日ごと日ごとに2005


奥日光・金精峠付近

一日一首を目標に
私がんてつの身の周りに起こったこと、ALSとの格闘?の模様、
季節の移ろい、世の中の出来事までをも、三十一文字に纏めて、
日記のつもりで短歌らしきものにしています、どうぞ、ご笑読下さい。
お時間が許しましたら先頭(元日)からお読みください。

05年12月31日(土)
空たかく光り燦燦満ち充ちてこの一年(ひととせ)を装ふやうに
 (今日はいよいよの大晦日。東京は雲一つ無い冬晴れです。
  有終を飾るに相応しい、光り輝く青空に包まれています)

暮れてゆく「愛」の溢るる日の本の「哀」を鎮かに葬るやうに
 (今年を表す漢字は「愛」と発表されました。代表は愛子さま、つづいて卓球の愛ちゃん、  
  バレーボールの大友愛、字は違いますがゴルフの「藍」ちゃんの活躍ぶりは皆さん
  ご存知のとおりです。紀宮様と黒田さんのご結婚に肖ろうとの純「愛」ブームも手伝
  っています。一方、アイはアイでも「哀」しいできごとは引きも切らない状況でした、
  そんな一年にも、いよいよ幕が降ろされる時が、あと数時間後に迫っています)

「愛」満ちて人みな「幸せ」口にするそんな朝(あした)がきっとくるはず
 (来年を表す漢字が「幸」せ、になるような、そんな新年にきて欲しいものですね。
  どうぞ皆様、風邪などひかれませんように、健康で明るい新年をお迎え下さい)

05年12月30日(金)
遠く住む孫娘(まご)より「行く」との電話受けし今日よりカウントダウンを始む
 (正月5日に来るとの電話がありました。4ヶ月振り、楽しみです)

05年12月29日(木)
<今日からは迎春順備に入ります!>言ひ置き妻は美容院へと
 (残すをあと3日、朝から忙しげに動き回っていた女房が、今日からお正月の
  準備するからね!と言いながら出かけて行きました、先ずは美容院だそうです)

05年12月28日(水)
歳末の喧騒抜けて訪れし病院は今日も鬱々として
 (今日は、今年最後の定期診察日でした。病院への車中(介護タクシー)
  から見る街なかは、クリスマスは終ったものの、後4日と迫った正月を
  迎える準備のためでしょうか、沢山の人々や車たちが寒空の下を
  忙しげに行き交っていました。それに引き換え病院内は相も変わらず、
  何時もと同じ空気が澱んでいるようでした)

事件事故歳末喧騒どこへやら銀座はけふも澄まし顔して
 (行きがてらちょっと遠回りをして銀座の街をゆっくりと流して貰いました。
  車窓から見る佇まい、雰囲気は相変わらずで、大人の街を絵に
  描いたよう、まるで別世界です)

05年12月27日(火)
リビングが俄か歯科医院となりしごと往診機器が所狭しと
眩しいと思ゆるほどに女医さんの手際よきこと冬日を浴びて
 (10月から始まった歯の治療、この度9回目の往診を受けて終了しました。
  治療用機器一式を持ち込んで(こちらで用意するのは水だけ)のことです。
  時によりますが、2ないし3人の助手さんを従えてテキパキテキパキと
  それはそれは見事な治療ぶりでした。お陰でしっかりと噛みしめられます。
  若くて美しくって腕は確かな女医さんでした、ほんとに有難いことです。)
診療を終へし奥歯を噛みしめるALS(やまい)と闘ふ覚悟を胸に

05年12月26日(月)
有難い!有難いねと繰り返す冬日がリビングいっぱいに満ち
 (我が家は四階それも真南に向かって建ち、遮る物が有りません。
  高さ1.8m幅2.7mの素通しのガラス戸を透して、14帖のリビングいっぱいに
  日差しが入り込んできます。陽が差し込んできた途端、室温が上がり始め
  ますので、日中はストーブ無しで過ごせます。このご時世に有難いことです)

05年12月25日(
卑屈にはならぬと思へど疲れたり「お願い」「有難う」を吐く暮らしには
とは言へど素直に「有難う!」が出でし日はあしたのあるを嬉しとおもふ
 (特別に何かがあった訳では有りません。がしかし、面倒を看てくれている女房の口から   
  「ふっー」という溜息が聞こえたりすると、疲れてるんだろうなとか、息を抜きたいこと
  だってあるんだろうなとか、思い遣る気持ちだけは動きます。ですが、現実はシビア
  です。ああして、こうしての連続、「有難う」がわざとらしくなく言えたときは、言った私も、  
  聞いた女房も、はんなりとした気分でいられるんですが)

05年12月24日(土)
イブといふ光り輝く夜もある。目を覆ひたき事多き国に
 (今日はクリスマスイブ、国民の多くが「俄かクリスチャン」となる日でもあります。
  街中どころか、近年では住宅地でもイルミネーションを楽しむお宅が増えて、どこも
  かしこも不夜城の如く光り輝いています。一方この一年、目も耳も蓋いたくなる
  ような事件、事故が相次いで、巷では「おかしくなった」とまで囁かれています)

05年12月23日(
柚子の香に包まれ伸ばす手に足にジンジン沁むる冬至の熱湯(あつゆ)
 (昨日は冬至でした。冬に至る、当に冬です。今日は週一度の「訪問入浴日」。
  普段からどっちかと言うと熱めの風呂が好きでしたが、このところの寒さです、
  設定は43度、実際は何度か分かりませんが、ヘルパーさんが「熱いですね」
  と言うお湯に、一日遅れではありましたが柚子を浮かべて、ゆっくりと浸かりました)

05年12月22日(木)
池の面を跳ね来る冬日のするどきは昨夜結びし氷のしわざ
 (年内にこう何度も氷が張るなんてこと、ほんとに久し振りです。日本海側の各地では
  今日も吹雪模様が続いているようです、年末へきて何かと忙しい事でしょうに大変な
  ことです。気象庁は今日、12月〜2月の3ヶ月予報を「全国的に厳しい寒さになる」と
  変更。1985年〜86年の冬以来の寒さと大雪になる可能性があると発表しました。 
  冬日と言えども、氷の面を跳ねてきた光りは、スポットのように鋭いものです)

05年12月21日(水)
いつのまに現在(いま)の暮らしが普通になったALSと共に七年あまり
 (ALSと共に7年余り、急激な進行もなく、身体を動かせないだけの生活にも
  すっかり慣れて、今ではこれが普通になってしまいました。
  沢山の方々に支えられての事ですが、有難いことです)

05年12月20日(火)
武蔵野に欅のありて冬に入る縮れもみぢ葉着けたるままに
 (武蔵野のシンボルとも言われる欅の樹に、今異変が起きています。本来ならば
  今頃はすっかり葉を落として、冬に向かって凛と起ってる筈ですが、どうしたものか
  この秋は、焦げ茶色に縮れた葉が未だに枝々にぶら下がって落ちずにいます。
  報道によりますと専門家と言われる方々が調査を始められたとか。我が家の前に
  ある欅も、ご多分に漏れずというところですが、この冬の気象予報が「暖冬」と出てま
  したので、若しかすると油断?をして落葉の時期を逸してしまったのかも知れませんね)

05年12月19日(月)
ドンッ!と起つ新築マンション我が窓を見下ろし睨む高きを笠に
 (西隣りに建築中のマンションの覆いがこのほど取り払われました。
  8階と12階建て、こちらは4階、当然見下ろされています。
  この新参者が!態度でかいぞ!と言ってみてもせんないことです)

05年12月18日(
銀盤に十五才(じふご)の妖精フィギュア舞ふ五輪をよそに真央は女王ぞ
 (恐るべき15歳、浅田真央ちゃんが、フィギュアスケートGPファイナル最終日女子フリー  
  で優勝してしまいました。その舞はほぼ完璧、本人も100点ッ!と言ってましたが、
  その度胸たるや見上げたものです、残念なのはトリノオリンピックへの出場資格が
  無い事、次まで待ち遠しいことですが、怪我をしないで無事に過ごしてほしいものです)

05年12月17日(土)
ひとときの夢に終りし治癒の夢ES細胞デッチ上げられ
 (先に韓国人科学者の率いるチームが、ヒト・クローン胚を作り、そこから胚性幹細胞
  (ES細胞)を取り出し培養することに初めて成功したと発表されていましたが、この度
  事実無根ねつ造の可能性ありとの衝撃的な発表がなされました。
  「溺れる者藁をも掴む」その藁がデッチ上げられたものだったとは・・・この先またまた
  空を掴んで生きてゆかねばなりません。中国の「OEG細胞移植」も、一時ALSに効果
  ありと報道されましたが、今では話題にもなりません。私の主治医の見解は、進行を
  止めるのに10年、治療に行き着くまでには、その先10から20年を要するでしょうとの
 こと。私にとっては絶望的な話ですが、案外こんなところが的を射てるのかもしれません)
夢ならば夢そのままに措かれたしES細胞待つ身の哀れ

05年12月16日(金)
人肌の心地好きこと極まれる温めし酒の喉越すをりは
 (”寒さ厳しい折ともなりますと、日本酒、それも人肌に温めたものがよろしいようで”
  ときますと落語の「まくら」のようですが、日本酒独特の「燗」をして飲むという文化。
  熱すぎるとツンッとした香りが邪魔になりますし、ぬるいのもいけません。
  人肌(36℃)とはよくいったものです)

05年12月15日(木)
きょうひと日介助に介護、看護までうけて暮しぬプログラムに沿ひ
 (私の一日は、朝8時の起床から始まり、24時に床に就く迄を、女房に代表
  されるヘルパーさん計8人に面倒をみて貰って成り立っています。
  その他に、看護士さん、マッサージ士さん、訪問入浴の皆さんの手も煩わせ、
  その全てが曜日毎、時間毎にプランニングされています。従って規則正しい
  事この上も無く、体調がいいのもそのお陰かもしれません。
  しかし、このような生活が何時まで続けられるのか、また、何時まで続くのか、
  に考えが及んだりして、時折ですが落ち込んだりしてしまいます)
プログラムされたる我の療養はベッドに置かれてきょうのお仕舞ひ

05年12月14日(水)
東京の夜陰に降りし初雪はテレビニュースにキラキラと舞ひ
 (例年より22日、去年よりは18日早い初雪が、11日の夜東京の夜空に舞いました。
  と言いましても、私は後のテレビニュースで知っただけで自分の目では見ていません。   
  それにしても早い雪です、このところの冷え込みは真冬のそれと報じています。
  空気がカラカラに乾いていますので、悪い風邪など流行らなければいいがと心配です)

05年12月13日(火)
咲き満つることをしらずや山茶花は散り敷きてなほはんなりとして
 (今盛りの山茶花は、一斉に咲くことをしないで、あとからあとからチラチラチラチラと
  散ってゆきます。樹の下一面を、花色に染めた様子は遠目にも美しいものです)
人知れず咲いたか散ったか山茶花は散り敷きゐたり咲き満ちゐたり

05年12月12日(月)
夢を購ふ見果てぬ夢と知りつつも三億円(さんおく)積み上ぐジャンボな夢を
 (ご存知、年末ジャンボ宝くじ、今年もまたまた買ってしまいました。夢は大きい方が
  いいとはいいますが、230万本に1本と聞くとアホらしいとも思います。が、買って
  さえおけば・・・と今年もまた夢をみています。若し若し当たったら?勿論!ALSの
  研究に役立てて戴くよう寄附をする事は言うまでもありません)

05年12月11日(
木枯らしに追はれもみぢ葉脱ぎ捨てし梅にふっくら花芽の妖し
 (鉢植えですが、すっかり葉を落としました。陽だまりに置いてあるせいか、
  花芽がもう赤みをおびてふっくらとしています。順調であればお正月に
  合わせて咲いてくれるんじゃぁないかと思えるほどです)

05年12月10日(土)
賀状書く手をふと休め思ひ馳すこの一年(ひととせ)を無沙汰に過ごし
 (書くと言いましてもパソコンでの事です。いまとなっては賀状だけのお付き合い
  となってしまった方々が沢山いらっしゃいます。この一年どうなさっていたやらと、
  お一人お一人に想いを馳せてのことで、一向に作業がはかどりません)

05年12月9日(金)
マンションの建築現場は覆ひの内で騒音つくる作業をするらし
 (お隣の建築作業中のマンションからは、色々の騒音が漏れ聞こえてきます。
  四方を防災(炎)シートで覆っていますので、中で何が行われているかは
  分かりませんが、音だけは如何ともし難く、遠慮なく撒き散らしてくれます)

05年12月8日(木)
天を突く公孫樹の黄葉(もみぢ)凛として青澄む空に染まぬとばかり
 (我が家の前(小学校の敷地内)にある公孫樹(イチョウ)の大木3本が、いま
  黄葉の真っ盛りです。三階建て校舎の北側に有りますので、直射日光を求め
  て伸び上がったものと思われます。すっくと青い空をバックに、折からの冬日を
  受けて黄色も鮮やかに立っている姿は、何者をも寄せ付けない凛としたものさえ
  感じます)

05年12月7日(水)
中空に三日月ありて静まれる夜空にビルの角(かど)立つシルエット
 (ゆうべの月は三日月よりもちょっぴり太めでしたが、澄み切った寒夜の空に
  見事でした。昼間の喧騒が嘘のように、建物の群れが四角いシルエットと
  なって夜空に溶け込んでいます)

05年12月6日(火)
寒空に青春(はる)を謳へり山茶花の花は色香の匂ふがごとく
 (今アチコチのお宅の生垣に、山茶花が賑やかですが、どうしてこんなにも
  寒い時期に咲くんでしょうか、不思議です。きっと蜂や蝶の手を借りなく
  ても子孫を遺せる術を持ち合わせているんでしょうが、香りが殆ど無い
  のはその所為かもしれません)

05年12月5日(月)
空高く澄みて明るく凛として富士山望む東京は冬

             山梨・大月・滝子山より
 (しっかりとした冬型の気圧配置とかで、東京は朝からピンカンの冬晴れ、
  典型的を絵に描いたようです。今では富士山を我が家から観る事は
  できませんが、テレビ番組の中では、朝から何度も「今日は富士山が
  綺麗に見えています」と放送しています)

05年12月4日(
妻やをら大根(だいこ)を前に独り言「漬けて卸して風呂吹きにしよッ!」
 (女房の独り言です。ピンとした葉つきの青首大根を買ってきてテーブルにドンッ!。
  それぞれが、糠みそ漬け(葉も)、ナメコの卸し和え、風呂吹きは柚子みそを
  添えて出てきました。いずれもが私の大好物です)

05年12月3日(土)
木枯らしのリズムに乗りて舞ひ躍る落ち葉の舞台はポプラの並木
 (先日病院への道すがらポプラ並木を通りました。折からの強い木枯らしに、
  大きな落ち葉が舞って行く手を遮られるほどでした。時折つむじ風が葉を
  巻き上げたり、転がしたり、暫しの間佇んで観ていました。
  東京はカラカラです、今晩あたり降るようですが、どの程度になりますやら。
  医師には加湿器を使うよう指示されましたが、未だ買いに行かずにいます)

05年12月2日(金)
池の面を跳ねくる冬陽が天井をはかなげに這ふゆらゆらゆらと
 (朝の内はスカッと晴れて、冬陽がリビングの奥迄入り込んできました。
  ふと見ると天井にも陽があたってゆらゆらと揺らめいています、
  風に揺れる水面に反射した光りが、天井を照らしたものでした)

05年12月1日(木)
 写メールに雪野に遊ぶ孫娘(まご)ふたり
                 「今朝は初雪掻きしました」とあり
 (盛岡に住む娘から、雪の広っぱで遊ぶ孫娘の写真がケイタイメールで送られて
  きました。積もったのは初めても、5センチもあって車を出すのに危なかったようです)

05年11月30日(水)
振り返ることはすまじを訊かるる過去。明日に怯えるけふも暮れゆく
 (昨日、介護関係の方々と、介護のありかたについて話し合ってきました。
  当然私の病気ALSを踏まえてのことです。告知から現在迄6年間の療養生活は、
  沢山の方々の介助、介護のお陰で今があるといっても過言ではありません。
  自分のなかでは、既に過去となった筈でしたが、告知を受けた当時の事を
  何気なく話していた積もりでしたのに、帰宅してからは無口になっていたようです)

05年11月29日(火)
秋の陽を写しとりしか桜葉は日ごと彩なし<もみぢ>となりぬ
 
 (秋の陽に色があるとすれば、秋色でしょうか。その色に染められたように、
  桜の葉も紅葉しています、残念ながら、今年は今一美しいとまではいき
  ませんが、確かに「もみぢ」しています)

05年11月28日(月)
をとといも きのふも けふも またあすも 小春日和の霜月はゆく
 (早いもので11月霜月も、あと遺すを二日となりました。ここ東京は秋も本番の
  筈ですのに、連日の小春日和、雨どころか気温も高めに推移し、穏やかな毎日
  が続きました。明日あたりから晩秋本来の姿に戻るようですが、木枯らしが
  盛りの紅葉を散らしてしまうんでしょうか)

05年11月27日(
聞く耳を持たぬ男を向かふにまはし我は頑固一徹通す
 (これでは、何ひとつ纏まるはずがないんですが、男「がんてつ」そう
  簡単には妥協しません。相手だってそう思ってるんでしょうから尚更です)

