肺に吹き込んで一気に痰を排出するものです)

14年10月13日(
最強の台風19号(たいふう)くると脅さるにコンクリ造りに住みて慌てず

(今回も大騒ぎしてる割りには、交通機関が止まったり乱れたり程度に留まっているようです。
漁船が漁に出られない、電車を止めた、三連休なのに観光地はガラガラ、高速道路も
渋滞なしでスーイスイ、停電した!と息まいてた人の家へ入ったリポーターが
「暗いですね」ですって、夜です、平和ですね。今度も東京は午後から
気温が16℃迄下がりましたので、陸上を進んで東京へ着く頃に
は衰弱して、悪さをするような事は無いでしょうね。)

(と云う私は、コンクリート造のマンション住まいは勿論ですが、
ベッドに貼り付いて24時間暮らしてますので、所謂一般社会とは
乖離(かいり)した者ですので、お気の毒に、としか云えないのが現状です)

14年10月12日(
キリキリとちりちり痛みに泣いてます帯状疱疹、神経痛の

(一昨日の夜から始まったキリキリちりちりと皮膚の奥の痛みが、
間をおきながら襲ってきて虐めてくれます。神経痛は時々出ますが
移動してゆき何時の間にか消える、と云うパターンですが、今回のは違
うんですよねぇ、左脇の下から背中は肩甲骨までと前は鎖骨周りまで痛みま
すので、帯状疱疹後神経痛ではと思ったりしてますが、発疹等は全く出てません
ので?ですが、取り敢えず痛み止めを服んで我慢しています。痛みって辛いことです)

14年10月11日(
我慢とは己を己で殺すこと決して他人(ひと)には気づかれぬよう

(秋とは今日のような天気を云うんでしょうね。
ベッドから見える青空と庭にある植木類の色合いと
家の中を通り抜ける風が、秋だよ〜〜〜って外出が出来な
い私をからかってくれてるような?は捻くれ根性丸出しですね。)

14年1010日(金)
紺碧の空を見上げて思い出す五十年前の東京五輪を

白黒の十四インチのテレビ購い妻と二人でむさぼり観たり

世界から集いし若きら入り乱れ健闘讃えあいて散りゆく

閉幕しほっとしたのも束の間で長女が産声あげてバンザイ

誇らしき川口鋳物の聖火台奇しくもこの日撤去をさるる


1)1964年・昭和39年の10月10日に東京オリンピック開会式(国立競技場)
それを記念して10月10日を「体育の日」と定めましたが、何時の間にか
  第2月曜日と変更されました。三連休とは、ややこしい事をやってくれました。
  あの日は前日が本降りでしたが、翌10日は世界中の青空を持ってきたような晴。
  10日は晴れの特異日で、開会式に相応しいからと「体育の日」だったんですが。

2)
オリンピックを観ようと皆さんテレビを買いましたが、白黒で普及率は83%程。
  カラーもありましたが、非常に高価でお金持ち限定で普及率は1%だったとか。

3)
閉会式で参加94の国、地域の選手、関係者が入り乱れておおはしゃぎ、
  実にフレンドリーで好感の持てる閉会式だったと覚えています。

4)
閉会式が24日で生れたのが26日、と云うことは、幾つになったんでしょうね。
5)
埼玉県川口の鋳物工場で働いていた私にとって、あの聖火台は忘れる事は出来ま
  せん。国立競技場を立て替えるにあたって、今日撤去され、東北地方の被災地に
  貸し出された模様です。2020年用のも川口で造られるようですが6年先です)

14年10月9日(木)
日本国憲法九条もつ故にノーベル賞の噂に沸きぬ

若しかして平和賞など戴けば改憲たくらむ自公党
(じこう)よどうする

(日本の赤崎、天野、中村3氏がノーベル物理学賞を受賞!しました。
そして明日は平和賞の発表です。下馬評では我が「日本国憲法」の「九条」
が候補に上がってるとか、その平和賞は、去る1974年に、三代まで総理大臣
を勤めた佐藤栄作氏が「非核三原則の提唱」を理由に受賞してますが、国内から反対の
声が挙がったりして喧しい受賞だったようです。そして今年の候補は不戦を誓った
「日本国憲法九条」です。核を平和利用する、と武器を持って他国の助っ人
はしない、と謳ってますので「戦争放棄」は相通じるものがあります)


日本国憲法九条・条文
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

14年10月8日(水)
満月の輝よう間もなく欠けはじめベールの向こうに皆既月食

(カメラの不具合で、写真が巧く撮れなくって寂しい限りですが、
テレビ放送でじっくりと見せて貰いました。
当に宇宙ショーですが、その宇宙に浮いてる物が寸分違わずに
浮いてること事態が不思議なことですね)

14年10月7日(火)
みれん酒呑んでみたしと戯言を吐きしあれから七歳(ななとせ)あまり

(なんだか艶歌のような歌になりました。
お酒を諦めたのは、未だ食事をばりばり食べ
てた頃でしたが、気切してからは否応なしに禁止令
が出て今に到っています。不思議なもので今は全く欲しく
ありません。なのにこんな歌を詠んでしまいました。いじましくも)

14年10月6日(月)

台風18号(たいふう)が韋駄天走りで駆け抜けし練馬の街は秋天高し

(上陸した台風中のAクラスにランク付けされる程の台風だったと発表されました。
沖縄から影響が出始め、列島沿いに北上し静岡県の浜松市付近に上陸し、本州の
太平洋側を沿うように北東に進んで関東を4時間で駆け抜けて洋上に去りました。
が、列島の太平洋側の3分の2を襲ったにしては軽微な被害に終わってホッとしてます)

(尚、昨日の歌について4人さんから問い合わせがありましたので、私の考えを)
(台風は、27℃以上の海水温を糧にして成長し、上陸すると衰えます)
(よって、寒い所は苦手です。偏西風に乗って移動します。)


強大な台風18号(たいふう)くるとおどされて布団に包(くる)まり舌出し嗤う

布団に包(くる)まり昨日は夕方から急に寒くなったので布団に包まり、と)
舌出し嗤うほんまでっか?気象庁さん!)
練馬は殆ど通過しただけで終わったような

14年10月5日(
強大な台風18号(たいふう)くるとおどされて布団に包(くる)まり舌出し嗤う

(中心気圧が940ヘクトパスカルで、瞬間最大風速が60mもの
威力を保持したまま日本列島に沿うように北上し、上陸の心配も
と注意を促してますが、私の住む東京・練馬へはまともに来る事
は勿論、被害を出すほどの騒ぎは起こさないでしょうと思います。
その答えは、夜になって外気温が10℃台に下がった事と、偏西
風が南へ下がった為。尚今降ってる雨は秋雨前線によるものです)

14年10月4日(
口利かぬままのひと日が更けゆきて寝支度しますとヘルパー君は

(今日は土曜日で、来訪者はヘルパーさん以外ゼロ、
そのヘルパーさんは、男女計4人で何方もベテランさんでした。
お陰で静かな一日を過ごしましたが、一日中口を利かないのも辛いことです)

14年10月3日(金)
ふと目覚め静まり返る暗闇に吐息の聞こゆ呼吸器のそれ

(呼吸器の稼働音は殆ど聞こえない程お利口さんですが、
呼吸の吐く時の音は、痰の絡みさえ無ければスースーと昨晩
のように静かですが、痰が絡んだりするとグーグーガーガーと賑や
かですし、息を吸う時に力が要りますので夜も昼間も即痰の吸引です。)

14年10月2日(木)
憂鬱なヘルパー探しの始まりと落ち込む間もなく三人(みたり)の応募

(どうしたものか辞める話は突然のようにきます。
そして直ぐ見付かったとしても、資格の要る「痰吸引」
がありますので独り立ちまでに数ヶ月かかることもあります。
中途離脱さへなければいいんですが、頑張って欲しいものであります)

14年10月1日(水)
暇乞(いとまご)いなさりしヘルパー癌を病む良人(おっと)を介護(み)ますと吾から離れし

(癌を患ってらっしゃるご自身の旦那さんは、
昼間は一人で自宅療養をなさってたようですが、
ここえきて昼間も奥さんの手が必要になったとかで、
仕事でやってた私の介護から離れる!とのことでした。
木と金の2コマ8時間でしたが、これを新人さんにマスター
して貰い、独りで出来るようになるまでが、双方共に大大変です)

14年9月30日(火)
いらいらといらいらいらといらいらと、去痰、北鮮、御嶽山に

・痰と云っても無色透明で軟らかいものですが、こまめに除去しないと
・呼吸するたびにガーガーザーザーと雑音がして何とも落ち着きません。

*例によって逃げの一手、今日は両国の代表が会って話し合った結果が、
*平壌へ聞きに来い!ですからねぇ、ご家族は本当にお気の毒ですね。

@ 御嶽山は悲惨です。ガスの噴出で頂上付近は近寄れないために、ご
@ 遺体は毛布に包んで置きっ放し、ご遺族は眠れぬ夜を、でしょうね

14年9月29日(月)
詠進をめげずに今年も婿殿の麗筆に成る短歌(うた)「歌会始」へ

(宮内庁で毎年正月半ばに行われる、国民参加形の「歌会始」です。
入選は夢のまた夢でしょうが、その夢よ叶えと婿殿にお願いして
毛筆で半紙に代筆して貰い今日発送しました。明日の消印が締め
切りですので間違いなく参加しましたが、毎年2万数千もの応募
がありますので・・・・。毛筆による文字だけはピカイチですか)

14年9月28日(
飲み食いをせずに暮らせど口と目は寂しさ託(かこ)つ稔りの秋に

(このような生活を始めてもう4年と7ヶ月になりますが、飲み食いは
忘れられるようなものではなく、意地汚い話ですが時々思い出し
ては寂しい思いに駆られます。そのきっかけはテレビで見せ
られる料理や食事風景等々で、食欲と云っても「目」が
欲しがってるだけで、無理してまで食べようとは
思いません。と強がってますが寂しいものです)

14年9月27日(
噴火なす御嶽山よお主もか災害列島ここに極まる

(今年は、自然災害の多い年で全国各地で、
大雪、豪雨、洪水、山崩れ、土石流、竜巻、等々に
今日は長野の御嶽山(3,067m)が大噴火をして、紅葉目的の
登山者が多数噴煙に巻き込まれたり埋もれたりしてるようです。詳細は
不明ですが、噴煙が治まるまで捜索に入れないでしょうから、関係者は心配でしょう)

14年9月26日(金)
この俺と女房をフォローす担当者会議に集ひし頼もしき顔


(福祉課の方を筆頭に、ケアマネさん、訪問看護ステーションの所長さん、
各介護事業所の責任者さんが、我が家へ集まって今後の介護対策を話し
合った上に、女房の入院、手術に対応出来る対策を考えて下さいました。
しかし、突然の発作は如何ともしがたく勘弁して下さいと祈るようです)

14年9月25日(木)
病み臥(こや)る暮らしがこうも重いとは寝ても起きてもALSと

(疲れました。間違っても治らない病を、背負って生きるって大変です。
加えこの度の女房の発病には参りました。もう俺はいいから病に
障らぬ程度に肩の力をぬいて、俺の事も忘れてのんびりと過
ごして欲しい。と云って私から解放してあげたいんです
が、現在の介護環境はそれを許してくれません嗚呼)

14年9月24日(水)
三時間あれやこれやとテストなし方針きまらぬままにお開き

代替器あたえられての大掃除かと思いきや買い替えもよろしと


(昨日に続いてのパソコンの大掃除騒ぎです。
色色な不都合なことが起きて仕事?が捗りません。
特にウイルス防除ソフトを最新版に入れ替えてから酷く
なって、オペレートナビをメロメロにしてくれましたので誤植
が多く打ち直しの連続、ほとほと疲れました。一度内容をハードデス
クに移してから一つ一つを順序よく戻してゴミは捨ててしまうんだそうてす
が、もう6,7年も使ってるので何時壊れても可笑しくないそうで困っったものです)

14年9月23日(
パソコンを修理にだすゆえバックアップを録って待ちますIT(アイティー)さんを

(いよいよ大掃除をしないと駄目ということで、入院をすることになりそうです。
今晩、ICT救助隊のチャバさんが来て説明してくれると思いますが、
1週間もの入院にでもなろうものなら、代替器を用意して貰
わないと、私が呆けてしまいそうで心配です。)

14年9月22日(
ふと想ふあの世へゆかれし義父(おやじ)さんは義母(おふくろ)さんに逢えただろうか

(今日は、先日亡くなられた女房の父君の四十九日法要が行われました。
亡くなられたのが8月8日、その日から七日ごとに閻魔大王による裁きが行なわれ、
極楽浄土に行けるかどうかの判定が下されるのが四十九日目で、忌明けとなるんだそうです。
この間遺族は、七日ごとの裁きの日に合わせて故人が成仏できるように祈るんだそうですが、
我が義父さんは、優しいお人でしたからあの世の裁きなんかフリーパスの筈ですよ。
今頃は極楽浄土で待ってる筈の義母さんに逢えて土産話に夢中でしょう)

14年9月21日(
一つ蚊の翅音を耳に身動ぎのできぬがままに目で追ふばかり

(我が家は5階建ての4階に在りまして、南側に3階の屋根をテラスとして
使用してますが、プラの池や大きな植木鉢を置いたりしてちょっと
した庭の体を成してるせいで、憎っくき「蚊が住み着いてて
開け放った窓から入ってきて不動の私から吸血します。
勿論!イエカと呼ばれる類の蚊で、今大騒ぎを
してるデング熱を媒介するなんとかシマカはおりません)

14年9月20日(
大相撲男女のゴルフにプロ野球アジア大会全部は無理じゃ

(今日のスポーツ中継放送は賑やかでした。明日も今日と同じ。
大好きな大相撲は中入り後の4時から観る、となると男女のゴルフは駄目で。
デーゲームのプロ野球も駄目で、アジア大会などもっての外。
結局は大相撲を結びまで観て、その後はニュースと活動写真で夜も更けました)

14年9月19日(金)
二時間も弄くり回されそのあげくスタッフかわると訪問入浴

(2時間ですよ、こんにちわ!からさようなら!までに掛った時間です。
その間弄くり回されてほとほと疲れて息が苦しくなったところで
お引き取り願いましたが、看護婦とヘルパーの女性二人は
2回目で無茶苦茶!パジャマ一枚をまともに着せら
れない始末。男性はベテランでバッチリでし
たが今日限りで転勤だとか、散散です)

14年9月18日(木)
八時から支度にかかり十二時に出発しました定期診察(ていしん)受けに

呼吸器に頼りつ家を出ることの大変さを知る五人に見送られ

沢山の御仁の手を借り整えし車椅子奴に虐めらるとは

定期診察
(ていしん)と胃ろう交換の予約とりほっと安堵し四時に帰宅す

気楽には出掛けられないことを知り落胆するもこの身体
(からだ)では

(呼吸器をベッド脇に置いて使ってる時は、痰さへ詰まらなければ快適ですが、
車椅子に乗せて車に揺られるとリズムが狂って、意識して息を吸はなければ
苦しくて必死で耐えての往復でした。そして車椅子、何度も何度も手を入れ
て身体にぴったりの筈でしたが、幅が窮屈な上に肘置きの幅が狭く腕が外へ
流れて落ちてしまいます。二番目に辛かったのは尾てい骨が痛くなったこと。
私が若し健常だったら!よしましょう、今の私にはベッドが一番似合います)

14年9月17日(水)
情けなき姿をテレビに晒しつも苦労す病友(とも)の役にたてばと

(またまた引っ張り出されてしまいました。
果たして何人の患者、関係者が観てくれましたでしょうか。
ALSのメーリングリストへ放映の情報を流しましたが、全く無反応でした。
私が気切をして、スピーチバルブで話ができ、するようになって4年半になりますが、
流石にALSは進行性の、それも悪化の方へ進行してくれてますので、当初
のほぼ健常時と同じ声が出て話ができた頃と比べたら現在は
酷いものですが、未だ頼りにしています)

14年9月16日(火)
保健士の訪問受けて三時間、われら夫婦に安堵をくれし

深刻に考えすぎて落ち込んだいったいあれは何だったのか


(生身の人間ですから絶対なんてことはあり得ませんが、
どうやら歳相当のもので、手術まで考える必要はないだろうと。
となれば、あとはヘルパーさんと介護時間の給付ですが、女房が担当
してる120時間を埋める事に奔走して戴いてるところです。どうなりますか)

14年9月15日(

老人を敬ひ長寿を祝ふとうけふも一日ベッドに汗を

ALS
(やまひ)さへ背負ひていなけりゃ老人だなどと呼ばせぬ若き気力が

(敬老の日なんて祝う側の眼でしか見てなかったんですが、
私自身が高齢者どころか後期高齢者になったALS患者だけに
お祝いも何もありません。気力だけは挫けないでと戒めてるんですが)

14年9月14日(
三連休(れんきゅう)を知ってのことか列島の何処にも降らぬ集中豪雨

あれほどに傷めつけらる列島も秋晴れ高し三連休は


(この秋は、ほぼ全国的に集中豪雨の被害を被って、地球温暖化の
なせる悪戯のようですが、北海道のあちこちに被害をもたらした
のには本当に驚きました。この晴天で復興の作業も捗ろうと云う
ものでしょうが、三連休でボランティアさんも大勢集まって被災
地の方々を励まして下さってることでしょうね。実にタイミング
のいい秋晴れとなりました。観光地は賑わってることでしょう。)

14年9月13日(
何事もなく過ごしたき三連休,夫婦揃ひて病背負(しょ)ふ身は

(今日から3連休!、と朝から何度聞かされたことか。今年は珍しく
敬老の日が本来の15日に納まってますので、関係各位は何
かと好都合だったことでしょう。が、病人にとっては
若しものことが、と考えると落ち着きません。)

14年9月12日(金)
気切口の手当てをしつつ看護婦はカニューレ引っ張るおいたをなさる

勢いでやってしまいしことなれどカフが暴れておいらを泣かす


(わざとやったんではなく、処置中の事故ですが注意緩慢と
言われても仕方がないでしょう。ヒヤリ・ハットの
域をとっくに越えています。風呂からあがっ
て痰が溜まってたので、大騒ぎでした
カフ=カニューレを器官内に固定し、誤嚥したものを肺へ入らないよう風船で留めるものです)

14年9月11日(木)
東北地方(とうほく)の被災者方は口々に<前へ進む>と吾のALS(やまひ)のごと

(今日は東日本大震災から3年半の月命日です。
インタビューによると、皆さん口を揃えるように
<前へ進む>と覚悟の程を披歴されます。確かにあの
ままでは哀し過ぎます。大いに頑張って前へ進んで下さい)
(一方私のALSは、ゆっくりではありますが確実に進んでいます)

14年9月10日(水)
あの雲の向こうにあるは十六夜のスーパームーンと呼ばるる月ぞ



(十六夜は昨日でしたが、昨晩は生憎の雨で顔を拝まずじまい。
今日は夕方から一天俄かに掻き曇り遠雷と共に激しい雨が降りました。
当然!お月さまは雲の上、折角のスーパームーンも気の毒です。
この歌は昨晩詠んだ歌ですが、パソコンの歌と前後しました。)
(尚この月は、元気だった頃にフィルムで撮った写真を加工しました)

14年9月9日(火)
狂ひしかパソコンまともに動かなくなりてこれだけ書くに大汗
 
明晩は往診しますと頼りがいあるチャバさんの嬉しい電話

オペレートナビを入れてパソコンを使えるようにしてくれた方で、
ALS患者は私を含め皆さん頼りにしています。
特にコミニュケーション関係者は)

14年9月8日(月)
なまじっか知らねば良かった爆弾が頭の中にと女房の落胆

無茶苦茶に働きすぎて細心の介護に疲れ爆弾抱かふ

この辺でバトンタッチをしたくとも俺らはベッドに拘束さるる


(女房も私もあれ以来一時たりとも頭を放れません。
蕎麦屋を30年、二人でガムシャラに働いたご褒美が
これですからねぇ。被介護暮らしも15年、ベッドに拘束
されてる私に拘束されること15年、先が見えない事にも疲れ
が溜まってるんで、何とか爆弾を爆発させないよう祈るばかりです)

14年9月7日(
開け放つ窓より入りくるわっしょいは氏神様の神輿ねる声



(氏神様(氷川神社)の秋季恒例祭でした。昨日は子供神輿を町内中を曳きまわして
ました。今日は本宮でいなせな男女衆が何時になく大勢て街中を練り歩いたようです)

14年9月6日(
呼吸器のリズムの乱れ苦しくて止めて一時(いっとき)復活なさる?

(呼吸器は機械ですし、コンピューターでコントロールしてると思いますが、
呼吸の間隔がスーハスーハと短くなって、自分の呼吸が合わせられなくな
りギブアップ、外して電源を切って、30分休ませても駄目でもう30分
休ませて着けてみたら、ばっちり合ってOK、業者に相談してみます。)

14年9月5日(金)
(じじ)(ばば)は息子と男孫(まご)にメロメロで遺産を減らす詐欺師に贈り

(息子や孫を名乗る詐欺師に、騙し取られる金額が鰻登りだそうです。
何時もニュースで事件を知って呆れています。当然!騙す奴らが悪いに
決まってますが、騙される方も方ですよねぇ。これ程大騒ぎしてるんですか
ら疑ってかかれないもんでしょうかねぇ、ましてや態々出掛けて行って手渡して
までとなると腹立たしい事この上なしです。相場かなんかで得た泡く銭ならまだしも
老々後用に後生大事と貯めてた金を、詐欺師にハイどうぞ!と手渡してしまったんですか
ら、悔しい思いをなさってることでしょう。固定電話に出る時は充分気をつけて欲しいものです)

14年9月4日(木)
日々かはる天気気温に惑わさる鈴虫鳴かぬ蒸し暑き宵に

(不順な夏?に不順な秋?人間様を筆頭に動物だって戸惑ってることでしょう。
尤、7月30日に初鳴きを聴いて1ヶ月強、エアコンが作る人工の秋
に「春」を謳歌してたんでしょうが、このところ殆どエアコン
を使いませんので、鳴きたくても鳴けないんでしょうね)

14年9月3日(水)
カニューレを交換なして発声を促さるるに息さへすへぬ

動かして据え置きなおし再試行、交換なすたび悪化の途ゆく


(スピーチカニューレを使い始めて4年半、こんなに早く話しが
し難くなろうとは医師からも聞いてません。この間サイズを二度細く
したんですが、1年ほどで苦しさが増し、自発呼吸も退化傾向ではあります
が呼吸器を外してても2時間ぐらいは平気で居られるんで、訳が判りません)

14年9月2日(火)
臥せるゆえプランどうりの一日に短歌(うた)の一首も詠へぬけふは

(こんな日もありますが、
色々あってどれにしようかと困ることも結構あるんですよ)

14年9月1日(月)
ゆく夏は釣瓶落としのごと消えて寒いが口吐く秋となるらん

(25日の9日ぶりの雨を境に、真夏日どころか夏日を下回ったり、
夜間には20度を割ってしっかり布団を掛けて寝ています。
9月早々に本格的な秋の到来とは気の早い話ですね)

14年8月31日(
四チャンの百キロマラソン観るにつけ百割る二十四は四キロ余り

明かさないスタート地点から武道館へ歩み休みつ時には走り


(4チャンの「チャリティー24時間テレビ」が終わりました。
私も番組の目玉である「101キロマラソン」に疑問を持ってる一人です。
何処からスタートしてどこそこを通って武道館に頃を見計らってゴールです。
人間の歩行速度は1時間に5kmだそうですから、20時間を歩き詰めで100kmです。
今日のランナー?城島君のようにあんなに休んでばかりじゃあとても101kmは無理でしょう。
昨晩は何処かで眠ったでしょうしね。走りに関してはずぶの素人さんが、マラソン二本
プラス15kmをまともに走れる筈がありません。スタート地点さえ公開されれば
例え中途でダウンされたとしても視聴者は納得すると思います。少なくとも私は)

14年8月30日(
頭から捲し立てられ反論のできぬ己のみじめなことよ

(たとえそれが自分勝手な言い分であろうとも
口のきけない相手では何でも云えるんですね、呆れました。
こちらは、良かれと思ってやってるんですが。
それにしても、言葉が話せない人間やってるのは大変です。
今更云うのもなんですが、話大好き人間です)

14年8月29日(金)
アメリカに生(あ)れし “アイス・バケツ・チャレンジ”でALSへの献金の山

新薬をいやいや違う正体を突き止むための資金にされたし


(アイス・バケツ・チャレンジ アメリカで始まった、ALS=筋萎縮性側索硬化症
への献金ですが、当初は氷水をバケツ一杯頭からかぶるか、100ドルを
寄付するかの二者択一だったようですが、驚く程の金額が集まった
ところをみると、かぶって寄付をしたんでしょう。方や我が
日本では約1年分が、日本ALS協会へ寄付されたよ
うですが有り難いことです。ips細胞以来全くと
云っていい程新薬の情報が出てきません。
ALSの正体さえ未だにですから)

14年8月28日(木)
寝ては夢起きては空想パソコンに向かふに描けぬ明るきあした

(いけません!、考えるのはよそうと思へば思うほど
考えこんじゃうんですよねぇ。
それも悪い事が起きる!方へと傾注してゆきます。)

14年8月27日(水)
女房の得病想うに十五年、介護ストレスに曝(さら)され侵(おか)され

(みんな私のせいです。夫婦だから当たり前かもしれませが、献身的に
面倒を看てくれて、事故一つなく過ごせたことに感謝してますが
心配してたことが起こってしまいました。体力的にもそうで
すが精神的にも辛い思いをすることがストレスとなって
彼女を蝕ばんだものと思います。あと半年びくびくです)

14年8月26日(火)
生きてれば種々(いろいろ)あるさと流せない事のみ多き被介護暮らしは

(こんなのがストレスと云うんでしょうか、
なにしろ色々あり過ぎて、疲れました。何時迄
こんな生活が続くのか?と思うと正直!精神的に挫折
しそうですが、一所懸命に頑張ってくれている女房を筆頭に
沢山の介護関係者の皆さんに、申し訳けがたちません、頑張ります)

14年8月25日(月)
半年の執行猶予の指示書手に妻は帰りくバスに酔ひしと

猶予とは猶予でありて手術をば逃るるものではなしと冷たき


(何れにしろ手術しか治す?方法はないんですから、覚悟をして病院へ
行きましたが、今直ぐどうこうしないでどう変化するのかを、
半年先にもう一度診て手術日を決めましょうとのこと。
それまでに救急車の世話になるような事が起き
ないことを祈りつつ待つことにします。)

14年8月24日(
処暑すぎてほっとする間もなきままに汗に塗れて今日もひと日を

(昨日が処暑でした。暑さが終わる頃、とのことですが、
気温は下がりましたが無風で湿気が多く、粘り付くような
暑さに背中とお尻が泣きっぱなしでした。峠を越した事は間違い
ないと思いますが、朝晩に涼風が吹いて夜中の気温が25度を割る日
が待ち遠しい限りです。マンションって冬が暖かい分夏は暑いんですよね。)

14年8月23日(
吉または否とでるのか後二日妻への診断待つ身の辛き

(この一週間は長〜く感じてます。
診断によっては私から離脱の可能性ありです。
そうなった時のことを考えると・・・・・・・・です。)

14年8月22日(金)
広島の惨状見るに言葉なく何故どうしてと訊くに虚しき

(20日未明に起きた「広島同時多発土砂災害」の現場を、
ヘリコプターで俯瞰した写真を見ましたが、何故?どうして?
です。聞くところによると警戒とか危険地区に指定することに反対
する人々が多くて実現しないとか。高い処に建ってる家は押し並べて新し
く建てて移り住んだ方々のものと思われます。行方不明者の捜索も難航してます)

14年8月21日(木)
失ひし声を道具で再生し今に到るをテレビカメラ(かめら)に追はるる

どのように紹介さるるや四、五分のハートネットの待ち遠しくて


(気切をしてるのにスピーチカニューレを利用して話が出来る。
事実をテレビカメラを通して患者の皆さんに知って欲しい!。
との企画を持ってNHKの下請け会社の三人さんが、録画や
音録りをして帰られました。果たしてどのようなものになりますか。
(その放送は=NHKEテレ「ハートネット」9月17日20:00)
(・再放送・9月24日・13:00・)

14年8月20日(水)
大規模な土砂災害に襲われて高校野球裏へ押しやる

(深夜の広島で猛烈な雨が極短時間に降っ
たとかで、山崩れが起こり麓の住宅密集地
を襲いました。麓といっても、こんもりとした
小山の傾斜地まで開発されいかにも危なそう、家な
んて役所の建築許可が下りてこそ、建てたんてしょうが
このような状況を役所は想定してなかったんでしょうか?。)

手と足の痒みに負けて往診を受けてたまげしマイザー塗りな

(マイザーは強い薬で、ポイントへ少し塗るようにして常用する薬ではない。
と聞かされてましたので、そのように使ってましたが、大丈夫よ!服むのと
違って皮膚から内部へ吸収しないんです。だけどなあ?看護婦さんは綿棒で
ちょっぴりだし、指で塗った時は終わると同時に洗面所へ走られます。
それにしても痒みを治めるのにマイザーの連用とはいいんでしょうかねぇ。
患者があれこれ云うと怒られそうな先生なので、言わなかったんですが
私は血行障害が原因ではないかと考えてるんですが。)


14年8月19日(火)
暮れなずむ頃と知らねど鈴虫の集き始むを病床に聞く

(人に飼育されて世継ぎをし、この世を謳歌してる鈴虫たちですが、
しっかりした体内時計?か体内温度計?を持ってるんでしょうね。
日が暮れる頃になると鈴虫の大合唱が始まります。女房が疲れた
身体に鞭打って育ててくれたお陰の鈴虫ですから楽しんでいます)

14年8月18日(月)
手と足の痒みに耐えかね処方受け服みし薬に眠りに落ちぬ

(色々な薬を服んでる上に、この度手足が痛痒くなってそれこそ
色々やってみましたが、一向に治まらないのでお医者に診てもらった
ところ服み薬を処方してくれましたが、今度は我慢出来ない程の眠気に襲わ
れ、起こされ時計を見たら2時間も経ってて慌てましたが手のうちようがありません)

14年8月17日(
あの人が呆(ぼ)けたの知らせに思い馳す朗朗たりし歌声の主

(音楽大学で講師をしてた先生が、定年後に音楽教室を奥さんと
二人で開かれ、生徒さんを集めて賑やかに発表会なども開いて
ましたが゛残念ながら認知症を発症してまともなレッスンが出
来なくなった由、詳細は判りませんが心配です。)

14年8月16日(
盆さんの明けるに不思議列島に梅雨前線どっかと座り

真坂とは思うが秋雨前線がでばってくるとは呆れています


(今日の天気予報で予報士が梅雨前線が云々と放送しました。
明けた筈の梅雨が復活したようですが、どう見ても梅雨戦線と
秋雨前線と云うには時期がずれ過ぎています。日本海側はゲリラ
豪雨があちこちに被害をもたらしてお気の毒です。いずれにしても
異常気象ですね。真夏!特にお盆を挟んだ10日間は太平洋高気圧が
どっしりと列島上に居座って、安定した夏空を提供してくれる筈ですが)

14年8月15日(金)
敗戦に打ちひしがれし国民はその数減らし昔話に

敗戦後六十九年にむさぼりしものは「平和」と云ふ名の生活
(たつき)

(一億本土決戦 1億総玉砕を旗印に、女子供に竹槍を持たせた狂気の
戦争が原爆二発で終わってから69年です。310万人もの犠牲者を
出して、内民間人は80万人、軍人軍属の戦没数は230万人でした。
本当にお気の毒な戦争でしたが、世界に冠たる平和な自由主義国を
造りあげ、平和で安全な生活を謳歌してるんですから幸せですね。
(太平洋戦争で犠牲になられた皆々様のご冥福をお祈りします合掌)

14年8月14日(木)
またまたもNHKの取材受くスピーチカニューレに纏わるはなし

もう少し早くであればと臍
(ほぞ)を噛むALSは悪化するのみ

(言葉を出せなくなった人との、色々あるコミュニケーション手段を
紹介する番組を作るからと、取材に来られました。が2年くらい前
からおしゃべりすると息苦しくって二言三言しゃべるとスピーチバ
ルブを外して一休み。ほぼ普通にしゃべれたあの頃が惜しまれます)

14年8月13日(水)
街中のがらんとしてて迎え盆、東京あとにす家族の群れが

(街中を走る車の数が減ってて走るのが楽だったはヘルパーさん。
それもそのはず今日は迎え盆、地方に実家がある皆さんが
ありとあらゆる交通手段を使って帰郷されました。
その逆もあると思いますが、観光客も押しかけてますからね。
17日まででしょうが、今年の夏は前線が貼り付いたりして
不安定です。例年ですと太平洋高気圧がどっかと列島上に座
り込んで安定した夏空となり絶好の富士登山日和になるんですが)

14年8月12日(火)
お別れをしとうなくとも引導を授けられたる義父君(ちちぎみ)葬送(おく)

冥土にはお若い義母上
(ははうえ)お待ちです、永久(とわ)の冥福お祈りします

(しめやかに滞りなく、義父君の葬儀が終わりました。
進捗状況を女房から聞くだけでしたが、ほっとすると共に少々疲れました。
ところで、葬儀には決まり文句のように、冥福を使いますがこれ「死後の幸福」
のことだと知りました。と云うことは死後にも幸福があるってことですね。
何をもって幸福とするかは人?それぞれでしょうし、難しい話ですね)

14年8月11日(月)
通夜なれば義父(ちち)のなきがら囲みつつ想ひ出話に冥福祈る

(いい親父さんでした。女房のことを本当に可愛がってくれてました。
義母を平成3年に突然亡くして23年、長男一家と同居しつつ「へら鮒」
釣りを楽しむ生活で真っ黒に日焼けするほどですから、大変丈夫な方で生涯で
これといった病気をされる事なく老境に入られました。90歳を前にバイクで事故
(相手責任)に遭って、息子にバイクを取り上げられてもめげずに、モーター付自転車
に買い換えて走り回ってたそうですから徹底したアウトドア派でした。
棺には釣り竿も入れたそうですが、あの世にもへら鮒が棲んでれ
ばいいんですが、情報がありません。お義母さんに逢えるかな?)

14年8月10日(
けふひと日葬送支度に忙しなくうからら集ひて涙に暮れるや

(今日は「納棺の日」親族が集まって「棺」に納めて明日の通夜を待ちます。)
(「うから」=親族)

14年8月9日(
旧盆を前に召されし義父君(ちちぎみ)の冥福祈るベッドに臥しまま

早世をなさりし義母上
(ははうえ)ゐますこしお待ち下されお葬送(おく)りします

(女房の父君が遂にお亡くなりになりました。合掌。80代一杯まで「へら鮒」釣りを
ライフワークとして日焼けで真っ黒になって楽しみながら、私のお師匠さんとして
頑張ってらしたある日、バイクでの事故を切っ掛けに釣り竿を物置へ仕舞い込ん
でしまわれ、その後は畑仕事に精を出してらしたようですが、気が付いた時に
は癌が深く静かに進行してて熱を下げるだけの治療を受けながらの50日で
した。母上が突然亡くなったのが平成3年3月3日、そして父君は8月8
日、これを見る限りご夫婦で口を揃えて「月命日」を忘れるな!でしょう)

14年8月8日(金)
お決まりの介護度調査にまたですかALSは前進あるのみ

何時の日か調査のたびに介護度が下がるALS
(やまひ)になればと祈る

(介護保険のお世話になってるが為に、数年?に一度のペースで
調査員さんがいらっして、私の状態をこと細かに訊いてゆかれ
ましたが、ALSは進行性の不治の難病です。と云うことは介護度
の頂点であるDを戴いてますので、これ以上もこれ以下も無いと云う
ことです。ちょっと考えると時間が勿体なく思いますが。今回もでし
たが、認知関係と排泄の状況を訊かれるのが一番堪えます。ALSと
云う病気を知って欲しく思いました。偉そうな事を云ってご免なさい)

14年8月7日(木)
立秋にしては酷暑に熱帯夜台風11号(たいふう)までが引っ掻きまはす

(今日は立秋、と云っても暦の中での話ですが、人工飼育の鈴虫は今が春よと
五月蝿いほど鳴いて虫生?を謳歌しています。なのに暑い!そこは夏
ですから暑いのは当たり前、ところが今夏は様子が違います。
矢継ぎ早に3っつの台風が各地に水害や土砂崩れ被害
をもたらしました。このお盆期間中は台風11号
が列島を縦断しそうな予報が出ています。
安定したカンカン照りの夏が待たれます)

14年8月6日(水)
一億人(いちおく)が玉砕覚悟で本土にて決戦なすと竹槍みがく

空爆に飛来す米機の高々とサーチライトに捕らわれずゆく

東京は十万人の死者を出し焼け野原となる三月十日

日本帝国
(にってい)は原爆二発に竹槍を捨てて降参平和を手にす

祈ります広島平和記念式に不戦の誓いと冥福祈る


(8月6日は先の大戦で、米軍が広島に原爆を投下した日です。
実戦で使われた世界最初の核兵器でした、その被害は9万〜16万
6千人が被爆から2〜4カ月以内に死亡したとされています。次いで9日
には長崎市の人口24万人のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼
または全半壊したとのこと、何故!広島ですぐ降参してればと思いますが、本土決戦
を旗印にして戦わせていた軍部がウンと言わなかったんでしょう。若し原爆投下がなかった
ら、本当に日本国土一つが戦場となって今の日本は無かったでしょうね。)

14年8月5日(火)
女房と二人でなんぼの闘病なれば、まさかと思ふに頭の痛む

(女房がいてくれて、私の在宅闘病生活を纏めてくれるお陰で今があります。
その女房がダウン寸前となってレフリーストップがかかり、ドクター
と相談中です。3人のお医者さん(私の訪問医、女房の掛り付け
医、大学病院で診てくれた医師)が口を揃えて「ストレス」
が発病の原因とのこと。そのストレスの元はと云えば
ALSとの闘病生活中の私に集約されるでしょう。
ストレスと言われれば、確かにです!。)

14年8月4日(月)
再検査指示され妻は帰りきて歳相応の症状ですと

いますぐにどうこうせずとも大丈夫しっかり検査しそれからですと


(矢張りでした。大学病院が開業医の検査数値をそのままに、
使って診断や治療を始める筈ありませんよね。
次回は18日、何時になったら治療が始まりますやらです )

14年8月3日(
庭に撒く水音(みなおと)耳に大汗をベッドにかいてALS(やまひ)を託(かこ)

(鉢植えの植物への水遣りは、陽盛りを避ける、が大原則で特に真夏の水撒きは
鉢も土も陽を浴びて根っこを湯がいて仕舞います。なので出来るだけ早起きを
して、となりますが、今朝は11時頃から大汗を掻きながら1時間がかりで撒
き終えたようですが、診断結果を待ってる身でどうしてこんな無茶をするんで
しょうか。私が元気だったらですが今は全てを女房に託してますので心配です)
(託つ= 心が満たされず、不平を言う。ぐちをこぼす。嘆く。他の事のせいや口実にする)

14年8月2日(
生きてれば種々(いろいろ)あるさと流せない女房の診断貰えるまでは

(どうにもいけません!。
うじうじとろくなことを・・・・・。
月曜日までの辛抱ですが、当の本人さんは至って元気です。
落ち込まないように虚勢を張ってなければいいんですが。)