05年11月26日(土)
もったいないもったいないに育てられ現在(いま)もったいなくも介護を受ける
 (昔の事を言うと笑われそうですが、全てに「もったいない」がついてきたように覚えて
  います。私達日本人は、あの高度成長期に浮かれてしまい、「勿体無い」の精神を、
  忘れてしまったような、捨ててしまったような。あの頃、ペットボトルが一本有ったら、
  などと女房と話し合ったりしていますが、今は皆さんの介護を受ける身、嬉しくって
  有り難くって、勿体無いとさえ思います)

05年11月25日(金)
鈴生りのピラカンサスは鮮やかに秋日に輝りて鵯(ひよ)を待ちゐる

 (赤い実は、赤いことで鳥の目に留まり易く、また鳥達も好物としている
  ようです。双方の思惑が合致して、自然界はうまく回っているようですね。
  我が家の庭にも、シュロ、ツタ、アオキ、ヤツデ、クチナシ、ネズミモチ、
  コムラサキが何時の間にやら育っています。何れも野鳥達の置き土産、
  冬場には餌を置いてますので、お礼の積もりでしょうか)

05年11月24日(木)
も一つの07年問題あるといふ団塊世代の「男はつらい!」
 (日本がいまあるのは団塊の世代と呼ばれる方々が、身を賭して?働いてきた
  賜物だと思いますが、その人々も定年を迎える頃となりました。
  もう一つの、とは、企業を背負い、家庭を顧みずに、只ひたすらに会社人間を
  貫き通した末に、定年を迎え家庭に帰って来た男達の前に、「離婚」を突きつ
  けられることをいうようです。タイミング良く?、年金を夫婦が折半するという
  法案も施行されるようです。今、テレビドラマ「熟年離婚」が話題になっている
  ようですが、当にそれを地でゆくようなことが、あちこちでおきるんじゃぁないかと、
  世の亭主族に警鐘を鳴らすマスコミもあるようです。
  「男はつらいよ!」は寅さんだけじゃぁないんですね)

05年11月23日(
笑み湛へ握り合ふ手に本音を隠し首脳といはるる人らは集ふ
 (先頃来日した、アメリカのブッシュ、ロシアのプーチン両大統領と、小泉総理との
  首脳会談に先立っての儀式?では、3人三様に満面の笑顔で握手を交わしています。
   これから行われる会談の内容を考えると、とても笑顔では対応出来ない問題が
  含まれているやに思われますが、外交とは、先ずは笑顔からということでしょうか)

05年11月22日(火)
「ご機嫌は如何?」と問はれし朝にはきのふをよそに「いいよッ!」と答ふ
 (昨日を引き摺っています。実は昨日どころか、ずーッと引き摺ったままで、ご機嫌どころ
   か不機嫌極まりない状況ですが、関係のない人様には平静を装うしかありません)

05年11月21日(月)
我はいま何に怒(いか)ってゐるのやら窓一面は青空なるに
 (外は雲一つなく真っ青に晴れ渡っています。空気が冷たく、秋ならぬ
  冬晴れといってもいいほど透き通っています。なのに・・・・・です)

05年11月20日(
タンポポの綿毛を観察(みる)に幾何学と航空学で出来てるやうな
 (女房が手折ってきたタンポポが、花瓶に挿されたままで「綿毛」になりました。
  しげしげと見たことなどなかったんですが、あらためて見てみますと、実に精巧
  に出来ています。その配列は幾何学模様、自然がつくりだす技に驚嘆します。
  種の一つ一つは綿毛をつけてヘリコプターか?落下傘か?、遠くへ飛んで
  子孫を広範囲に繁茂させようとの魂胆、実に巧妙です)


05年11月19日(土)
臥せをれば銀杏の黄金色(こがね)に染まずともギンナン食みて秋を愛しむ
 (我が家から見える小学校のイチョウの大木三本は、未だに緑が濃く、これだけを
  見ている限りとても晩秋を感じることはできません。聞くところによりますと、都内でも
  アチコチで黄葉したイチョウが目に付くようです、秋は確実に深まりつつありますね)

05年11月18日(金)
先をゆくわれに途(みち)問ふALS患者(ひと)に言ふ
                         「共に歩まん燃えつきるまで」
 (私より3年遅れで発病なさった患者さんの旦那さんが、私の生活環境を参考にして
  療養させたいからと私宅を訪問なさいました。私と違って未だ右手が自由に使える
  ようですが、言語障害が急速にすすんで、意思の疎通に事欠くようになってきた由。
  同じ病気でありながら個体差が著しく、私用に整えた環境が即そのまま彼女に使える
  筈はないんですが、参考にして戴いてより良い療養生活が送れればと、色々と話し
  合いました。ALS患者にとって避けて通れない問題は「呼吸器」の選択です、この時も
  話題になりましたが、結論など出ようはずが有りません。どのような形で燃え尽きる
  のかを、己が選択、決定する・・・実に惨い話です)

05年11月17日(木)
<秀(ひで)>ひとり「好きな野球」を生業となして稼ぐや六十二億円
 (ご存知、ニューヨークヤンキースの4番バッター松井秀喜選手の事です。
  来期以降4年間の契約金が62億円とマスコミが報じています。この金額が、
  彼一人の肉体労働に対する報酬であるだけに驚きです。当にアメリカンドリーム!。
  ファンの一人として嬉しい限りですが、来年は、ここぞという場面でガッカリさせないで
  くれと、願うばかりです)

05年11月16日(水)
有り余る時間はわれのものなれど生きるがのみに遣ふは空し
 (贅沢云うんじゃない!、と言われそうですが・・・・・)

05年11月15日(火)
降り止まず止まずがままに夜の更けて朝をしるころ地震(なゐ)に揺すらる
 (眠ったのか眠らなかったのか?、雨音を耳にしながら眠りについたと思ったら地震、
  大揺れはしませんでしたが、その後一時間ほどはグツスリと眠ったようです)

05年11月14日(月)
一号と名付けられたる木枯らしが薄紅葉(うすもみぢ)輝る街を駆け抜く
 (12日(土)の午後、昨年よりは1日だけ早く東京地方を木枯らし1号が吹き抜けたと
  発表されました。気温は19.5度と高く、加え紅葉の遅れで樹々はたっぷりと緑をのこ
  して、およそ「木枯らし」などと言える風情ではありません)

05年11月13日(
ふと想ふいまこのときをその昔ポツンとひとりみてゐたような
 (夢かな?いやいや?ハッキリしないけど・・・いまと同じこの状況に
  身をおいてたことがあったような?・・・・・ふと、こんなことが頭を
  よぎりました)

05年11月12日(土)
秋化粧せし山ふかく踏み入りて木の子狩る手にムキタケ愛し

我が手もて狩り来しムキタケ美味にして温め酒遣るピッチの速し
(友人が茸狩りに行ってきたと写真を送ってきてくれましたので、歌に詠んでみました。
 去年は毒きのこばかりでその道の通人に笑われたようですが、今年はバッチリ、
 美味しかった!そうです。)

05年11月11日(金)
もみぢなす楓にひとつ空蝉がしがみつきをり風に振れつつ
 (近所の公園にある楓の枝に、蝉の抜け殻がまだついていました。
  以前から不思議に思ってたんですが、何時の間にか無くなるんですよね、
  野鳥達が食べたりするんでしょうか?)

05年11月10日(木)
理由(わけ)もなく腹の立つ日の多かれど理由(わけ)のある日もまた多くして
 (療養生活が7年ともなりますと・・・・・。)

05年11月9日(水)
流感を恐れ接種すワクチンの痛みに祈る罹患のなきを
 (今年もインフルエンザを心配する季節となりました。昨日ワクチンを接種して
  備えは万全の積もりですが、現在も世界的に鳥のインフルエンザが流行していて、
  そのウィルスの突然変異が研究者の間では叫ばれているようです。痛い思い
  をして打った折角のワクチンも、全くの無力だと聞くとガッカリしてしまいますが、
  従来からのウィルスには効くようですので、あとは神様にでもお願いしたく思います)

05年11月8日(火)
小春日に足許通る冷風あり開け放たれし冷蔵庫より
 (このようなところへ公開しちゃいますと、我が女房殿からお叱りを受けそうですが)

05年11月7日(月)
季節(とき)ならぬ夏日の予報が出でしけふは旧暦(こよみ)によれば立冬なりと
 (今日の東京は、明け方まで降っていた雨が止んで抜けるような青空です。
  強い雨を降らせた低気圧の置き土産でしょうが、関東地方には夏日になる
  との予報が出されました。皮肉にも今日は立冬、紅葉もおおきく遅れている
  ようですし、矢張り地球の温暖化がこのようなかたちで出てきたものでしょうか)

05年11月6日(
雨含む雲が蓋して日曜の街は静もる錦秋よそに
 (昨日の土曜日は珍しく晴れました。気象予報士の皆さんが、口を揃えて
  「絶好の行楽日和です!」を連呼していました。そして今日は、打って変わ
  っての曇天に始まって、昼過ぎてからは本格的な雨となりました。それも
  冷たい空気を伴って、とても行楽どころではありません)

05年11月5日(土)
我の手と足ともなりてテキパキと孝行なすとふ息子逞し
 (離れ住んでる息子が「親孝行(自称)に来ました!」と雑用をこなしにきてくれました。 
  私がこんなですから女房ひとりではどうにもならず、息子がきたらやって貰おうと
  手薬煉引いて待っています。朝の10時頃から夜遅くまでやってくれました。、
  その働きぶりは、私が言うのもなんですが、実にテキパキとして頼もしい限りです)

05年11月4日(金)
三杯の珈琲の香に包まれてわたくしひとりは紅茶を啜る
 (昨日いらっしゃった、お客3人さん皆さんがコーヒーを所望され、部屋中が好い
  香りで満たされました。私は30歳の頃、胃潰瘍を患ったのを機に紅茶に宗旨
  替え?を致し今に至っています。多勢に無勢、コーヒーの香りには敵いません。
  因みに私は、長年紅茶にマーマレードを入れてましたが、病気の進行に伴って
  高血糖となりましたので、現在は牛乳だけを入れて飲んでおります)

05年11月3日(木)
初結露せし窓かすみ秋ふかし身震ひひとつして肯(うべな)へり
 (朝晩は随分と冷えるようになりました。昨朝、東京練馬では最低気温が10度と
  冷え込み、我が家ではリビングの窓ガラスにこの秋初めての結露をみました)
カーテンを一気に開き目を遣るに朝光おぼろ結露にかすみ

05年11月2日(水)
咲かざればいかにとかせん杜鵑草(ほととぎす)蕾のままを前にし腕組む
 (友人から、庭に沢山あるからと「ほととぎす」を一束戴きました。なんでも、花にある
  ツブツブ模様が「不如帰」の羽の模様に似てるとかでこの名がついたとか。ユリ科
  だそうですが小さな紫色の花です。戴いたときは数輪咲いていましたが、その後は
  一向に開く気配がありません。その昔「鳴かぬなら、殺せ、鳴かす、待つ」と言った
  お方々がいたようですが、私はこのままに咲くまで待とうと思います)


05年11月1日(火)
バカヤロウ!四戦決着日本シリーズ。観る楽しみも奪いやがって!
 (私としたことが?はしたない言葉を吐いてしまいました。どうぞご容赦を<m(__)m>
  プロ野球の日本シリーズ、ご存知のとおり千葉ロッテの四連勝で早々と終って
  しまいました。野球ファンとしては今シーズン最後の試合です、7戦迄じっくりと
  楽しませてくれればと、愚痴のひとつも言いたくなろうというものです。千葉ロッテは
  チャンピオンフラッグと共にファンの楽しみまでも奪ってしまいました。加え海の
  向こうのメジャーリーグでも、奇しくも同じことが行われアッと言う間の終戦です。
  致し方ありません、これからは来春迄ストーブリーグを楽しむ?こととします)

05年10月31日(月)
この後(のち)は短歌(うた)でも詠むか闘病の術なく暇を持て余す身で
 (こんなとこで愚痴ってもしようのないことですが、こんな歌ができてしまいました。
  きょうもあしたもあさっても、ただその日を暮らすだけ、病と闘わせてほしいものです)

05年10月30日(
小糠雨けむる狭庭辺暮れなづむ澱めるものの寂しきままに
 (秋の夕暮れ時を寂しいと感じる人は私だけでしょうか。どうにもいけません、
  子供の頃を思い出してしまいます。現在私の住まいの西側に12階の建物を
  建築中ですが、これが壁になって西日を遮ります、特に天気の悪い日などは
  早くから薄暗くなって、早々に外燈が灯ったりして、余計にその感を強くします)

05年10月29日(土)
錦秋を愛でるにつらき十月なり週末のたび雨に祟られ
 (関東地方の今年の秋は変です。10月に入ってこの方、週末になると雨です。
  今日もまた先程から降り出しました。これで4週連続、例年ですと今頃は山の
  紅葉に加え,「日光いろは坂」が車で埋まっている状況が報道されるんですが、
  今年は未だ一回もありません。折角の紅葉ですのに、勿体無いことです)

05年10月28日(金)
塩焼の秋刀魚はかうして喰ふものとだいこおろしに酢橘(すだち)も添へて
 (今が旬の秋刀魚、色々の食べ方があるようですが、我が家ではこの形でしか出て
  きません。と言うより色々試したすえに、これが一番と何時の間にか定着したようです)

05年10月27日(木)
<雨のち晴れ!>予報通りに雲が切れ秋日燦燦リビングを温め
 (昨晩の予報がズバリと当たりました。昼前まで降り続くけどその後急速に晴れる、
  との予報どおりとなり、11時頃雨が止んだと思った途端、14帖程のリビングの
  半分位まで日が差しこんできました。これからの季節日差しは有難いものです)

05年10月26日(水)
われ先に乗込みし人らを見送りて空エレベーター呼ぶ車椅子にて
 (月曜日の病院行きの折りに使った地下鉄ホームでのことです。電車を降りてエレベー
  ターの前まで行きますと、既に何人さんかが乗り込んでいらして私の車椅子は無理で
  した、先ずは一台見送りです。そして呼び込みスイッチを押して降りてくるのを待ちます、
  当然先頭の積もりです。ところが、ドアが開き降りる人々を待ってさてと思った途端、
  私の左右でお待ちだった方が3.4人乗り込んでしまいました、車椅子が乗れるスペース 
  は既に有りません。まだお待ちの方も3.4人いらっしゃいましたので、どうぞお先に、
  と譲りました。皆さんお忙しいんだろうなと思う一方、ちょっぴり寂しい気持ちにもなり
  ます。救いだったのは、乗り込んだ人達皆さんがこちらを向いてて、バツの悪そうな顔
  をなさり、中にはお辞儀を返してくれた方がいらしたことでしょうか)
エレベーターに乗込みし人ら残る吾を見る目は戸惑ひの色を隠さず

05年10月25日(火)
病院内(ゐんない)にて行き交ふ人らはおしなべて
                      笑顔をどこかに置きて来たるらし
 (昨日は久し振りに病院へ行きました。一日に4千人弱もの患者さんが来られるという
  割りには静です。大学病院へ行くということは、私も含め一筋縄ではどうにもならない
  ような病気を抱えての事でしょうから、笑顔どころじゃない、なんとも重苦しい空気に
  包まれています)

05年10月24日(月)
巡り来し錦秋哀れ山古志は大地震(なゐ)の傷痕(きずあと)癒えぬがままに
 (新潟のあの大地震から一年、山古志では慰霊祭が行われましたが、崩れた山、
  田畑はほぼその時をそのままにあります。黄金色に実った稲は既に刈り取られた
  ようですが、代わって山は錦に彩られる頃となりました)

05年10月23日(
秋霖の明けし朝(あした)の空青く鳩の一群(ひとむれ)高々と舞ふ
 (東京地方は、記録的と言われる程の秋の長雨でした。やっと明けたようです、
  秋雨前線がもたらす雨の量は、梅雨時のそれより多いと聞きます、成る程と
  頷けるほどの降りでした。今朝起きて外を見ますと真っ青な空に覆われて、
  見る物全てが輝いていました。秋はこうでなくっちゃぁいけません、ハト達も
  気分がいいんでしょう、グルグルと何度も何度も高い空を飛び回っていました)

05年10月22日(土)
涼やかな声湿りきて秋半ばひと生(よ)を鳴きつぎ鈴虫いまも
 (スズムシの寿命が如何程かをしかとは知りませんが、8月の25日に
  鳴き始めてから2ヶ月にもなる今も鳴いています。流石に音色の衰えは
  否めませんが、9匹居たメスが卵を産んで次々と死んでゆき、残るは3匹となりました。 
  最後まで面倒?をみる積もりでしょうか?、それにしてもタフです)
ひとつ逝きふたつ逝きして鈴虫の産み遺こされし卵(たまご)の数多

05年10月21日(金)
音もなく白き一線ジェット機は青き秋空切り裂きてゆく
 (昨日の東京は久し振りの青空でした。秋に入ってからというもの、
  スカット晴れ渡った日はほんの数える程です、今日も早速雲に覆われ、
  青空は覗く程度に終ってしまいました)

05年10月20日(木)
荷を解けばまろび出る柿ツヤツヤと郷の秋色リビング満たす
 (女房の実家から沢山の柿が届きました。そのツヤツヤと熟れた柿の色は
  当に秋の色そのものです)