14年8月1日(金)
 ギンギンの八月一日(いっぴ)は夏盛り覚悟めされい秋立つまでは

(暑いですね。が挨拶がわりですね、皆さま夏負けなさってませんか。
熱中症などが心配されてますが、無理なさらないてこの夏を
乗り切られますよう祈念申し上げます。どうぞお大事に)

14年7月31日(木)
 一難を引き摺る暮らしにまた一難女房が背負いそうな雲行き

(女房がとんでもないものを背負い込んだようです。
最終結論は来週以降になると思いますが、何れにしろ逃げら
れない以上、亭主と云う荷物を放り投げて身軽になる必要があります。)
(こんな歌をアップしてご免なさい、日記ですのでご容赦を)

14年7月30日(水)
 鈴虫の初鳴きを聴く夕暮れてそそと入りこし涼風にのり

(今年も鈴虫が鳴き始めました。去年の初鳴きは8月2日でしたので
3日早いだけ、何時も思うことですが不思議なほど正確です。
暫くは涼やかな鳴き音を楽しませてくれるものと思います)

14年7月29日(火)
 日本産の鰻が絶滅危惧種とは、もっともおいらにゃ関係ないが

夏盛り土用丑の日鰻の日、線香の一本も供えましょうぞ


(夏土用の丑の日です。今年の土用の入りは7月20日で明けは8月6日だそうです。
この間18日、子
寅卯辰巳午未申酉戌亥子、寅卯辰巳、ですから8月2日が
2度目の丑の日
となり、鰻屋さんは2度目の美味しい稼ぎが出来ると云うものです。)

(この習慣の始祖は、
平賀源内が夏に売れない鰻屋の相談に、これを貼っとけと「土用丑」
と書いた今で云うところのポスターを店先に掲げたところ、これは何?と訊く人が
現れたので
「土用丑の日に鰻を食べると精がついて暑さ負けしない」と話し
たのが口コミで広まったようですが、平賀源内は医学も修めたようで)

14年7月28日(月)
 北陸と南部北部の東北も一気に梅雨明けしたと予報士

(ほんとうに?と一言かけたいような変な梅雨明け宣言でした。
日本海上にあった梅雨前線が一気に太平洋上に移動しての
梅雨明けだったようですが、大陸育ちの乾いた高気圧を
列島の上に置いてっての爽やかな暑さだったようです。
が、あの前線が北上しないでくれ!と祈るようです)

14年7月27日(
 やもすると考え込んでしまう吾をほぐしてくれし大相撲千秋楽(せんしゅうらく)

白鵬が負ければなどと巴戦を観たいがために日馬富士
(はるま)を励ます

(充分に楽しんだ大相撲名古屋場所が、横綱白鵬の30回目の優勝で千秋楽となりました。
3横綱に2大関陣に大砂嵐、遠藤が頑張って面白い星とり合戦が繰り広げられました。
そして千秋楽の今日、大関琴奨菊、関脇豪栄道が3敗となり、結びの一番で日馬富士が
白鵬に勝てば、大関琴奨菊、関脇豪栄道が3敗で並んで20年ぶりの三つ巴の優勝決定
戦が観られるところでしたので、懸命に応援しましたが白鵬が慌てることなくじっくり
ととって13勝2敗で優勝しました。それにしても日本人力士の優勝は、平成18年東京
場所で、大関・栃東がして以来8年もないんですよねぇ。白鵬は休場が一度も無いとこ
みると余程!相撲取りに向いた身体なんでしょうね。頑張れ!ニッポン男子!!)

14年7月26日(
 女房の健康診断見て唖然、このあと詠めぬショックの余り

(疲れはジェスチャーじゃなかったことがこれで裏付けられました。)

14年7月25日(金)
 福祉課の訪問うけて、女房をお助けください疲れ果つまえに

ばあちゃんに週二の夜勤は堪えます、疲れた顔を笑顔に変えて


(重度介護の認定に来てくれた、福祉課の方に女房の状況を話して、
週2回の夜勤をヘルパーさんに依頼出来るよう給付のご配慮
をお願いしました。このままの状態では疲れきって倒れ
られたらそれこそ大変!そうなる前に手を打たなけ
ればとのことです。先日の眩暈ふらつきによる
MRI検査結果が明日には出ますが心配です)


14年7月24日(木)
 ピカピカリゴロゴロドンに滝のごと降る雨聴いて電源落とす

練馬区で雷
(らい)さま暴れ停電す三千五百世帯(さんぜんごひゃく)の仲間外れに

(この夏最大の夕立でした。前回の二の舞はご免と早々にパソコンの
電源を落として約1時間、お蔭さんで大相撲のいいとこをじっくり
と観戦出来ました。予報画面を見る限りは当に真上を通った筈です
のに、3500世帯の仲間に入らなくて助かりました。でも暑い!)

14年7月23日(水)
 蒸し暑く暑い暑いも「大暑」にて三十五度ごえうべなえるかな

(今日は「大暑」一年で一番暑い頃、
と言われてるそうですが当にそのとおりで、
都心では猛暑日寸前まで昇って、都民全員がげんなりでした)

 カニューレを交換せしあと咽に咽泣いて気がつくカフ圧不足に

(カニューレの定期交換を終えて先生がお帰りになった頃から
始まって、咽て痰取り、呼吸器のホースが
動いて咽て、カフ圧を上げて落着)


14年7月22日(火)
 たっぷりの雨をもたらし梅雨明けて、ベッドで夏眠(かみん)なして凌がん

(今日ほぼ平年並に、関東甲信地方の梅雨が明けたと発表されました。
早速!東京は真夏日です。クーラー回せば温度も湿度も下がるん
ですが、身体も冷えて布団の世話になる始末、そうかと云って
除湿とか28度設定だと、周りの人が大汗だらだらでは仕事
になりませんので、26度に除湿の設定をして布団を被っ
て「夏眠」をすることにしました。背中が泣いてます。)

14年7月21日(
 梅雨明けをあしたにひかえ朝顔は夏だ夏だと大音声(だいおんじょう)



(待ちに待った!と云っても東京の平年日は今日だそうですから、
1日遅れになると私は思います。気象庁の発表待ちですが、
我が家の朝顔君が大口開けて夏だ夏だと叫んでますので、
明日には関東地方も梅雨開け宣言がなされる筈です)

14年7月20日(
 午前二時腹の痛みに寝付かれず女房を起こし薬を服むに

治まらず電話で訪問医
(いし)の指示仰ぎ服みし薬で六時に寝付く

胃潰瘍と訪問医
(いし)の見立てにこの痛さ経験九度の痛みは異なもの

(夜の10時に400tの人工栄養を入れ終えた時は、腹がパンパンに膨らんで
苦しさだけでしたが、寝支度に入った11時頃から腹全体が、ずずず〜〜んと
文字に表し難い初体験の痛みが出てきて、若しや冷えか?とタオルをチンして
腹を温めたりしたんですけど、治るどころかだんだん酷くなって頭と顔から汗
が噴き出るはで我慢の域をはみ出したところで、女房を起こし薬を服みました。)

(が一向に治まらず、仕方なく再度女房を起こして訪問医の助けを乞うたのが
4時半頃、留守電でしたのでがっくりしてるところへ、遠出中の先生から
有り難い電話がきて、症状を聴いて直ぐ「置き薬」を服むようにとの
指示を戴いて直ぐに服みましたが、痛みを忘れて眠りに入れたの
が6時を少し回ってましたので、2時間しか眠ってません
それにしても、あの痛み?先生はストレスからくる
胃潰瘍かもと仰ってたようですが、胃潰瘍を
9回もしてる私としては、納得しかねます。
今朝8時に起こされた時から今迄全く
痛みませんし食べてます、不思議です)

14年7月19日(
 梅雨にして嵐の前のなんとやら夜勤ヘルパー辞めるが故に

(蒸し暑さだけでげんなりですのに、
6年余りも休まずに週5回の夜勤を二人
で請け負ってくれてた青年の一人が、今年一杯
で辞めるからと、一コマ抜け、二コマ抜けしてるんで
すが代わりのヘルパーさんが見付かりません。応募は男女共
何人も有ったようですが、仕事の様子を見ただけで連絡が付かなく
なるようです。今ヘルパーさんは引く手数多で仕事を選べる状態ですので
とは思いますが、女房が二回の夜勤が堪えるらしく、弱音を吐いてて心配です。)

14年7月18日(金)
今日もまたお風呂屋さんに小言いうベッドに戻りて一時間余に

三か月十五回目の入浴も浴後の始末に一時間とは


(脱がしたり着せたりが、どうしたものか、スムースにできなくて参っています。
今はパジャマだけでパンツも履いてませんので、そんなに時間がかかる筈無い
んですが、メンバー間の息が合ってないのか、未だにがたがた状態です。)

14年7月17日(木)
 ぐったりと疲れし心身は昨夕の心臓発作を引き摺るゆえか

(昨日の5時でした。リハマッサージを受けててマッサージ師が
両手のひらを、右側の背中へ上向きに入れて肩甲骨辺りに
指先が触れるか触れない程度の不思議なマッサージ中
でした、突然!心臓がどどどどどどどどどと!と
打った一瞬止まって眼の前が真っ暗になると
同時に、普通に打ちだしてふー!と一息
今回もその後は何事もなく今朝にな
ったんですが、今日は心身共に
酷く疲れてて気が付いたら
昼寝をしてたようです。
先生から心配無い
のお言葉と薬
を戴いてます)

【結滞】心臓の拍動につれて送り出される血液のリズムが乱れること。
【期外収縮】
不整脈の一。心臓の規則的な収縮に先立って異常刺激が生じて起こる収縮。

14年7月16日(水)
 門火をば焚けぬがゆえにお線香をたばね燻らす御霊送りに

(東京とその近隣の一部では、7月(新暦)がお盆さんです。
マンション暮らしでは、門火を焚く訳にはゆきませんのでお線香
を束ねてその代わりにしました。ご先祖様のご冥福をお祈りしたことは
勿論で、己の気持をも落ち着かせる効果を期待しましたが、相も変わらずです)

14年7月15日(火)
 その内に慣れるとおもうに右耳の聞こえぬ暮らしはいらつきにつつ

その内に水抜くオペを受けずんば、どうなるものかと悩む日つづく


(ALSが進行してゴックンが巧く出来なくなると、自然現象である鼻水を
巧く呑み込めなくなって、中耳へ入ってしまい満たすことで鼓膜の振動を
音として聴く神経まで届かなくなる!んだとか。手術で鼓膜に穴を開け水
を抜くのが手っ取り早いそうですが、術後暫く通院することになるが大変
でしょうと勧められずに、今服んでる薬を続けましょう。で帰ってきまし
たが、症状は相変わらずです。近隣の耳鼻科は順天堂と光が丘位ですし)

14年7月14日(月)
 立ちくらみふらつくからと訴える妻を急き立て病院ゆきを

ストレスに疲れのせいで血圧が下がりしせいぞお休みなさい

念のため
MRIを録りますと予約をもらひとぼとぼ帰りく

あと二人ヘルパーさんの手が欲しい頑張る妻が倒れる前に


(火曜日は16時から19時までと25時から8時までの夜勤です。
水曜日は13時から19時まで
木曜日は休日ですが、25時から8時までの夜勤です。
73のおばあちゃんには週2の夜勤は惨いことです。
妻には介護の他に管理一切を一任してる関係で、朝ご飯を昼に食べ
たり夕飯を夜中の12時頃にやっと食べたりとはちゃめちゃです。
私が話せませんので、代理を勤めたりと介護以外の仕事も大変です
我慢強い彼女が、弱音を吐きましたので余程疲れてるんでしょう)

14年7月13日(
 病む我が拘束(しばる)がゆえに病院に苦しむ父を看病(みられ)ぬ妻よ

(私の介護の中枢にいて頑張ってくれてる関係で、再入院した親父さん
のところへ、おいそれと行けないと云う已むを得ない事とは言え
結果的に親不孝をしています。ほんとうに申し訳ない限りで
すが、ヘルパー不足で如何ともし難く、女房にご免です)

14年7月12日(
 ぼけーとしてテレビ視るうち日が暮れて歌題のなくてこの歌一首

(この間やったことと云えば痰の吸引のみ
ぼけーとと歌いましたが、実は義父が再入院
をして急速に弱ってるとのことで女房が駆け付け
て未だ帰ってきません。その他は夜勤のヘルパーさん
の交代劇に悩んで頭の中はもやもや、序でに心も病んでます)

14年7月11日(金)
 猛暑日と抜けんばかりの青空をおいて消えたり台風八号

沖縄ゆ東北までに水害と風害のこしし台風八号
(たいふう)憎し

(とは言え、50年に一度の大雨だとか騒いでた台風8号が、
九州の南部を横断して列島の海岸線沿いに北上し、茨城辺りで
温帯低気圧になったようで、今朝は当に台風一過の夏?晴れとなり
ました。例によってあちらこちらに爪痕を遺したようですが、被害を受
けられた方々はほんとうにお気の毒です。コントロール出来ればと思いますが)

14年7月10日(木)
 大雨が局地的だが降る降るに局地でなきこと祈る練馬に

(7月4日(金)朝9時にマリアナ諸島で発生した台風8号が、
一週間がかりで紀伊半島付近まで進んできましたが、
台風と判別出来るような雲は既に無く、東北地方
まで覆うばらばらの雨雲があちらこちらで悪さ
をして住民を苦しめてるようです、その範囲
は北海道を除く全土に亘ってるようでテレ
ビニュースに賑やかです。明朝は関東を
襲うと発表してますが、衰えてきてま
す。お手柔らかにと願うばかりです)

14年7月9日(水)
 強大なる八号台風沖縄ゆ列島にらみそろりそろりと

(現在台風八号が沖縄近辺にあって北上してるようですが、
九州辺りから90度以上東方へ向きを替えるでしょう、との
予報が出ています。50年に一度の強大な台風の悪さは、50年
に一度の大雨を降らせたり、梅雨前線と協力して竜巻、強風、雷、雹
と好き放題に暴れ回る可能性を背負って列島沿いをこちらへ向かってます)
2014・07・09・19:00・記

14年7月8日(火)
 ぷるるる「地震警報」見聞(けんぶん)し中空睨むもぴくとも動かず

(久し振りに「地震警報」を警報音と共にテレビで見聞きし
思わず身構えて中空を睨んでましたが、一向に動く気配がしない
まま、北海道南部の太平洋側で
震度の地震が起きたと報じました。
極々狭隘な部分の揺れで被害らしい被害は出なかったようで、安堵してます)

14年7月7日(月)
 女房が呆(ぼ)けたと嘆く待合ひの時間間違へ一時(いっとき)待ったと

ねぇねぇね!私が呆けたらどうするに、今更なにを何時ものことさ


(毎週月曜日の1時に、或る人と或る処へ行って一週間分のストレスを
発散してくるんだそうで、いい事だと送り出すんですが、今日も
何時もどおりに出掛けたのに来ない或る人に痺れを切らして
時計を見たら1時間も前だったと。時間を間違えたのは
初めてですが、玄関のピーンポンを電話の子機に出
たり、その子機でテレビのチャンネルを替えよ
うとしたりは日常茶飯事で呆けなんかじゃ
なくて只のオッチョコチョイなんです
でも不思議なことに大事にはなりません)

14年7月6日(
 健常にゐればと思ふ老境の母と義父また義姉も病みゐて

(私自身が76歳でALSで臥せってる身です。
あちこちからSOSがきてるんですが、私が居る
ばっかりに女房に行って貰うことが出来ずに、親不孝
と不義理をしてしまっています。私が健常だったらと悔やまれます)

14年7月5日(
 ベッド(とこ)に臥す我れを挟んでおばちゃんはぺちゃくちゃぺちゃと作歌を邪魔す

(私のベッドの両サイドに立って、私には関係のない話に夢中でした。
テレビの音は聞こえないは、考えは纏まらないわでカーリカリ!
と言う訳で、こんな歌になってしまいました。)

14年7月4日(金)
 捨てたくも捨てる術なきストレスを我はただただ身裡に溜めこむ

(女房のようにカラオケへ行って、腹の底から思う存分に歌えたら
きっとスカッ!とするでしょうね。
でも、健常時のカラオケは楽しむためのもので、決してストレス
を解消するために歌ってた訳ではないので、定かではありません。
でも、でも、思いっきり!歌えたらなあ!)

14年7月3日(木)
 ストレスか疲れのどちらかカラオケへ捨ててきますと妻は出かけぬ

(8日の夜勤で昨日一日、疲れた!眠いを唱えてた女房が、今晩の夜勤を
忘れたんでしょうか?、ストレスを捨ててくるとカラオケへ出掛けて
ゆきました。願いどおりにストレスを捨てられればいいんですが、
代わりに疲れを背負って帰ってきちゃあ今晩の夜勤が心配です)

14年7月2日(水)
 泣きごとは云ひたくなけれどこの暑さベッドに臥せる背中の泣きぬ

(晴れて30℃をオーバーしたのは2週間ぶりでしたが、
湿度が高い上に無風ときては 暑〜い!が相場ですが私自身は
暑いどころか今日は夏掛けを掛けてましたが、背中は堪りません!大汗
掻いて泣いてます。室温26,7℃の部屋での就寝時も羽毛布団を掛けて寝てる
んですから体温のセンサーが故障したんでしょう。気切前はお腹にバスタオル一枚でした)

14年7月1日(火)
 安倍首相(このひと)に日本を預けていいものか集団的自衛権を読めずに悩む

(今日!閣議決定され、今後は関連法律の審議を、と報道してますが、
専門家と呼ばれる方々も賛否両論を各々が吐露されて、何が何だか
さっぱり解らないままに動き出しました。戦争だけはご免被りますが)

14年6月30日(月)
 梅雨や梅雨ヒステリックにカミナリをつれて暴れし水無月のゆく

(歌中の水無月は、当然陰暦6月の異称です。
その6月の4日までは真夏日でしたのに、関東
地方が梅雨に入った5日から、気温はガクンと下がり
雨が9日間も降り続きました。その雨たるやゲリラ豪雨状態
でカミナリの伴奏付き、およそ梅雨なんて情緒は皆無の梅雨ですが、
そろそろじめじめむしむしの本物の梅雨が続くようになるかも知れません)
(因みに、雨が15日、夏日は23日、カミナリ5日、でした)

14年6月29日(
 またまたのカミナリ様のひと暴れネット、メールを遮断しゆきぬ

(今年の梅雨は異常ですね。なんでこんなに関東平野を襲うんでしょうか。
ゲリラ豪雨にカミナリ様、パソコン歴14年ですが、カミナリ様に
遮断されたのって初めての事ですし、それも梅雨半ばにし
て2回もですから今後が心配です。今日のような遠雷
でも、プラグを抜く暇が無いほどの早業でした)

14年6月28日(
 何時、何時もそして何時までも何処までもALSめを引き摺りにつつ

(今日はこのような歌しか詠めないような、気の重〜〜〜い一日でした。)
(どうぞご容赦くださいますように)

14年6月27日(金)
 いま旬のさくらんぼなぞ口にして美味しいはよと女房の笑顔

(毎年旬になると二パックを贈ってくれる姉想いの義妹から、
今年も私宛(荷物の宛名)に山形産のさくらんぼが届きました。
大好物のさくらんぼのこと、抱え込んで食べてましたが、
私は眼でご相伴に与りました。たいへん美しゅうございましたよ)

14年6月26日(木)
 泣きごとは云ひたくなけれど喀痰を仕事とばかりにけふも一日

胸押して背中叩いてネプライザーおいらの痰引きカフアシストも


(言いたくないのは山々ですが、一日中痰の絡みと唾の垂れ込みに
難儀をしてるんですから、ついついこのような歌を詠んで
しまいました。三種の神器ならぬ四種の技巧を使い
分けて吸引をする始末ですが、正直疲れました)