05年10月19日(水)
緑冴ゆ新ギンナンを食しつつ友と語らふこの秋のこと
 (この16日の日曜日、友人四人が来てくれ賑やかな数時間を過ごしました。
  その際持ってきてくれたのが、この秋実った緑鮮やかな新ギンナン、
  その量の多さにまたビックリ。ご存知でしょうがギンナンは梅の実の反対で
  果肉を捨てて種を食べるものです。この果肉が曲者で、人によっては酷い
  「カブレ」をおこします。大丈夫な奥さんが剥いて洗い、彼が殻を割って取り
  出す役と、仕事を分担してのことだったようです。炒ったギンナンの旨いこと、
  ビールのツマミには最適、いい気分で、銀杏に始まって紅葉、山、富士山と
  つきない話に時を忘れました)

05年10月18日(火)
靖国神社(やすくに)に頭を垂れて掌を合はすひとりの男に喧(かまびす)しこと
 (初志貫徹!とばかりに、小泉総理は昨日靖国神社への参拝を行いました。
  早速、近隣諸国から抗議の声が上がったとマスコミは報じています。  
  一個人?が「哀悼の誠を捧げる」度にこの騒ぎ、いったい何時になったら・・・・と、
  私は傍観を決め込んでいますが)

05年10月17日(月)
この雨を落とせる雲のその上に秋晴れといふ空のあるらし
 (関東地方に限ってでしょうか、十月も半ばとなりますのに秋雨前線が一向に
  立ち退きません。今日も朝から雨、あと2.3日愚図つくと聞くと憂鬱ですが、
  あと2.3日であの秋晴れがやってくるのかと思うと気分も軽くなります)

05年10月16日(
クチナワもガマもトカゲも来ぬ狭庭(には)に野鳥かしまし屋上にして
 (秋の声と共に野鳥達が帰ってきました。ヒヨドリなど煩いほど鳴いています。
  地上四階ともなりますと、流石に地面を這いずり回るものは登ってきません)

05年10月15日(土)
山は今まさに秋色 草紅葉みごとに飾る朝刊紙面を
 (10月1日の朝日新聞東京版朝刊に、「尾瀬ヶ原」の草紅葉の写真が掲載されました。 
  周りの山々も見事に色着いて、冬の眠りに入る前の、宴の季を誇っているようです)

     これは・・・宝剣岳千畳敷カールの草紅葉・・・です

05年10月14日(金)
<これきしが何ッ!>と妻とふヘルパーさん細腕なるも母の顔もて
 (「母は強し」といいますが。子育てで培ったものが身についているのでしょう、
  嫌な顔一つしないでやってくれます。これは女房に限らず私のヘルパーさん
  も同じ、子育て中か卒業された方で、その経験からでてくるものだと思います、
  受けていて大変心地好いものです)

05年10月13日(木)
地上四階コンクリ部屋に臥しをれば空の高きに秋を知るのみ
 (車椅子、それもベルトで縛り付けてとなると、気軽に外出と言う訳にもゆかず、
  爽やかな秋の風を、肌に感じるのも一仕事となります)

05年10月12日(水)
爽やかな声で「おはようございます」ヘルパーさんの仕事始めは
 (私の朝は、ヘルパーさんの<おはようございます>で始まります。
  既に目覚めていて、天井を睨んで8時になるのを待つ日が殆どですが、
  時には何時の間にか眠っていたりして慌てることがあります)

05年10月11日(火)
棚引ける雲を眼下に凛と聳ち初冠雪して冬富士始め
 (本日、甲府地方気象台より富士山の初冠雪が発表されました。
  東京では、テレビニュースで空撮を、夕刊紙面では矢張り空撮の
  写真が報道されました。例年より10日遅れてとのことですが、
  いよいよ、あの雪を頂いた美しい富士山を観賞できる季節の到来です)

         10月11日朝日新聞東京版夕刊より転載

05年10月10日(
八百万の御神の在(いま)す出雲路に若きら集ひてタスキ継ぎゆく
 (本日、全国大学駅伝競走が「出雲市」で行われました。テレビでの観戦ですが
  出たり入ったりと結構面白い?レースでした。出雲では10月を「神あり月」と
  よび八百万の神様を祭る行事で賑やかですが、今日はそれに輪をかけて、
  沢山の若者達で賑やかな一日だったことと思います)

05年10月9日(
口惜しやテレビ画面に観る秋の味覚は絵のごと只見るばかり
 (旅行に行くことなど、今は夢。ならばとテレビの旅番組で、行った積もりを
  楽しんでいます。旅といっても観光地巡りが殆ど、プラス食事、今は松茸を
  筆頭に、これでもか、これでもかと秋の味覚を紹介してくれますが、
  観るだけの私にとっては、当に絵に描いた餅です)

05年10月8日(土)
新聞のバサリ!と落つる音のしてけふの始まる明けやらぬまま
 (早朝4時10分、毎日ほぼこの時間に新聞が届きます。目覚めてたのか、
  音で起きたのか・・・外は未だ暗いままです、でも世の中は動き始めています。
  私は、もう一眠りをしたあと8時に来てくれるヘルパーさんを待ちます)

05年10月7日(金)
さぁーッ!けふも短歌(うた)を詠まむとパソコンの前にねまりて居眠り始じむ
 (こう詠みますと長閑なものですが・・・。その実、結構忙しく過ごしております)

05年10月6日(木)
ほのかにも木犀香り来ちぃさき秋 雨のあがりし朝の狭庭ゆ

 (雨があがったからと窓を開けたとたん、微かですが金木犀の香りが
  入り込んできました、秋ですね)

05年10月5日(水)
新しきケアープランは細々(こまごま)と我の暮らしを数字が仕切る
 (この10月1日から、私の介護プランが新しくなりました。ケアマネさんから
  届いたプラン表には、何時から何時まで、単位は幾つ、負担金は幾らと
  細々とした数字が並んでいます。私の生活は、この時間割によって
  動かされているようですが、その代わり実に規則正しいものです)

05年10月4日(火)
冷たくて暗く鎮みて物思ふ秋雨前線居座る日には
 (秋雨前線が停滞しているとかで、今日の東京はどんよりとした冷たい空気に
  一日中覆われていました。こんな日は気分さえ落ち込みがちです)

05年10月3日(月)
真夏日を記録せし日にプロ野球ストーブリーグの火蓋切らるる
 (10月2日都心で31.7℃。東京に限らず全国各地で季節外れの真夏日を記録しました。 
 皮肉なもので、プロ野球はペナントレース中にもかかわらず、早くもストーブリーグに
  突入です。楽天の監督に野村氏の名が出、あの清原は巨人を退団、今後の去就が
  注目されます、一方、今日は高校生のドラフト会議が行われました。
  来期に向かって暫くは喧しいことです)

05年10月2日(
額にゐる父は笑顔で脚を組み煙草燻らせ六十年(むそとせ)余り
 (戦中に亡くなった父は、60有余年経った今も若いままにいます)

05年10月1日(土)
けふもゆくヒールの音も軽やかに朝のリズムを振り撒きながら
 (朝早くに外を往くお嬢さん?のヒールの音がよく聞こえてきます。
  駅へ向かってるんでしょう、毎朝同じ時間に、軽やかな音を
  振り撒きながら通り過ぎてゆきます)

05年9月30日(金)
赤き底みせて曳かるる遭難船 海原蒼く澄みて哀しき
 (またまたの海難事故です。北海道納沙布岬沖の太平洋で28日、根室市の落石漁協
  所属サンマ棒受け網漁船「第3新生丸」が、その後の調べで他船との衝突が原因で
  転覆したと発表されました。原因は何であれ7人もの尊い命が奪われました。
  お気の毒なことです。曳航されてゆく真っ赤な船底が、蒼く澄んだ海原を進む姿は美し 
  いとさえ見えますが、その実は悲惨この上もありません)

05年9月29日(木)
これでもかこれでもかとまたコマーシャル、視聴料は取らぬと言ふけど
 (この度NHKでは、視聴料不払いの方達に、司法の手を借りてでも徴収するとの発表を 
  しました。何故に不払いという行動に繋がるのか理解に苦しみますが、難儀な事になっ 
  たものです。一方民放では、スポンサーのご機嫌伺いなのかどうか、視聴者を無視した
  ようなコマーシャルだらけの番組が放送されています。昨日、2時間番組をCM抜きで
  録画して見ましたところ、丁度100分に収まっていました。これでは民放は成り立たな
  くなるのは分かりますが、2時間中に20分間も物売りの口上を聞いたり見たりは辛い
  ものがあります)

05年9月28日(水)
ときどきは宙(そら)にとまりて赤トンボ風のまにまにいってはきては
 (涼風が吹くようになって、我が家の庭でも赤トンボが休んで?ゆくようになりました。
  ホバーリングを繰り返したり、木の枝にとまったりと、秋を演出してくれています)

05年9月27日(火)
「これはどう?」カラオケ一節(ひとふし)競ふのに妻は懸命衣装選びに
 (カラオケを趣味としている女房が、ステージに立つときは大変です。季節は勿論、
  歌にも合わせなければと、あれはどう?これはどう?と衣装選びに時間をかけて
  います。そんな時間があったら歌の練習をすればと思うんですが、家の女房に
  限らず女性方は皆さんが同じような状況のようです。ステージでひとりスポットを
  浴びる、あの瞬間に輝いていたいんでしょうね)

05年9月26日(月)
雨音も虫の鳴く音も鎮もりて闇刻む秒針の音のみ忙し
 (秋の夜半に聞こえるのは、時を刻む秒針の忙しない音のみです。
  夜中に目が覚めてしまいぼんやりしてるのは辛いものがありますね)

05年9月25日(
涼風のたちて万博、大相撲、楽日(らくび)迎へしけふの寂しき
 (185日間に亘って開催された、愛・地球博も今日が最終日、想定以上の
  入場者数をカウントして、成功裏に今日を迎えたようですが、私はいつもながら、
  イベントの終わりには一抹の寂しさのようなものを感じます。
  一方、大相撲も千秋楽でした。、展開によっては、モンゴル、ブルガリア、
  日本の三つ巴の優勝争いが期待されましたが、残念とでも言いましょうか、
  「稀勢の里」は優勝決定戦に参加する事が出来ませんでした)

05年9月24日(土)
涼し夜に鳴くコホロギを遠く聴きケット一枚重ね寝(い)につく
 (夜中の最低気温が20度を割るという予報を聞いて、流石に腹がけ一枚
  では危ないと、厚めのタオルケットをかけて貰って寝みました)

05年9月23日(
「お大事に!」と帰り行く背に目も遣らで堪(こら)へゐし涙落つるがままに
 (女房と二人で蕎麦屋をやってた時の常連客さんが、私が病んでる事を伝え聞いて
  見舞いに来てくれました。お名前もお住居も存じ上げない方でしたのにです。
  嬉しくって、有難くって・・・・・。
  私の病気は、感情の起伏を抑え難くなる傾向があるとも聞いてはいますが)

05年9月22日(木)
マスコミに追はれ登院なす新人議員(ぎいん)色々色が赤絨毯を
 (今や、小泉首相のキャッチコピーのようになった「色々」。
  今回の選挙でも早速、多彩な顔ぶれとなった新人議員を指して使っていました)

05年9月21日(水)
受話器より飛び散るほどにはしゃぐ声幼馴染はお婆(ばば)になると
 (故郷出雲にいる幼馴染から電話がきて、「私来年の1月にお婆になるの!」と
  はしゃいでいます。ご多分に洩れず、結婚適齢期?ギリギリのダブルお目出度。
  親元を巣立って独立するだけでは、安堵と言う訳にはゆきません。
  結婚して孫を産んでくれて初めてバンバンザイ、気持ちは十二分に判ります)

05年9月20日(火)
虫篭に外の世界を識らぬまま鈴虫けなげ秋を謳ひぬ

(メス8匹にオス1匹、当に孤軍奮闘です。既に一ヶ月近く鳴き続けていますが、
 果たして恋は成就したでしょうか、来年につながるといいんですが)

05年9月19日(
ビルの端を出でてビルの端に落ちる名月賞でる仲秋に吾は
 (太陽に限らず月もそうですが、出入りの際(きわ)が、よりいっそうの
  美しさを魅せてくれるようです。東西を8階、12階のビルに囲まれて
  生活していますので、太陽も月もそのビルの屋上から出、沈んでゆきます。
  昨晩の中秋の名月も、ビルの上に顔を出したときは、快晴で空気も乾いて
  いたせいか、ギンギラに輝いて情緒的にはいまひとつの感でした。お月見といえば、
  ススキとお団子を供えた縁側で、着物姿の女性が座って月を見ているという絵が、
  すぐ思い出されます。頭の上を渡ってゆくのを見上げるようなお月見は絵になりません)

05年9月18日(
西にうろこ東に入道雲聳ちて季節(とき)の移ろふ九月の空なり
 (数日前でした、太平洋高気圧と大陸育ちの高気圧が、入れ替わる
  瞬間ではなかったかと・・・・・)

05年9月17日(土)
新妻はママから母へやがてババ現在(いま)はおいらの介護師稼業
 (時々ですが、女房の口から「私の人生ってなんだったんだろうね」などと
  洩れ聞こえてきたりします。「人生いろいろ」と歌ったのは島倉千代子ですが、
  今後を考えると、そう呑気なことばかり言ってられない事態になって
  きたことは確かです)

05年9月16日(金)
「お月見は十八日」と大書してススキに団子添へて花屋は
 (今年の中秋の名月は、この18日(旧暦の8月15日)だそうです。
  今年は、安定した秋の高気圧に覆われるとかで、お月見を楽しむことが
  出来そうとの予報が出ています。お花屋さんも稼ぎ時、沢山のススキを
  店先に積み上げ、お団子を飾りつけたりしてムードを盛り上げています)

05年9月15日(木)
ま〜はるまはる風力計はキラキラと晩夏の風を数へて回る
 (目の前の小学校校舎の屋上にある風力計が、折からの風と、強い
  日差しを受けてキラキラと輝きながら回っています)

05年9月14日(水)
夕空に茜雲浮きけふひと日幸せでしたと言わんがばかり
 

05年9月13日(火)
シュンシュンとたぎる薬缶か呼ぶ夫(つま)か身体は一つと女房殿は
 (私の専属ヘルパーでもある女房は、家事一切をこなしたうえに自身のことも
  当たり前ですが自分でしなければなりません。ヘルパーといっても、私の場合、
  パソコン以外何にも自分では出来ませんので、そのパソコンの前に座ること
  からして、女房にやって貰う始末です)

05年9月12日(月)
ゆく夏をカナカナ謳ふ宵闇にのこる暑さを惜しむがごとく
 (晩夏、初秋とよばれる頃となって蝉の声も間遠となってきました。
  日が落ちても昼の暑さは未だ未だ残っていますが)

05年9月11日(
パソコンの前に座りてじっと待つデスクトップに孫娘(まご)立ち上がるまで
 (パソコンのデスクトップに、孫娘二人の写真を貼っています。
  電源を入れてから数分、完全に立ち上がるまで結構永く感じるものです)

05年9月10日(土)
三重に封をし託す郵便投票「郵政改革」
                   問はるる衆議院選挙(せんきょ)
 (私は身障一級の資格?で郵便投票、それも代理記載が認められています。
  この度の衆議院議員選挙でも、私が意思を伝え女房がそれを記入して、
  郵便ポストへ投函するという投票を済ませました。今回の選挙は官か民かの
  「郵政改革」が争点になっています、その郵便を使っての投票、何か因縁
  めいたものを感じます)

最高裁判官国民審査(しんさ)なす我もいずれは裁判員
                       投票なす目の真剣なりき
 (並行して行われる「最高裁判所裁判官国民審査」も同じ方法で投票しました。
  ご存知の事と思いますが、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が、
  平成16年5月に成立し,5月28日に公布されました。この結果,平成21年5月迄の
  間に裁判員制度がスタートします。裁判員制度は,国民から無作為に選ばれた裁判員 
  が,殺人,傷害致死などの重大事件の刑事裁判で裁判官と一緒になって裁判をすると 
  いう制度です。ということは、この私もその任を担う可能性は皆無とは云えません。
  正等な理由がない限り断れないんだそうで事は重大です。今回の審査においては
  今迄以上に広報を読ませて頂いたことは云うまでもありません)

05年9月9日(金)
起き抜けの二杯の水は澱みなく満身翔けゆき今日の始まる
 (私の朝は、起きてすぐ顔を洗うと同時に、水500ccを飲むことから始まります。
  健常な頃からの習慣で、もう35年は続けています。お陰(と信じて)で便通は
  快調で、ヘルパーさんが来てくれる朝の9時迄に準備を整えて待っています。
  既に一年有余、一日なりとも狂ったことがありません。皆様もお試しを)

05年9月8日(木)
稔り待つ稲田は高き空の下暴風(かぜ)のかたちを描きて平伏す
 (この度の14号台風は、風よりも大雨の被害が多かったようですが、一方では、
  早明浦ダムに満杯の水を届けたりと恵みの部分も報道されたりしています。
  風の方は今日になって、北海道では収穫前の稲が強風に煽られて倒伏し、
  収穫作業に影響が出ると嘆く農民の様子を報じていました。
  悲喜交々とはいえ、被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます)

05年9月7日(水)
増水し溢れ逆巻く濁流はテレビ画面を破らんばかり
 (この度の台風による豪雨で、各河川は大増水、それも濁流が、土手いっぱいに
  盛り上がるように流れ下っていきます。テレビニュースに映るアップの濁流は、
  画面から飛び出してくるのではないかと思われるほどの激しいものでした。
  カメラマンのサービス精神があのような画を撮ったものでしょうが)