14年6月25日(水)
 国民を背負ひ闘ひしザックジャパンその荷物(に)の重さに潰れとぼとぼ

明らかな体格違ひを見るにつけ今日の結果は読めたぞW杯


2014FIFAワールド杯ブラジル大会
の一次リーグで我がザックジャパンは2敗1ドロー
で4チームの最下位で2次リーグへ進出どころか敗退に
終わりました。下馬評ではかなりのところへ上るんじゃあない
かなどと言われてたんですが、がっかりの成績に終わってくれました。
私が感じてたことは、日本の選手を世界と比べるとひと回り小さい事でした)
(面白いのは、ザック監督の弁で、我々には「運」が無かった)

14年6月24日(火)
 イナヅマの奔り雷鳴とどろくと同時にパソコン画面は黒く

一瞬の停電うけて照明とテレビ消えるも瞬時にもどる

泣けまするほんの瞬時の停電に三時
(さんとき)書きし文章の消ゆ

(今年の梅雨は変です、しとしとと降るのが梅雨の本来の姿ですが、
朝立ち、昼立ち、夕立ち、晩立ちと時も所もお構いなしに降って皆さんを
困らせてどころか、被害さへもたらしました。今日は東京西部で
大粒のヒョウが車を埋める程降ったりと尋常ではありません。遠雷も時々
聞きましたが、今日は頭の上で大騒ぎをしてくれ、避雷針にでも
落ちたんでしょうね、ほんとうに一瞬の停電でテレビと照明は消えると同
時に点くと云う離れ業をやってくれましたが、パソコンは駄目て
3時間もかけて、ポツリポツリ打ってたメールが消えたのには参りました)

14年6月23日(月)
 うたた寝の夢中のおいらは早足であるくに呼ばる女房殿に

(薬のせい!と処方してくれてる先生が仰るんですから、眠くて当たり前
でしょうが、兎に角眠いんです。今日も大仕事を終えた3時頃から
パソコンを始めましたが、直ぐ睡魔に襲われ寝入ってしまった
ようで、女房に呼ばれたところで、夢だったんだ!あの歩きは?)
・・・嗚呼!已んぬる哉・・・
「今となっては、どうしようもない」「弓折れ矢尽きた」

14年6月22日(
 病院に延命治療をどうすると訊かるるほどの肺炎病むに

親族
(うから)らと克服されし友人は快気祝ひの宴に酔はれしか

(3月の始めに誤嚥性肺炎で急遽入院した友人が、
担当の医師からご家族へ「延命治療」を受けるか
どうかを今の内に決めておいて下さい、と言い渡され
大変なショックを受けられたようでしたが、ご本人の気力
と努力で見事克服され、目出度くも今日!快気祝いの宴を開か
れました。私の場合も、治療どころか生きるか死ぬかの二者択一を
迫られ・・・は脱線。兎にも角にもお目出度うございました。
どうぞご自愛くださいますように)

14年6月21日(
 呼吸器の鬱陶しさに耐えかねて外して泣きぬ痰の硬化に

(呼吸器を通して肺に入ってくる空気には、加湿器で蒸留水を沸騰させて
蒸気にし空気に添加して肺へ送り込むんですが、当然入ってくる空気
は熱さを感じ、時には飛沫が気管へ跳び込んで咽たりと惨々な目に
遭い、2時間外して自発で呼吸をしてたら、痰が固くなって吸引
に手間取る始末。女房が留守でカフアシストが使えなかったの
が泣きの元。これが死ぬまで続くのかと思うとうんざりです)

14年6月20日(金)
 この歳になって夜勤が堪えると七十三歳(ななじゅうさん)の妻はぼやきぬ

(女房は火曜と木曜の深夜1時から8時までの深夜勤を受け持ってくれてますが、
私に付きっきりではないんですが、ひと働きすると目が冴えて直ぐには眠れな
いんだそうで、眠い疲れたを連発してます。6年以上も夜勤を遣ってくれていた
青年が今年一杯で辞めますのでそれに間に会うように養成中ですが心配です。)

14年6月19日(木)
 難聴の鼓膜に穴開け水を抜く手術もあるが通院(かよ)へますかと

滲出性中耳炎との診断に現在
(いま)のむ薬をつづけなさいと

呼吸器を頼りに生きる人々の中に時々、いますに泣きぬ


(定期診察に大変な思いをして大学病院へ行って、右の耳が聞こえなくなった
と訴えましたところ、主治医が無理矢理耳鼻科へ捻じ込んでくれました、それも即刻です。
ところが、簡単に考えてたのが外れて。一首目の時々通院することになりますよ。で断念。
内服薬ムコダインを服んで下さい。に、それはずっと処方され服んでてこれです。
呼吸器を着けてて呑み込みが巧く出来ない人がこうなるんですよね。
等と言われて、とぼどぼと帰ってきました。
訪問医と相談してと考えています。)

14年6月18日(水)
 ぐだぐだと声に出さずにぼやきしに晴れるどころかますます募る

ぼやきとは声にしてこそ身裡より澱を追ひ出す力となりぬ


(独り言を云うことで身内に溜まった「澱」を追い出す
効果があるようですが、言葉を出せない私は、声を何時も
呑み込んで我慢をしてます。嬉しいことについても周りの人々に
伝えるのが難しくストレスとなって溜まってしまいます。なんとも情け
ない現状ですが、無理に外へ出さないで私の中に仕舞いこみ、角を取り丸くし
てから外へ出し捨てることにしましょう。今更ですが、言葉って有り難いものですね)

14年6月17日(火)
 あ〜あとふ溜め息吐きつつ女房は生まれし鈴虫の世話やきはじむ

(今年も、鈴虫がウジャウジャと生まれちゃった!と嘆いてはいますが、
早速!甲斐甲斐しく世話を焼き始めました。無事に育って涼やかな
鳴き音を聴かせてくれるのを、私はベッドで楽しみに待つのみです)
(去年は6月9日に生まれて、8月2日に初音を聴かせてくれました)

14年6月16日(月)
 喀痰のためにおいらは生きるのか、これも宿命、きょうも励みぬ

(前後不覚に寝てる時と違って、昼間起きてる時は「吸引」の連続。
それも胸押し、背中叩き、カフアシストを使っての吸引と大変な作業です。)
☆胸押しは、息を吸い終わると同時に両平手で押して貰い息圧で痰を上げる。
☆背中叩きは、横向きに寝て平手でバンバン叩いて貰い、痰を剥がす。
☆カフアシストは、圧縮した空気を決めた量だけ肺に送り込んで一気に吐き出す。
この時ボンッ!て音がしますので、ぼん と呼んでいます。

(それにしても何故にこうも無色透明の痰らしき物が出るんでしょうか?)

14年6月15日(
 お線香の紫煙を燻らせお二人の恩師の御霊(みたま)にとどけと祈る

(こんな病気(ALS)を背負ってては身動き一つ出来ないんですから、
悩んだ末に遠く離れた東京でお線香を燻らせご冥福を祈ることにしました。
きっとお許し戴けるものと想いますが・・・・・私の気休めでしかありません)

14年6月14日(
 音量を決めて聞きゐるテレビの音が聞き取りにくくなりて気がつく

宿命と知るも右耳聞こえなくなりて音量上げて視る破目


(人工呼吸器装着者は鼻からの呼吸が無いので中耳と鼻の奥とを繋いでいる耳管の機能が
低下するそうです。通常は中耳粘膜から染み出た滲出液は耳管を経由して鼻・喉の方に
排出されるようですが、それが困難な為に中耳腔に滲出液が溜まるんだそうです。これ
が「滲出性中耳炎」なんだそうです。当然!鼓膜の機能が低下して難聴になるんだとか。
早速!先生に相談して治療をと思いますが、そうと決まったら鼓膜に小さな穴を開けて
溜まった滲出液を吸い取った後に排出用のパイプを入れてОK!とか、色々あります。)

14年6月13日(金)
 高熱の下がらぬままに病院のベッドに臥しぬもの言わぬ義父(ちち)

数々の抗生剤との闘ひに疲れ果てたる義父
(ちち)に声なく

義父
(ちち)であるへら鮒釣りのお師匠(おっしょ)さんが釣りの夢でも見られたまうや

(女房の父君が、続く高熱に負けて大嫌いな病院へ行ったら即入院。
抗生剤をとっかえひっかえ使って様子を診てるようですが、
やっと昨日あたりから下がり始めたようで、義父が
眠りから覚めるのを待たれてるようです。
お歳がお歳だけに酷く心配です。)
(女房を私が拘束してますので、お世話に行けなくってご免なさい)

14年6月12日(木)
金色
(こんじき)に輝く木の子を傘にして入梅(つゆ)の宿雨(しゅくう)を楽しむもよし


コガネキヌカラカサタケ
(熱帯系のきのこで奄美,小笠原以南では普通に見られるそうです)

(珍しい梅雨ですね。梅雨に入ったと発表された5日から今日12日まで
ここ練馬では大なり小なり雨が降りました。加え湿度が高く皆さん音を
上げてらっしゃいます。そんな気候が好きなんでしょう、リビングに置
いた植木鉢にご覧の茸が生えました。キンキラキンで食べられませんが
観賞では、充分楽しませてくれます。 
宿雨=連日降りつづく雨のこと)

14年6月11日(水)
 カニューレの交換なして発(だ)す声の軽々(かろがろ)しくてその音(ね)も清(すが)

(不思議なことがおこりました。まるでスピーチバルブを着けてないと感じる程
軽〜るく声が出て嘘のようにクリーンでした。ほんとうに久し振りに先生と
話が出来ました。何時もは質問に答える程度でしたのでにやりとしました
が、先ほど着けてみましたら息は比較的続くんですが声は元通りでした)

14年6月10日(火)
 飽きるほど雨降りしきる梅雨にして傘が売れると傘屋の笑顔

(5日に梅雨入りして昨日までの5日間降りっ放し、
それも雷さまの伴奏つきですから大騒ぎです。こんなに
降る梅雨は余り覚えがありません。昔から梅雨の降雨量は秋雨
よりも少ないんだそうですが、今年はエルニーニョが発生するとかし
たとか言われてますので、心配です。明後日からはお陽様マークが並びました)

14年6月9日(月)
 昨日の訃報のショックを引き摺りて考えごとができずにポカーン
合掌
(なんでしょうね、この喪失感は・・・・・。)

 軽く鳴る電話の向こうで友人は、ありましたけど護美箱の中

(今朝になって軽く明るい音(そう聞こえました)の電話がなりました。
そんなに酔っ払ってなかったんですが、不思議です。
でもバンバンザイです。)


14年6月8日(合掌
 突然の訃報に涙が止まりません、米寿の年に天に召されし

ご冥福をお祈りします、とおるです「ながい先生」ありがとう様


(小学校4年生と5年の一学期を担任だった女子(おなご)先生がお嫁に
行かれたのを機に一時お付き合いが途切れてましたが、ひょんな事から
復活してつい数日前まで続いていましたのに、心不全て急逝されたとの
知らせが今日入りました。出雲と東京で遠く離れてましたが、帰郷した
折には必ず寄って近況報告やら四方山話に時を忘れたものでした。
大きなお屋敷にお独り住まいで心配してたんですが、長患い
なさらなかっただけでも、と己を慰めてますが、お墓参
りにも行けない不幸を心から詫びなければなりません)

合掌

 ミニミニの同窓会の二次会で財布無くしし友の憔悴

捜せども見付からぬままカード類をストップなしたと夜中の電話


(何時もの二人が来てくれて二日に亘った同窓会の様子を写真つきで
話してくれ懐かしく楽しいひと時を過ごして、ではとなって帰り
支度を始めたところで、財布が無い!。我が家を探し、立ち寄った
所へ行って届けを出して、自宅へ帰って直ぐカード類のストップ
手続きを済ませて休んだようですが大金が入ってたようで心配です)

14年6月7日(
 痰詰まり胸押し吸引胸押しを繰り返しつつ苦しさに耐ゆ

外に居る妻を電話で呼び戻しカフアシストで気道を開く

吹き込んで一気に噴き出し痰をあげ吸引なして人心地せし


(女房の外出中はヘルパーさんに身柄を預けてますんで、カフアシストも
と思うんですが、製造元がメイドインUSAで空気の量を決める
ためのダイアルがぐずぐずでその都度確認しなければ危険
ですので、女房を頼ってしまいます。勿論新品だと
云うんですが信じられません。そこで女房を
呼び戻して遣ってもらったらすっきり
人心地ついたところでこの歌です)

14年6月6日(金)
 金曜のひとコマ何故か埋まらずに女房を拘束(しばる)二年近くも

(金曜日の夕方6時半から10時までの3時間半を、働いてくれる
ヘルパーさんが見付かりません。あとの6日が空くことは殆ど無いん
ですが、実に不思議です。今日仕事を見に来てくれたヘルパーさんは頭か
ら入る気などなくって、今勤めてる所が6時までだから6時半には来られませ
ん、と断ってさっさと帰っていきました。ケアマネからの話をメモも取らずに動く
とは随分と呆れた話です。これでまた、女房の拘束時間はそのまま続きますが、昨晩は
泊まり晩でろくに眠ってない筈ですが、気丈に振るまい仕事に、お客対応にと頑張りました)

14年6月5日(木)
 梅雨入りを告ぐる気象予報士(よほうし)楚々として話す姿に眼(まなこ)あそばす

(関東地方は例年より3日早く梅雨入りしたと気象庁が発表しました。
今年は九州南部が2日に入ったと思ったらトントントントンと
たったの4日間で東北南部まで梅雨入りしたようです。
エルニーニョが発生してるようで不気味ですね。)

14年6月4日(水)
 ないかなあカンラカラカラ腹底ゆ笑えるなにかをおいらは欲しい

(ストレスを溜め込む材料は、それこそダンプで清掃工場の焼却炉へ
放り込むほど有るんですが、こと笑いの種となると拡大鏡で探して
も全くありません。カンラカンラと笑えたらどんなにか楽しい事か)

14年6月3日(火)
 礼状が付箋を貼られ帰りきぬ、同窓生は何処(いずく)に住まふ

(先日の同窓会で、参加24名全員が色紙に寄せ書きをして
届けてくれましたので、葉書にお礼の言葉を認めて送ったところ
今日になって2通が、宛名不明の為との付箋を着けて帰ってきました。
私が持ってた名簿は10年ほど前のものでしたので、この間に引っ越したり
しただろうか?ぐらいの配慮を何故しなかったかと、己の間抜けさを嗤っています)

14年6月2日(月)
 新入りのヘルパーさんが独り立ちする日待つ間の我慢に折れし

(ALS患者であるが故に、医療的ケアがありますし衛生面も
出来る限り清潔にとお願いしてるのに加え、口パクによる
意思疎通も難儀なことです。殆どのヘルパーさんが初体験で
戸惑い状態からのスタートです。同行と云って現在働いてる
ヘルパーさんに付いて、仕事を見ることから始まって段階を
踏んで独り立ちする段取りですが、そこへ行き着くまでが
大変で、私の方もイラついたりして心情的に疲れました。
でも!じっと我慢しつつ、独り立ちされる時を待つています。)

14年6月1日(
 真っ青に高く晴れたるけふなれば水無月いっ日(いっぴ)とよぶに相応し

(6月を旧暦で呼ぶと「水無月」ですが、田植えに多くの水を必要とする月の意味だとか
ではと、今年の今日を旧暦に当て嵌めてみると、5月4日で田植え季にぴったりです。
現実は、田植えに水を使うんで溜め池や川の水が減るか無くなる月ってことですね。
何れにしろもう6月です、季節外れの馬鹿陽気でへろへろですが水は足りてるようです)

14年5月31日(
 わざわざに尋ねこし人繋がらぬ電話の故障を知らせてくれし

(こっちからは勿論使わずにいた電話が、繋がらないので、と
女房の友人が態々尋ねてきてくれました。どれどれと掛けて
みたところ2,3回呼ぶと切れてしまいます。多分どこかが
抜けたか外れたんだろうと、リビングの家具の裏を這ってる
コードを調べた女房が、抜けてたよ!でジエンド!でしたが、
不思議なのは、女房のケータイも送受信が同時に駄目だった
こと、こんな事って信じられませんが真実なんですよねぇ?)

14年5月30日(金)
 人工呼吸器(こきゅうき)を使ふがゆえに話せないストレス抱え日ごと積み上ぐ

(呼吸器は喉に開けた穴に、カニューレと呼ぶ小道具を常時差し込んでおき、
それに内筒と呼ぶ備品を取り付けてから、空気を送り込む「蛇管」を
繋いで使いますので、いざ!一言と云う時にはこの逆をして
カニューレにスピーチバルブを嵌め込んで話をすると
云うことになりますが、一度抜き取った内筒は
洗ってアルコール消毒をしてからでない
と使えません。ああ面倒となって
言いたいことを胸に収めて
我慢の境地に浸ります
話せるのに話せない辛さ、口パクで言った事を誤解して
納得されたんじゃあ、カリカリの極みです、困りました)

14年5月29日(木)
 夏日とふ呼ばるる気温も暑くなく羽毛布団(ふとん)にくるまりベッドにひと日

(全国津々浦々で晴れて湿度の高い一日になりました。
処によっては真夏日を記録したようですが、東京は海風が
入るせいで比較的低めに推移しますが、皆さん暑い!暑いを連発
されてました。室内は27℃超だと云うのに暑いどころかパジャマ一枚
だと、肩や足先が冷えるんですから困ったものです。体温センサーの故障でしょうね)

14年5月28日(水)
 女房が疲れてるから無理強いをするなと医師より釘を刺さるる

倒れたら君はどうするゼロですよ仕事をセーブし大事にしなきゃ

とは言えどヘルパー不足に給付さえ不足とくれば頼るは女房

ヘルパーの交代劇が激しくてコーチは女房に託して今が

73歳
(とし)だから寝不足だから疲れるとぼやく女房の荷物になりし

(先日の女房の目眩の後と今日診てくれた私の往診の先生が、
女房に聞こえないようにアドバイスを下さいました。
有り難いんですが・・・今ちゃくちゃくと手を打ちつつあります)

14年5月27日(火)
 十年をALS(やまい)にかまけて呆けたか同窓生の顔と名忘れし

(10年前の同窓会に参加したのが最初で最後となりましたが、
あの時も浦島太郎的感覚で、話かけられても何方?を返す状
態でぎくしゃくしてました。それから10年で喜寿を迎えよ
うとしてるんですから、当たり前でしょうが、友人が贈って
くれた写真を睨んで、遠い遠い昔の紅顔の美少年、美少女の
面影を探すんですから無茶なことです。でもいい夢を見ました)

14年5月26日(月)
 一仕事終えて疲れがどっとでて眠りに堕ちんとす吾をしかる

(一仕事とは何ぞや?とお思いでしょうが、
ちょいと尾籠な話で恐縮ですが、実はお通じです。
私にとっては大仕事です。結局は1時間ほど眠ってしまいましたが)

14年5月25日(
 再々の放送視たとのメール攻め、ホームページに訪問者(おきゃく)溢るる

有りがたきかな介護短歌の入選が励ましくるる友を呼ぶとは


(昨日NHKから電話連絡があり、好評なので深夜に再々放送をしますとのこと。
有りがたいこととは思いつつ、25時からの放送を視て下さる方がいらっしゃる
んだろうかと、思いつつ1時前に眠ってしまいましたが、今日の昼過ぎにパソコン
を立ち上げてメールを繋いだら18通もの知らない方々からのが届いていました。
一方ホームページの訪問者は「桜台通信」も「日ごと日ごとに」も100人弱の
訪問で前二回には及びませんが有り難いことです。何れにしろ忙しい毎日です。)

14年5月24日(
 やっとこさ地に足着いたと女房はストレス捨てにとカラオケへ行く

(先週の土曜日に突然の目眩でダウンした女房が、
やっとふらつきが治まり地に足が着いた感じ、と元気さをアピールして
出掛けてゆき、お喋りで疲れたと帰ってきました。
亭主の介護だけで終わるのは嫌だろうし、私も望むところではありません)