05年9月6日(火)
<これが雲?>乳白色の宇宙に遊ぶ児らははしゃぎて富士の五合目
 (8月30日、小4のお嬢ちゃん二人がお母さんに連れられ、夏休み最後の思い出
  づくりにと、富士山の五合目(2.300m)へ、星と雲海からの日の出を観に行きました。
  しかしながら、生憎の曇り空、五合目は雲に包まれて一面が乳白色、これがあの
  空に浮いてる雲なの?と手に握る仕種などをしておおはしゃぎだったようです。
  目的の星空と日の出は観られなかったものの、別のいい体験ができました、
  とは、お母さんのお話でした)

05年9月5日(月)
露払いならむや雷雨の激しくて遠台風をテレビに観をり
 (強大なエネルギーを蓄えた14号台風が、沖縄、九州地方を嵐に巻き込み
  つつあります。昨晩東京では、局地的ではありましたが1時間程に100ミリ
  もの猛烈な雨が降りました。短時間に降る大雨を、捌き切れずに溢れるという、
  都会地特有の洪水となりましたが、台風が秋雨前線を刺激しての降雨だった
  ようです、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます)

05年9月4日(
いつしれず蝉の音(ね)失せて虫集く涼風わたる宵に月なく
 (9月の声を聞いたせいか、朝晩に涼しさを感ずる頃となりました。
  あんなに賑やかだった蝉の声が、何時しか聞こえなくなり、代わりに
  虫の集きが盛んです。季節の移ろいの妙とでも云うんでしょうか)

05年9月3日(土)
朝涼をのこし明るきリビングに鈴虫ひとつ初秋(はつあき)を鳴く
 (去年の秋、たっぷりと涼やかな鳴き音を聴かせてくれた鈴虫の子供達が、
  今年は10匹だけですが育ちました。内オスはたったの一匹、当にハーレム状態です。 
  それでも朝に晩にと健気にも鳴いてくれます。不思議なことに、朝は8時頃から
  9時過ぎまで、夜は10時を過ぎると鳴き始め12時前にはピタリと止みます)

05年9月2日(金)
一口の茶を呑み下すのに我は毒を服むごと誤嚥に懲りて
 (諺に、”熱ものに懲りて生酢を吹く”と云うのがありますが、今の私が
  当にそれです。飲み物はストローを使いますので尚更ですが、
  ついつい構えてしまい余計な神経をつかってしまうようです。
  これとて私のこと、2.3日すれば”喉元過ぎれば熱さ忘れる”ことでしょうが)

05年9月1日(木)
救急車を待つ間の永し息潜めピーポピーポを今か今かと
一っ時も早くと願ふ吾を乗せて救急車両はピーポーピーポーと
 (お茶の誤嚥が原因で、またまた救急車のお世話になってしまいました。今日になって
  浅い呼吸しか出来なくなったものですから、主治医の元へ運んで貰いました。自分の
  車ですと4〜50分かかる距離ですが、流石救急車です20分で到着、しかし、患者と
  して乗って聞くピーポーは、実に間延びしててスピード感に欠けるものですね。
  身体の方は、ベッドの空きが無いので、帰って投薬だけで様子をみるようとの指示で
  夜になって帰ってきました。だいぶ楽になりましたが、あの辛さはもうたくさんです)

05年8月31日(水)
をちこちに夕闇切り裂き稲妻が雨の匂ひをつれて襲ひぬ
 (突然のカミナリに雨、暮れても遺る夏の暑さを、一気に冷ましてもくれます。
  降り始めに、日向くさいといいますか、埃っぽい匂いといいますか、雨に匂いを
  感じることがあります。手に受けると雨粒が暖かく感じる事さえありますね)

05年8月30日(火)
衆議院選挙(せんきょ)とふ戦の火蓋切られし日 不戦を誓ふ靖国の杜に
 (本30日、沢山の話題や問題点を抱えた衆議院議員選挙の公示がなされました。
  いよいよの選挙戦です、時折りしも慰霊の月、靖国神社には沢山の方々が、
  思い思いの願いを胸に参拝なさっているようです。私がんてつは、戦争放棄を
  謳った憲法をもつ国の、一国民として、不戦を誓ったものです)

05年8月29日(月)
青空に積まるる雲は行く夏の後ろ姿か今日のさやけさ
 (今日は朝からギンギンの青空でした。時間をおって夏雲がモクモクと
  立ち上がってきましたが、吹く風は爽やかで秋のそれのようです。
  天気概況では、湿度33%と乾いていますとのことでした)

05年8月28日(
吾を看呉るる妻が笑顔を絶やさざれば我もならひて笑顔で暮らす
 (夫唱婦随ならぬ婦笑夫随ですが、この逆もまたありです)

05年8月27日(土)
遺されし卵(らん)より生(あ)れて鈴虫の今年初音(はつね)のなんとも愛し
 (去年看護婦さんに戴いた鈴虫が、鳴き音を充分に楽しませてくれたばかりか、
  沢山の卵をも遺していってくれました。教わりながらでしたが手入れをしていました
  ところ、この度見事に成虫となり、一昨日初鳴きを聴かせてくれました)
秋立ちて居間に鈴虫鳴き初めし窓外(そと)に溢るる炎暑をよそに

05年8月26日(金)
「明るくていいね」と他人(ひと)のいふ妻は介護に疲れ風邪に臥せをり
 (私の専属ヘルパーでもあります女房が、夏風邪をひいてしまいました。
  熱は無く咳と喉の痛みと声枯れです、二日間は声が出ない状態で苦しんでいましたが、
  「私こい?患いしちゃった」と駄洒落をとばすようになりましたので、もう大丈夫でしょう)

05年8月25日(木)
打ち寄する荒波テレビに見る宵は台風接近を前に静まる
 (昨夕は、湿った重苦しい空気に覆われて風もなく、嵐の前の静けさを
  絵に描いたような夜となりました。
  11号台風が、東海から関東方面に上陸しようと狙いを定めているようです。
  今後上陸もあるようですが、お手柔らかくとお願いしたいところです。
  19時現在、東京は篠つくような大雨となっています。風も強くなってきたようです)

05年8月24日(水)
うたた寝を破りし放送間延びして光化学スモッグに注意をせよと
 (新聞を読んでるつもりでしたが、居眠りをしていたようです。突然の大音声に
  目が覚めました。区役所からの光化学スモッグ注意報です、すぐ前の小学校舎の
  屋上に設置されていますので、その音はかなりのものです。が、ゆっくりと一語一語を
  句切って放送しますので、かえって聞き難くまどろっこしいものです)

05年8月23日(火)
アブラゼミ・ミンミンゼミの夏去くやツクツクボウシにヒグラシの鳴く
 (今日は二十四節気の一つ「処暑」です。暑かった夏もそろそろ終わりを告げる頃、
  と云われています、日暮れもひと頃に比べ随分と早くなりました。お日様も高度を
  下げて日脚が伸び部屋の中へも入り込んできています、ヒグラシの鳴き音も時折
  聞こえたりして、自然界は確実に秋へと歩を進めているようです)

05年8月22日(月)
婿殿と娘と孫娘(まご)も帰りゆきし朝(あした)にばぁばとお茶など啜る
 (いつもと同じ朝がもどってきました。お茶などすすりながら二人の孫の様子など
  話し合ったりしています)

05年8月21日(
山峡のダム湖に水無くうねうねと夏陽に曝す昔日の村
 (四国高知の早明浦ダムが干上がってしまいました。断水やら時間給水やらと、
  真夏の太陽の下、不自由な生活を強いられている皆さんには頑張って頂くしか
  ありません。本来なら水底に在るべき建物や道が、ヘドロを被って夏の陽に
  曝されている姿は異様です)

05年8月20日(土)
誇り尊厳恥外聞纏めて棄てし我は動かぬ骸(むくろ)
 (きのうを引き摺っています)

05年8月19日(金)
六十キロの荷物となるや吾を看くるる看護師さんはリフトを購(か)へと
 (自分の力だけでは立っていられなくなって一年ちょっと、ベッドから椅子への移乗、
  その逆も、同じくヘルパーさんのお手をお借りして、一旦立ちの姿勢をとった後
  移動するようにしています。危険が伴うので、との注釈付きで、そろそろリフトを
  用意された方が、とのご指導がありました。しかしです、私の脚には未だ踏ん張る
  力が残っています、支えて頂ければ直立の姿勢もとれます。発病以来7年有余、
  薄皮を剥がすにあらず着せていくように、日毎に手も脚も不自由さを増してきました。
  重い物が持てなくなり、箸もスプーンも運べなくなり、遂には文字を書くことさえ出来
  なくなりました。でも脚の筋肉には未だ力が残っています、今ここでリフトに頼って
  しまえば、今後、永遠に私は「立つ」という人間本来の姿勢を放棄することになって
  しまいます。こんな悔しい事はありません、それが何時まで続けられるかは誰にも
  分からないことですが、その時がくるまでは我が儘をとおさせて頂く積もりでいます)
萎えたるも未(いま)だ大地を踏み締める残りし吾の脚の愛し

05年8月18日(木)
魂を難病(やまひ)と共に預けたる主治医の話鬱鬱と聴く
 (主治医の折角のお話ですが、何ひとつ治療に繋がるようなものはありません)

05年8月17日(水)
姿見に手形クッキリ遺し孫娘(まご)「マッタクルネ〜!」とモミジの掌をふり
 (孫一家が帰って行きました、何時もながらのお別れです。今度来る頃はどんなに
  成長してるんだろうかとの楽しみもありますが、矢張り別れは辛いものがあります)
幼児はパントマイムに手話交えバーバに「プリン」をねだってをりぬ

05年8月16日(火)
ひっそりかん商店街は静まれる御仏供養に夏の休みに
 (世は当にお盆ウィーク、商店街でも人出が望める所は別にして、大方の商店は
  シャッターを降ろして休んでいるようです。張り紙に曰く、お盆休みを・・・夏休みを・・・。 
  休みたくなくっても、お客様数が激減しますので、拠所なくというところもあるやに
  思います。少なくとも私の蕎麦屋はそうでした)

05年8月15日(月)
赤紙を握りしめつつ逝きし父肺結核とふ敵に敗れて
 (8月15日が近づくと思い出します。私の親父は、太平洋戦争最中の18年12月、
  名誉?の戦死をしました。
  但し、闘った相手は「肺結核」(召集令状(赤紙)が来たけど応召できなかったと
  後で母から聞きました)その心中、今となっては推し量る術もありません。
  それにつけても、あの混乱期に8,5,3才の男児を、女手ひとつで育ててくれた
  お袋には、畏敬の念さえ覚えるほど感謝しております。89歳、現在もいたって
  元気で私のことを心配してくれています。)

05年8月14日(
ジィージィーとジィージィージィーとジィージィーと恋に身を焦く炎暑に蝉は
 (蝉の声を、五月蝿いと聞くのか、好ましいものと聞くのかは、聞く人によって
  様々でしょうが、違った意味の暑さを演出してくれてもいます)

05年8月13日(土)
湯あがりの女孫はしゃぎてスッポンポン オムツ手に追ふバーバも笑顔
 (二才の孫娘、風呂あがりのスッポンポンが大好きで、着せようとする手を振り払って
  逃げ回ります。キャッキャッキャッキャッとおおはしゃぎ、オムツを持って追っかける
  バーバもけっこう楽しんでいるようですが)

05年8月12日(金)
けげんげにママの背越しに吾を見つむる女孫は二才 半年振りで
 (二人の孫娘が一家でやって来ました、約7ヶ月振りの対面です。六才の上の子は、
  急に背が伸びてすっかりお姉ちゃんらしく、下の子はちょっぴりと人見知り気味に
  私を見てましたが、5分もしない内に家の中を跳びはね始めました。暫くは賑やかです)

05年8月11日(木)
鋭き日差し避けて家並をくねくねと車椅子にてサーフィンをなす
 (所用で出掛けた帰り、住宅の建ち並ぶ静かな道を、ちょっと遠回りしてきました。
  乗ってる私より押す女房が強い日差しに堪えられず、日陰を求めて、右側を
  歩いたり左側で休んだりして、やっとこさ帰ってきました)

05年8月10日(水)
秋立つも真夏日つづく列島に解散風吹き衆院議員(せんせい)散り行く
 (俺の云う事聴かんのならと、小泉首相は衆議院を解散してしまいました。
  それでなくとも 暑いのに、先生方は大変です。誰が泣き、誰が笑うのか興味津々です 
  が、仮に小泉首相が再選されたとして、再度衆院を通過したとしても、参院は現状の
  まま、また同じ轍を踏むことになろうかと、私がんてつは思うんですが。
  政治の世界は、私のような国民には理解し難いことがあるようです)

05年8月9日(火)
地震(なゐ)起こり闇に目凝らし思案せり震源地では如何程なるや
 (6日(土)の夜、眠りについた1時少し過ぎ、小刻みに揺れるちょっと珍しい
  地震(都心で震度3)に起こされてしまいました。テレビを点けるほどではないけど、
  何処で?どの位の?と、暫くの間寝そびれてしまいました)

05年8月8日(月)
久方ぶり孫娘(まご)が来るとの電話より今日は八日目残すは三日
 (岩手に居る娘から一家で来るとの電話がありました、正月以来の来訪です。
  ジジババ共に落ち着きません。6才になる上の孫娘もそうですが特に1才と3ヶ月
  だった下の孫娘が、7ヶ月経ってどのように成長しているのか、楽しみです)

05年8月7日(
一階二階三階とたちまち伸びゆく ビルがおいらの空を消しゆく
 (西側で建築工事中のマンションが、2週間に一階のペースで空へ向って
  伸び上がっていきます。現在6階の型枠を組んでいますが、リビングから
  見えていた西空も、残すを3分の1となりました)

05年8月6日(土)
濃緑(こみどり)と炎熱溢るる公園に人の影なく蝉声もなし
 (近所の公園へ行ってみました。日盛りだというのに人っ子ひとり居ません.。
  周囲は鬱蒼とした、と云えるほどの木々に囲まれていますのに、蝉の声もありません。  
  暑過ぎて、皆さん(蝉も含めて)涼しい所へでも避難されたのでしょうか)

05年8月5日(金)
ネコジャラシを妻手折り来て額にゐる猫と戯る子供のやうに
 (女房が、ネコジャラシ(エノコログサ)を摘んできて、もうとっくに死んでしまった
  愛猫の写真と遊んでいます。15年間、二人の子供と一緒に生活しましたので、
  末っ子のようで手のかかる憎めない可愛い奴でした)

05年8月4日(木)
ひいふうみい指折り数へて短歌詠むわれ晩学に時をば忘れ
 (私が短歌を詠み始めた切っ掛けは、ALSの発病です。恩師と仰ぐ方から、
  短歌をまじえた激励の手紙を戴いて、甚く感動した事を覚えています。
  当時から読むのは好きで、新聞の「歌壇」はよく見ていましたが、自分で
  作るなどと考えたことは微塵もありませんでした。ALSが進行して、
  段々と身体が不自由になり、字が書けなくなったのを機にパソコンを
  使い出した頃、日記、闘病記を短歌にすれば面白いんじゃぁないかと、
  本格的に始めました。3年前64歳の時です)

05年8月3日(水)
庭園灯に灯の点き初めてゆうるりと真夏日暮れつつ帳が降り来
 (毎日暑い日が続いていますが、お日様は少〜し傾いて日脚が部屋の中へも
  入ってくるようになりました。でもまだまだ日暮れはゆっくりです。)

05年8月2日(火)
荷を解けば「めのは」「白折」「あご野焼き」我を故郷(さと)へと誘ひくれし
 (故郷、出雲の幼馴染から嬉しい荷物が届きました。
  「めのは」=板若布、「白折」=抹茶を塗したお茶、「あご野焼き」=飛魚の焼蒲鉾。
  何れも大好物であることは云うまでもありませんが、、懐かしい物でもあります)

05年8月1日(月)
宵闇にゆかたの裾の楚々としてそぞろゆく娘(こ)に打ち揚げ花火

 (この土曜日、恒例の打ち揚げ花火大会が、東京隅田川で行われました。
  私はテレビでの観賞で、臨場感に欠けるものではありましたが、2万発もの
  打ち揚げを充分に堪能出来ました。それにつけてもお嬢さん方の、ゆかた姿の
  多いこと、花火見物は「ゆかた」で、がすっかり定着したようですね)

05年7月31日(
ネット将棋負けて<投了>をクリックすほくそ笑む顔まぶたに描き
 (私は、インターネットで何処の何方とも知れない方と「将棋」を楽しんで?います。
  常時2.3千人の方が参加してますので、相手に困る事はありません、何時なんどき
  でも自分の都合のいい時に打つ事が出来、自己判断ですが技量によって、相手を
  選ぶ事も出来ますので大変指し易くなっています)

05年7月30日(土)
土用丑の日なれば「鰻」を繰り返すテレビニュースに食傷為せる
 (昨日は「土用の丑の日」。とくればお決まりの「うなぎの蒲焼」です。お昼前から
  テレビ各局は、これでもかこれでもかと、うなぎ、うなぎ、うなぎ、見てるだけで
  食傷してしまいそうでした。
  私のみならず、皆さんもきっと「鰻の蒲焼」は好物かと思いますが、鰻が好んで
  食べられるようになったのは「醤油」の功績あってのものだそうですね。鰻を焼く
  時のあの香り、なんとも食欲をそそりますね)

05年7月29日(金)
二の腕に白く<トクホン>の跡著(しる)し日照る庭にて草取りし妻は
 (二の腕と肘に湿布の痕がクッキリ。「やだぁーこんなに日に焼けちゃったぁー!」
  重い私を持ち上げる際に傷めたようで、肘が腕がとべたべた貼ってました。
  洗濯物を干しに庭へ出た際、「つい!目に付いた草に手を伸ばしちゃった」まま、
  ひととおりを取り終えての事でした)

05年7月28日(木)
最終の電車が発車せし闇にシャッター降ろす音の轟く
 (下りの最終電車が、0時53分に出て行ったあと、最後まで営業していた
  駅前の本屋さんが、シャッターを降ろして閉店です。これで駅前のちっちゃな
  商店街は暫しの眠りにつきます)

05年7月27日(水)
冴えに冴え青どこまでも澄み渡る台風一過の東京の朝(あした)

 (心配された台風7号、交通機関の多少の乱れ程度で去って行きました。雨は適当に
  降ってくれましたので、もう水の心配をすることなくこの夏は過ごせそうです。台風が
  空の大掃除をしてくれましたので、今朝の東京は抜けるような青空です。気象予報士が
  二度目の梅雨明けと云ってましたが、東京は今日からが夏本番のようです)
注意報警報までも出し台風七号(たいふう)都民の水瓶満たして去りぬ

05年7月26日(火)
ポトッ!ポトッ!のリズムを刻む雨垂れは翔けゆく白雨の後奏曲譜
 (昨朝、強いにわか雨が駆け抜けてゆきました)

05年7月25日(月)
絽の着物みごとに着こなす妙齢の婦人の後姿(うしろ)が夕光に眩し
 (私の車椅子を追い越していった、妙齢のご婦人。絽の着物を見事に着こなして、
  一陣の涼風のようでした)

05年7月24日(
地震(なゐ)に足奪はれ「では」と飲みなほし気分新たに同窓会は
 (昨日都心部を襲った震度「5強」の地震は、練馬の我が家でも思わず腰を浮かす
  ほどのものでした。この家に住んで26年、あれほどまでの揺れは初めての経験でした。
  不思議な事に倒れた物は写真盾一つ、余程揺れ方が良かったのでしょう。
  折りしも、同窓の友が5人来てくれていて、「賑やか」の最中でしたが、電車が不通に
  なったことで「しょうがない!開通までだ!」と腰を据え直したものでした。
  因みに7時半、都心へ向う地下鉄が動き出したところでお開きとなりました)

05年7月23日(土)
目を逸らすテレビ桟敷の吾を睨む朝青龍の気合に押され
 (NHKの中継では必ずといっていいほど、時間いっぱいの塩で、客席を睨みつける
  朝青龍をアップで放映します。意識してのカメラ目線かと思いますが、情けないことに
  思わず横を向いてしまいます)

05年7月22日(金)
夏場所に紫紺の雨の降り止まず無敵の横綱土に塗れて
 (大相撲名古屋場所十一目結びの一番で、横綱朝青龍が前頭6枚目の黒海に
  敗れました。行司から、一度は軍配を受けながらも逆転の黒星。同時に館内は
  興奮の座布団投げとなりました。テレビ桟敷で観ていた私の目には、明らかに
  黒海の右足が得俵に残っていたと映りましたし、繰り返し放送されたビデオにも
  明らかです。なのに、今日の新聞報道によると、支度部屋へ引き上げた朝青龍は、
  怒りをあらわに「来場所は潰してやる」と矛先を黒海に向けたとか、土俵の上での
  借りは土俵の上で返すのが鉄則ですが、マスコミの前で腹立ちまぎれに口撃を
  加えるなどもっての外です。ましてや、天下の横綱がと思うと横綱としての品位を
  疑いたくもなろうというものです。外国人力士全盛時代となって、ややもすれば
  大相撲に対する興味が薄れがちになりつつあります。このようなことでオールド
  ファンの足を引っ張ってほしくないものですが)

05年7月21日(木)
金魚らに餌を遣り庭木に水を遣る妻はなにやら語りかけつつ
 (女房曰く、家は脛かじりが沢山いてた〜いへんッ! 先ず私(口には出しませんが)
  次いで庭へ来る野鳥への給餌、金魚、スズムシ、そして、庭木への散水、鉢植え
  ですから夏場はほぼ毎日です。まるで子供にでも話しかけるように、ブツブツ云い
  ながらも楽しんでいるようです)

05年7月20日(水)
朝光に目覚め寝床にヘルパーの来訪待てり身動ぎできずに
 (おとといの日曜日、女房が所用で朝早くから外出しましたので、私の面倒は
  ヘルパーさんにお願いして、朝の8時半から来て頂きました。どうしたものか、
  あの日は6時前から目が覚めてしまって、二度寝が出来ません。起きているのに、
  身体を動かせずにジッとしたままいるという、随分と辛い朝を過ごすことになりました)

05年7月19日(火)
緑陰のベンチに独り昼餉とる我によりくる小鳩もひとり
 (大学病院の中庭でのことです)

05年7月18日(
梅雨明けに『さぁ!』と腕まくりわが妻は蒲団の山と格闘始む
 (本日、関東甲信から西の地方の梅雨が明けたもようと、気象庁から発表されました。
  いよいよ本格的な夏の訪れです。暫くはギンギラギンの夏空が続く事と思います。
  女房殿は、家中の蒲団全部をお日様に干すんだと張り切っています)

05年7月17日(
咲き満つる日光キスゲに想ひ出す君を伴侶と決めしあの山
 (風物詩とでも言いましょうか、今年も日光霧降高原の「日光キスゲ」が見頃になった
  との報道を、テレビニュースで観ました。文字通りの、霧に包まれた高原一帯が黄色い 
  花に覆われてそれはそれは見事です。40数年前の五月、霧のない、皐月晴れの
  霧降高原を、妻(あの頃は○○さん)と二人で、踏み跡さえはっきりしないような山道を、
  地図を頼りに歩き廻ったことを思い出します。勿論キスゲは咲いていませんでしたが、
  「カタクリの花」で埋め尽くされた林があったりと、変化に富んだ面白い山歩きを楽しむ
  ことが出来た、私共夫婦にとってはいい思い出の高原です)

05年7月16日(土)
緑色さえて清かなすまし顔<お多福豆>が夕餉の膳に
 (ソラマメもそろそろ終わりの季節となりました。塩茹でで食べるものは、完熟前の
  緑鮮やかなものですが、ビールのおつまみにもってこいですね。茹で上げて直ぐ
  のものはふっくらとしていかにもお多福さんですが、ちょっと時間が経ったり、
  余りに未熟なものは皺がよってしまい、お世辞にもお多福さんとは呼べませんね)

05年7月15日(金)
水玉模様揺るる下道(したみち)そぞろゆく葉桜並木の木漏れ日浴びて
 (近所の桜並木の葉がこんもりと茂って、下はまるでトンネルのようです。
  木漏れ日がスポットライトとなって路面に水玉模様を映しています。
  風にも揺れて、車椅子でゆく私ら夫婦の目を楽しませてくれました)

05年7月14日(木)
エレベーターの<開く>のボタン押し続け車椅子の吾を見送り呉れぬ
 (車椅子で外出するようになって、何時も受ける親切の一つに、エレベーターでの
  ボタン押しがあります。必ず車椅子用(開いてる時間が長い)を押して乗り降り
  するんですが、それでも「開く」を押し続けて完全に終るまでを見送って下さいます。
  中には、先客の方が一旦降りてボタンを押しながら見届けて下さったりと、皆さんの
  親切には何時も何時も感謝の気持ちでいっぱいです。
尚、お世話様!有難うございます!と感謝の気持ちを伝えることは云うまでもありません)

05年7月13日(水)
暮れなづむ空にか黒きシルエット クレーンはアートとなりて眠れる
 (未だ明るさの残る西の空をバックに、昼間休む事無く動き回っていた、
  マンション建設現場のクレーンが、黒いシルエットとなって立ちつくしています。)

05年7月12日(火)
テロップに「大雨警報」見し夜半は雨音高く寝入るに難し
 (土曜の夜に入ってから、降り出した雨が時間を追って強くなり、激しくなってきました。
  24時少し前、テレビ画面に「東京23区に大雨洪水警報」とのテロップが流されました。
  雨音やら、奔る車が、路面に溜まった水を蹴散らす音まで加わって、とても眠れる
  雰囲気ではありません)

05年7月11日(月)
残さむと闘病記なるもの認(したた)むる身は壊れゆくけふもあしたも
 (発病してもう直ぐ7年になります。闘う術の無い、サンドバック状態の毎日ですが、
  どの様な経過を辿るものかと、記録を取り続けています。)

05年7月10日(
産卵に集ふハクレン数あまた乱れ打つごと川の面(も)に跳ぬ
 (数日前でした、千葉県を流れる利根川で、沢山の巨大ハクレン(レンギョ)が水面上に
  跳びはねる様子がテレビニュースで放映されました。なぜあんなにも跳びはねるかは、
  ハクレンに聞かなければ分からないようですが、それはそれは壮観です。
  沢山のギャラリーやテレビクルーが集まって、陸の方も負けず劣らず賑やかでした。
  因みにハクレンは、中国から食料用に移入放流された、1mにも成長する淡水魚です。
  今でも利根川水系に沢山繁殖していて、川漁師や釣り師に邪魔者扱いをされています。
  中国では今でも食材として食べられているようですが、日本では、魚体表面のヌルヌル 
  と匂いが嫌われて食べる人は皆無とか。私がのめり込んだ「へら鮒釣り」では、同じ
  植物性のプランクトンを餌にしている関係に加え、「あたり」(ウキにくる魚信)が「へら」
  と同じで随分と悩まされたものです。仕掛けや竿はもっていかれるし、舟に飛び込んで 
  大暴れするはで、大弱りでした。今となってはいい思い出ですが)

05年7月9日(土)
病み臥(ふ)せるわれのパジャマが青空に風うけ踊るフレンチ・カンカン
 (物干し台に干してある私のパジャマが、折からの強い風に舞っています。
  健常にあった頃はジッとしてるのが嫌いで、仕事に遊びにと一所懸命だったものです。 
  何時か又あのように躍れる時がくれば、との願いも込めての歌です)

05年7月8日(金)
三三五五(サンサンゴゴ)受付ナンバー凝視(みつめ)つつ待合室に三十五分
 (3時の予約に遅れること9分、フウフウ(車椅子を押す女房が)云いながら受付を
  済ませると、3355番でした。外待合室にある診察呼び込みパネルを睨んでの
  退屈な時間の始まりです♪ピンポーンと鳴って点滅を始めると中待合室へ移動します)

05年7月7日(木)
病む身をば引き摺りながらもミスターは東京ドームに燦と立ちたり
 (7月3日、あのミスターこと長嶋元監督が、東京ドームのバルコニー席に姿を現しました
  脳梗塞に倒れて1年と4ヶ月、懸命なリハビリに励んだ結果の凱旋かと思いますが、
  右足を引き摺りながらも、ご自分で立ち歩く姿を見て少なからず感動を覚えたものです。
  腐っても鯛ならぬ、病んでもミスター、目映いほどのフラッシュを浴び、沢山の人々の
  拍手に、手を振ってこたえる姿が輝いて見えるほど、不思議な魅力をお持ちの方です)

05年7月6日(水)
キラキラとキラキラキラとキラキラとサクランボたちは食すをこばむ
 (「さくらんぼ」に限らず日本の果物は、芸術品とまで言えるほど見事な物です。
  生産者のご努力の賜物かと思いますが、この度戴いたひと箱の「サクランボ」は、
  口にするのをはばかるほどの実に美事なものでした)

05年7月5日(火)
曙にカラスらの声間延びしてけだるき梅雨のひと日始まる
 (我が家の南隣に建つ小学校校舎を見下ろすように、イチョウの巨樹が聳っています。
  カラスが巣を架けたことは、先にも歌に詠みましたが、どうやら子育てを始めたようで
  時折けたたましく鳴き騒いでおります。近頃は決まって夜明け前頃、明らかに
  昼間とは違うトーンでひとしきり鳴き声を挙げています。
 目が覚めてたから聞こえるのか、聞こえたから目が覚めたのか定かではありませんが)

05年7月4日(月)
一つ枯れまた一つ枯れ初雪草双葉のままに土に還れる
 (多分、根切り虫の仕業だと思いますが、芽を吹いて双葉が揃った頃になると、
  根元の辺りから切られたように折れて枯れていきます。間引く程の厚蒔きは
  してませんので、この先が心配です)

05年7月3日(
開かれし富士山(ふじ)の高嶺に登りきて胸いっぱいに雲を吸ひ込む
 (例年どおり7月1日に富士山の山開きが行われました。
  沢山の方が前日から登り始め、1日のご来光を頂上で待たれたようですが、
  残念ながら頂上は雲に覆われて見えずじまいだったとか。テレビニュースでは八合目
  からのご来光の様子を放送していましたので、皆さんもご覧になられたことと思います)

05年7月2日(土)
病みて我自筆叶はぬ投票に代理記入の新公職選挙法
二重三重厳重なるも都議選の郵便投票義務を果たせし
 (現在行われている、東京都議会議員選挙、の投票日がいよいよ明日となりました。
  前回の選挙から、身障(上肢)一級、要介護度5、の私には大変有難い
  「自宅で代理人が記入し郵送での投票」制度が施行されました。
  代理人(私は妻)の認定とか用紙の請求とか、かなり煩雑な手続きが必要ですが、
  車椅子で行って「音声で係員に候補者名を伝えて書いて貰い投函して貰う」公開投票
  もどき事からしたら、投票の秘密が保たれ、安心して義務を果たす事が出来ます。
  まぁ特別に匿す必要もないんですが、皆さんがそうなさってるんですから、身障の私も
  同じ環境で投票出来る事になって大変嬉しく思っております。
  因みに私は、昨日、候補者名を記入した投票用紙を、無記名の封筒に入れ封をし、
  投票日、住所、投票者名、代理人名を書いた中袋に入れ封をし、郵送用の封筒に
  入れて速達便(費用は公費で)で投函、投票しました)

05年7月1日(金)
<バカヤロウ!>ぶつける術をもたぬ吾に雨のおもたき紫陽花しづか
 (こんな日もあります)

05年6月30日(木)
横車押すに押されぬ車椅子吾の背負ふ難病(やまひ)の治癒強ひるごと
 (車椅子という乗り物?は、外の広いところで使う場合には殆ど問題なく機能して
  くれますが、いざ屋内、それも部屋の中で使うとなると、余程広いスペースがないと
  思うように操れなくて大変不便な物です。
  どのメーカーに問い合わせても、横移動のできるものは特殊な物以外有りません
  とのこと。椅子一つ分、横え移動するには何度も前後へ切り返さなければなりません、 
  車で縦列駐車をする時のアレです。車椅子プラス操る人のスペース、小さな部屋に
  そんなスペース有る筈がありません。そこで私は、普段使っていた椅子にキャスター
  (ストッパー着き)を取り着けて使っていますが、これが実に具合よく動いてくれ、
  業者さんやヘルパーさんが感心しています。その内にパテントでも取ろうかと、
  は冗談ですが。永い歴史の有る筈の車椅子(介護用品)ですのに、蔑ろにされて
  いたであろうことが、この事一つとっても良く分かります)

05年6月29日(水)
昨年のリプレーと見ゆ洪水に沈み逃げ惑ふ新潟びとら
 (またも新潟で集中豪雨による洪水です、ほんとうにお気の毒。
  このような報道を去年は何度観た事でしょうか、もう沢山と言ってみても
  どうなるものでもないんですが、西では水不足が憂慮される状況です、
  自然は矢張り自然ですね、人間の力ではどうにもなりません、無力です)

05年6月28日(火)
真夏日の満ち満ちてをり東京はげんなり顔に満ち満ちてをり
 (6月に、それも梅雨最中の筈ですのに連日の真夏日です。今日私の住んでる練馬では
  37.3度と6月としては観測史上尤も高い気温を記録しました。もううんざり!そんな声が 
  あちこちから聞こえてきます。去年の二の舞だけはご免被りたいものですが)

05年6月27日(月)
ほの白きクチナシひとつ夕闇にはなつ香りの芳し 梅雨に
 (日暮れが近づくとマンション工事の音が止みます。クーラーを止め窓をいっぱいに
  開け放ちます。クチナシの馥郁たる香りが流れ込んできました。
  梅雨のどんよりとした、蒸し暑い風を一瞬忘れさせてくれました)

05年6月26日(
モノクロかはたまた天然色なるや目覚めて辿れどはかなきが夢
 (よく話題になるんですが、夢はカラー?かモノクローム?か。私はカラー、私はモノクロと
  はっきり仰る方がいますが、私は未だにどちらとも判断できるような夢をみたことがあり
  ません。と言うよりもハッキリしないからこそ夢だと思いますが)

05年6月25日(土)
だんご蜂あしながミツバチ蝶までもサツキひとつにけふも騒がし
 (遅咲きのサツキの花が未だ咲いています。どう嗅ぎつけるのかは不明ですが、
  後から後から飛んできて、ひとつひとつ花を覗いて?いきます)