14年5月23日(金)
 昨日の騒ぎが夜中に再発し女房とふたり寝ずに朝まで

一時十分咽て目覚めて喀痰を繰り返しつつ七時となりぬ


(いったいどうしたと云うんでしょうか?。
人工呼吸器から加湿をされた空気が気切を通って
肺に入って、分泌される不純物を「痰」の形にして排出
するのを手伝ってる水分ですが、指示された数字は8、そうかと
言って6にすると硬くなって排出に苦労します。採っても採っても止み
間なく上がってきて貼り付いて泣かせてくれました。今日は3時過ぎ迄ぼやー
としてて何も手に付かず、風呂からあがった7時過ぎからこれを詠み書きました)

14年5月22日(木)
 頻脈と痰の詰まりと格闘し疲れ果てたり五月動天

(朝目覚めて30分ぐらいした頃から呼吸をするのに力が要るようになって
ゴーゴーと云う雑音も伴って息苦しくなりましたので、カフアシスト、胸押し
後に吸引をして貰うんですが、一向に楽にならず、どころか脈が120にもなって
苦しめてくれました。薬を服んで落ち着いた頃に痰詰まりも解消して平常に戻り安堵した
ところへ看護婦さんが来てくれて、諸手当が終わったところで眠りに落ちてしまいました。
それにしても今日の天気は、賑やかな一日でした、晴れて降ってヒョウまでとは。)

14年5月21日(水)
 介護師は「思い槍」もて利用者を「護る」稼業と心得られたし

(ここ一週間ほど新事業所と新ヘルパーさんに引っ掻き回されて大騒ぎ
をしましたが、特にケアマネージャーさんにはご苦労をお掛けして
しまいました。ALS患者の在宅療養はヘルパーさん次第です。)

14年5月20日(火)
 一口にヘルパーさんと呼びゐしに老若男女千差万別

(2003年からヘルパーさんをお願いし始めましたので、
既に11年目に入りました。この間いったい何人程のヘルパー
さんのお手をお借りしたことか、記録を録ってませんので、見当も
付きませんが、その千差万別ぶりは眼を見張るものがあります。
生まれも育ちも家庭環境も違うんですから当たり前ですね)

14年5月19日(月)
力なき声をのこして女房は出掛けてゆきぬ友との集ひに

帰りくる時を今かと待つ俺を忘るるほどに元気になりしか


(今朝になって、昨夜風呂で髪を洗うんで下向いたら目眩がして慌てたけど、
直ぐ落ち着いたし、ゆうべはぐっすり眠ったんで大丈夫だから、予定どお
りに行ってきます。と心配する私を尻目に出掛けてゆきました。月曜日と
木曜は彼女の休日で24時間をヘルパーさんが看ててくれますが、明日は
昼間から仕事が入ってて、夜は25時から8時までの深夜勤が待ってます。
今日ぐらいは早くと思いますが、旧友4人が集まれば話の種は尽きないん
でしょうね。
とここまで書いたところで、只今!と元気な声が帰ってきました。)

14年5月18日(
 妻殿の目眩癒えればプリンターが壊れまたまた頭が痛む

(今朝は未だぼんやりしてましたが、兄貴が来て庭の手入れをするのを
手伝ってる内に元気が出てきたようで、テキハキと動けるよう
になりました。一時はどうなるかと心配しましたが、どう
やら明日は予定通りに出掛けられると喜んでいます。)

(それに引き替え私の方はプリンターの故障です。ノズルの目詰まり位
に考えてクリーニングを何度もやりましたが、駄目で故障との
結論となりました。修理に出すか新品買うかで迷ってます。
何れにしろ息子にやって貰いますので、早くて来週末、
その分同窓生へのお礼状が遅れてしまいます。)

14年5月17日(
 突然の目眩に倒れし女房は、独りでゆくのね私はきっと

口癖に独り暮らしと嘆く妻、二人で居るも吾は石地蔵


(朝の5時前に起こして、私の痰詰まり除去の為のカフアシストと胸押しを
遣ってもらったせいとは思いたくないんですが、9時過ぎに起き出して
きてウロウロしてたと思ったら自分の部屋へ入って静かになりました。
後で聞きますに部屋へ入って直ぐに地球がぐらぐら回りだして倒れ
込み目も見えなくなった時点で大きな声で「助けて!」と叫んだ
けどヘルパーさんが来てくれなかった!と何時もの独り暮らし
を嘆いて不貞腐れてるのを説得して、訪問の先生に相談した
ら血圧が下がったんだろうから薬を減らして休みなさい。
ヘルパーさんも私も声を聞いてないんですが、女房と
二人の時間帯がかなりありますので正直心配です。)

14年5月16日(金)
 投薬の効きしか日ごとに背の痛み放散なして心なごみぬ

(3種類目の薬が、効いたのかどうなのか判断に苦しみますが、
昨日辺りから唯一残ってた、右肩甲骨脇の親指の先大の痛
みが随分と楽になり、ベッドにしっかりと背中を預けても
平気になりました。が故意に押せば充分に痛んでくれます。
目視では異常無しですから不思議です。でももう終わるでしょう)

14年5月15日(木)
 介護事業所(じぎょうしょ)を新規に立ち上げ重度にも参入したきと訪問受ける

珍しき事におどろく介護事業所
(じぎょうしょ)ゆ仕事をくれとの笑顔としばし

(ヘルパーさんの介護を頼むようになって10年有余。
こちらからお願いします!オンリーで、仕事を下さいとか、
ヘルパーを使って、とかは全く無いがままに、介護事業所探しに
ケアマネージャーさんの手を煩わせてきました。中でも気切と胃ろうを
造設してからは、練馬近隣の区も含めて120数ヶ所の介護事業所へ電話攻勢
を仕掛けた結果、見事にゼロ回答を戴くと云う情けなさ、なんでも殆どの介護事業所
が「ALS患者」と聞いただけで「ヘルパー」が居ませんので、とケンモホロロに断られて
困り果てたものですが、今回は逆です、ALSの介護は未経験だそうですから、大いに心配ですが)

14年5月14日(水)
 胃ろうとはなんとも便利なものなるやリハビリ受けつつ食事もすます

(今月から水曜日は、従来の5時より1時間早く来てくれることになったんですが、
2時過ぎから始まる筈の食事の担当が女房なものですから、係長としてのやぼ用
に時間を取られたり、3時前後に始まる往診に立ち合ったりしてる関係で、決め
られた時間内に終わってなくとも、そのまま続いて落とし込んだままリハビリを
受けましたが、身体を屈曲したり揺す振ったりするんで余り気持ちよくありません)

14年5月13日(火)
 スピーチバルブ(すぴーち)を着けて話して外して休み保健師さんに窮状訴う

(定期的にと云ってもガチガチではなく、今は不定期になってますが、
双方の都合のいい曜日、時間をすり合わせて訪問して下さいます。
それにしても前回はこんなじゃなくもっともっとお喋り出来て
思いの丈をぶつけられたんですが、いよいよもって情けない
事になったものです。とは言え不貞腐れても詮無い事です)

14年5月12日(月)
 まなうらに故郷出雲に集ひたる同窓生の笑顔が映る

(島根県の出雲のそのまた奥に在る、あの有名な[須佐之男命]を祀った須佐神社を
氏神様と崇めて中学を卒業するまで育ちました。低山に囲まれた半農半勤?の村
ですが、現在はご多分にもれず過疎化が進んでるとは聞きますが、私の仲間はか
なりの人数が残って頑張ってくれています。そして今日の同窓会です。大袈裟に
云うと日本全国から集まってきますので、今回は一泊二日に設定されました。
私は過去一回しかALS罹患の為に参加してません、その前は行方不明だったとか)

14年5月11日(
 母の日に遠くにありし母想う、ベッドに臥せる身をよじりつつ

(故郷は遠くにありて想うもの、ならぬ私の場合はお袋さんです。
遠くと言っても車で40分掛かる距離的なものではなく、寝たきり
の身体を沢山の人手をお願いして車椅子に乗り介護タクシーに乗ってと
思うと途方もなく遠い存在です。97歳!歳なりに忘れっぽいようですが大
病もしないで頑張ってくれています。一方女房のお袋さんは二昔ほど前に天国へ
行って仕舞われました。それも寝たきりのご自分の母を独りで介護してて疲れたんで
しょう、祖母が逝かれた後を追うように心筋梗塞で急逝されました。省みるに現在の私が
全く同じ事を、女房に強いてることを考えると心穏やかではなく、手の打ちようもありません)

14年5月10日(
 神経の痛む辛さを我慢する顔みて女房は不機嫌さんに

背中から脇腹通過し胸にきてピリピリピリと俺を虐める


(今回の痛みは何度もやってる神経痛と違って、表面じゃなく奥の方が痛む
んですよ、それも線ではなく親指の先位の面積がピリピリズーン!と痛みます。
薬が効かないと先生に報告したら、倍服みなさい。眠気は倍増なのに痛みはそのまま)

14年5月9日(金)
 金の無いこと知る詐欺師は寄越さねど墓地屋は何度も電話を寄越す

(オレオレ詐欺から始まった、息子や孫を名乗る詐欺師による大金騙し取り事件。
殆ど毎日のように報道されてますね。その金額の大きいことったら呆れ
ていますが、それしてもお祖母ちゃん方々は自由に動かせる大金
をお持ちなんですね、何時も不思議に思うのは投資話に乗
って元も子も無くしたお婆ちゃん先日は8700万
も取られたようですが、あのお歳で未だ増や
したいとは、人間全てが欲の塊ですね。
幸か不幸か我が家には、詐欺師
からのはきませんが、墓
を購へは煩い程きます。)

14年5月8日(木)
 背から胸ピリリとはしる神経痛は塗薬、服薬、湿布を嗤(わら)

(先月末頃にも一度苦しみましたが何時の間にか忘れてましたのに、
またぞろ始まりました。だけど今度のはしつっこい奴でアレ
コレ手当をしても全く効果無しで、痛みがせせら笑って
逃げ回っています。前回と違って先生の処方による
痛み止めも服んでるのにです。今晩は祈るよう
な気持ちで痛み止めを服み、熟睡します。)

「嗤う」
ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。
「愚かしさを・う」 「陰で・っている」 「鼻先で・う」

14年5月7日(水)
 一年をかけて介護士独り立ちせしその足で辞めてゆかるる

(一年といっても週一回それも3時間だけの仕事でした。)

 三人のヘルパーさんと見合ひすもその内二人は音沙汰もなし

(介護事業所を立ち上げたばかりの方が、夜間に働きたい男性一人と
女性二人を連れて来られましたが、女性一人だけが同行研修に
入っただけで後の二人は、帰ったまま電話にも出ないとか、
介護の世界の摩訶不思議なことったら理解出来ません)

14年5月6日(
 ゴールデンウィークの終わり収まりぬにこにこ顔とげんなり顔が

(長かった?ゴールデンウィークが今日で終わりました。
と言いましても代休を取られる方々がいらっしゃるでしょう
から、今週一杯は静かでしょうね。この間、観光客相手に大儲けを
してニッコニコの人々、対、何処へ行っても人波に揉まれ待たされ疲れた
身体をマイカーに乗せたとたんにぐったり、おまけに渋滞に巻き込まれる始末。
何れにしろ休日が集中するってのも考えものですね。)

14年5月5日(
 ゆ〜らゆらと夢中にゐると思ひきやガタビシャガタに夢を破らる

(夢を見てて身体が浮いてゆ〜らゆ〜ら揺れてる〜?と
ガタビシャ!ガタピシャ!と久し振りの地震それも大きい!
都心で「5弱」と騒ぎになったようですが、練馬の我が家は「4」
程の揺れだったように感じました。収まった処で深い眠りに落ちました)

14年5月4日(
 数多なる生理落果を敷き詰めて子守りするごと梅の枝揺るる



(毎年、沢山の花が咲いて沢山の実が生るんですが、ここ数年は殆どが落ちてしまうようになり
残念な思いをしています。なんでも実が生り過ぎると木本体に栄養が行き渡らなくて衰弱する
のを自分で防御するために落とす、とか。殆どを落とすのは、土の状態が悪いか、病気か害虫
による悪さによって木が衰弱して、実を育てる元気が無くなった可愛そうな梅の木のようです)

14年5月3日(
 九条は保持(も)たず行使(つか)はず交戦(たたか)はず、国際平和を希求すと謳ふ

日の本に籍もつ民は正義もて秩序おもんじ平和を謳歌す

改憲だ!いやいや護憲!、戦争と云う名の殺人ご免でござる


(今日は日本国憲法の日で休日でした。あちこちで改憲派と護憲派に
分かれて勉強会を開いたりデモったりと喧しい一日だったようです。
私は戦争だけはご免ですが、キナ臭い風が吹いているようですね)

14年5月2日(金)
 今にして訪問入浴事業所を替えてひと月いい湯に酔ひぬ

(約10年世話になった事業所が、経営方針を替えて「看護師」を
一日ぽっきりの派遣に替えたものですから、思い切ってお断りして
新事業所にお願いして今日で4回目、3人の看護師さんが順繰りして
やってくれますが、女房の指示、教示を良く聴いてくれますので慣れれ
ばしっかりした仕事をして、楽しい入浴を提供してくれるものと思います)

14年5月1日(木)
 夜(よ)の内に篠突く雨に洗はれし皐月の街は新緑の映ゆ



(昨晩は予報に違わず激しい雨が降ったり止んだり、夜が明けきった
頃には見事な皐月晴れ、サンサンと降りそそぐ陽を浴びて見事です)

14年4月30日(水)
 雨雨と予報のわりに降らぬまま卯月はゆきますゴールデンウィークへ

ゴールデンウィークなどと誰
(た)が騒ぐ、テレビの中にそれを見るのみ

(皆さんはどのようなゴールデンウィークを過こされていますか?)

14年4月29日(
 男手が欲しいと嘆く女房の息子を名乗るおとこ訪る

あれにこれあそこもここもにおねだりもここを先途と使い回しぬ

ちゃっかりと母の日アピールしせしめしは欲しい欲しいのICレコーダー


(日本中を飛び回ってる息子ゆへなかなか我が家へは来てくれません。
勤め人ですからカレンダー通りに休めるようですが、出張先での休日が
結構多いらしくて、思うに任せませんが、呼べば来て一通りのことはやって
くれます。但し今回は、向こうから行くよ!の電話が来て8時過ぎから5時まで
休むことなく働いてくれました。女房には出来ない事を溜めといて頼むんですがテキ
パキとこなして終わり。パソコンのバックアップを録ってくれ、女房には母の日プレゼン
トです。希望を訊いて買ってきて設定をし使い方を丁寧に教え使える事を確認し帰ってゆきました)

14年4月28日(月)
 息子とう他人にのせられ大金を揃へ用立つ母ごころ嗚呼

(何時も思うんですが、母と云うお人は何故にしてこうも息子に甘いんでしょうか?。
それに引き替え、娘を名乗って父親を騙し、大金をせしめた!って話は聴きません。
これが、性のなせる業、とでも云うんだと思いますが、ほんとうに不思議ですね。
オレオレ詐欺に始まり、今では自宅へ取りに来たり、外で落ち合ったりと大胆です。
それしても皆さんお持ちですねぇ、1000万もの大金を自由に出来るんですから)

14年4月27日(
 わき腹の神経痛に昨夜より傷めつけられ無駄にひと日を

(たま〜にですけど身体のあちこちに神経痛が出て苦しみますが、
昨夜遅くから始まったのが今日も治まらず、痛てて!痛てて!
と気が散って、手紙の一通さえも纏められずに暮れてしまいま
した。あれこれと手を尽くしても駄目です、痛み止めですかね)

14年4月26日(
 見付けたり、ショウジョウバエを犠牲にし吾がALSを治すタンパクを

とは云えど正体不明のALS
(やまい)ゆえ霧中に薬を掴むがごとし

(京都府立医大と京工繊大のグループが、ALS症状改善のタンパク質を発見した。
との報道がありました。人工的にALSを発症させたショウジョウバエの
実験で発見し、将来的に、ALSを根本的に治療する薬の開発につ
ながる可能性があると言ってるようです。ショウジョウバエ
と人間様が同じタンパク質を持ってるなんてちょっと
不思議ですね。これまでにも、iPS細胞を筆頭
に種々の発見、研究がなされてますが未だ
に治験すらまともに行われてません。
でも!今回のは期待されます)

14年4月25日(金)
 転勤で遠地へゆくゆえお別れと若きヘルパーの挨拶を受く

この先は管理職にと笑顔もて,暇乞いするヘルパーを励ます


(新年度が始まって約一ヶ月、今頃になって辞令が出たと挨拶にきました。
四月一杯は「サービス提供責任者」として働いてましたが、五月からは
ワンランク上のポストで働くことになると嬉しそうでした。家へ来始め
の彼女は、寝たきりで言葉も出せないようなご老人ばかりを担当してて
私を見た時は逃げ出したくなったと後になって言ってましたが、泣いた
泣いた!でも挫けないで私や女房のアドバイスを良く聴いてくれて成長
してくれました。態々挨拶に来てくれたことも成長の明かしでしょうね)

14年4月24日(木)
 女房の行ってきますは間をおかず透明人間となりて帰りく

(出掛ける為の支度にたっぷりと時間をかけて、行ってきま〜す!。
から何分も経たない内に(私は透明人間で〜す)と忘れ物を取りに
引き返してきます。この頃は出掛ける背中へ忘れ物は?とヘルパー
さんが声をかけてくれるんですが、それでもやらかすんですよねぇ。
不思議なのは、家を出てちょっと歩いた辺りで思い出すらしいこと。
今日も買い物序でにと友達に頼まれたDVD(先日の介護短歌)を
テーブルの上に置いたまま出掛けて、透明人間になりました。)

14年4月23日(水)
 無理矢理にマウスピースを内視鏡を押し込まるるを耐えに耐えたり

前回は鼻腔の狭さに諦めて口腔
(くち)から入れて交換したるに

覚悟して<胃ろう>交換に臨めどもこれを最後にバルーン型
(ばるーん)にします

(覚悟はしてましたが・・・、前回、両鼻から入れようと頑張られましたが狭くって諦め、
急遽!口の中に麻酔薬を噴霧して、マウスピースを入れようにも入らない!一つ
下のサイズでしょう持ってきて試みるも入らない、そこで力業です何とか
入ったところで一段と細い鼻用の内視鏡ですからスンナリと入って
あっと云う間に終了。今日は、前回を踏襲してくれるものと
期待したのが間違ってました。麻酔も何もしないまま
マウスピースを入れようと頑張ってくれました
が力尽くで押し込まれて顎の蝶つがいが
ミシミシ音をたて今にも外れそう、
やっとの後見たらぶっとい
口用の内視鏡が握られ
てました。その後
のことは覚え
てません)

14年4月22日(火)
 愚痴っぽい女房殿の誕生日、祝えばきっと笠に着るだろ

歳とって疲れましたし抜けませぬ、妻の口癖に相槌打ちぬ

お寝みの替わりにそ〜と<おめでとう>言へば女房は七十三歳


(私もそうでしたが、女房も忘れてるようで今日は未だに誕生日を口にしません。
日頃からもう72だ73だと、介護の特に週二回の夜勤(1時→8時)が
辛いとぼやいてますが、ヘルパーとしての仕事に加え、管理の仕事が
大変でベッドから見てても良くやってくれると感心しています。
治る病気ならそれに向かって目標を定め頑張れましょうが、
チーーン!と終戦のゴンクが鳴るまでですからねぇ)

14年4月21日(月)
 え!え!まさか「胃カメラ検査」はやらないと約束したのお忘れですか

ハテ?またか<胃ろう交換>予約せば「胃カメラ検査」を承諾せよと


(前回!駄目で元々と「胃のカメラ検査」はしないで<胃ろう交換>のみを
お願いし承諾して施術してくれましたのに、予約の23日を前に届きました。
前回と同じく「承諾書」を提出しないであたってみますが、果たしてです)

14年4月20日(
 行こうかないや止めとこうとお袋は迷ったあげくに、元気にしてるか



(お袋が兄貴に連れられてひょっこりと来てくれました。
この冬はインフルエンザをこじらせて入院、病院内にウィルス
を振り撒かれては大変と隔離病室へ収容されたりしましたが、退院して
から食も進むようになって何時もの元気を取り戻したようです。
97歳のお袋に、見舞われるようじゃあいけませんね。)

14年4月19日(
 視ましたよ観た見たみたよ視ましたと未だに続く入選フィーバー

(これだけでは何を言ってるのか、
事情をご存じない方には意味不明でしょうが、
16日の夜に放送された「NHK介護短歌百人一首」を視ての反応です)

14年4月18日(金)
 二回目に固定ナースの働きで始まり終わる訪問入浴

入浴ゆあがりてほっと息をつくこの心地よさ幾年ぶりぞ


(10年お世話になった「訪問入浴サービス事業所」が、営業方針を
替えて看護師を日ごとの派遣に変更しました。こんな事を言ったら
なんですが、今日だけを遣り過ごせば二度と来るつもりは100%
無いだろう男女の看護師が真ともな仕事をするでしょうか?、否で
した。何度も看護師免許を見せてと言っても見せません、その位に
酷いもので、風呂へ入って気分が良くなるどころか、気分を害して
イライラが遺るだけではたまりません。そこで先週から看護師を固
定してくれる事業所に今日で二回目、何時も看てくれてる訪看さん
に引けを取らない働き振りで安堵させてくれました。有難う!さん)

14年4月17日(木)
 玉手箱開けたがごとき番組の期待いじょうの出来に安堵す

なにゆえに結婚写真を披露する、老妻拘束
(しばる)暮らし強いるに

放送が終わると同時に電話攻め、口を揃えて顔色いいね

数多なるメールにあるは筆揃へ感動したに涙したとも

「桜台通信」「日ごと日ごとに」の訪問者数激増なしぬ


(昨晩の「NHK介護百人一首」の放送その後です。
NHKテレビにはかなり前に、病友と一緒に出した闘病記
「生きる力」を元にALS患者6人の療養の様子を出演放送しま
したが「羨ましい」ばかりでガッカリしたものですが、今回は違います。
沢山のメールの中には、存じ上げない方々のがかなりあって戸惑っています。
多分、私と同じように短歌を詠まれ、「百人一首」にも応募された方々でしょうね。
この放送で驚いたのは、私のホームページ「桜台通信」と「日ごと日ごとに」を動画で公
開して下さったこと、お陰で短歌詠みの仲間が出来るかも、訪問者は2日で300人超です。)

14年4月16日(水)
 生命を維持するための水を飲む医師の処方す薬のように

(2月12日に病院で指示された、飲水を600t減らしなさい!。
当時は寒さの底で入院してた12日間に大雪が二度も降ったりと
およそ汗とは無縁の生活でしたが、桜も終わって吹く風が日光と
相まってベッドに寝てる私の背中をじっとりと汗が濡らしてくれ
るようになりましたので、血液のどろどろ化をふせぐ意味におい
ても早速今晩就寝前から100tずつ二回に分けて飲み始めます。
まるで薬のように。尾籠な話ですが小水は見事な茶色です)

14年4月15日(火)
 やっとこさ呼吸器搭載できたのに車椅子押すヘルパーが居ぬ

(24時間に亘って呼吸器を着けることになって、車椅子に呼吸器を固定
する細工が必要になりましたので、業者さんにお願いしてましたが、
今日になってやっと出来あがってきました。これで支度に掛かる時間を
短縮できることは勿論、安心?して外出(散歩)できる!と喜んだ
まではいいんですが、その車椅子を操作して私を散歩に連れ出してくれ
るヘルパーさんが一人しか居ません。原則二人ですのであと一人を
派遣して貰うことになりますが、資格やら慣れるまでを考えると、何時
になるやら見当もつかないと云う体たらく、私のエンジンは皆さんの手です)

14年4月14日(月)
 呼吸器をじゃまくさくさへ思ひしは、あの頃までに回復せしや

(あれ以来、24時間呼吸器を着けて暮らしてますが、
これが実に邪魔で、吸引の時、お喋りの時、身体を動かす
時に取り外して処置をする時には、清潔を心掛けねばなりません
ので厄介です。顎の下にあって首を動かす度に締めつけられたりします
し、気切周りが痛痒かったりして引っこ抜きたくなったりするところをみると
呼吸の苦しさが薄れたんじゃあないのかと感じるようになりました。ですが呼吸器を
外す為には病院で検査をして医師からОKを貰う必要がありますのでこれまた厄介な事です)

14年4月13日(
 最後とふ同窓会の案内に想ひをはせる喜寿をあしたに

(中学を卒業して丁度60年、会を重ねる毎に参加者が減ってるようですが、
その逆で亡くなった人の数は、増え続けているんじゃないかと有ら
ぬ事を考えたりしてますが、私もその中に居るはすだったん
ですよねぇ、皆さんのお陰でこうして療養出来てるん
ですから有難いことです。最後と聞くと参加し
て本当のお別れをしたいものですが。)

14年4月12日(
 女房が帰りつくなり頭上より桜ふぶきのごと言の葉の降る

(帰ってくるなり、外であった事を機関銃(古いなぁ)のごとくに
しゃべりまくります。こちらの都合なとお構いなし、あの歳で
大きな声でしゃべりまくって笑うんですから、丈夫なんでしょう。
お陰で在宅療養が出来てるんですから、有難うを、これが難しい)

14年4月11日(金)
 唐突におめでとうとは何ごとぞ、忘れてました四・一一

(これほんとです、お花、グリーティングカード、バースデーカードが
バタバタバタと届いて気がついた次第です。御年76歳!、入院前の
あの辛さに苦しんでた頃は、誕生日どころか、そろそろかなでした。)

 新規なる訪問入浴初(しょ)体験、評価は慣れを待ちます目瞑り

(今日から新規にお願いした
「訪問入浴事業所」のお世話にな
る事になり、お決まりの3人チームです。
前と違って看護師さんがヘルパーさんをリード
してましたが、如何せん初めてのことスムースいく筈
はなく、例によって湯船を上がった後の処置に時間をとられ
てました。懸案の看護師さんは3人で固定し周り持ちになるとの事
ですから、毎回違う「一日派遣」の看護師?とはこれで解放されました。)

14年4月10日(木)
 初夏にやきもち焼きしか北風が夜陰にまぎれて蹴散らしゆきぬ

(快晴無風で水銀柱(古いな)は鰻昇り、我が練馬でも25度を
超えて夏日となりました。外から来られた方々が口を揃え
て、暑い!でしたが、6時過ぎから来られた3人さん
は、時を追って寒くなってきた、おお寒い、寒い
寒いよ!と日中とは真逆のおお騒ぎです。今
晩は7度にまでも冷えると云うんですか
ら尋常ではありません。どうぞ皆様
お風邪などひかれませんように)

14年4月9日(水)
 採血に刺さるる針の痛さより、想ふだに痛し胃ろうの交換

(半年ごとに交換を義務づけられてる「胃ろう」ですが、今日の診察後に
交換の予約を取ると同時に、感染症を探る?為の採血をして帰られました。
今月の23日11時20分に来いとのこと。それまで外出を予定してません
ので、昼間も呼吸器を着けて生活するようになって初めての外出です。
まあそれはいいとして、交換時の苦しさと抜き挿し時の痛みは自分持ちです)

14年4月8日(火)
 放送の日時が決まりて今更に無様な姿を想ひ目を閉ず

NHK介護百人一首とふ我の短歌をテレビに曝すと


(採用が決まったからと、内容は一切明かさずに、8時間もカメラ取材した際には
私のベッド周りの他に、結婚式や蕎麦屋時代の、家族、へら鮒釣り、山登り等々
の写真をカメラに収めて帰りましたが、放送は25分番組で、私の他に9ないし
14首を紹介する筈ですのにどんな事になるんでしょうか、本当に人騒がせな事
を遣ってくれるNHKです。どうかがっかりを覚悟の上でご覧下さいますように)

(放送は★4月16日(水)20時  ★再放送4月23日(水)13時05分
 「ハートネットTV NHK Eテレ 2チャンネル」 で放送)

14年4月7日(月)
 お袋を見舞いくれたる女房の話きくだに一先ず安堵す

(退院して落ち着いたところで介護認定も受けたと聞いて、
女房が見舞いに行ってくれました。認定時にあれもこれもと
健常振りをアピールしたようですが、歳相応の物忘れはあるので
長時間の独りぼっちは如何なものかと想われるようですが、97歳の
おばあちゃんですから、無理や無茶はしてほしくないものです。)

14年4月6日(
 カミナリのドドーンと一発とどろきて桜祭りの仕舞ひを告げぬ

(金曜日にも本当に一発だけでしたが、今日のを上回るようなカミナリが
鳴り響きました。梅雨明けとか雪起こしなどと言われるカミナリは
昔から聞き慣れてますが、この歌での「桜仕舞い」は私の造語です。
今年の桜は平年並みに咲きましたが、冷え込み、強風、雪、雨プラス
アラレ、ヒョウの洗礼を受けて春爛漫とはいかなかったような?)

14年4月5日(
 世の中は今が盛りと桜花、行ったつもりに観たつもり あ〜あ

(うかうかしてると北上してしまうのが桜前線ですが、今年はちょっと違うよう
でぽかぽか陽気が安定しないで、日替わりで吹いたり、降ったり冷え込んだり
と桜を囃すんじゃあなく虐めてくれました。でも未だ未だ愛でるに充分な桜が
この世を謳歌してるとみえて、国民に一般解放された皇居内の「乾通り」の桜
に10万もの善男善女が押し掛けたと云うんですから桜いや皇居って凄いですね)

14年4月4日(金)
 そのたびにイライラさせらる折角の週に一度の入浴に泣く

断腸の思いで断る。そのたびに派遣ナースの訪問入浴


(約10年お世話になった、訪問入浴サービス会社を今日を限りにお断りしました。
会社の営業方針とかで、看護師を社員、常勤とせず派遣会社から一日単位
で派遣されてきた看護師(男性も)を同行しますが、その仕事振り
たるや酷いものでバイタルさえ真ともにとれない始末。私に
は気切、胃ろうと云う大切で清潔に保持する部位が
ありますのでしっかりした手当をして欲しい
んですが全くの無頓着、近頃は我慢の
緒が切れて女房に遣って貰って
ました。会社と掛け合
ったんですが、
駄目でした。)
(それにしてもです。派遣だなんて悪法を作った、小泉元総理は、この惨状を想定出来
なかったんでしょうか?、低収入に泣いてる人々が激増してます。看護師さんを除いて)

14年4月3日(木)
 花は観るものとのたまひし女房の育てし胡蝶ラン(らん)の笑顔が七つ



(もう5年位になりましょうか?、女房が友人に貰った胡蝶ランを今年も
写真のように見事に咲かせました。貰ってきたときは二本立ちでしたが、
翌年は一本立ちも花は咲かず仕舞いで終わり、次からは小さいながらも
毎年咲かせています。私が元気でバリバリやってた頃は、私観る人ねと
一切手も口も出さなかった人が・・・ですから、感心して観ています。)
(花は6つですって?、私の笑顔を加えると七つです)

14年4月2日(水)
 人工呼吸器(こきゅうき)の加湿度未だに定まらず硬軟多々の痰に悩みぬ

(空気中の湿度に左右されるものでしょうが、
使い初めは4から始まり試行錯誤しながらの数値
が5,5の処で安定した模様を受けてこの度の入院時に
もそのまま持って行ったところ、即!(8)にされ、そのまま
退院して今に到っています。無色透明の痰と呼ばれる肺からの排出物
ですが、その量たるや呆れる程です。先生によっては加湿に比例して排出物
は増えるとか、と云うことで今日からふたメモリ落として様子を見ることにします)
(尚、この数字は、空気の温度と空気に含まれてる湿度のレベルを表してるとか)

14年4月1日(
 バリカンに刈られそのあと洗われた筈を覚えぬ爆睡してて

(兎に角眠いんです。沢山の薬を服んでますから致し方ないんでしょうが、
ベッド上での不自由な作業で、床屋さんの座り心地の良いのと違って、
とても居眠りするような状況ではないのに、全く記憶に無いほどに爆睡
してしまうんですから、自分ながらに呆れています。足も洗ってくれたとか?)

14年3月31日(
 吾を看ると友の誘ひを断りし童のごとき妻不貞腐る

(友達から、時間が出来たんでカラオケへ行かない?って誘われたからむにゃむにゃ。
何時もは権利の行使とばかりに、帰る時間を告げてヘルパーさんに私を託し
て出掛けるんですが、何か後ろめたいことでもあった様子もないし?、
なんでも私が、行っといで!を言わなかったから、と不貞腐れ
てましたけど人工呼吸器を着けてて言葉を出せないのを
承知しててですからまるで子供です。私が何時も
言ってるのは、自分の時間で夜勤に差障り
が無く、しっかり食べて疲れを溜め
ない事。元はと云えばALS
が私を拘束しその私が
女房を拘束してます)

14年3月30日(
 センバツに男女ゴルフにプロ野球、勝った負けたに夢中になれぬ

(ソチ冬季オリンピック開催中は、体調が悪くってそれどころじゃ
なかったんですが、退院して日ごとに体調が戻ってきたにも拘ら
ず今いち元気がでないのは?????・・・どうやら昼間の人工
呼吸器と肺から大量に出る分泌物の吸引処置に疲れ切ってるよう
で、毎年楽しみにしてた球春と言われる球技に夢中になれません)


14年3月29日(
 桜台と呼ばるる街に暮らしゐて咲き誇るそを観られぬ悲哀

(昔、仙川と云うV字の土手に護られた川が流れてて、
その土手にはソメイヨシノの老木が植えられてて桜の時期
には沢山の人々が集って賑やかだったようですが、都市開発の折
に桜を伐採し川は暗渠にしてその上に盛り土をして新規に桜を植え付け
られたのが今の桜並木です。遊歩道も併設されてますが、4車線の千川通りが
玉に瑕ですがそんなこと云うと怒られますね。桜は成長が早くもう40年の老木です)


14年3月28日(金)
 急死せしカラオケ仲間の好きだった「アメリカ橋」をながし供養す 合掌

(私が歌ってた「アメリカ橋」を気に入ってくれてて、カラオケ屋さんで
一緒になるとリクエストをしてくれましたが、その内にテープに録音
してくれ、との要望で差し上げました。彼自身も巧く歌ってました
が声質は確かに違ってました。私はALSでマイクが持てなくな
ってリタイア、彼は糖尿病で病院通いをしてたようですが去年
の10月に病院で痩せて見違える程の彼に会ったのが最後と
なりました。なんでも不調で病院へ行ったら即入院!と言
われたのを振り切って帰ってきて、翌日救急車で運び込
まれた時には時既に遅く静かに天国へ出立されたとか。
この身体では如何ともし難く女房と二人でアメリカ
橋を聴きながら想い出話にふけりました。合掌!)
「アメリカ橋」とは山川豊の歌で1998年リリースされヒットしました。

14年3月27日(木)
 呼吸器を車椅子(くるま)に積んで病院へいよよおいらも本物となる

順調に回復してるの診断を貰い安堵す言の葉もどるに


(先月の24日に退院してきて約1ヶ月、定期診察に
合わせて動脈血検査と胸のレントゲン検査を受けました。
その結果が歌に詠んだとおりで、二酸化炭素が平均値付近に
近づき、胸付近に溜まった水も消滅しつつあって順調ですねとの
こと。完全に無くなれば、肺が吸い込む空気の量が増えて言葉が出易
くなるし語尾も途切れなくなるでしょう、とのこと。自発呼吸が93〜4
有りますし。昼間の人工呼吸器は加湿してますので入ってくる空気が体温より
熱く感じられて実に邪魔くさいものです。それにしても外出が大変になりました。)

14年3月26日(水)
 モンゴルの力士三人揃い踏む、横綱みたりの互助会あ〜あ

横綱に白星かせがれ大関以下は勝ち越す星を稼ぐにやっと

選りに選りモンゴル力士三人に横綱ゆるす和製力士よ!


「これからより一層稽古に精進し、横綱の名を汚さぬよう、一生懸命努力します」
と紋付き袴に威儀を正した鶴竜関が、第71代横綱を拝命しました。
これによって横綱が三名それも全てがモンゴル出身力士です。
加え!年齢が同じで、初土俵もほぼ同じ、違うのは横綱昇進場所です。

白鵬は現在29歳で、01年1月場所初土俵、07年7月場所に横綱デビュー
日馬富士は現在30歳で1年1月場所初土俵、12年11月場所横綱デビュー
鶴竜は現在29歳で、01年11月場所初土俵、14年5月場所に横綱デビュー(予定)

(お相撲さんと云えば、勝ち越さない限りは昇進できないどころか転落してしまう
と云う実にシビアな世界です。白鵬はトントン拍子に強くなり、後世に名を遺す
大横綱になりましたが、後のお二人さんはやっとこさって感じですけど、気合い
は充分のようですから怪我さへなければ、暫くは務められましょうが歳が歳です
から、和製の力士に頑張って貰ってモンゴル力士の一角でも崩してほしものです)

14年3月25日(火)
 咲きました!わずか五輪の桜花、きょう始まりぬ宴の時は



(今日25日午後、気象庁は東京のソメイヨシノが開花したと発表しました。
平年より1日早く、観測史上最も早く3月16日に開花した昨年より9日遅い
開花となったようですが、今後も温かいようですから、小学校の入学式の頃には
散り始めか葉桜?かも知れませんね。情けない事に、私は出掛けられそうにありません)

14年3月24日(月)
 咲く便りの届くに我が家にはポインセチアが赤々とゐる



(ポインセチアと云えばクリスマスと決まってて暮れから正月にかけて
赤一色に染めるほどの勢いでしたのに、今では見る影もないことでしょう。
これは一昨年の暮れに、女房が友人から戴いてきたもので、二回のクリスマスを
経験した今の姿です。日照時間の調整を小まめにやれば立派に色付きますが、寒さには
めっぽう弱くって夏季しか外へ出せないのが厄介です。でも!春は桜ですよね、もうすぐです)

14年3月23日(
 ぽとぽとと滴り落ちる人工栄養(えいよう)を見てて襲わる春の睡魔に

入院で覚えしリズムをキャンセルし元に戻せば乱脈地獄


(家では、水300tの注入は一本の筋になる寸前で、
400tの人工栄養は20分で入れてましたが、入院した
らメチャクチャ、毎回のように替わる看護師がセットして行った
きりでほったらかし、よって時間なんか行きあたりばったりですからね。
よって39食ですっかりリズムが狂ってしまうも暫くはこのリズムでゆきます)

14年3月22日(
 肺炎の元は誤嚥と譲らない病院に居る友は粥攻めに合う

八十歳
(はちじゅう)を越すも現役,誤嚥などするはずないと意気は軒高

(6日に誤嚥性肺炎との診断で急遽入院した友人が、ほぼ回復したとかで
週明けの24日に退院することになった由。右の肺は真っ白でかなりの
重症で呼吸器を使うか否かを家族で話し合って決めておいて下さいとも。
そんな重症の肺炎が20日程て治るなんて、信じられませんが私と同じ。
でもお粥攻めには負けて、月曜には退院してきます。病気は病院選びですね)