05年6月24日(金)
商戦に敗れ寿司店暖簾を下ろす「ご愛顧に感謝」の張り紙空し
 (私が住んでる街にある私鉄駅前に、3軒のお寿司屋さんがありました。
  それぞれに持ち味の違う店でしたが、この度遂に一番古くからの持ち帰り
  専門店が暖簾を下ろしてしまいました。「ご愛顧に感謝」とありますが、
  ご愛顧する人がいなくなっての閉店だと思います。3軒目が開店した時には、
  こんな日が何時来るだろうね、何処だろうね、と噂さ話は賑やかでしたが)

05年6月23日(木)
暮れなづむ小園に妻と立ち尽くす紫陽花愛でて夏至暮るるまで
 (一昨日は「夏至」でした。
  良く晴れて私の住む練馬では30.1度と今年2度目の真夏日となりました。日も長く、
  子供たちの帰宅を促がす放送が流される6時では未だ日差しがあるほどです)

05年6月22日(水)
裃を脱ぎ棄てし気分のクールビズ議員先生議事堂に眠る
 (資源保護、地球温暖化防止を謳い文句に「クールビズ」運動が提唱されています。
  冷房温度を28度に設定しますので、必然的に上着は脱ぎたくなる温度ですが、
  果たして定着しますでしょうか)

05年6月21日(火)
工事場の吐き出す音のチィリィチィリィリィーも蛙(かはづ)啼く音と思へば愛し
 (ダッ!ダッ!ダッ!ダッ!が消えたら今度はチィリィチィリィチィリィチィリィリィーです。
  何をしてこのような音を出すのか不明ですが、何んとも耳障りな金属音です、
  もう2週間も続いています。
  カエルの大合唱、そうとでも思わなければ居た堪れません)

05年6月20日(月)
    
暮れなづむあぢさゐ苑に花の満ち雪洞のごとほのとあかるき
 (空梅雨?そんな言葉が飛び交うほど、今のところ雨が少ないようです。
  折角の紫陽花もいまいち冴えない様子、水不足だけはご免被りたいものですね)
    

05年6月19日(
あの頃は輝いてたと自らを振り返りをり「父の日」なれば
 (「父の日」ねぇ・・・。息子夫婦から、一日早いプレゼントが届きました。
  感謝と言われたって今の私は立場が逆です。
  ここでも、元気だった頃・・・がでてきてしまいます)

05年6月18日(土)
「何食べたい?何にしたい?」に答へられず夕餉は女房の手作り三昧
 (どちら様も同じような状況かと思いますが、台所を一手に仕切る女房殿とて、時には
  献立に窮することがあるようです。何にする?何食べたい?と訊かれても、???  
  何でもいいよ、と答えるのが関の山。本音のリクェストをしても、結構却下されたり
  しますから、「よきに計らえ」がいちばんのようです)

05年6月17日(金)
ケイタイを絆に妻はお買い物介護ベッドに臥す吾を置いて
 (独りで居るのは何かと不安ですが、ケイタイさへ持っててくれれば、
  何処に居ても緊急事態に対応できます)

05年6月16日(木)
振り返ることのみ多き吾のうつつ治癒の叶はぬ闘病にして
 (何かにつけて、元気だった頃は、になってしまいます)

05年6月15日(水)
ケイタイを持ったし鍵も持ちました<ちょっと出て来る!>女房殿は
 (出かける前は大変です)

05年6月14日(火)
友情を短歌(うた)に託せる友の文涙して読む妻とふたりで
 (友人(幼馴染、女性)から、私を励ます言葉に満ちた手紙が届きました。
 10首もの短歌に思いをも託してあります、嬉しくって女房とふたりで泣いてしまいました)

05年6月13日(月)
青空に梅雨を忘るる風の吹く水無月なるを諾(うべな)ふけふは
 (今日は朝から爽やかな風が吹き抜けています。青い空に白い雲、
  入ったばかりですのに、梅雨を忘れさせてくれます、気温は真夏日と
  なりましたが、未だ水無月ですからね)

05年6月12日(
行列に疲れ人混みに酔ったとぞ息子夫婦は万博帰り
 (「愛知万博」帰りの息子夫婦が寄って、土産話を聞かせてくれましたが、
  開口一番、疲れた!、事前予約が取れなかったとかでの行列、加えて、
  普段満員電車とは無縁の生活ですので、人込みに揉まれるのも辛かったようです)

05年6月11日(土)
日の終り飾らん虹の輝ける梅雨のひとひの空は暮れゆく
 (今夕のことです、細かい雨が降っていましたのに、突然、スポットの
  ような西日が辺りを染めた直後、見事な虹が立ちました。
  今日一日のフィナーレを飾る心憎いまでの演出です)

05年6月10日(金)
地下鉄を乗り捨て緑を深呼吸銀杏欅萌ゆ<光が丘>に
昼間なほ暗き緑のトンネルを抜くれば燦燦<光が丘>は
 (昨日は、私の病気に関する講演会があり、「光が丘」迄地下鉄で行き聴講してきました。
  「光が丘」は地下鉄の駅を中心にした近代的な大住宅団地です。
  大学病院、学校、デパート、等々、生活に必要なもの殆どが緑に囲まれてあります。
  地下鉄駅を一歩出ると、そこには、天を突くほどの欅の大木が立ち並んでいます、
  その先は銀杏並木、緑の風が爽やかに吹き抜けていました)

05年6月9日(木)
吾を看呉るる妻に労らふ言の葉のひとつも吐けぬけふの重たき
 (こういう日もあります)

05年6月8日(水)
産め増やせ!時経てまたも産め増やせ老いを支ふる若きら増やせ
 (1.29 去年現在日本の女性が生涯に産む子供の数だそうです。その昔、日本は
  鉄砲玉に使う為にこの号令を掛けました。現在は、このままだと年金制度の崩壊に
  繋がりかねないと、危惧してのことです。そういう我が方でも、息子が二人の儘に
  います、年齢を考えるとそろそろリミットかなと思いますが、こればかりは・・・・・。
  昔は、子供は出来るものでしたね、ところが今は「つくるもの」、この言葉、私は嫌い
  ですが、結構皆さんお使いになりますね)

05年6月7日(火)
雷雲のつくりし闇に点りたる外灯ひとり夕陽に空し
 (土曜日の4時前でした、激しい雷雲が我が頭上を蓋い尽くして、まるで夜になった
  かと思うほどでした。外灯のセンサーは正直ですね、雷雲が去って西日で明るくなり
   ましたのに点灯したままでいました。因みに現在は、点灯後5時間で消えるように
  セットしていますが、冬の日の短い時期は8時間にして何れも12時には消灯します)

05年6月6日(月)
リビングを駆けゆく風の軽やかに吾の新聞を捲りつれゆく
 (朝から、湿った重〜い空気に包まれていましたが、昼を過ぎた頃から
  晴れ間が覗くようになり、一時爽やかな風が吹き渡りました。
  日曜日で憎っくき?工事も休み、窓を大きく開けて部屋に風を通しました。)

05年6月5日(
角界のプリンス早世せし夜半は雨音耳に涙の献杯
 (ご存知、角界のプリンスこと貴ノ花、この度永眠されました。合掌。
  二子山親方は、昭和の名大関として記憶に新たな名力士。北の湖、輪島、三重ノ海の 
  三横綱や旭国、二代目増位山といった大関たちと共に一時代を築いた大スターでした。
  引退後は相撲協会をリードされる立場のお方でしたが、私生活では病に倒れた事も
  相俟って、週刊誌に追いかけられる事もしばしば。節々には必ずといっていいほど
  雨が降ったとか、この日の雨はお別れの涙雨となりました)

05年6月4日(土)
パソコンの指導し呉れしボランティアさん喜ぶ顔が糧と に感謝
 (このホームページの運営は、私の力量ではとてもおぼつきません。
  今日も「NPO法人練馬ぱそぼらん」の会員4名さんのご指導を仰ぎました
  (と言っても殆どやって貰ってます)。お陰様で、自分でいうのもなんですが、
  このような立派なHPとなりました。感謝!感謝!です)

05年6月3日(金)
病む我を知ってか墓地を購(あがな)へと電話の主は慇懃(いんぎん)にして
 (1年程前から、墓地を買いませんか、という電話が頻繁にかかってくるように
  なりました。まさかとは思いますが、難病人の名簿でも出回っているのではと
  疑いたくなるほどです)

05年6月2日(木)
優先の席に車椅子ごと就きて降りくる視線に会釈を返す
 (地下鉄大江戸線の車両には、4,5号車に車椅子用のコーナーが設けてあります。
  病院行きには必ず使いますが、矢張り視線は気になります。混んでいる時など、
  申し訳ない気持ちも込めて、軽く会釈をするようにしています)

05年6月1日(水)
車椅子あやつる妻の二の腕に汗の輝(ひか)りてけふは衣がへ
 (今日は「衣替え」、国会でも省エネ対策ということで、総理を筆頭にノーネクタイの
  シャツ姿が多く見られました。タイミングも絶好で夏日となってちょっと動くと汗するほど、
  車椅子を押す女房も、薄物の上着を脱いで汗を拭いていました)

05年5月31日(火)
さみだれの翌朝五月の蒼き空皐月の紅紫(あか)がきらめきて冴ゆ
 (昨日一日中降り続いた雨が今朝も残っていましたが、朝の内には止んで
  一気に五月晴れ、咲き揃った庭のサツキが、五月の陽をうけて見事です。)

05年5月30日(月)
判を捺すごとき一日(ひとひ)の暮れたれば書き込む日記も判を捺すごと
 (介助、介護、看護、マッサージ、入浴と、一週間のスケジュールはビッシリです。
  来る日も来る日も同じように暮れていきます、いったい何時迄続くんでしょうか。
  と言いながら、変化の無い毎日に感謝する自分も居ます)

05年5月29日(
鶯に倣ひホケキョと口笛(ふえ)吹けば本家はこちらとホーホーホケキョ
 (ウグイスの囀りは、雌を呼ぶのは勿論、もう一つ縄張りを主張する意味もあるんだ
  そうです。山歩きをしてる時、山上湖で「へら鮒」釣りをしてる時、頭上で啼く声に
  対抗して口笛で真似をしますと、ムキになって啼き返してきたものです。)

05年5月28日(土)
夏日だと聞いて厨に腕まくり昼餉は「冷麦」ですよと妻は
 (お昼過ぎのテレビ番組で、今日は25度を越して夏日となりました、と聞いて、
  早速「冷麦」を茹でにかかりました。夏日=暑い=冷たいもの。大好物です)

05年5月27日(金)
認めたくなくて朝に深呼吸ゆんべの諍ひ未だひきずりて
 (こういうこともあります、情けないことですが)

05年5月26日(木)
緑なすトンネル抜けて見上ぐれば葉桜萌ゆる皐月の空に
 (桜は今、萌えるほどに葉を繁らせて、並木などはまるで緑のトンネルです。
  来春ようの花芽を育てているころですが、五月の青空に爽やかです)

05年5月25日(水)
池の面に風のなすまま根なし草タンゴにルンバ チャチャチャも交へ
 (庭の池へ「布袋草」を5株浮かべました。風をうけて、あっちへいったりこっちへきたり、 
  ついて離れてクルクル回って、まるでダンスです)

05年5月24日(火)
快気祝の品に添へたる文に言ふ<身障一級>背負ふと幼馴染(とも)
 (快気祝いと銘打った品が、心臓のペースメーカー装着手術をした友人から届きました。 
  一級の身障者手帳を交付されたとのこと。何が快気ですか、目に見えない電波に怯え 
  ての生活、快気どころか、気の休まらない生活がこの後ずっと続くことになります。
  まぁ何時起こるか分からない発作を心配するよりは、とは思いますが)

05年5月23日(月)
甥っ子の結婚式に出でし妻は謝辞に感涙 化粧崩しぬ
 (この度結婚した甥っ子は、女房の妹の次男です。長男は既に結婚していますが、
 中学、高校と多感な時期に父親を癌で亡くしました。以来母親ひとりの手で育ちましたが、
 今はレントゲン技師として立派な社会人となりました。披露宴の締めくくりで、母への感謝
 の言葉を聞いて涙が止まらなくなったと、化粧が崩れたままの顔で帰ってきました)

05年5月22日(
今頃は三三九度か 甥っ子の挙式を想ふ病の床で
おめでとう!病に父をとられしがひとり立ちせし姿の凛々し
 (残念ながらこの身体では、晴れがましい席には少々気が引けますし、長時間の
  車椅子も辛いものがありますので、女房と息子に行って貰って私は失礼しました)

05年5月21日(土)
たどたどしき「3」の字哀れミスターの病みゐる姿想ふに辛き
 (ご存知、ミスターこと長嶋前巨人軍監督。未だに、リハビリ生活をおくってらっしゃる
  とか。先日、自筆の「3」の文字が書き込まれたメッセージが発表されました。
  同じく闘病の身にあって、あの「3」を書く辛さは痛い程身に沁みて分かります)

05年5月20日(金)
メイストームの置ひてゆきしかそのあしたさ庭にひとつ黄色きハンカチ
 (水曜日、大風が一日中吹き荒れました。どこから飛んで来たんでしょうか、黄色い
ハンカチが庭の隅にくちゃくちゃになって落ちていました、黄色いハンカチ何か意味あり?)

05年5月19日(木)
春でなく夏にもとどかぬきのふけふ汗を拭いたり厚物着たり
 (今は春と夏との狭間、天候は不順です。今日の練馬は、最高気温が30度にも
  なりましたのに、明日はまたまた20度へと逆戻りとか、ついてゆくのが大変です)

05年5月18日(水)
五月晴庭園灯の影ひとつ西より東へ移りゆき消ゆ
 (きのうは一日をとおして五月晴れ、雲一つ無い青空が終日続きました。
 庭の中心にある庭園灯の影が、クッキリと鮮やかに移動してゆく様子が見てとれました)

05年5月17日(火)
皐月、晴れ天高かりて薫風(かぜ)清か憎っくき花粉の飛ばざれば尚
 (訪問して下さるヘルパーさんの中に、未だに花粉に苦しんでる方がいらっしゃいます。
  風香る五月だというのにお気の毒なことです)

05年5月16日(月)
突然の地震(なゐ)に身構へ各々が揺るる物など睨みてをりぬ
 (昨日の16時10分頃、栃木県南部を震源とする地震が発生しました。東京は震度2
  との発表でしたが、四階の我が家は結構な揺れで、居合わせた3人が3様に、揺れる
  ものに目を凝らして成り行きを見守っていました。因みに私は、蛍光灯の鎖スイッチを
  見詰めておりました)

05年5月15日(
衣替済ましし妻は時節(とき)ならぬ〈山背〉に震へ予報士を叱る
 (このところ、天気はそこそこですが気温はぐっと下がりました、朝晩にはストーブが欲し 
  いほどです。なんでも、北東からの冷たい風が吹き込んでいる所為とか、予報士に
  八つ当たりしても、どうなるものでもないんですが、ゴールデンウィーク中の好天気を
  利用して、冬物を整理してしまったようです)

05年5月14日(土)
ヤマウドにコゴミ、ゼンマイ、フキノトウ、里山より来ぬ春の便りが
 (友人から山菜がいっぱい詰まった宅急便が届きました。今年は大雪の所為か、
  出がいまひとつ、との一文が添えてありましたが、居ながらにして里山の春を
  満喫させてくれました)

05年5月13日(金)
つつじ狩る園に集ひし人々の花と競へる笑顔の眩し
 (ツツジの咲き競う公園に集まった皆さん、口々に綺麗!素晴らしい!を連発しながら
  笑顔、笑顔、笑顔のオンパレードです)

05年5月12日(木)
湾岸にコククジラ迷ひつひに死す何を言ひたかりけん知らず
 (東京湾へ迷い込んだ?と言われて、皆さんの目を楽しませてくれていた「コククジラ」が 
  可哀相な姿で発見されました。クジラとかイルカの異常行動?はよく耳にするところです
  が、専門家もハッキリとした原因は解らないと言っています、幼体だそうで、親にでも逸 
  れたんでしょうか?)

05年5月11日(水)
おもむろに背伸びし欠伸し身振ひて さて!何処へゆく猫のゴンベは
 (思い出し詠みです。
  ヘルパーさんの愛猫の話を聞いて、15年一緒に生活したペルシャの雄のチンチラを
  詠んでみました。利口な猫で、テレビに出演したりと思い出はつきません。
  ゴンベは愛称です、本名はカルロスでした)

05年5月10日(火)
肴にとイナゴの佃煮前にして「喰った!」「喰えん!」と竹馬の友と
 (先日、子供の頃からの友人らが我が家へ来てくれ、一杯やりながら語り合いました。
  その際イナゴの佃煮を前にして、捕った!喰った!俺は駄目!と、おおいに盛り上がり
  ました。私は子供の頃、さんざん田んぼを駈けずり回って捕っては食べたものです、
 当然今も大好物です。竹馬の友、古いですねぇー、今はこんな言葉は死語でしょうか?)