14年3月21日(金)
 お彼岸の中日にしてお休みで、高校野球(やきゅう)痰吸引(きゅういん)
大相撲
(すもう)にひねもす

(今日から三連休、とは云え「暑さ寒さも彼岸まで」が
全く通用しない酷い冬の名残りです。まあ昔から「腐れ彼岸」
などと言って春秋共にそういうものだと今に到ってますが、願わくば
穏やかなお彼岸であってほしいものですね。などと言ったところで今の私は
ベッドを背負ってる身、気になってるご先祖様詣でもしたいんですが、諦めてます。
看護婦さんはお休みで、5時に来てくれる訪問入浴までをテレビとパソコンで過ごしました)

14年3月20日(木)
 白鵬に日馬富士また鶴竜を指を銜えて観てる春場所

モンゴルに負けて臍
(ほぞ)を噛む欧州の巨漢力士の一人また引退(ひ)

(大相撲春場所(大阪)が佳境に入りました。と言ってもモンゴル出身の
全勝の白鵬に1敗の日馬富士と鶴竜の三つ巴戦となりました。横綱二人
と大関一人、それに続く和製の大関、稀勢の里と琴奨菊は勝ち越すのに
汲々としてる始末、遠藤が髷の結えない珍しさも加味して人気を博して
るようですが、未だ未だ相撲が荒っぽいようです。大砂嵐もしかりです)

(そして今日は、元大関琴欧州関が引退をしました。去年は把瑠都関が
土俵を去りましたが、臥牙丸、魁聖、碧山等々の大型力士が頑張って
ますが足が長いが為に重心が高く相撲には向いてないのではと思います
相撲は日本とモンゴルの両民族のものですね。オリンピックは無理です)

14年3月19日(水)
 カニューレを新品のそに交換し、取り戻したり呼吸のリズム

(今日も起きがけから調子が悪くって往生してましたが、往診の先生に
カニューレを新品に交換してもらったら、嘘のようにあの軽い
リズムが戻ってきました。確かに二週間使った汚れが付
着して気道との隙間を狭くして空気の通りを悪く
しての不具合だろうな?、との結論でした。
と云うことは、二週間後半になると
同じ事を繰り返すんでしょうか)

14年3月18日(火)
 東京に春一番が吹いたげなどうりで眠い日がな一日

(「春眠暁を覚えず」などと昔から言い古されていますが、暁どころか8時にヘルパーさんに
起こされてもシャキッ!とせずうつらうつらと過ごしたりしてますが、私のは色々服
んでる薬の悪さだと思います。そんな春ですが「春告げ鳥」がホーホケキョ♪
と啼く頃は桜が咲いて「花曇り」となり「春うらら」の宵は夜桜見物と
洒落込んで「桜吹雪」を愛で終える頃には葉桜となって、東京の
春も終宴となります。その開花日は26日と改められました)

(今日の「春一番」は全国的に南風が強まり、東京で19.5メートルの強風が吹きました。
去年より17日遅い観測となったようです。気温も東京で20.3度まで上がって、
街ゆく人々を慌てさせていました。厳しかった冬ともこれでお別れですね)

14年3月17日(月)
 真昼間に人工呼吸器(こきゅうき)馴染まぬ訳をしる痰の排出ただ多いだけ

そういえば確かに眠ると少ないね、とは云え常時眠れぬ我は


(気切してからの4年間は夜間寝る時だけ着用しなさい!。
との指示を受けて利用してきましたが、着けるとパタンキューで
起きても3,4回の吸引程度で綿のように眠ってました。
当然!昼間起きてる時も同じくフィットしてくれるものと勝手に
考えてましたら大間違い、痰が上がってきて気道を狭く
したり、一時的ですが塞いだりして呼吸のリズムを崩してくれる
ものですから、吸引は勿論外して休んだりと困ってます。
どうしてこんなに?と訊くと、健康体の人間誰でも1日200〜300mL
は出るんですが、自然に呑み下してなんの問題も無いとか。
それか出来ない苦労ですが、この先考えると、正直落ち込みます)

14年3月16日(
 長兄と暮らす老母のインフルエンザ(かぜ)癒えて逃げるが如くに退院なさる

終戦後の乱世を大病ひとつせず男児三人
(みたり)を育てし母よ

恩返ししたくもALS
(やまひ)に臥せをれば背中のひとつも流せぬ不孝

(この7月で98歳になるお袋さんが、ハンガーストライキよろしく病院の食事は
不味いと食べないとかで、兄貴が心配して病院と相談の上で退院してきたようで
すが、ヘルパーさんをつけるようにとも助言されたようで、この週明けから入浴
介助を自費でお願いするようです。急なことで介護保険の認定もこれからとの事
私はこんなですからどうにもなりませんが、女房とて私の面倒のみならずヘルパ
ーさんの相談に乗ったり、欠員を埋めたりとお袋の介助までする余裕はありません。
兄貴には随分と迷惑かけてるし、お袋には親不孝の限りです。全てが私のALS
から始まったことですが、こればかりはどうにもなりませんが、これが私の人生です)

14年3月15日(
 名ばかりの弥生三月、野鳥らの狭庭に餌あさる鳴き音騒がし

(春と言っても名ばかりの快晴でしたが、時折吹く北風が
大層冷たい!と我が家へ来られた皆さんが口を揃えてました。
自然界にある野鳥達にとって今が一番餌の無い時期なんでしょう。
野鳥と言ってもスズメ、シジュウカラ、メジロですが、お米、ひまわり
ミカンを切らさないように餌籠へ入れてやるんですが、先を競って啄ばみ時
には喧嘩までして腹を満たしているようです。この騒ぎも桜咲く月末迄でしょうが)

14年3月14日(金)
 人工呼吸器(こきゅうき)の刻むリズムに吾の呼吸合はぬがままに今日で三日目

その内にシンクロなして意識せず呼吸のできる時を待つのか


(これで3台目の呼吸器ですが、機種は同じで勿論メーカーも同じです。
気切して呼吸器を就寝時のみ使いながら4年、この間二度交換したの
を三日前まで使ってましたが、この度、設定を病院でしてくれたのと
同じにした新台と交換されました。ところが、昼間に限って違和感が
あって咽たりします。殆ど腹式で息を吸い込んでますが時折無意識に
胸呼吸をしてるようで、その時は吸えない吐けないに慌てて息を整え
なければなりません。未だ三日目ですから慣らし運転をと様子をみて
駄目なようだったら、相談しますが、正直言っていらついています。)

14年3月13日(木)
 ゆっくりと休んでおくれと哀願も私の時間は私が使うと

しっかりと食べて眠って服薬も忘れませんよとタフ妻
(たふさい)にやり

疲れても疲れましたを口にせぬ妻は出掛ける独りカラオケへ


(先の私の二週間入院騒ぎで疲れ切った筈の身体に鞭打って、その後の療養に
関する諸々を先生を筆頭に呼吸器業者、酸素業者やヘルパーさんにも
対応してくれ、やっと一息つけたところで、しっかりと眠って
好きなものでも食べて、体力の回復を図ったらと助言を
するんですが、カラオケで疲れとストレスを捨て
てきます!と喜び勇んで出掛けてゆきました。
明日は5時から10時半まで担当して
夜中の1時から明朝の8時まで
夜勤ですからねぇ72歳
無理は禁物なんですが)

14年3月12日(水)
四人(よったり)のテレビクルーにかこまれて何時もどおりの暮らしを曝す

(先の「NHK介護百人一首」に入選したことは既にお話しましたが、
テレビで歌を放送するだけに終わることなく、私のこれまでや今の生活
環境等々を紹介するとかで、朝の9時から5時までをテレビカメラを回した
り、インタビューしたり、プラス昔の写真をカメラに収めて帰りましたが、果た
してどのようなものになりますやら、25分番組で10首ですからお手並み拝見です)
(放送は・4月16・17のどっちかで、Eテレで20時からの予定とか)

14年3月11日(火)
 人工呼吸器(こきゅうき)を着けての暮らしに泣いてます、痰の吸引、ひと言だすたび

(先の入院前には就寝時のみ呼吸器を着けてましたが、眠ってるんですから言葉を
話す必要もないし、どうしてか痰の出も少なくって平均3回、多い時でも4回
目を覚まして吸引をし手足の関節を動かして貰って一晩遣り過ごしていました。
ところが、昼間生活時の呼吸器は実に邪魔で、呼吸器を着ける為にはカニューレ
に開いてる二つの窓を内筒を使って塞ぐ必要がありますが、引き抜いた内筒は、
その都度感染予防の目的で水洗いをし、アルコール消毒をしなければなりません。
なのでどうしてもの時以外は口パクか文字板で済ませてますが、痰の吸引だけは
内筒を抜かないと採り切れませんので、数え切れない程の抜き挿しに泣いてます)

14年3月10日(月)
 女房を急かせ頓服注ぎ込む乱脈発作の辛さに負けて

(前回も同じような時間帯でした、午後の3時過ぎた頃から始まって何も手に
つかなくって苦しい思いをしてるところへ女房が帰ってきましたので
予てから戴いてた特効薬(劇薬?)を胃へ注射器で注入して貰
って30分!嘘のようにケロッ!と治まってくれました。
先日の入院時の検査で大事になるようなものでは
ないとのお墨付きを貰ってますので心配は
してませんがその辛さに負けました)

14年3月9日(
 大変!とメールの届き励ましぬ自発呼吸で食事してるに

重症の誤嚥性肺炎罹患せし友は迫らる人工呼吸器
(こきゅうき)の選択

人工呼吸器
(こきゅうき)に命を託す覚悟なら呼吸器科への転院なされ

(家族ぐるみでお付き合いすること50年、私の発病から随分と励まされて
きましたが、この度、軽い風邪程度をこじらせて息苦しくなったところで
病院へ行ったら即入院どころか、人工呼吸器の選択を家族で話し合って決
めるように迫られたとかで、パニックになって疲れきってる様子でした。
入院4日目の今日は、熱が下がってお粥を食べたそうですから肺炎は快方
に向かって動き出したのかも知れませんし、そうあって欲しく祈るようです)

14年3月8日(
 女房を気遣いくれし彼の女(ひと)は「日ごと日ごとに」吾を見ていると

(この「日ごと日ごとに」を読んで私が入院した事を知って
私じゃなく女房が疲れてることでしょうね、と女房の好物を贈
ってくれました。確かにこの度の入院でも女房には随分と苦労をか
けました。夜中に痰を採ってくれないで、様子をみましょう!とナース
がさっさと電気を消して出てゆくこと2度、理由は血中酸素の警報が鳴らな
い!。だったらと女房をタクシーで来るよう呼んでくれと、哀願して息を潜める
こと40分、どうしたの!と跳び込んできた女房が胸押しを3回したところでゴロゴロ、
早速の吸引でスッキリし呼吸器を着けても雑音が無く、その後は朝迄ぐっすり眠りましたが、
女房は風呂に入り洗濯をして寝た頃は明るくなってたと、疲れた様子でした。有難うの一言です)

14年3月7日(金)
 吾を支え呉るる人々集ひきて呼吸器囲みイロハを学ばる

(私の療養生活を支えてくれてるケアマネを筆頭に、訪問看護ステーションと
8つの介護事業所から、私を担当(サービス提供責任者)してくれてる
方々プラス3名の13名さんに私共夫婦の計15名の「担当者会議」
を1時間半に亘って、昼間も使うことになった、呼吸器の着脱
その他の操作方法に注意点等々の勉強をして下さいました)

14年3月6日(木)
 NHKの取材を受けて歯噛みする思うに任せぬスピーチバルブに

(先に発表された「NHK介護百人一首」に入選したことはお話しましたが、
今後の放送に使いたいからと今日、二人の方が「話を聞かせて下さい」と
いらっして質問を始めましたが、私のスピーチバルブ(本当は身体)の
調子が悪く数語話しては痰を吸引し呼吸器を着けてを繰り返しましたので、
早々に引き上げてゆかれました。あの様子ではきっとボツだろうなと勝手に
決めてますが、過去にALS患者で入選したのを見てませんので複雑です)

14年3月5日(水)
 生活と暮らしのちがいを噛みしめるALS(やまい)を背負ひて生きてる我は

(ふと?こんなことを考えたりして、貴重な時間を費やしてしまいました。
生活・・・生きていること。生物がこの世に存在し活動していること。
暮らし・・・・・・・・・・・・・・暮らすこと。一日一日を過ごしていくこと。)

14年3月4日(火)
 喜びに胸が高鳴る音をきき、不安に高鳴る胸の音また

(それが何であるかは・・・・・ここはノーコメントとさせて戴きます。)

14年3月3日(月)
 流感に罹りし老母は隔離され独りベッドに如何に御座(おわ)すや

(御年97歳、下火になったと言われる今頃になってインフルエンザに罹って
8度程の熱で病院へ行ったら、院内へバラ撒かれちゃ大変と即隔離、家族の
面会も許されないとかで心配ですが、快方へ向かっていてくれるよう祈るば
かりです。自宅で兄貴と暮らしてましたが、認知とは違って物忘れがひどい
程度でしたのでヘルパーさんを頼る事もしないで暮らしてただけに心配です)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 一歩二歩回復への道登りゐるつもりがどっこい乱脈攻めに

(頻脈や乱脈は入院中にほぼ克服したものと思ってましたが、
今日の4時過ぎから始まって約4時間、和太鼓の乱れ打ちならぬ
心臓の乱れ打ちをやってくれました。心臓そのものは入院中にしっかり
と検査を受けて大病に繋がるようなものは無い!との、それこそ太鼓判を貰っ
てますので心配はしてませんが、その気持悪さと云ったらただただじっと我慢です。)
(乱脈=不規則に打つ脈)

14年3月2日(
 口パクをトンチンカンと読むひとにスクリーンキーボードを指せばニッコリ

(何をお願いするにしても言葉が必要ですが、それが無い悲哀を嫌になるほど
出す側受ける側共に味わってる昨近です。文字盤もやってみましたが、
1字1字を引き出すのに時間が掛り過ぎてギブアップ、そこで
思い付いたのが、私が使ってるパソコンのスクリーンキ
ーボードの平仮名をマウスカーソルで指し示して
読んで貰う!方法がばっちりで今後は慣れ
てさえ貰えればと、祈るようです。)

14年3月1日(
 呼吸器を外し内筒抜きとりてスピーチバルブを着けて<ありがとう>

(どうやら「言葉」が復活しそうな感じになってきました。
入院前はほんの数語でギブアップでしたが、今日話してみたら
かなり明瞭な言葉が出て自分でも驚くほど、但し女房が傍に居てカニ
ューレのベルトを引っ張ったりしてましたので定かではありませんが、ほぼ
駄目なものとちょっぴりながら諦めていましたので、嬉しい限りです。
問題は今日の歌のとおりで呼吸器を外し内筒を抜きとってから
スピーチバルブを着ける手間を、往復する事になります)

14年2月28日(金)
 三週間ぶりの入浴呼吸器を外してゆ〜るりまさかまさかと

(7日に入ったきりでしたが、清拭はほぼ毎日して貰ってましたので、
寄ってきた人に横を向かれるようなこともなく今日を迎えました。
最初は酸素を使いましたが、横向きに邪魔と外してからは自発
のみで約1時間、血中酸素が95もあるのに二度びっくり!
呼吸器は二酸化炭素を追い出す為に使ってるんですから
この分だと完全に外せる時がくるんじゃないかと?
希望的観測をしちゃいました。問題は腹水です)

14年2月27日(木)
 呼吸器のリズムに乗れぬ一日は川の流れに逆らうがごと

(夜間の眠る約7時間だけの頃は、呼吸器を意識するようなことは
なかったんですが、覚醒してて(当たり前です)見たり、読んだり、
書いたりの外、身体を動かされたり、精神的な出来事等々で心穏やか
に居られなかったりすると呼吸が呼吸器が作ったリズムとバッティング
して咽たりして傍に居る人を驚かせています。これに痰が絡んだりすると
大急ぎで吸引して貰いますが、カニューレ周りだけに取れ難く暫くは大変てす)

14年2月26日(水)
 自宅とは云えども自室六帖に療養グッズと納まり三日

(自宅へ帰ってきて3日、ヘルパーさんにも新しい仕事に慣れて貰う必要が
生じましたので、少々がたついてはいますが自宅っていいですね。只し女房殿は、
コーチ役として皆さんに覚えて貰う仕事がありますので今日も疲れた!を連発してます。
昨晩は泊まり番で、寝不足のまま往診などで忙しかった一日を頑張りぬいてくれました。
脱線しました!
病院の個室と違って慣れきった個室ですから当然のことですが、パソコンもありますし
専属の女房と14人のヘルパーさんが面倒を看てくれてます。有難たいことです。)

14年2月25日(火)
 退院も心身ともに疲れ果て呼吸器たよりに臥せゐるばかり

(兎に角疲れ果てました。
大袈裟に云えば、一年位の永い目で、腹腔内に溜ま
った水は、解消を待つことになるでしょう、と消極的な話。
二酸化炭素は呼吸器を使ってメリハリのある呼吸をすることで、
数値は抑えられるので24時間装着するように、とのお達しでした。
確かに入院中に採った3回の動脈血検査では、その度に数値が下がった
ようですから、これからの生活は自発呼吸がそこそこ有るにも拘らず呼吸器
に頼っての生活を強いられる事になりました。一番大事な言葉を捨ててですからねぇ)

14年2月24日(月)
 本日!やっと退院してきましたが、この13日間は
検査、診断が出てからは、調整、経過観察の明け暮れ
特に言葉(口パク)が通じず随分と辛い入院でした
特に女房が帰る8時頃から朝のヘルパーさんが来てくれる
9時までの12時間は、ナースコールを舌でタッチ出来る
位置にセットして微動だにしない体勢で過ごす辛さに
正直!疲れ果てました。

幸いにも私が訴えた諸症状の元凶は、笑って下さい
水分の摂り過ぎ!人工栄養1200tを加えて
2700tが腹腔内に水溜りを作って悪さを
してるんだそうて、今後は2100tに止めるよう
との指示を貰って退院してきました。

尚この間、沢山の皆様にはご訪問下さいまして
有難いのは当然として恐縮至極にこざいます。
どうぞこれに懲りることなくご訪問下さいますよう
宜しくお願い申し上げます。


14年2月11日(火)

 入院はもうこりごりと拒否宣言せし吾は待ちぬあすの入院

(気持的にはもう限界です。酸素に援助されててすが血中酸素は充分。
脈は時々跳びますが脈拍は70前後に落ち着いているのに・・・・。
兎に角気分が悪く沢山の薬に身体が浮かされてるような嫌な感じです。
あれほど入院はしない!と言ってましたが、この苦しみを抱えては無理、
呼吸器の調整で諸症状が無くなればと、祈るような気持で行ってきます。)

14年2月10日(月)
 都知事戦八時二分に当確を打たれ終戦十六人の

(昨日行われた「東京都知事選挙」の
投票率は46.14%で前回の62.60%
より16%も減りました。あの雪の翌日ですから
已むを得ないこととは思いますが、50%を切るような
数字だけで東京都の知事を決めてしまって宜しいものかどうか、
何時もながら悩むところです。それはそれとして、有名無名を交えて
16名もの候補者が、我こそはと投票結果を待とうとしてた矢先の8時2分
NHKのBSに・舛添 要一当選確実・のテロップが流れてジ・エンド驚きました。
出口調査が教えてくれたんでしょうが、開票が始まってもいない筈の投票終了直後でした)

14年2月9日(
 降りました<近年にない大雪>が東京中をマヒさせました


2014/2/8に我が家の満開のに降った・蔵王の樹氷のようです

(昨日の関東一円の大雪を、去年の「過去に経験したことのない大雨」に倣って、
気象庁は「近年にない大雪」が降ると発表し大雪警報を出しました。
その結果が都心で27センチ、それも粉雪が今朝の明け方まで降って、止む頃
になって急に気温が上がったようで地面は凍ることなくシャーベット
状、丁度日曜日で皆さん自宅で団欒をと思いますが、土日を行楽に出たままに
目的地へ行けず、帰れずの人々が空港や高速道路上に動けずお気の毒です。
加え私を看てくれてるヘルパーさん、自転車が使えず歩きや電車での訪問です)

14年2月8日(
 やっとこさ水曜十時に入院をせよとの電話に四日の辛抱

(待ちに待った入院がやっと決まり12日の午前中に来いとのこと。
何日間かは不明ですが2,3日だろうは訪問先生のお話です。
呼吸器の設定は、気切した時のままに丸4年使いました
ので、進行したALSに置いてけぼりにされました。
今日を入れて4日、体調が悪いだけに辛抱です)

14年2月7日(金)
 ソチソチと賑やかなれど今の吾は入院指示の電話を待つ身

(ロシアのソチで始まった冬季オリンピックのニュース、話題でもちきりです。
私も楽しみにしてましたが、体調不良で入院を待ってますので、
気もそぞろでそれどころじゃないのが現状です。)

14年2月6日(木)
呼吸器を外した時に知ることは空気の重さと肺の怠慢


(薬のお陰か、頻脈も息苦しさも落ち着いたんですが、
酔っぱらったような浮いてるようななんとも気分が悪くって、
思い付いたのが呼吸器を着けて眠っちゃえ。案の定!一時間ほど
眠ったり静かにしてると治まることが分かったんですが、呼吸器を外し
た途端に呼吸の一回一回を意識して吸うほど重くって、呼吸筋の衰退を改めて
知らされた感じです。近々入院したら現状に合う設定をしてくれることになってます)

14年2月5日(水)
 悪さする奴を薬で黙らせるつもりが俺らも黙らせらるる

(毒をもって毒を征す。
頻脈を抑える薬が効き過ぎ?て、6,70代にまて落ち着いた
のはいいんですが、気分が悪くて意欲を欠きなにする元気をも
無くしてしまいましたがここは我慢です。呼吸器の調整をして
使うことで二酸化炭素を排除すれば元気を取り戻せるそうです。
その時を一日千秋の思いで待ってますが、ばてそうです)

14年2月4日(火)
 この重き疲れを癒やす手に詰まる、呼吸器調整請け手探しに

(呼吸筋の衰退で血液中の酸素が減るのはそれとなく分かってますが、
替わりに二酸化炭素が増えて悪さをしてくれるとは、聞いてはいま
したが、脈拍を早くしたり、乱れたり、跳ばしたりして息苦しさを
演出してくれてます。こうなったら呼吸器の設定を替えたりするん
だそうですが、それを遣ってくれる病院が見つかりません。
最終手段は、気切をした大学病院ですが、主治医に連絡が付かずに
万事休す。何れにしろ1,2泊の入院になるようですが、個室待ち
で何時になるか、を考えるとまたまた心臓が騒ぎ始めてくれました)

14年2月3日(月)
 豆撒きだ恵方巻きだと節分の騒ぎを聞いて戸締りをする

(よそ様で豆に打たれた鬼が、身を隠すために、
豆撒きをしない我が家へ逃げ込んできたら大変!と。)

(尚、今年の恵方は「東北東やや右」だそうですが、
福の神様がいらっしゃるんだそうですね。)

14年2月2日(
 口パクを読んで貰えぬとは言はず読んで貰える努力をなさい

(自問自答です。)

14年2月1日(
 NHK介護百人一首とふ冊子の届く吾の短歌(うた)載せて

(3年目の応募でやっと入選しました。応募総数は11,606首で
去年よりは1000首程減ったようですが、今年の短歌は充実してます。
3割以上はあった「認知症の歌」は22首で、中でも患者さんを玩ぶようなも
のは殆ど無くなりました。それにしても驚いたのは、冊子を10冊に100首を収め
たDVDを一枚と、おまけに立派な表彰状まで付けるという太っ腹な事をやってくれました。
が、これ大袈裟過ぎやしませんかねぇ、テレビでの放送は勿論、作者の写真付きの
パネル展を、全国のNHK支局その他で開催すると言うんですから念入りです。)


入選歌・歩くこと立つことさへもかなわぬに靴を履かされ車椅子に座(ざ

14年1月31日(金)
 冬晴れのもたらしたまふ小春日のほっこり温し睦月ゆく日は

(言い古された言葉の一つに「月日の経つのは速い」がありますが、
当にそのとおりで新年の1月も今日で終わってしまいました。
雪どころか雨もろくに降らない一ヶ月で寒暖の差が激しく
桜が咲き始めるような日が何日もあった睦月でした。)

14年1月30日(木)
 新薬になるやも知れぬ発明の竹の子のごと出でき騒がし

(ALSは「不治の進行性難病」で得体の知れないものでしたが、ここ何年
かで世界的に研究が進んだようです。そんな中、昨日も、理化学研究所
が作製に成功した
「STAP細胞」を発表し日本のみならず、世界中
の研究者の度肝を抜くほどの騒ぎになっているようです。
ノーベル賞を受賞した山中伸弥京都大教授が平成18年に開発した
人工多能性幹細胞(iPS細胞)
は癌化がネックになってるようですが、この度のはその心配は殆ど無いと
言うんですから絶賛される筈です。それにも増して驚きなのは、発見した研究
者が
早稲田出の30歳の女性である事、私のような人間はこっちの方に万歳ですが、
これってノーベル賞の対象になるんでしょうか?、だとしたら歴史的出来事です。
これで
・HGF・ES細胞・iPS細胞・STAP細胞・と役者は揃いました。
が、治療薬が出来ALS患者が居なくなる日がくるのは、何時になるんでしょう)

14年1月29日(水)
 そう云えば東京知事選やってたな、俺らの往き方探しをよそに

(都知事もですが、私の方は、ALSの進行による不具合に
どの方法で対処すれば宜しいのか迷っています。
都知事選は郵便で明日投票する予定です)

14年1月28日(火)
 今日だけは女房にありがとう云ひました、突発下痢の見事な処理に

(尾籠な歌で恐縮至極にございますが、どうぞご容赦を。
数週間前から雪解け状態で、時折雷様が暴れたりして腹をパンパンにしてくれ
不快な思いをしてますが、排出のリズムが月木と崩れることなく過ごし
てた今日、予定外の突発でした。ヘルパーさんも女房も不慣れと
きてて案じましたが、いざとなったら女性は強い、見事な
連携プレーでこなしてくれました。このところだん
だんと薬の種類が増えてそのせいかとも思い
ますが・・
ノロでないことは確かです。
流石の私もヘルパーさんは勿論
女房にも 
ありがとう!
が思わず出ました)

14年1月27日(月)
 新造の何時かは入るだろう墓へ女房は参ぜし寺に招かれ

(未だ区画と土台だけのお墓ですが、
お寺さんのお墓を買うと云うことは檀家
になったと云う事なんですね、有り難いことに
何かにつけてお呼びが掛ります。今日のは新年のご挨拶。
序で、は逆で実家へ新年のご挨拶をした後のお寺とお墓でした)

14年1月26日(
 なまじっか呼吸器なんぞがあるゆえに頼りつ生きる術に悩みぬ

(呼吸筋が弱まってゆき呼吸が満足に出来なくなったところでギブアップ。
ここで人工呼吸器の装着です。とゆけば事は簡単ですが、24時間介護
と云う難題が立ちはだかって、患者は勿論、面倒を看る家族も悩みます。
突然の出来事で、このままじゃ死んじゃう、だったら万人が、助けて!
でしょうがALSは違います、進行性が故に進行状況が患者それぞれに
違い、私のようにゆっくり進むタイプだと、思い悩む時間が有り過ぎて
着ける、着けないのどちらにも決断出来ないでうじうじして過ごしてます)

14年1月25日(
 この辺で疲れましたと寝(ね)につくもよかれと思う奴が囁く

(ノーコメントとさせて頂きます)

14年1月24日(金)
 動脈血検査結果を見るにつけ悩ましきことこの上もなし

(訪問の先生の口利きで、予約をして戴いた練馬総合病院で検査をしてもらへました。
最初は、入院しなければ、だったんですが3時間弱で出来てほんとに助かりました。
問題は、検査結果を踏まえてこれからどうするか、ですが、
大変重い事柄だけに様子を見ながらの格闘となりそうです)

14年1月23日(木)
 ドラマとは云えども我の罹患時と同じもの観るALSの

あの時を思い出すことのみならず引き摺るものは余りに重し

絶対にハッピーエンドにはならぬ筈のドラマを好奇の眼で観る


(ALS協会ご推薦のテレビドラマ「僕のいた時間」をフジテレビで3回目まで観ての歌です。
主人公は22歳の青年でALSに罹患した処まできてます。
どうして、僕が…!? お母さん、助けて!
と、絞り出すような声が耳底にこびり付いてて放れません。
不治でも人工呼吸器を頼りに生き続けられるのが問題化してるようですが。
22歳の元気溌剌の青年がALSに罹るとは初耳です。益々得体の知れない病気のようです)

14年1月22日(水)
 引導は未だ渡されぬ頻脈を押さえ込まんと医師のご努力

結論を急がずじっくり原因を探しています頑張りましょう


(定期診察日でカニューレの定期交換をして貰いました。
序でと言っちゃあなんですが、肉芽も切除して貰って心なしか
空気の通りが良くなったようで、身体の姿勢によっては言葉を出せる
ようになりました、何時まで続くかですが。辛い頻脈については辛抱です)

14年1月21日(火)
 吾が中(うち)に休むことなく働ける心臓殿のご乱心に泣く

ご乱心なさる心臓御しがたくただただ辛さに耐えるのみなり


(あれやこれやと薬を替えたり混ぜたりしてくれてるんですが、
なかなかこれと云ったのが見つからないようで、
どっちかと云うとだんだん酷くなってきたようで辛い毎日です)

14年1月20日(月)
 大寒をぬくぬく臥せて迎えしにヘルパーの手に冷え込みを知る

(暦の上での事ですが、一年中で一番寒い、と言われてるのが今日なんだそうです。
確かに関東平野では、乾いた寒さに見舞われて皆さん寒い寒いを連発されてます。
私はお陰さん?で布団に包まって温くぬくですが、外から来られるヘルパーさんは大変です)

14年1月19日(
 雪山をスキーの板を翼とし誰(た)より遠くへ飛びます沙羅は

飛べば勝つワールドカップの女子ジャンプ記録ひっさげいざソチ五輪


(若干17歳の女の子に、どうしてあんな恐ろしい事が出来るんでしょうか。
あの高い処からスキー板にのって空中を飛ぶんですよ100mも、感心してます。
今日、ワールドカップ・ジャンプ女子は、山形県の蔵王ジャンプ台で個人第9戦が行われ、
ソチ五輪で金メダルを狙う高梨沙羅選手が1回目に最長不倒の98メートルを飛び、2回目
は強風で中止になりましたので127,5点で優勝しました。これで今季9戦中8勝ですからねぇ
ダントツのチャンピオンですが、目標はソチ冬季五輪の金メダルの筈、怪我しないよう頑張ってね。)

14年1月18日(
 遺伝子とIPSで新薬が出来たの報せに喧しきこと

とは云えどマウスやラットの段階で<治る>は余りの喜びようよ

そうとして治験の結果が出るまでを果たして待っていられましょうか

固定化かスピードダウンか完治癒かALSは進行性なり

ではではと治癒をと覚悟せし我に数千万円は要るとの噂


(去年の暮れ頃から突然のように、アメリカでは治験の、東京大学と東北大学では
薬が出来る目途がたったような事を発表したようですが、速くて5年
それも順調にいってのことで私が生きてる内に治療が出来る
ようにはならないと、勝手に決めて覚悟してます。)

14年1月17日(金)
 顧みる、七十五年の人生を他人の知らぬ俺らのそれを

(顧みるだけでなく、文章にまでしてどころか本にまでして
遺そうとされる方が結構いらっしゃるそうでちょっと驚いています。
私のは昨晩見た夢の続きをあれこれ考えてて、今日のこの歌になりました。)

14年1月16日(木)
 待望の和製横綱つくらんと背中を押すに土俵跳び出す

ああ無常十二
(じゅうふた)場所も大関で優勝できぬ稀勢の里ああ

理事長のヨイショがあるにも拘らず<心>の鍛錬なさらぬ故か


(2003年初場所で貴乃花が引退して以降、和製の横綱は11年間不在です。
稀勢の里がその先頭を走って、各界から待望されてるようですが、
今日の相撲を見る限りとても横綱の器ではありませんね。
時間になっても仕切ろうとせず棒立ちで相手を
見てるのは迷ってる証拠、心技体の心が
未だ磨かれてません、残念ながら)

14年1月15日(水)
 枝えだに雪の花咲く如月の朝は梅の香なくてまる



(今年も「歌会始」が皇居で行われ、一般からの詠進歌2万1680首中の10首が
入選歌として、伝統的な発声と節回しで詠み上げられました。 私も冥土の土産にと
一昨年に続いて詠進しましたが、今年もその他大勢の方でした。折角!娘婿さんに
頼んで、半紙に毛筆で書いて代筆理由まで添えて貰ったんですが、当たり前の結果
に終わりました。それにしても入選3回目の人には驚きです、毎年2万人以上の人
が詠進して歯軋りしてるのに不思議な事があるものです。来年のお題は
「本」です)

14年1月14日(火)
 心臓の薬を盛られぼ〜んやりと今日のひと日を無益に過ごす

(薬の効果は善悪の表裏一体ですね、悪さをする奴をビシッ!と
やっつける力が余って、頼んでもいない処へちょっかいを出す。
いわゆる副作用ですが、今の私は、ぼんやりと眠けに襲われて
閉口してます。思考能力50%、何時まで続きますやら、です)

14年1月13日(
 梅一輪寒さのそこに咲き初めてメジロを待ちぬ冬陽のなかに



(我が家の梅がこの冬は例年より2週間ほど遅れて咲き始めました。
北風は全く当たらないで、南からはさんさんと陽が当たる
環境ですのに、年によって差が出るのは気温でしょうか)

14年1月12日(
 頻脈の苦しさかかえ何なすも身につかざりて泣きべそかきぬ

(何が原因で脈がこんなに速くなるのか私には判りませんが、
朝から不快で気もそぞろ、とうとう昼を過ぎた頃から120も打
つようになってギブアップ、お休みの先生にお願いして予め戴いていた
頓服?を服んだところ、嘘のように、は嘘ですが取り敢えず90代に落ち着き
ました。若い頃から頻脈はありましたが、こんなに長時間苦しめられたのは初めてです)

14年1月11日(土)
 男性に慣れてませぬと高年の女性介護師おずおず触る

(前にもこのようなヘルパーさんがいらっしゃいましたが、
あの方は
「私が男性に触られるの嫌だから(なのにお子さんは居るとか?)
利用者(私)さんも女性の私に触られるの嫌でしょ」
と責任転嫁をされましたが、この度のヘルパーさんは
「施設勤務が長くそれもお婆ちゃんばっかりで男性は経験してないんです」
と自信なげに話してましたが、頑張って欲しいものです)

14年1月10日(金)
 この冬の一番と云ふ冷え込みに無謀な散歩に出(で)しも逃げ帰(き)

月の浮く冬晴れの空澄み渡り 澄み渡りたり 澄み渡りたり


(今年初の外出日、と云っても最長で3時間ですが、
今日は心臓奴のご機嫌が悪いときて逡巡してたんですが、
やっと落ち着いたところで支度に取り掛かって出発は2時丁度。
近所の公園で日向ぼっこをし乍ら、澄み渡った青空を堪能してきました)

14年1月9日(木)
 ありがとうたった五文字のありがとうを云えずに気まずき時の流るる

口にだすこともなかろうありがとうはその度ごとに眼でかえしてます

生きてゐる限りは介護の手によりて暮らしてゆきぬありがとさんと


(お恥ずかしい話ですが、昨日女房とひと悶着ありまして「ありがとう」が無い!
とお冠ですねたりするんですから往生しました。私も昔の人間ですから照れと
でも言うんでしょうね、その度毎に言わなくったって・・・が邪魔をして。
考えるまでもなく、これまでも、これからも女房を筆頭に沢山の他人様
の手をお借りし続けるんですから、「ありがとう」のてんこ盛です)

14年1月8日(水)
 出来合いのスピーチバルブに手を入れてこれでどうかと訪問医師(いし)の優しき

軽く出る声に嬉々としお喋りをしている内に痰にからまる


(何が原因なのかはっきりしない内に、話すのが苦しくなってきて試行錯誤してましたが、
この度、訪問の先生がバルブを細工して空気の通る量を増やしてくれました。
当然呼吸が楽になって声を出し易くなりましたが、痰が気道に絡んで
きたところでギブアップでした。直ぐ痰を吸引すれば楽になり
ますのでOKです。先生お忙しいでしょうに工具を使っ
て細かい細工をして下さって有り難いことです。)

14年1月7日(火)
 七草がどうした俺らのお粥には人の手になる種種(くさぐさ)数多(あまた)

(正月七日とくれば「七草粥」でビタミン不足を補おうと、
遠い遠い昔の人々が考えだした事のようですが、今ではイベント化
してデパートや人の集まるような処で皆さんに振る舞っ
たりしてると、テレビニュースが報じてました。我が家では女房が
独りでしょんぼりですから、炊かなかったようですが、
私の食事(人工栄養)には無数の食材が使ってあって有難い事です)

14年1月6日(月)
 何もかも面倒臭くなりましたまともにお喋りできなくなりて

(いよいよの時がきたようで、スピーチバルブを着けられる時間が短くなって
きました。球麻痺症状なのか、呼吸筋の弱体化なのか定かではありませんが、
バルブを着けるとその息苦しさに必要最低限の言葉だけで外してしまいます)

14年1月5日(
 眼を見張るばかりに成長せし孫娘(まご)をまた来る日までと一先ずおくる

(5泊6日の滞在でした、と言っても殆ど毎日、東京社会科見学?に出掛けてましたので
家に居る時間はほんの僅かでしたが、遣ること成すことが私の子育て時代とは
雲泥の差で呆れるほどでした。小4と中2、女の子同士性格は正反対ときて楽しみです)

14年1月4日(
 お年玉いただきました呼び鈴の鳴らぬ一時(いっとき)呼吸に苦しむ

警報を鳴らせばよしと息つめて無駄な抵抗なして汗かく

暗闇にぬっと現わる女房に呼吸器外せと訴う口ぱく

胸押して吸って胸押し痰吸引一時
(いっとき)かかりてほっと息吐く

(昨晩は女房の泊まり番で、2時の時はしっかり鳴りましたので、
全く考えられなかったんですが、6時前は鳴らなくって起きて
くれません。だんだん痰が溜まってきて咽せるし苦しくなるし
で覚悟するほどでしたが、7時に目覚まし時計をセットしていたと
かで事無きを得ました。もう二度とこんな思いをしないよう考えます)

14年1月3日(金)

 初風呂を介護スタッフの手によりてリビングに浴ぶ正月三日

(去年の納めの湯が師走の27日でしたので、
丁度一週間ぶりの初風呂でした。)

14年1月2日(木)
 いつになく賀状のふえてなっとくす介護事業所八社ともなり

イヤホーンを耳にお笑い番組をにやつき視てて笑いものになる

孫たちは三つに分かれてお出掛けで各々ごとのみやげ話を


(1)今年は珍しく賀状が増えました。その殆どが介護事業所からのものです。
(2)皆さん?の話し声は消せませんので、私がイヤホーンで聴いてニヤついてます。
(3)お父さんと下の娘、お母さん、上の娘の順で出掛けましたが、帰りはその逆でした。

14年1月1日(
 新年の明けてあしたに想い馳す十五年目の療養暮らし

新年が明けたと云えどもALS
(やまい)には目出度きことなど微塵もなくて



(早々のご訪問誠に有難うございます。佳いお年をお迎えのこととお慶び
申し上げますと共に、引き続きお付き合い下さいますようお願いします)

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