05年5月9日(月)
諍ひを断ち切らんとて妻の撒く水音激し春宵の庭に
 (詰まらん事(他人様が聞けば)で時々衝突します。お互いが譲りませんので、
  解決策は時間です。
  女房は水撒きで憂さを、私は歌に思いを?、とはなかなかいきませんが)

05年5月8日(
天を突くイチョウの古木は緑噴きカラスの愛の巣抱き込みて聳(た)つ
 (すぐ前の小学校の敷地に立つイチョウです。ここ2〜3年子育てをしていましたが、
  今年もまた巣をかけました。時を同じくしてイチョウが若葉を吹きましたので、
  すっかりその在り処を隠してしまいました。
  利口なカラスのこと、きっとこの事を知ってのことなんでしょうね)

05年5月7日(土)
母の日に義母(はは)に贈らん花束を誂ふ妻も娘息子(ふたり)の母ぞ
 (女房も二人の子の母ですが、私のお袋に気を遣ってくれます。
  その二人の子供には邪険にされてるのにです)

05年5月6日(金)
ふと目覚め夢を辿るに病む我が歩いていたり登っていたり
 (昨晩は珍しく夢を見ました、山道を登ってる夢です、それも、春だというのに
  落ち葉が散り敷いた山道をです。歩くどころか立つことさえ出来なくなってる
  筈の脚ですのに、願望でしょうか?夢って不思議ですね)
夢に立ち夢に歩みし吾の脚は歩みを棄てて一年余り

05年5月5日(
連休で工事休みで晴朗で聞こえてくるは耳鳴りばかり 
 (女房が所用で出掛けた後、世の中の動きが全て停まったんじゃぁないかと
  思えるほど静です。我が家は南に小学校、西側はマンションの建設工事、
  北側(後ろ)は幹線道路に面し、30m先には西武池袋線の高架が走っています。
  訪れる皆さんが口を揃えて静ですね、と言うほど不思議と普段から静です。
  が、今日はそれに輪をかけたような静けさです。
  学校も工事も休み、奔る車も少ないんでしょう、耳鳴りが一段と大きく聞こえます)
05年5月5日(木)
「行って来る!」蟄居す我に娘(こ)の一家
                  グァムに遊ぶとつれないことを

05年5月4日(
茶畑のつらなる丘を渡りくる五月の風をテレビに見たり 
 (冠雪富士を背に若緑一色の茶畑、新茶摘みの様子をテレビニュースで見ました。
  自分がそこに身を置いたようです)

05年5月3日(
眩しくて射る日新緑(みどり)にキラキラと五月三日は連休半ば 
 (5月3日ゴールデンウィーク真っ只中ですね、絶好の行楽日和となりました。
  五月の強い日差しが新緑に輝いて眩しいほどです)

05年5月2日(月)
連休の谷間のけふは騒がしきビル建設の日がな一日
 (日曜祭日は休みます、との約束どおりビル工事はウィークデーのみ行われています。
  今日を休めば5連休、暫しの静けさがと期待してましたのに、今日は朝からダッダッ
  ダッダッダッ!参りました)

05年5月1日(
椀底に残る砂粒に浅蜊らの育ちし海の潮騒を聞く
 (アサリが砂を噛んでいたようで、お吸い物を戴いた後の
  お椀の底にかなりの量が沈殿していました。
  「何処の海の砂だろうね」としばし話が弾んだものです)

05年4月30日(土)
日曜も祭日もなく吾を看呉るる妻にゴールデンウィークある筈もなく
 (既に還暦をとうに過ぎ、本来なら毎日が日曜の筈でしたが、計らずも私の専属
  ヘルパーとなってしまいました。考えるまでもなく、365日一日24時間休む事無く、
  二人分を動いてるんですから大変です。
  何時も感謝の気持ちを素直に口に出来ない私ですが)

05年4月29日(
貰ひ泣きするはたやすきことなれど心の中に入るをためらふ
 (JR宝塚線での大惨事で、106名の死亡者が出ました、まだ重傷者も多数名
  いらっしゃいます。ご遺体と対面なされた方々のご心痛は、私共部外者には
  計り知れないものがあるやに思われます。心よりご冥福をお祈り申し上げます)

05年4月28日(木)
春風に背筋を伸ばし胸ツンとお嬢さんがゆくお澄まし顔で
 (地下鉄を降り病院に繋がる道を歩いていましたら、向こうから来る、まるでファッション
  モデルのようなお嬢さんとすれ違いました、狭い歩道でしたが私の車椅子には目もくれ 
 ず、真っ直ぐと前方を見据えたまま風を切って行きました、春ですね)

05年4月27日(水)
尊厳とはいかなるものか吾のうつつ
             「お願い!」「頼む!」にけふも明け暮れ
 (何一つ自分で出来ない私の生活は、沢山の方達の手のお陰で成り立っています。
  有難い、申し訳ないと思う一方、沢山の我慢、辛抱も強いられます。
  人は尊厳をもって生きているといわれますが、「尊厳とはいったい何ぞや」と
  考える事もしばしばです)

05年4月26日(火)
庭の木々もこもこもこと膨らみてさ緑かがやく朝の日差しに
 (庭木たちが新芽を吹いて、ひと回り大きく膨らみました。
  雲一つない青空からの春の日差しに、新緑がキラキラと眩しいようです。)

05年4月25日(月)
スズメらの恋の季節は開けっ広げあちらこちらで吾の目気にせず
 (庭に来ている15〜6羽のスズメ達が、今 子づくりの季節を迎えています。
  尾羽をピンと挙げて追っかけたり、追いかけられたり、賑やかなことです。
  人様の面前でなんということを、と言ってみても仕方のないこと。
  巣作り用でしょう枯れ草や、新しく吹いた木の葉を盛んに運んでいます)

05年4月24日(
病む我の口に<塩辛>運ぶ妻の顔引き攣りてなんとも不味さう
 (「亭主の好きななんとやら・・・」といいますが、女房にとっての「塩辛」は
  「気持ちわるいー!」の対象でしかありません。)

05年4月23日(土)
筍の煮物に木の芽あをあをと春を描ける香りも添へて
 (タケノコが美味しい季節となりました、時を同じくして山椒の葉も、相談したように
  でてきます、この取り合わせ絶妙の味を演出してくれます)

05年4月22日(金)
花咲かすことの叶はぬ<菜の花>ら<お浸し>となり胃の腑に落ちぬ
 (「菜の花」とよばれながら、花どころか軟らかい新芽のうちに摘み取られてしまう運命、 
  尤も今は、食用の物が開発されて栽培されてるようですが)

05年4月21日(木)
庭ひとつもこもこもこと膨らみてさ緑かがやく朝の日差しに
 (庭木たちが新芽を吹いて、ひと回り大きく膨らみました。
  今日は朝から雲一つない青空です、新緑がキラキラと眩しいようです。)

05年4月20日(水)
結婚の満足度問ふアンケート設問睨み暫し黙考
 (某新聞の読者モニターに参加してますが、アンケートに答える段になって、
  考え込んでしまいました。満足度で括れるほど生易しいものでは・・・・・・・。
  因みに、現在は?と聞いてくれれば、勿論「満足」と答えますが)

05年4月19日(火)
反日だ!排除打倒の大音声ハテ?と戸惑ふ戦後育ちで
 (今、中国各地で起きている大騒ぎ(過激な反日デモ)
  徹底した反日教育をしてる国と、侵略?の歴史を教えてこなかった国とのギャップ。
  少なくとも私が受けた義務教育だけでは、今回のこの騒ぎは理解出来ません)

05年4月18日(月)
朝七つ昼は四っつで夜六っつこの薬らのお陰で息災
 (薬漬け、とまではいきませんが、お陰で、身体が動かせない以外の異常は
  今のところ無く、その点では健常にいます)

05年4月17日(
初蝶の風のまにまにわたりゆく菜の花の黄に染まりて溶けて
 (イメージしてください、見渡す限りの菜の花です、その先に桜と青い空。
  黄色い蝶が一羽花をかすめるようにとんでゆきました)
                    

05年4月16日(土)
残雪を被(かづ)き眠れる山よそにアンズに桜、桃ら華やぐ
 (見事に咲き競う 桜、アンズ、桃、ひとは三春とも言います、南アルプス連山も
  残雪をのせたままの美しい姿を魅せてくれますが、里と違って未だ冬眠中です。
  長野「高遠城址公園」の「タカトウコヒガンザクラ」千曲更埴の「アンズ」山梨一宮の
  「モモノハナ」を一日で楽しんだ時の思い出を、歌にしたものです)                       
 

05年4月15日(金)
万博へ行かずとも吾の身の周り
           ヘェー!ヘェー!ヘェー!と目を見張る日々
 (現在開催されている「愛・地球博」科学技術の先端を結集してのものであることは
  容易に想像できますが、私のように戦後何にもないところから出発した人間には、
  毎日の生活の中で、見たり聞いたり経験したりが其のまま「博覧会」です)

05年4月14日(木)
久方に戻りし春の賑やかに牡丹桜にツツジらつれて
 (花冷えにしては余りにも冷たい、冬のそれのような雨が3日間も降り続きましたが、
  やっと今日になって晴れ、春爛漫です。
  桜は八重へと移り咲き、ツツジも色を添えています)

05年4月13日(水)
憎っくきは咲き満つる桜を散らす風むしるがごとく蹴飛ばすごとく
 (どうしたものか桜の頃は、まるで約束事のように強い風が吹きます。
  今年もまた、満開になってからの3日間、吹き荒れると言うほどの風が吹き、
  四階の我が家の庭にも風花のように舞い落ちてきたほどです)

05年4月12日(火)
吾を看るに疲れもあらんストレスを発散せんと妻はカラオケへ
 (ストレス発散には、カラオケで大声を出すのが一番とよく言われますが、
  その原因は私だと第三者はよく言います、女房は決して口にしませんが、
  カラオケはライフワークとして楽しんでいます)

05年4月11日(月)
バースディーを寿ぐメールに気恥ずかし六拾七歳性懲りもなく
 (思いもかけないメールでのバースディーカードを戴きました。不肖がんてつ、67歳の
  誕生日を迎えました、これだけは、元気でいても、病んでいても巡ってきますね。)

05年4月10日(
風に舞ふ吹雪くがごとく風に飛ぶ桜の散りざまなんと激しき
 (もう散り始めました。それも折からの強風に煽られてあたかも吹雪のようです。
  どうしたものか桜の頃は強い風が良く吹きます、折角の桜が可哀相でもありますが、
  散りゆく様もまたいいものです)

05年4月9日(土)
追へば来る来れば追ひたてドバトらの子育ての宿ご免とけふも
 (野鳥たちの巣作りが始まりました、スズメは枯れ草を、ドバトは枯れ枝のようなものを
  セッセと運んでいます。ご多分に洩れず我が家でも、ドバトが作るに事欠いて、キッチン 
  の排気ダクトの中へ運び始めました、此処だけは何としても阻止しなければなりません
  因みに、追い出すには、換気扇を「強」にして強い風を送ります。)

05年4月8日(金)
桜(はな)咲けど躍る術なし車椅子押さるるままに花を愛でゐて
 (桜並木と公園をひと回りしてきました、見事に咲いていましたが、
  車椅子では前を見るだけ、ヘルパー(女房)さんの思いのままです)

05年4月7日(木)
遅れ馳せなどと言ふまい桜花(さくらばな)入学式に合はせ爛漫
 (東京の桜は、近年には珍しく四月に入っての開花、そして、6日になってやっと満開と
  なりました、時当に入学式の真っ盛り、満開の桜の下で新一年生のスタートです)

05年4月6日(水)
許すまじ遥ろけき時を超えてなほ我に棲みゐる難病(やまひ)の奴を
 (断りもなく私の身体に棲みついたALS、7年になんなんとして、
  益々その存在感を主張しています)

05年4月5日(火)
その昔読み流したる占ひも現(いま)を病みしは若しやあれかと
 (19歳のときでした、何かで読んだ占いの中に「将来大病」というのがありました。
  また、電車の中で、前に座っていた中年の女性が、私の右手の甲を見て、「あなた
  素晴らしい人生がおくれますよ、出世します」と。前者は読み流し、後者は密かに
  期待したんですが・・・・・。)

05年4月4日(月)
咲き惜しむ桜の園に集ふ衆の声交々に去年(こぞ)を褒めゐる
 (咲き惜しんでるとは思いませんが、折角の日曜も大半は蕾のまま。
  花見客の皆さん、去年の様子を話し合って楽しんでいらっしゃいました。)

05年4月3日(
球春は熱さ伴ひ届きたり甲子園から、海の向かふから
 (球春という春があります、甲子園に始まって、プロ野球の開幕、
  そしてアメリカメジャーリーグまで、ファンにとっては待ちに待った春です)

05年4月2日(土)
四月朔日(ついたち)も残る寒さに桜花(さくらばな)
                       数輪のみに春を告げゐる
 (東京の桜、寒さのせいか一向に咲き進みません、この分だと久し振りに
  入学式の頃に盛りを迎えそうですね)

05年4月1日(金)
五つ六つ咲きたる桜に予報士が春始まるを高らかに告ぐ
 (昨31日、東京靖国神社の境内にある桜の標準木の下で、気象予報士が開花宣言を
   しました、取り囲む観光客から、拍手がくるほど待たれた、桜の春の到来です)

05年3月31日(木)
ねまる吾に揺すれ揺すれと医師の指示貧乏揺すりが血栓防ぐと
 (座った状態で生活していると、鬱血状態となって血栓が出来易いからと、主治医から
  脚を細かく動かして予防に勤めるようとの指示がありました、言わば貧乏揺すりですが、
  ポンプ作用で血流が良くなるそうです)

05年3月30日(水)
心地好き介護受けつつ諾(うべな)へるヘルパーさんは五児の母とふ
 (今日から水曜日を担当してくれることになった新しいヘルーパーさん、実にテキパキと、
  スムースに、プラス痒いところへ手がとどくようでした、聞くに、小1を頭に5児の母とか、
  どうりでと感心すると共に、あの若さであの働きぶり、母は強しを実感した次第です。)

05年3月29日(火)
今日もまたまた肩透かしくいました咲くよ咲くよの桜の春に
 (気象庁から発表されていた、東京の桜の開花日は27日(日)でしたが、今日に
  至っても咲く気配はありません、桜どころか厚い雲に蔽われて冷たく沈んでいます)

05年3月28日(月)
心拍を機器に頼れる友のゐてメール送るを躊躇す我は
 (友人が心臓疾患から、このほど、ペースメーカー装着手術を受けましたが、医師から
  指示された行動範囲の制限が、余りに厳しくて少々落ち込んでいます。一般にいわれ
  ているペースメーカーとは異なる物だそうで、ケータイは勿論パソコンも駄目、電気炬燵
  のスイッチも自分で操作してはいけないとか。直接、パソコンでのメールのやりとりが
  出来なくなってしまいましたので、娘さんを通して会話をすることとしました。)

05年3月27日(
吾が意ではピクッとも動かぬ両腕もつっかひ棒に使ふ術あり
 (自分の意思では全く動かすことが出来ない腕ですが、椅子に座る姿勢を保つ為に、
  つっかい棒として肘掛にのせることで役立っています)

05年3月26日(土)
目覚ましに炊飯器また洗濯機、ピッピッピッピッピッピッとお主ら何様?
 (使っているのか、使われているのか、女房殿はハイハイハイと返事などしております)

05年3月25日(金)
けたたましき音に目覚めてしばらくをわが火の元に思ひ巡らす
 (消防車のサイレンは実に嫌なものです、特に夜は状況の把握がし難いだけに尚更です
  私は計4度、火の粉を被ったり、煙攻めに遭ったりと九死に一生?を得るような経験を
  しましただけに余計です。
  これから本格的な春になると共に、火災の多い時期となります、どうぞ火の元には
  皆様ご注意くださいますように)
カーンカンと帰り行く音心地よし火伏せしのちの消防車らの

05年3月24日(木)
三月を弥生と言ひかへ見る宵の庭にほのぼのつらつらつばき
 (”やよい”耳障りのよい音ですよね、同じ三月でも温さを感じさせてくれます。
   ”つらつらつばき”・連なって咲くツバキの様子をいいます)

05年3月23日(水)
合併で<出雲市>(いづも)となれど想ひ出は
              <須佐>にこそ在る故郷(ふるさと)なれば
 (いま全国各地で行われている市町村合併、私が育った島根の町も、新しい市の
   一員として新たなスタートを切りました。
   「スサノオノミコト」ゆかりの、「須佐神社」のお膝元の小さな山村でしたが・・・)

05年3月22日(火)
パソコンのデスクトップに咲き満つる桜貼りつけ春をさきどる
 (あと一週間もすれば、桜の咲く好い気候となりましょうが、待ちきれずに
  満開の桜を貼り付けて気分一新です)

05年3月21日(
玄界の孤島襲ひし大地震(おおなゐ)の遺ししものは虚しさばかり
 (震度6弱、またまたの大地震です、玄界島では急斜面に建てられた沢山の家が、
  敷地毎崩れしまったようです、お気の毒としか云いようがありませんが、
  大自然相手では、虚しさばかりが募ります)

05年3月20日(
吾の想ひ託しし妻はいそいそと亡き母の待つ彼岸会墓参へ
 (お彼岸の中日、健常にいた頃は、欠かしたことのなかった墓参りですが、
  車椅子となっては如何ともし難く、女房一人での墓参となりました、私の想いも
  一緒に連れていってはくれましたが・・・)

05年3月19日(土)
一本、二本、三本伸びて蒼空を飛行機雲が塗りかへてゆく
 (雲ひとつ無い蒼空に、飛行機雲が3本、見事な白線を曳いた後、だんだんとくずれて、
   やがて乳白色のかかった青空に変わりました)

05年3月18日(金)
白濁の春の空ゆくヘリコプター気だるげな音街に撒きつつ
 (青空も春特有の白っぽいものになりました、あとは桜が咲くのを待つばかりです)

05年3月17日(木)
看て呉れしヘルパーさんがいとまごひ嫁しゆき日の娘(こ)に重なりぬ
 (私を看て呉れていた若いヘルパーさんが、実家へ帰るということで辞めていきました。
   テキパキと動き、良く気がつき。私にとっては頼り甲斐のある方でしただけに、残念で  
  した、正座して、両手をついての挨拶に驚くと共に、娘を嫁がした時の事を思い出して 
  一時感慨に耽ったものです)

05年3月16日(水)
燦燦と春陽そそぐに拒むごとマスクを着けて人ら黙(もだ)ゆく
 (今日は一気に気温が上がり、春本番を思わせる陽気となりました。
   なのに、花粉症に苦しむ皆さんは、マスクを着けて自己防衛、お気の毒です)

05年3月15日(火)
青空に千切れ雲とび雪の舞ふ風のかたちを宙(そら)に描きつつ
 (13日(日)東京に風花が舞いました、風の動きが見えるようです)

05年3月14日(月)
冬枯の京都に遊びし友の来てみやげ話に<おたべ>も添へて
 (<おたべ>生八橋に餡の入ったもの、京都みやげの代表格です)

05年3月13日(
一番の春風疾(と)うに吹きたれど弥生の今朝は綿入れ羽織る
 (東京の春一番は、去年より9日遅れて2月23日に吹きましたが、
  春に向って一直線とはいかず、今朝の冷え込みは真冬のそれでした)
立ち止まりまた立ちどまりゆく冬の尻たたくごと春一番は

05年3月12日(土)
受話器より洩れくる声の弾みしは伯母に婚約告げてゐるらし
 (甥っ子から、婚約したとの報告の電話がきました、女房の受け答えから話の内容は
  充分理解できましたが、受話器から洩れて聞こえる甥っ子のハイトーンの声が、傍に
  いる私にも聞こえるほどでした)

05年3月11日(金)
血栓を防ぐマッサージの心地良く夢路に入りては呼び覚まさるる
 (私は、一日を椅子に座って過ごします、それも滑り止めの為に、ベルトとクッションを
  使ってほぼ固定した状態にしています。ひと頃、航空機に長時間乗っていておきる、
  「エコノミー症候群」が話題になりましたが、私の身体でもこのような症状が心配される
  ということで、医師からマッサージを受けるよう指示されました。関節の硬縮予防も兼ね
  てのことですが、筋肉部分のマッサージはたいへん心地好く、瞬間的ですが眠ってしま
  い声をかけられることもしばしばです。)

05年3月10日(木)
桜花咲く予想日示しキャスターは戻る寒波に注意をせよと
 (桜の開花予想日の2回目が発表され、東京は29日とのこと、昔のように
  三寒四温が顕著ではありませんが、まだまだ寒い日がありそうです)

05年3月9日(水)
ペースメーカーに頼る決意の弱弱しあすは手術と幼馴染は
六十年(むそとせ)を働き疲れし心臓にあとひと鞭とオペ受く幼馴染(とも)は
 (小学生時代からの友人(女性)です、告知を受けた当初、着けるの嫌だと愚図っていた
  ようですが、意を決して手術を受けました。今後はペースメーカーのフォローを受けなが 
  らの生活になりましょうが、不安を抱えてよりはと・・・思います)

05年3月8日(火)
歩むこと立つことさへも出来ぬ吾の足に靴履き車椅子に乗る
 (何の役にもたたない靴ですが、外出時には恰好つけに履いて車椅子に乗ります)

05年3月7日(月)
五輪では人手に阻まれ琵琶湖また腹痛に泣くデリマの哀れ
 (琵琶湖毎日マラソン、注目のデリマ(ブラジル)選手、今度は腹痛で途中棄権、
   体調の調整に失敗したのでしょうか、多くを語らなかったようですね)

05年3月6日(
主どのは疾(と)うの昔に嫁ぎしがわが玄関に立ち雛のこる
 (娘が嫁ぐ際、大きいからと置いていったもの、ずっと玄関に飾っています)

05年3月5日(土)
ポトッポトッと消えゆく雪にリズムありて狭庭にひとつ水溜り生む
 (消え残って凍り付いていた雪が、朝からの陽射しを浴びて見る見る融け、
  水溜りを作りました、早速、スズメやメジロが水浴びをしています)

05年3月4日(金)
そぉっとおく春雪淡く夜しじま朧月夜と見まがふばかり
 (東京に、三月としては7年振りの積雪となりました)

05年3月3日(木)
一枝を手折ってきたらしリビングを横切る妻は香りもつれて
 (陽だまりに置いてある、鉢植えの沈丁花が咲きはじめて、馥郁たる香りを放ちます)
咲き初めしひと枝なにげに沈丁花横たふリビング春の香に満つ

05年3月2日(水)
如月の落とし物なるこの寒さ弥生ついたち身震ひひとつ
 (待望の春三月、なのによく冷えました)

05年3月1日(火)
ギンギラの西日の中にみぎひだりビル積み上ぐるクレーンの忙し
 (一軒置いた西側に、12階建てのマンション建設工事が進行中です)

05年2月28日(月)
ムシャクシャを消すため刃(やいば)を突き刺のか出来ざる我は己をころす
 (余りにも、無惨な事件が多過ぎます、いったいどうなったんでしょうか?)

05年2月27日(
きさらぎの狭庭にあそぶウグイスの春よの声のひそやかにして
 (我が家の庭へ餌を求めてくるウグイスが、小さい声ながら立派に啼いてくれました、
  春未だ浅いのに、<ホホホホーホケキョッ>と立派なものです)


05年2月26日(土)
打ちて降るあられ受け来て膝掛けに雪だまひとつ車椅子にて
 (外出先からの帰り道、折からの雨が霙混じりの霰となって強く打ちつける中、
  傘をさせずに急ぎ足、帰り着いたときには膝掛けに、おにぎり程の雪玉が。
  ほんの一瞬の出来事でしたが、その後雪となって朝には3aほど積もっていました)

05年2月25日(金)
病む身をば預くる我と看る妻に「羨ましい!」とヘルパーさんは
 (難病に苦しむ夫婦に、羨ましいはないもんですが、「24時間休み無く私の面倒を看て
  くれる奥さんが居ていいですね、羨ましい!」でした)
  (女房曰く、私は誰が看てくれるの!)

05年2月24日(木)
春告ぐる一番の風吹きし宵喉こすビールの爽やか清(さや)か
 (東京地方に昨23日、春一番が去年より9日遅れで吹いたと気象庁が発表しました。
  とは言え、今日の東京は夜に入って霙が降っています)

05年2月23日(水)
おもむろに靴下脱ぎ捨てヘルパーさん吾を立たさんと四股まで踏んで
 (60キロの私を椅子から車椅子等へ移乗させる際に、女房も含め小柄なヘルパーさん
  は気合を入れてからとりかかります、キャスター付きの椅子がスムースに動くように、
  床はフローリング仕様にしてありますので滑るようです)

05年2月22日(火)
もこもこのアナウサギらのご主人は青いシートのおうちのおじさん
 (東京と埼玉の境を流れる荒川の河川敷に、青いシートの家?を作って住み着いていた
男性が、「寂しさを紛らわす為」にペットとして飼っていた「アナウサギ」が、増えに増えて
70数匹(兎は羽でしたでしょうか?)にもなり、土手のあちこちに崩壊につながりかねない
「穴」を掘ってるとの通報があったとか、テレビで話題になったものですから、沢山の人が
押しかけて「ウサギランド」状態になっています。強制退去も強制処分も出来ないとかで、
県のとった方策は、周りを柵で囲うこと、早速重機まで入れての工事が始まりました。
実に複雑な思いで成り行きを見ております)

05年2月21日(月)
歩むこと立つことさへもできぬ吾が座り得ること感謝と妻は

05年2月20日(
キジバトのめをと樹の枝に寄り添ふをじっと見つむる茶の間にひとり
 (いつも同じ木の同じ枝に庭に尻尾を向けて小一時間はとまっています。
  番かどうかは不明ですが)

05年2月19日(土)
枝々に雪の花咲く如月の朝(あした)梅の香なくて静もる
 (昨晩からの雨が朝方から雪になり庭木に花を咲かせました。
  雨になった10時頃には消えてなくなりましたが、早春の朝のひとコマでした)
冬枯れの枝々に淡雪花をなす梅咲き満つる如月の朝に

05年2月18日(金)
お嬢さんの入試の合格ニコニコと告げゐし看護婦さんは母の顔もて
 (週一回来て、メディカルチェックその他をテキパキとしてくれますが、私生活では
  一児のお母さん、それはそれは嬉しそうでした)

05年2月17日(木)
冬空の蒼をバックに凛と立ち咲き満つる梅にウグイスひとつ
 (この冬我が狭庭に、一羽のウグイスが来ています、小さな梅花の蜜を啄ばみ、
  輪切りのミカンをメジロと競って、懸命に食べています、暖かくなり山地へいって
  しまうまでに、一声聞かせて欲しいものですが)
                  
05年2月16日(水)
氷雨ふる狭庭を見遣り「いい天気!」花粉症持つ看護婦さんは
 (一週間前頃から始まったと美人さんが台無し、雨の日は花粉が飛びません)

05年2月14日(月)
「ハイッ!これ」と動かぬわが掌にチョコのせる
                        ヘルパーさんは笑顔とともに
 (私の手をとって、掌の上にご自身手作りというチョコを二粒のせてくれました。
  バレンタインデー、思わぬ方からのプレゼントにデレデレです)

05年2月11日(
蒼蒼と冬澄む大気を胸いっぱい吸ひ込みきのふをリセットなせる
 (このところ、新聞、テレビにも取り上げられ、患者、関係者の間でも大論争が行われて
  います、当事者としては避けては通れず、つい力が入ってしまい少々疲れました。
  今日は、澄み切った冬の大気を胸いっぱいに吸い込んで、昨日までのモヤモヤを
  一掃しました)

05年2月10日(木)
死にたいの生きたくないのとのたまふに死なせないとも生かしたいとも

 大変暗く重い歌でご免なさい<m(__)m>。昨年の8月、私と同じ「筋萎縮性側索硬化症」
(ALS)の患者さんが自宅で24時間介護していた母親の手によって、人工呼吸器の電源
を落とされるという事件が起こりました。
お母さんも自らの手首を切られましたが未遂に終わりました、当然?、お母さんは罪を問
われて現在公判中です。患者さんは、日頃から「死にたい」「生きたくない」と訴えていて、
電源を切ることを承諾していたとも報道されています、呼吸器を着ける際にどのような
説明がなされ、どれだけの覚悟がおありだったのか?論争の元は多岐にわたっています
苦しい呼吸に堪えられず、人工呼吸器装着を選んだ息子さん、死んでは嫌、生きていて
欲しいと願い同意したお母さんの行為は極々当り前のことと万人が認めるところです。
しかし、3年間の24時間寝たきり、話せず、食べられずの生活に疲れ、将来、いや、現状に
も絶望なさったであろうことは容易に理解できます、ほんとうにお気の毒です。
今、尊厳死の法制化が検討されているようです、我がALSにおいては、治る見込みゼロ、
治療の術ゼロ、いずれは死に至ると知ったとき、機器に頼ってでも生きようとなさる方は
30%にとどまっています、多くの患者及び家族は、このような事件を他山の石として、
悩みを共有して生活しています)

05年2月9日(水)
時ならぬ?雑煮を前に妻のいふ「旧暦元旦おめでとうさん」と
 (お正月のお餅が未だあったからと、二月九日の今日は陰暦の一月一日でした)

05年2月7日(月)
あと三年(みとせ)経てばあのやうになるのかと兄貴の禿頭繁々と見る
 (親から授かった宝物、失いたくないのは山々なれど、上から順序よく・・・)

05年2月6日(
冬晴れの東京駆けゆく車らの積める雪塊は越後の便り
 (越後の山々は豪雪、雪を屋根に積んだまま高速道を奔ってくる車をみかけます)

05年2月5日(土)
温く温くの陽だまり居間にねまりゐて雪積む郷のニュースに見入る
 (新潟・越後はこの冬豪雪に見舞われました)

05年2月4日(金)
春立てど頬をなでゆくから風の冷たきことよ茜空背に

05年2月3日(木)
ただいまッ!と我が家にどっかと胡坐かく三宅島民ガスマスク手に
 (全島避難から4年5ヶ月やっと帰島の許可が、でもまだまだご苦労が続きます)
避難せしあの日のままに日めくりの待ちゐし家は廃墟そのもの

05年1月31日(月)
蝦夷鹿(しか)鍋を囲み突きつ酒酌みつ年金食む吾ら時を忘れて
 (珍味を肴に年金生活者同士が集まって語り明かしました)

05年1月30日(
独身を謳歌する息子(こ)ら嘆きつつ背筋伸ばして爺はご免だ
 (集まるとこの話、強がってはいますが)

05年1月29日(土)
戴きし柚子味噌旨し牡蠣鍋の一味増すに感謝しつつ食む

05年1月28日(金)
燃ゆるがにチューリップの赤輝けり冬日を溜めて温もる茶の間に

05年1月27日(木)
豪雪を掻く老い頭(づ)より湯気立てておらが村だと胸を張りいふ

05年1月26日(水)
小雪舞ふ街より地下鉄大江戸線のホームに降りれば春の風ゆく

05年1月25日(火)
ごんぼうを枕に鯛の兜煮は白目パッチリ牙まで剥いて
 (何故か「兜煮」は牛蒡を敷いています)

05年1月24日(月)
その擬態触ることさへ叶はぬに牡蠣は旨しも負けて吾は食ぶ

05年1月23日(
<あらっ富士山!>指差す妻の声につられ乗客らみな窓外を見る
 (電車の窓から見事な富士山が、まるで号令を掛けたように皆さん一斉に)

05年1月22日(土)
群雀(むらすずめ)遊ぶ狭庭を見下ろして梢に鵯(ひよ)のたかきひと啼き

05年1月21日(金)
青々と銀座の柳大寒の夜風にあふられ揺られて靭(つよ)
 (この寒さの中、まだ青々としてるとの報道が)

05年1月20日(木)
みぎ頬に伝ふひとすぢ汗光る我の介護に若きヘルパーさんは
 (この寒さなのに汗をかいて、お疲れさん、そして、ありがとう)

05年1月19日(水)
山古志村(やまこし)に豪雪落としし雪雲が身軽となりて吾が空翔けゆく
 (冬晴れの東京の空を千切れ雲が駆け足で)

05年1月18日(火)
豪雪に山古志村は鎮まれり地震(なゐ)の形跡被ひ尽くして
 (今、山古志村は大雪の下に沈んでいます)

05年1月18日(火)
わだかまり抱へしままに帰りゆく嫁ぎし吾娘にかける声無く

05年1月17日(月)
震災に御霊となりし人々との懸け橋ならむ神戸に虹立つ
 (1月17日慰霊祭に合わせた様に見事な虹が)

05年1月14日(金)
様付けて呼ばるる程の者でなし救急診察今かと待つ身で
 (目眩、暗黒、万華鏡状態の後酷い悪寒に襲われ、救急車で病院へ)

05年1月13日(木)
MRI・ドンドンドンと躯に響く病巣捜すノックに怯ゆ

05年1月12日(水)
ディズニーランドに一日(ひとひ)たっぷり遊びたる
                    孫娘(まご)はミニーとなりて帰り来
 (成り切って帰ってきました、暫くは大変です)

05年1月11日(火)
パック餅腹に詰めゐしお供への鏡開きは味気なきこと
 (合理的?ではありますが)

05年1月10日(
病む身体ヘルパーさんに預けしが利用者様と祭り上げらる
 (利用するなんて!そんな大それたこと・・・)

05年1月9日(
生まれきて一年(ひととせ)余りの妹に姉さの厳し母の口もて
 (孫娘)

05年1月8日(土)
碧空に寒風あれど蒲団干すビルの向かふの白富士を恋ふ
 (以前は8階建てのマンションの向こうに富士山が見えていました)

05年1月7日(金)
ゆらめきてはかなきゆげの香る朝七草粥に春をみつけし

05年1月7日(金)
はかなげにゆらめき香る七草の粥のゆげ消ゆ寒の朝冷え

05年1月6日(木)
富士山(ふじ)仰ぐ地に住み畑耕して山登り短歌(うた)も詠みたきものよ
 (得病により、儚くも夢と消えました)

05年1月5日(水)
咽喉痛(のどつう)に始まり熱発(ねっぱつ)咳に痰
                  去年の風邪を未だ引き摺って
 (痰切りが出来ず、吸引器を借り入れて対応)

05年1月4日(火)
友垣の賀状届くも押し並べて我を案じる言の葉に満つ

05年1月3日(月)
白富士を仰ぎ箱根路タスキ継ぐ若きらの汗冬陽に輝(ひか)
 (恒例の箱根駅伝)

05年1月2日(
星くづの瞬きひとつにも満たぬ年の始めの屠蘇に酔ひけり

・・・平成十七年元日・・・
雪雲の失せて元旦晴れわたり今年(こぞ)こそ明るき世界と覚ゆ



トップへ
トップへ
戻る
戻る



inserted by FC2 system